積み木の国のカサンバ
「昔、この国の森の奥には巨人が住んでおったのですよ」
わたくしはそう言うと、色とりどりの積み木で覆われた東の森を指さしました。わたくしたちは積み木のベンチの上に腰掛けてひとときの会話を楽しんでいる最中でありました。それは毎日欠かさないわたくしたちの日課でありました。
「まぁ、その巨人はどのくらい大きいのかしら」
「我々の愛すべきこの国、積み木の国を覆い尽くすほどですよ、ビスク嬢」
わたくしがそうして即席の物語を語り出すと、お嬢さまは大きな宝石の瞳をくりくりと輝かせて聞き入ってくれるのです。その美しいことといったら! わたくしの持ちうる全ての言葉を尽くしても語り尽くせはしないでしょう。何せわたくしは、ジョーカー。少しばかり上等な布きれと綿でできたピエロ人形にすぎないわたくしの紡ぎ出す言葉は確かに嘘ばかりです。ただわたくしの嘘は決して人を騙して何かを奪い取ろうとか、そういうたぐいのものではないのです。
わたくしはビスク嬢に夢を与えたかったのです。
出会ったばかりの頃のビスク嬢は積み木の城にこもってばかりの内気な少女でありました。王家のご令嬢であられるビスク嬢はお勉強や習い事で疲れはてていたのです。
つまらないわカサンバ。わたし遠くに行きたいの。こんな狭くて薄暗い場所じゃなくて、もっと遠くに。
それがビスク嬢の口癖でした。
本当はわたくしが遠くに連れ出して差し上げればよかったのですが、わたくしはただのピエロ人形。なんの力もありません。だからせめてわたくしと話しているときくらいは、と物語を語りだしたのであります。そしてわたくしの虚構の物語をビスク嬢はたいそうお気に召されたのです。ビスク嬢は純粋無垢なるお方で、わたくしの話を全て受け入れてくれました。わたくしは嬉しくてなりませんでした。
特に虹の話をしたときのビスク嬢のお顔を忘れることはできません。
『虹とはですね、ビスク嬢。七色に光る橋のようなものですよ。色とりどりの積み木のように、とても美しいのです。わたくしは一度虹を渡ったことがあるですが、それが絶景なのです』
『ハシ? それはおいしいの?』
『え、ええ。もちろんですとも。わたくしはこう、一つ欠片を食べたことがあるのですが、これが最高に美味なのです。虹はきれいなだけでなく、おいしいのですよ』
『カサンバばかりうらやましいわ。わたしも外の世界に行きたい。この国では退屈なものばかりなんだもの』
『この国だって素晴らしいではありませんか。確かに少し薄暗く湿り気がきついところがありますが、豊かな積み木にあふれ、こんなにお美しい姫君にも恵まれているのですから』
『・・・・・・ほんとに?』
『え? い、いや、あの・・・・・・じ、冗談であります』
わたくしはつい照れてしまい、そんな風に言ってしまいます。本当なら素直にその通りですとも、と言えばいいものを、わたくしは生来の天の邪鬼であったのです。
『ひどいわ、もう・・・・・・』
そういってビスク嬢はむくれてしまうのです。わたくしは焦って、作り話に作り話を重ねてしまいます。それ以外にわたくしはビスク嬢を喜ばせる方法を知らないのでした。
『悪気はないのです・・・・・・そうだ、わたくしお約束いたします。ビスク嬢にプレゼントいたします。いつか虹をご覧に差し上げます』
『本当?!』
『もちろんであります』
こう言うと、ビスク嬢はいつも笑顔で許してくれるのです。それ以来わたくしは少し罪悪感に苛まれながらも、虹の話を語っては行き過ぎた戯れを許して頂くようになったのでした。
「ねぇ、カサンバ。それで、その巨人は何をしたのかしら」
ビスク嬢に催促されて、わたくしは我に返りました。今もまさに物語の真っ最中なのを忘れていたのでした。わたくしは咳を一つすると、はりきって話始めました。
「それが世にも恐ろしいことなのですビスク嬢。まずあのお城。この国の民衆が気の遠くなるほどの時間をかけて築き上げたあの積み木の城をあやつめは一瞬にして壊してしまったのであります」
次に視線を国の中心地である積み木の城に向け、わたくしは恭しくビスク嬢に語りかけます。
そんなわたくしの下らぬ物語の一つ一つに感動していらっしゃる様子のビスク嬢。
