恋心と刷り込みと依存心
よろしくお願いします。
「何か手伝うことはありませんか?」
夕食を一緒に食べながら、前に座っているカイル様に聞く。
前といってもテーブルは大きく、端から端に離れている。どうして貴族の屋敷というのは無駄に広いのか。もう少し近ければ話しやすいのにと思う。
歩けるようになった私は、食堂まで一人で行けるようにもなり、自分の手で食事を取れるようにもなった。
カイル様に手ずから食べさせてもらっていた頃よりも気が楽だ。カイル様は私に食べさせることが気に入っていたようで、未だに残念そうな顔をするが。
それはいいとして、今まで通りでいいと言われても、役立たずの上に足手まといのままでいるのは嫌だった。
だから、毎日カイル様と会っては何かすることをくださいとお願いしている。もうこれで一週間になるかもしれない。
我ながらしつこいとは思う。でも、折れないカイル様も頑固だ。
「本当に今まで通りでいいんだ。医者も言っていただろう? 記憶がないのは心の問題なのかもしれないと。君はずっと頑張ってきたから、心が休息を求めているのかもしれないよ。だから、思い出すまで無理せず休んでいていいんだ」
「ですが、私の記憶はいつ戻るのかもわかりませんし、下手したらお医者様も戻らないかもしれないと仰っていたじゃないですか。それなら私はその間どう過ごせばいいのですか?」
このやり取りを何度も繰り返して、私は少し苛立っていた。
カイル様は私に苦労をかけまいと、敢えて大変なことから遠ざけようとする。だけど、私は守って欲しい訳ではない。むしろ守られるだけの存在にはなりたくなかった。
私はただ、一人の人として認めて欲しいのだ。
「それならマーサと一緒にシェリアの面倒を見ていればいいよ」
「シェリアの世話はしています。私が言いたいのはそういうことではないんです。私は元気で働けるのに、何故させてはくれないのですか?」
「君も頑固だね」
「それはカイル様の方でしょう?」
完全に話し合いは平行線で、困った様子のカイル様はぼそっと呟いた。
「……前の君はこんなに頑固じゃなかった……」
「え?」
彼の呟きに私は固まった。
彼は特別な意味もなく言ったのだろう。でも私にはそう思えなかった。それはまるで今の私を否定しているようで、私の心に突き刺さった。
今の私を知ることができて嬉しいと言ったのは嘘だったのか。
今の私を理解してくれると思っていた彼は、そうではなかったのかもしれない。そのことは私に恐怖を与えた。
私には結局誰も味方がいないのではないか。
そう思うのは、記憶がないからだとは思う。私は本当の意味での繋がりを誰にも見出せていないのだ。
でも、考えてみれば、以前の私と彼の間には子供もいるのだから記憶が戻って欲しいと彼が思うのは当然だ。それなのに、私に思い出さなくていいと言ったのは、医者に無理に記憶を取り戻させるなと言われたからだろう。
もしかしたら彼は以前の私を愛していたのかもしれない。こんな地味で平凡な容姿でも、以前の私には彼が惹かれる何かがあったのだろうか。
──同じ私なのにどうして今の私じゃいけないの。
胸によぎった思いに気づくと腑に落ちた。
私は彼が好きなのかもしれない。まだ育っていない小さなものだけど、だから自分に嫉妬したのだと思う。
それにしても、自分に嫉妬するなんて馬鹿みたいだ。こんな気持ちなんて気づかなければよかった。
食欲はすっかり無くなってしまい、行儀が悪いと思いながらも席を立った。
「すみません。食欲がないので先に失礼します」
「体調が悪いのかい?」
カイル様も立ち上がって、こちらにやってこようとする。でも今は彼に近づいて欲しくなかった。だから、私は精一杯何でもないふりをする。
「大丈夫です。すこし疲れたみたいで……カイル様はゆっくり召し上がってください」
「いや、一緒に……」
心配そうに言い募ろうとする彼に、首を振る。心配なんてしなくていい。優しくされると惨めになる。貴方は今の私のことなんてなんとも思っていないでしょう?
心の中がごちゃごちゃして、落ち着くためにも早く一人になりたかった。一人で大丈夫だからと告げて食堂を後にした。部屋に向かいながら、彼のことを考える。
私はなんてわがままなのだろう。最初に彼を拒絶したくせに、今更彼をそういう意味で好きになるなんて。
──好き? 本当に?
好きと考えて、どこか引っかかる気持ちに気付いた。
私は記憶を無くして最初に知り合ったから、彼を好きだと錯覚しているのかもしれない。
それに今の私は物理的にも、心理的にも彼がいないと生きていけないだろう。
それは恋心なのか、刷り込みなのか、依存なのか。
その気持ちに大きな違いはあるのだろうか。私にはわからない。
ただ、このまま一緒に過ごしていたら、彼の存在は私の中で大きくなるだろう。
その時、彼が今の私を否定し、拒否したら私はどうなるのだろうか。
そうして私の悩みが一つ増えたのだった。
読んでいただき、ありがとうございます。