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来訪の理由

よろしくお願いします。

 母と客室に着くと、シェリアに乳を含ませた。しばらく泣いていたシェリアだけど、やっぱりお腹が空いていたらしい。一所懸命吸い付いている。


 こうしていると、私も母なのだなと思う。

 目が覚めてすぐは、痩せ過ぎていたせいか乳が出ず、マーサが代わりにやってくれていた。しっかり食べて体重が増え、動けるようになると、少しずつだが乳が出るようになった。

 そうして乳をあげることで、この子との繋がりを徐々に感じられるようになれたのだ。


「やっぱり赤ん坊は可愛いわね。ティルナート卿にそっくりだし、シェリアは美人になるわよ」

「私もそう思います。あまりにも私に似てないから、最初は本当に私の子なのか疑いました」

「そうなの……」


 母は言葉を失ってしまった。

 私はこういう時どう言えばいいか悩む。相手が私を心配して何も言えなくなるからだ。カイル様にも言えることだが、私の記憶がないことを気にして言葉を飲み込んでしまう。私としては、その飲み込んだ言葉が逆に気になるから、はっきり言って欲しいのだけれど。


「でも、今は私の大切な子なんです。記憶が無くてもこの子を愛しいと思っていますから」

「そう。ティルナート卿ともうまくやっているみたいだし、よかった……と言えるのかしら?」


 そう言う母の表情は、内容と反して曇っている。


「実は今日来たのはね、貴女を連れて帰るためだったの」

「え……」


 動揺して思わずシェリアを抱く手が緩んだ。慌てて抱き直すともうお腹がいっぱいになったようで、うつらうつらしている。


「……もうおねむなのね。ナタリー、悪いのだけど、マーサを呼んでもらえる?」


 ナタリーにお願いして、マーサを呼びに行ってもらっている間に、シェリアの背中をたたいてげっぷをさせると、そのまま寝入ってしまった。すぐに来てくれたマーサにシェリアの世話をお願いし、ナタリーには母と二人で話したいからと、はずしてもらった。

 二人になると改めて母が切り出した。


「シェリアと一緒にしばらく帰ってこない? 離縁となると外聞が悪いけど、静養だったら事実だし、大丈夫だと思うの」

「でも、カイル様はなんて仰ってるんですか。私は一応妻なので勝手なことは……」


 男性上位であるこの国では、男性の許可なく勝手なことはできない。ちょっとしたことならまだ許されるかもしれないが、実家に帰るのはちょっとしたことではないはずだ。私には答えを出せない。


 母は疲れたように重いため息をついた。


「ティルナート卿は反対しているわ。記憶が無くなってずっとこの屋敷で過ごしてきたから、環境を変えることは良くないだろうと。でも、それならもっと早く私たちは貴女を迎えに来るべきだったのかもしれないわ。貴女が傷つく前に」

「私が傷つく?」

「ええ、そうよ。貴女はここで記憶を失った。それがどういうことかわかる?」


 そう言われても、医者は頭をぶつけたせいか心の問題かはわからないと言っていた。

 私にははっきりわからないので、黙って首を振った。


「……そうよね。覚えてないのだから。だけど、私には貴女がここで辛い目に遭っていたからだとしか思えないのよ」

「……でも、カイル様は良くしてくれてます」

「ええ。私もそれが意外だったわ。確かに彼は後悔していたけれど……これを貴女に話すべきなのか悩んだのだけど、貴女がティルナート卿を慕えば慕うほどに記憶が戻った時に傷つくだろうから話すわね。貴女達はうまくいってなかったの。それどころか、ティルナート卿は貴女と離縁することも考えていたそうよ」

「え……」


 予想外だった。

 カイル様は以前の私にこだわっているように見えた。以前の私を傷つけたと、あんなに傷つき、悔やんでいたではないか。だから私は以前の私が愛されていたと思ったのだ。


 でも、そうじゃなかったとしたら──?


 ただ、以前の私を傷つけたという後悔から、記憶のない私の面倒を見てくれていたのだ。

 それも()()()()()()()()()()()()の。


「ねえ、ヴィーちゃん大丈夫……?」


 母が心配そうに私の顔を覗き込む。その顔が滲んでいて、初めて自分が泣いていることに気がついた。


 彼に拒絶されるかもしれない恐怖、悲しみ、そしてやっぱり彼が好きだという思いが、私の心を駆け巡る。


 本当はわかっていたのかもしれない。恋心でも、刷り込みでも、依存でも何でもいい。彼と一緒にいられれば、ただそれでいいのだと。


 私はあれこれ理由をつけて、自分の気持ちを否定したかった。思い入れが深くなればなるほど、失うことが怖くなるからだ。


 だけど、私は愚かだから、失いかけてようやく本心に気付いた。


 静かに涙を流す私の様子で、母は察したようだ。


「貴女、ティルナート卿のことを愛してるのね……」

「そう、でしょうか。私には愛なんてわかりません。ただ、記憶のない私に彼は本当に優しかった。それが嘘だったとは思いたくないんです」

「嘘じゃなかったのかもしれないわ。少なくとも今の彼は貴女には誠実に見えた。私から言えるのはそれくらいかしら。それじゃあ、聞くわ。ヴィーちゃん、貴女はこれからどうしたい?」

「……カイル様は反対していると聞きましたが、それは本心ではないはずです。これ以上、彼に迷惑はかけられません。一緒に連れて行ってください」


 そうして思い出すのは、彼の笑顔や苦悩の表情、穏やかな声。今の私の思い出はほとんど彼に繋がっている。例え彼がいなくても、その思い出だけで生きていけるのだろうか。彼がいないと考えるだけで、身を切られた方がましだと思うくらいに心が痛いというのに。


 彼を思って静かに涙を流す私に、母はただ黙って寄り添ってくれていた。

読んでいただき、ありがとうございました。

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