ビスク嬢のお体はブリキ製でありました。それはそれは大変ご貴重なお体なのであります。名をブリキノ=ビスク。エキゾチックなお名前もまた大変な魅力です。それにその精緻なお顔と慎ましやかな笑顔を浮かべるお口もと。それらももちろん美しいのですが、何よりも目を引かれるのはその瞳です。瑠璃色の瞳は光を受けて細やかな反射光を出しているのです。この国の誰も持たぬその輝きの尊さときたら! わたくしの瞳が比較的安価な木製のボタンで出来ていることを考えましたら、ビスク嬢のその美貌の尊さがわかると言うものです。
「とても怖い巨人なのね・・・・・・でもその巨人は今はどこにいるの? 東の森には誰も住んでいなかったと思うのだけれど」
ビスク嬢はそういって首を傾げて見せます。わたくしとしては気まぐれに話して差し上げた与汰話。先のことなど考えているはずもないのです。
「そ、それは・・・・・・その」
「どうしたの? 顔色が変だわ。気分でも悪いの?」
「い、いえまさか! そうです! わたくしが退治したのです! この国を守るために!」
「あなたが?! すごいわ!」
わたくしが焦ってそう口走るとビスク嬢は目を輝かせてしまったのです。 わたくしはもう収集がつかなくなってしまいました。
「ちょっといいかな、お二人さん」
そこにこほん、と咳払いして登場したのは騎兵隊人形のルートヴィヒ殿でした。ルートヴィヒ殿は錫でできた高価な人形でありまして、ビスク嬢の兄貴分でありました。ビスク嬢はルートヴィヒ殿をお慕いしており、本当の兄のように接しておりました。
ルートヴィヒ殿はわたくしに厳しい視線を向けました。軍人らしい、きまじめで容赦のない視線でありました。
「ビスク。そいつの言うことは聞くな。そいつは道化師のカサンバ。人を騙すのが仕事の、口先だけの、信用できないやつだ。よく考えても見ろ、剣さえ持たぬこの道化が巨人を倒せるはずないじゃないか」
ビスク嬢はわたくしの瞳をのぞき込んで聞きました。
「本当に? ルートヴィヒの言うことは本当なの?」
「いえ、わたくしは確かにピエロ人形でありますが、決して嘘だけを申しているわけでは・・・・・・」
「ほらみろ。嘘をついていることを認めたぞ」
ルートヴィヒ殿は「キリツ」を重んじるきまじめな男でありました。おそらく口先だけで人を惑わせるわたくしを嫌っていったのでありましょう、ことあるごとにわたくしとビスク嬢の仲に入ってくるのでありました。しかし今日はいつにもましてわたくしに厳しい言葉を向けるのでした。
「でもカサンバはわたしを悲しませることは言わないもの。悪い人ではないわ。虹の話だってーー」
「それだよ、ビスク。そうやって根拠のない夢物語を聞かせてキリツを乱すんだ。とんでもない男だ。人々を騙して、外の世界の話をして・・・・・・お前はいったい何がしたいんだ、道化め。行こう、ビスク。今日という今日はもう我慢できない」
そういってルートヴィヒ殿はきっぱりと言い切り、ビスク嬢の手を引いて去っていこうとするのでした。
「ま、待ってください。わたくしは本当のことも言うのです。信じてくださいまし」
わたくしはルートヴィヒ殿の前に歩み出て、必死に頭を垂れて懇願いたしました。ルートヴィヒ殿は勇ましく太い眉をひそめて、あごでわたくしに催促いたしました。
「ほう、言って見ろ。聞いてやる」
しかしわたくしもそこまで用意周到な男でもありませんで、すっかり頭が真っ白になってしまったのであります。思い返せば今までの人生の中でまともな話をした記憶がないのでございます。
そして、苦し紛れに絞り出した言葉がこれであります。
「わ、わたくしはビスク嬢をお慕い申し上げているのです。これは本当でございます」
「まぁ・・・・・・」
「き、貴様・・・・・・! ブリキノ家の娘に何を言うんだ! 無礼者め!」
そのときのルートヴィヒ殿の顔ときたらもう忘れようがありませんでした。ビスク嬢を侮辱した不敬罪だ、と顔を紅潮させて縫い針の剣でわたくしをちくちくと刺したのであります。わたくしはたまらずに必死にその場から逃げ出しました。腕や体から綿がはみ出ていました。ひどい様でありました。
「ルートヴィヒ、あまり乱暴なことはやめて!」
