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彼女の記憶5

ここまでが彼女の記憶です。


よろしくお願いします。

 それから何ヶ月かして生まれたのは、彼によく似た女の子だった。


 これで私の子が後継に選ばれなくて済むことに、私はほっとした。彼も好きにすればいいと言ったし、時間はかかるかもしれないが、これで離縁できるだろう。


 そちらの心配は無くなったが、私はこの子を愛せるのか、その心配が残っていた。でも生まれた子はとても小さくて、私が守らなければいけないと思わせてくれた。父親がこの子を愛さないぶん、私が愛してあげたいと思った。


 彼との生活は冷めたものだった。彼は私を追い出したくても追い出せないジレンマで、私をいつも苦々しい顔で見る。顔を見て食事をするのも嫌だと言われ、食事は基本的に別だった。客がいるときだけ、私たちは普通の夫婦を装う。私も一緒にいたくないから都合が良かったが。新しいドレスなどは強請りたくなくて、いつも必要最低限だった。彼はいつも私が言い出すまで何もしない。私自身も彼と分かり合う努力は全くしなかった。


 そして、私の婚約が破棄されたことで元婚約者から多額の慰謝料を請求された。その上、兄も私のせいで婚約破棄になり、そちらの慰謝料も請求されてしまったのだ。たちまち私の実家は困窮してしまった。

 だけど、私にはどうすることも出来なかった。私は侯爵家に嫁いだとはいえ、夫には全く相手にされていない。彼に実家を助けて欲しいと言えば良かったのだろうが、どうせ無理だろうと諦めてしまった。

 私は無力だ。何が侯爵夫人だ。そんなもの使えなければ意味がない。蔑まれてまで手に入れた地位は形だけのものだった。


 それでも仕方ないと諦めて過ごしていた。再び彼女に会うまでは。


 ◇


「奥様、お客様がお見えなのですが……」


 困ったように執事が言う。私は誰かと会う約束をしていないけれど。


「旦那様のお客様?」

「いえ、それが……奥様にお会いしたいと……」

「どなたかしら?」

「ルイーザ・フォンジュラ子爵令嬢様なのですが……」


 そこまで聞いて、心当たりがなくて首を傾げる。

 少し考えて思い出した。夜会で知り合った女性だ。だけど、どうして彼女が私に会いに来たのか。

 それよりも、先触れも出さずに突然来るのは失礼なことだと知っているのだろうか。本来なら前もってお伺いを立ててから相手の家を訪れるものだ。それも格上の侯爵家。あまりの常識のなさに呆れて物が言えない。

 だけど、夜会の日ティルナート卿にエスコートされていたから、ひょっとしたら彼に好意があったのかもしれない。だから、彼を奪った私が許せない、そういうことなのだろう。


「いいわ、それなら二階の奥の客室にお通しして。あまり人に聞かれたくないから」


 そう言って私は彼女を案内させ、後からアンナを伴って部屋に入った。そして部屋に入るなり私は怒鳴られた。


「返しなさいよ、この泥棒猫!」


 ああ、やっぱり。そんなに欲しければ喜んであげるのに。うんざりしながらもわからない振りをして、一応聞いてみた。


「何をでしょう? 私は貴方から何かを奪った覚えがないのですが」

「奪ったでしょう? 私が侯爵夫人になるはずだったのに、貴方がどうしてそこにいるのよ!」

「そう言われましても……」

「そもそも貴方が来るなんて完全に想定外だったわ。私がもう少し後で行く予定だったのに!」


 その言葉で私の顔から表情が消えた。激昂していて彼女は気づいてないだろうが、今とんでもないことを言った。


「貴方は知っていたんですか?」


 私は思わず問い詰めた。

 あの言い方だと、彼が薬を盛られ、あの部屋で苦しんでいたことを知っていたように思える。彼女は口を滑らせたことに気づいて青ざめた。だが彼女は逆に開き直った。


「ええ、そうよ。だって私がやったんですもの」


 信じられない。悪びれなく笑う彼女の口元は歪んでいて醜い。それ以上に醜いのは彼女の性根だ。悍ましくて吐き気がする。

 彼女は得意気に語り始めた。


「カイルが悪いのよ。いつまで経っても結婚してくれないから。私はね、ただの子爵令嬢で終わるつもりはないの。のし上がるために自分の美貌だって磨いてきたわ。それなのに、何で貴方みたいな地味な女に彼を取られないといけないのよ! 貴方なんか、薬を盛られなかったら彼に相手にされなかったくせに。わかったならさっさと身を引きなさいよ!」


