目覚め
よろしくお願いします。
──いつもと同じ目覚め。そう思っていた。
ゆっくり重い瞼を上げると十代後半くらいの見知らぬ女性が視界に入り、驚いた私は彼女に声をかけた。
「……ぁな……た……だ……れ?」
頑張って声を出そうとしたけど、掠れた音しか出てこない。おそらく聞こえなかったとは思う。それでも彼女は私に気づいてくれ、そして何故か驚いていた。
「ようやくお目覚めになられたのですね、奥様!」
私の問いに答えることなく、彼女は走って部屋を出て行ってしまった。とりあえず起き上がろうと体に力を入れても、体が鉛のように重くて起き上がれない。まるで自分の体ではないみたいだった。そこで自分の体? とふと気づき、私は思った。
──私って、誰?
横になったまま、そのことについて考えようとしても頭の中はぼやけていて、何かが掴めそうになると遠ざかってしまう。
何かわかるものはないかと視線をずらすと、花瓶に活けられた綺麗な花が見えた。あの花はカサブランカかしら、とぼんやり思う。
あれは窓、あれは扉、あれは机、そういった物の名前はわかる。でも、名前はわかるのに、見覚えは全くない。
ここが何処なのかも、自分のこともわからない。一体私はどうしたのだろう。
しばらくそんなことを考えていると、ばたばたと廊下を走ってくる音がして、私は彼女が帰って来たのかと思い、顔だけ扉の方を向いた。
「ヴィルヘルミナ!」
だけど、彼女が開け放した扉から叫びながら入ってきたのは、二十代後半くらいに見える綺麗な男性だった。さらさらの金髪は乱れ、表情は歪んでいたけど彼の魅力を損ねるようなものではない。息を切らして駆け寄ってきた彼は、ベッドの側に膝立ちになり、私の右手を両手で握りこみ、その手に額をつけて俯いた。
「……よかった、気が……ついて……」
涙声に聞こえる言葉と、握りこまれた両手の力強さ、そしてその手が震えていることに気づいて、彼が心から私の心配をしてくれているのだとわかった。
だけど、どうしてこんなに心配しているのだろうか。わからずに困惑しつつも大丈夫だと伝えようと、まだ声が出ない代わりに握られた右手に力を込めた。それに気付いたのか、はっと顔を上げた彼に力無く笑いかける。安心してくれるかと思ったら、彼は反対に悲しそうな顔をした。
「……私のせいだ。君をこんな目に遭わせてしまって、本当にすまない……」
今度は謝られてさらに困惑は深まった。どうしていいかわからず眉を寄せている私に気づいたのか、彼はうなだれた。
「やはり怒っているのだな。いや、違う。憎まれているのか……」
やはりとは何のことか。私はそもそもこの男性を知らないのに、怒ったり憎む理由などないはずだ。だから、私は首を振った。話したいことはたくさんあるのに、喉が渇いているのと、体が怠くて声を出そうにも声らしい声が出てこない。とりあえず、水が欲しい。
「……み……ず……」
呟いた声を拾ってもらえて、すぐに最初に部屋にいた女性が水を持ってきてくれた。今まで気付かなかったけれど、男性の後ろに先程の女性と、赤ん坊を抱いた二十代前半くらいの女性が控えていた。
男性が私の上半身を起こし、支えてくれながら水差しで飲ませてくれた。
乾いた喉が潤って、先程よりは声が出しやすくなった気がする。一息ついて、あーと小さく声を出してから彼にお礼を言った。
「……あり、がとう、ござい、ます……」
途切れ途切れで掠れてはいたけど、何とか話すことはできた。
私は彼に笑いかけようとした。ただそれだけなのに思うように顔の筋肉も動かず、引きつった笑いになってしまった。
それを見た彼はまた悲しそうな表情を浮かべる。
「……いや、他にも困ったことがあればなんでも言って欲しい。私のせいだから……」
また私のせいだと彼は言う。本当に一体何なのだろうか。
起きたばかりの時よりは頭はすっきりして、そこそこ考えることができている。それでも私は誰なのか、ここがどこなのか、どうしてここにいるのか、彼が誰なのかもわからない。
知りたいことは山程あるけれど、まずは目の前にいる彼のことを尋ねてみることにした。
「あの……貴方は、誰ですか?」
読んでいただき、ありがとうございました。