「し、しかし・・・・・・」
「もう十分よ」
ビスク嬢がお声をかけてくえなければわたくしは今頃ただの雑巾のような有様になっていたことでしょう。人形である宿命、自然に傷は治りません。わたくしは痛む傷を手でかばいながらその場を後にいたしました。この傷は自分で治さなくてはなりません。痛手でした。
しかしわたくしにとってはビスク嬢のあの視線こそ一番に耐えがたいものでありました。
ビスク嬢はもうわたくしの嘘を信じてはくれないでしょう。そう思うと、胸の中心がじくじくと痛むのでありました。
※※※
積み木の国は王さまが支配する国であります。その昔、今は亡きブリキノ家のご先祖が打ち立てたこの国は豊かな積み木資源に恵まれた土地を治めておりました。いつも薄暗く湿っぽい我が国ですが、住み心地は決して悪いものではありません。天井の雨漏れや巨大ねずみの襲来に耐えてきたのはひとえにブリキノ家の手腕のおかげでありましょう。
積み木の国は中心地に積み木の城が高くそびえ立っており、そのまわりをぐるりと囲うように積み木の壁がたっています。壁をでると基本的には冷たい木の板の更地が続いておりますが、東の地には豊富な積み木資源を持つ積み木の森が静かに横たわっております。基本的に我が国の資源はここから採集するものでありますが、これがなにしろ深い。ブリキノ王家は積み木の森に一人で入っていくこと法で禁じているほどであります。
伝説によればここは数年に一度「奈落」が出現し、そこに落ちていった者は巨人族であるニンゲンとやらにくわれてしまうのだそうであります。わたくしがビスク嬢に語り聞かせた即席の物語もこれに由来します。
しかし「奈落」は被害をもたらすだけではなく、この国の人的資源をもたらしてくれる有益なものでもあるのです。かくいうわたくしも、「奈落」からこの国にやってきた流れ者の一人であるのです。わたくしを含む数人は「段ボール」とかいう未知の技術で作成された方船に乗って「奈落」を乗り越え、この国にたどり着いたのです。
わたくしにはこの国に来る前の記憶がございません。当然虹など見たことも、ましてや食べたこともありませんでた。
つまり方船で揺られていた感触が今ある限り一番最初の記憶であります。方船が開かれる瞬間は今でも覚えております。どすんという大きな音がしたかと思うと、薄暗闇の中に光が射し込んできたのであります。それはわたくしたちをのぞきこんできたビスク嬢がその頭に戴いたティアラーーその銀色の表面が天井からこもれ出た外の光を反射したものでありました。
そうしてわたくしはビスク嬢に出会ったのであります。
それは運命の出会いでありました。それ以来、わたくしはビスク嬢をお慕い申し上げているのでした。
※※※
わたくしは積み木で作った小屋に住んでおります。積み木の森にほど近いそこは普段だれも近寄ってこない場所でした。わたくしは流れ者の上に嘘つきです。誰が好き好んでやってくるというのでしょうか。たった一人いるとすれば、それはビスク嬢だけでした。他の民衆たちは「嘘つきカサンバ」とわたくしのことを罵るのであります。
わたくしは積み木の城を眺めてため息を一つつきました。ビスク嬢は実質的にこの国を治める君主でありました。金属製か否かということで分けられる身分制によると、わたくしは最低辺であります。一方のビスク嬢やルートヴィヒ殿はブリキと錫。しかも一方は正当なる王家であり、もう一方は由緒正しブリキノ騎兵隊の隊長。彼を兄のように慕うビスク嬢ですが、肝心のルートヴィヒ殿はおそらくビスク嬢を異性として愛しているのでしょう。わたくしは目の上のたんこぶなのでした。
「はぁ・・・・・・」
どうしたものか、ともう一度深いため息をついた時のことでした。
その瞬間、ずぅん、という低く大きい音が東の森から轟いたのであります。わたくしは跳ね上がって、積み木の森の方をおそるおそる見つめました。
わたくしは言葉を失いました。なんと、いつも薄暗いはずの積み木の国に、一条の光が差し込んでいるではありませんか。しかも天井からこぼれ出たのではなく、伝説の「奈落」から発せられた光です。地面から天井に向けて、今まで見たことのない光が発せられているのです!