 あまりに身勝手な理由で空いた口が塞がらない。私はこんなくだらないことのために、と思うとやりきれない。湧き上がった怒りに体が震える。言い返そうとして、怒気を含んだ声に遮られた。


「面白そうな話をしているな」


 後ろから聞こえた声に振り返ると、いないはずのティルナート卿がいた。彼は目を眇めて彼女を見ている。


「……お前が薬を盛ったのか……?」


 ティルナート卿の剣呑な雰囲気に彼女は少したじろいだが、頷いた。まるで反省する様子は見えない。


「そうよ。それで私と貴方が事に及んでいるところに男が来て、言い逃れられないようにするって計画だった。それなのに……貴方が悪いのよ。結婚しようって言ってくれなかったから」

「ふざけるな!……いや、確かに私が悪かった。お前の本性を見抜けずに彼女を巻き込んだ。そのせいで私は、なんてことを……」


 ティルナート卿は拳を握りしめて俯いた。心なしか震えているように見える。


「それでどうなの? 自分が間違っていたのがわかったのなら、どうするべきかわかるでしょう?」


 彼女はティルナート卿に近づき、しな垂れかかりながら言う。これでもまだ結婚できると思っているらしい。権力なのか彼自身になのかはわからないけれど、彼女の執着の深さに狂気を感じた。ティルナート卿は思い切り振り払って彼女はよろめいた。


「……出て行け。二度と顔を見せるな。アンナ、わるいが、その女を連れ出してくれ」

「かしこまりました」


 連れ出されながらもうるさく罵る彼女に辟易する。はあと重い溜め息を思わず吐くと、ティルナート卿の肩がびくっと上がった。

 それもそうだろう。彼が何をしたか考えれば。しかも原因は彼自身にあった。

 なんて茶番だろう。私たちはうまく踊らされてしまった。

 疲れた私は静かにティルナート卿の横を通り過ぎようとした。


「待ってくれ!」


 話しかけられて足を一旦は止めた。でも彼の顔を見る気にはならない。ただ黙って次の言葉を待った。


「すまなかった。謝って済むことではないが、許して欲しい」


 あまりの身勝手な言葉だ。許して欲しい? そんな言葉で済まされたくない。聞く価値もないと思った私はそのまま部屋を出て行った。


「待ってくれ!」

「アンナ、お願い」


 警備の者に彼女を引き渡して戻ってきたアンナに、ティルナート卿の足止めをお願いし、私は落ち着くために外に出ようと階段へ向かった。階段を降りているとティルナート卿が駆け寄ってきた。


「本当にすまないと思っている! 何でもするから償わせてくれ……! お願いだ! 話をしよう……!」

「……どうでもいいわ」


 それでも私は立ち止まらない。私が聞いて欲しいと言っても聞かなかったのに、自分は聞いてくれという。本当に身勝手だ。

 そして彼は強硬手段に出た。私の腕を掴んで引き止めたのだ。仕方ないと目を合わせると、必死な形相で私を見ていた。それほどまでに話をしたいのならしてやろうではないか。今までの鬱憤が溜まっていた私は口を開いた。


「……貴方はご自分のことばかりですのね。わたくしが否定しても聞いてくださらなかった。実家がどうなるかわからなくて口を噤んでいたわたくしにも非はあるかもしれませんが」


 話しながら感情が抑え切れなくなる。


「顔を合わせば睨まれ、話しかけても無視されることもありましたわね。それにシェリアができた時に仰ったことを覚えていらっしゃいますか。あなたは私の子どもかわかったものじゃないと仰いましたわね。わたくしだって貴方のような最低な男の子どもなんていりませんわ。シェリアはわたくしの子、貴方の子ではありません……!」


 最後の方は抑え切れなくて泣いていた。それに怯んだティルナート卿の手が緩み、私は振り払った。勢いで私の体は傾き、後ろへ落ちる。ティルナート卿が咄嗟に私へと手を出したが、私はそれを振り払った。私が味わった苦しみを貴方も少しでも味わえばいい、そう思いながら。


 彼の焦った顔を最後に私は気を失った。

読んでいただき、ありがとうございました。

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