「な、なんでしょうか、あれは・・・・・・!」
わたくしは驚いてそう叫びました。
「カサンバ!」
お城の方から、一つの影が近づいてくるのが見えました。ブリキで出来た馬にまたがり、彼はわたくしの名を叫びました。
「ルートヴィヒ殿・・・・・・どうされたのです、いったいこれは」
「それはこちらの台詞だ! あれを見ろ!」
ルートヴィヒ殿が指さした先には、四つん這いになった巨大な影がありました。女の子のようで、年は3つくらいというところでしょうか。なにやら口元をベトベトに汚し、何事かを叫んでいるようでありました。
「あれは、ニンゲン族・・・・・・?」
その大きさは伝説に聞く巨人族・ニンゲンそのものでした。積み木の森を覆い尽くすほどの巨体です。
「僕は騎兵隊を連れて今から討伐にでる。カサンバ、お前はビスクのもとに!」
「しかし、わたくしは・・・・・・」
「お前の『嘘』がビスクには必要なようだ。認めたくないが、ビスクはずっとお前の名を呼んでいる。僕はお前を試すよ、カサンバ。本当にお前がビスクにふさわしいかどうか」
ルートヴィヒ殿はそういって馬を駆りだし、積み木の森に駆けてゆきました。
おんぎゃあああああああああああああああ
それはニンゲン族の娘の恐ろしい鳴き声でありました。ビリビリと天井がふるえ、積み木の城の一部が倒壊したほどでした。
「行けカサンバ! あとはお前の自由だ!」
ルートヴィヒ殿は剣を片手に突進していきました。後には騎兵隊の面々が続きました。
わたくしはビスク嬢の元に急ぎました。
巨人が恐ろしくて恐ろしくてたまりませんでした。
ビスク嬢のもとに向かうという口実を得て、わたくしは逃げ出したのでした。
※※※
「ああ、カサンバ!」
積み木の城に到着すると、ビスク嬢はそういってわたくしに抱きついてきました。兵隊は出払っており、わたくしとビスク嬢だけが城におりました。お城はひどいありまさで、所々が倒壊して危険な状態でした。町の中は騒然としており、民衆はあわてふためいておりました。しかしビスク嬢だけは自分を保っており、平静を貫いておられました。彼女は見たことのないくらい確かな自信を持っておられるようでした。
「ルートヴィヒにずっと言ってたの、あなたは悪い人ではないわ、って。でも許してくれなくて。あの人はキリツを重んじる人だから。だからずっとあなたの名前を呼んでいたの。カサンバならあの巨人を倒せるわ、って」
わたくしはルートヴィヒ殿の顔を思い浮かべました。ルートヴィヒ殿はわたくしの嘘に気づいているはずでした。
「それで、ルートヴィヒ殿はなんと?」
「君はずいぶんあの道化を信じているんだな、って。でも最後には折れたわ。そして討伐のついでにあなたを呼んできてくれるって言ってくれたの。きっとあなたならあの巨人を倒してくれるから、必要なものは全部わたしが用意するってルートヴィヒには言ってあるの。あなたはその必要なものを取りに来てくれたんでしょ? 何でも言って、用意できるものならなんでもあげるわ」
わたくしはそこでやっと理解したのでありました。お前を試すよ、と言ったルートヴィヒ殿の真意を。
ビスク嬢はあれだけ嘘つきと言われたわたくしの言葉をまだ信じてくれていたのです。わたくしは自分のついてきた嘘を後悔しました。わたくしはこんなところで自分の醜さと向き合うことになってしまったのです。そのときわたくしがどう行動するか。それを試す、とルートヴィヒ殿は言ったのです。
「ビスク嬢・・・・・・わたくしは、嘘つきなのであります。わたくしは空っぽなのです。口先しかないただの道化なのです。今までわたくしはビスク嬢を騙していたのです」
わたくしは情けないやら、悲しいやらで手をついて謝ることしかできませんでした。
ビスク嬢の顔をわたくしは見ることができませんでした。彼女はずっと黙ったままでした。遠くで騎兵隊たちの叫び声が聞こえてくるだけで、わたくしは余計に無力感に苛まれるのでした。
「虹の話も?」
わたくしは弱々しく頷きました。ビスク嬢はしばらく黙った後、こう続けました。
「わたしを好きだというのも、嘘なの?」
「そ、それは・・・・・・」
あなたをお慕いしています、と言えばどんなに楽だったことでしょうか。しかしわたくしは嘘吐き。どんなに言葉を尽くしたところでそれは嘘という灰色の不信感にまみれてかき消されてしまうのです。
「わたくしの嘘は積み木です。どんなに積み立てても、ゆらゆらと危なげに揺らいで、いつ崩れるかわからないのです。それでも積み上げていくのをやめられないのです」
でも空っぽのわたくしに一つだけ誇らしいと思えるものがあるのです。それはこの気持ち。ビスク嬢をお慕いするわたくしの想いでした。それだけは真実でした。
だからわたくしはおもいっきりビスク嬢を抱きしめたのであります。言葉にしたら崩れてしまうもの。きっとこうすれば伝わるのではないかと思ったのです。
「カサンバ・・・・・・」
ビスク嬢をすぐ近くに感じました。
「わたくしはもう喋るのをやめようと思うのです。わたくしは嘘しかつけないのです、だからーー」
「いいよ、嘘でも。わたしはあなたの嘘のおかげで毎日が楽しかったの。だから嘘でもいいの。もう一度あなたの気持ちを聞かせて」
「・・・・・・」
「何か言って、カサンバ」
わたくしは首を横に振りました。
この時から、わたくしはビスク嬢に言葉を向けるのをやめようと思いました。積み木を積むのをやめたのです。嘘つきが嘘をやめるには、喋ることをやめるしかありませんでした。それだけがわたくしがビスク嬢に気持ちを伝える唯一の方法でした。
ルートヴィヒ殿は、今頃戦っておられるでしょう。ビスク嬢とこの国を守るために。わたくしは嘘を本当にしよう、と思いました。ビスク嬢に語り聞かせた言葉を真実にしよう、と。巨人を退治する方法は、剣で傷つけることだけではないのです。わたくしの嘘なら、ビスク嬢に希望を与えることが出来たその嘘なら、それができるかもしれません。そしてそれを最後の嘘にしよう。そうやってけじめをつけようと思いました。これ以上ビスク嬢を欺くわけにはいきませんでした。
わたくしはビスク嬢から体を離すと、東の森へと走り出しました。
「カサンバ!」
わたくしの背中に、ビスク嬢の叫び声が投げかけられました。わたくしは止まりませんでした。
※※※
『新しいお人形がほしいのぉ~~~小さい頃使ってたやつが屋根裏にあるって、ママが言ってたのぉ~~~』
巨人族・ニンゲンの娘はそんな言葉を叫びながら積み木の森を破壊して回っておりました。ヤネウラとはおそらく我が国を指す言葉でありましょう。わたくしは息を切らしながら走ってきたせいで判断能力が鈍っていたもあり、最初のうち何を言っているのかわかりませんでした。しかししばらく聞いていると、その言語はわたくしどもが使っている言語とそれほどの差異がないように思えました。
そこでわたくしは一計を案じることにしたのです。
「ルートヴィヒ殿!」
「な・・・・・・お前、何で戻ってきた!」
まずルートヴィヒ殿と合流したのであります。騎兵隊の面々は傷ついていたものの未だ健在でありまして、勇猛に戦っておりました。しかし圧倒的な力の差で為す術なしか。そのような敗北感の中、わたくしはある提案をいたしました。
「お前、それは・・・・・・」
ルートヴィヒ殿は眉をひそめられましたが、他に方法はないと悟ったのか、最後にはうなずいてくれました。
こうしてわたくしの最後の嘘が動き出しました。
※※※
『お人形ぉ~~~逃げないでぇ~~~』
そういって追われているのはルートヴィヒ殿が駆るブリキの馬でした。うまい具合にニンゲン族の娘の手を避け、わたくしが指定したポイントに誘導してくれました。
「今です! みなさん!」
わたくしが叫ぶと、騎兵隊の他の面々に加え、集められた積み木の国の民衆が一気に積み木を持ち上げて、組み上げていきました。
「嘘つきに協力してやるのは今回だけだからな!」
「カサンバめ、失敗したら許さないぞ!」
そんな怒号混じりの叫びが連なり、一つの力になっていました。
「構いませんとも!」
わたくしの合図で皆が積み木を持ち上げました。わたくしが細かい指示を出し、一つ一つの配列を決めていきました。そうやってやっと準備が整いました。
「ルートヴィヒ殿!」
わたくしがそう叫ぶと、ブリキの馬を反転させ、彼はこちらに進路をとりました。つられるようにニンゲン族の娘もこちらを振り向きました。
こほん、とわたくしは咳を一つ。
「そこの大きなお嬢さん! 一つ面白いお話をお聞かせしましょう!」
気づいてもらえるように、身振り手振りを交えてわたくしは言いました。
『なぁに~~? ピエロのお人形さん~~?』
思った通りでした。言葉が通じるのです。しかも相手はどうやら子どもの様子。ピエロはもともと子どもを騙しながらも夢を与える、そういうものでした。わたくしは成功を確信しました。
「あなたの壊し回っている積み木の森には、昔からこわぁい怪物が住んでるのですよ。その名も”虹色おばけ”であります」
『”虹色おばけ”~~?』
「ええそうですとも。虹色お化けは悪い子におしおきするのです。さぁ、ご覧にいれましょう!」
ぱちん。わたくしが指をはじくと、色とりどりの積み木たちが蠢き、形を作って行くではありませんか。もちろ積み木の国の民が懸命に運んでいるだけなのですが、ニンゲン族の娘には恐ろしいものに見えたことでしょう。
やがてそれらは蛇のように長い列を作り、ゆらゆらと揺れながら娘を取り囲みました。
「『乱暴な子にはおしおきだぁ~~』」
積み木の国の民たちがそう一斉に声をあげると、ニンゲン族の娘はおそれをなしたのか、目元に涙を浮かべ始めました。
うわあああああああああああああああんんん!!!
そうやって嵐のような声量で泣き始めたのでありました。
※※※
『お姉ちゃんのおたんじょうびだったの~~。だからお人形あげたかったの~~。そしたらママが屋根裏に昔のお人形がしまってあるからって言ったの~~』
ニンゲン族の娘はそう語り始めました。これがまぁご機嫌をとるのが大変でありまして、わたくしの冗談を二つほど聞かせなければならないくらいでした。聞けば話は簡単で、その姉上の生誕祭のためにわたくしどもの国から生け贄を捧げよ、ということでした。
「まぁ、生け贄というほどのものでもないみたいだけれど」
ルートヴィヒ殿はわたくしの隣で娘の話を聞きながらそう言いました。積み木の国の民も娘の話に聞き入っているようです。
作戦に使った積み木は半円状に娘の周りを取り囲み、さながら陸を這う虹色の蛇のような形を取っておりました。
その光景の中にはビスク嬢のお姿もありましたが、わたくしは話しかけることが出来ませんでした。何よりももうビスク嬢に嘘をつくのはやめようと思ったのですから、わたくしにはもう話しかける資格などないのです。
『お姉ちゃんがよろこぶと思ったのに~~』
そう言ってニンゲン族の娘はまたもやぐずり始めたのです。わたくしは少しばかり同情しながらも、どうするわけにもいかず途方に暮れておりました。一時的に国を壊し回るような行為はやめさせたものの、根本の問題は解決しておりませんでした。娘はわたくしどもの中から何人かを連れていきたいと言い張り、わたくしどもはそれを突っぱねる。そんなやりとりが何度も続きました。
「あなたはお姉さまにわたしたちを渡してからどうするつもりなの?」
その中、凛とした声が響いたのでございました。わたくしを始め、ルートヴィヒ殿を含めた国民は驚きのまなざしをビスク嬢に向けました。
『あげるだけなの~~プレゼントなの~~』
「食べたりしないのね?」
『食べてもおいしくないの~~』
「どんなのがいいの?」
『う~ん・・・・・・きれいなお人形がいいの~~女の子のお人形~~』
「そう、そうなのね」
「ビスク! 何を言い出すんだ」
ルートヴィヒ殿は焦った様子でビスク嬢に向かってそう叫ぶのでした。ビスク嬢は構わずに続けます。
「少し相談させてもらっていい?」
娘は眉根を寄せて少し考えたものの、最後にはしぶしぶと言った様子でうなずきました。わたくしは言葉をかけることが出来ずにその光景を見つめておりました。ビスク嬢が考えていることは手に取るようにわかります。わたくしは毎日ビスク嬢のおそばにいたのですから。
「ルートヴィヒ、カサンバ。話したいことがあるの」
そう言って、ビスク嬢はわたくしたちを呼び寄せたのでした。
※※※
「冗談じゃない! そんなことをしたらこの国はどうなってしまうんだ!」
ルートヴィヒ殿の悲痛な訴えも当然でした。
自分が行く。ビスク嬢がおっしゃられたのは、端的に言えばそういうことでした。ビスク嬢がニンゲン族の娘に連れて行かれることを申し出たのは、当然といえば当然かもしれませんでした。遠くに行きたい。ビスク嬢の願いは結局のところその一つで、わたくしの嘘はその願いを満足させる偽物にすぎなかったのです。しかし責任感のお強いビスク嬢はご自分お一人がそんなことをするわけにも行かず、ずっとこの国のお城に閉じこめられることを受け入れておられたのです。
「わたしが行けば全て解決するの。あのニンゲンの女の子はきっとわたしなら受け入れてくれるはずよ。代わりに他の人たちには手を出させない」
「そんな! だめだビスク!」
「あなたの意見はわかったわ。カサンバ、あなたは?」
「ビスク! これは僕らの問題なんだ。この男にそんなことをーー」
「カサンバはこの国を助けてくれたわ。ううん、それだけじゃないの。ずっとわたしを支えてくれたの。ルートヴィヒだってもうわかってるはずよ」
そうビスク嬢がおっしゃられると、ルートヴィヒ殿は言葉を飲み込んで黙り込んでしまいました。
「賛成一、反対一よ。後はあなたの意見次第で決めるわ」
わたくしはもうビスク嬢に語るべき言葉を持ちませんでした。
「ルートヴィヒ殿」
わたくしはビスク嬢を見つめながら彼の名を呼びました。しかしその言葉はビスク嬢に投げかけたものでした。
「わたくしも彼女に賛成です。ビスク嬢はブリキノ王家なのです。民のために、ここはビスク嬢のご意見を尊重すべきです。わたくしもビスク嬢のご意見を全面的に支持します」
「なっ・・・・・・」
ルートヴィヒ殿は息を飲んでいるようでした。わたくしは今すぐにでもこの言葉をなかったことにしたいという気持ちに駆られました。ビスク嬢と過ごした毎日がよみがえってきました。ずっとここにいてほしいのでした。しかしわたくしが叶えたかったのはビスク嬢の本当の夢、「遠く行く」ということでした。これ以上の機会はないのでした。だからわたくしは嘘を申したのでした。
ビスク嬢の瑠璃色の瞳が、こちらを見据えていました。わたくしはかたくなにルートヴィヒ殿を見つめていました。
ビスク嬢はわたくしにお近づきになると、耳元にこうささやきました。彼女は少し嬉しそうな、なのにかげりを持った妙な表情をしておりました。
「『嘘はもう言わない』んじゃなかったの?」
わたくしは急に胸が締め付けられるような気がしました。わたくしはルートヴィヒ殿の方を見て小さくつぶやきました。
「わたくしは『嘘つきカサンバ』です。喋りだした言葉は全て嘘なのです」
たった一つの真実をのぞいては。
そう心の中で付け足して、わたくしはやっとビスク嬢に向き直ることができました。いつ見てもその瑠璃色の瞳は美しいのでした。
※※※
その後は嵐のような忙しさでした。
積み木の国は王さまが支配する国から、話し合いで決めていく国に変わりました。それは唯一の王家であられるビスク嬢がニンゲン族の国に「ご留学」されるからでありました。ルートヴィヒ殿がお供につくことが条件でありましたが、ビスク嬢はなんのためらいもなくご決断なされました。
わたくしは先日の行いが認められてこの国を治める立場になりました。驚くべきことに、ルートヴィヒ殿が推薦してくださったのです。その時のお言葉はわたくしの宝物でした。
「ビスクにふさわしいかどうかはまだわからない。だけど、確かにお前はただの嘘つきじゃないかもしれない」
それは最高のほめ言葉でした。
わたくしは彼からたくさんのことを学び、リーダーとしての勉強を進めていきました。忙しい毎日でした。その間ほとんどビスク譲とはお会いできませんでした。お会いしたところで、話すことができませんけれど。
そしてお別れの日がやってきました。
「奈落」がぎしぎしと音を立てて開きました。ニンゲン族の娘が「奈落」から首だけを出してこう言いました。
『今日がおたんじょうび会なの~~だからお人形あげるの~~』
ビスク嬢とルートヴィヒ殿はすでに旅支度を終えられ、積み木の国の民にお別れを告げているところでした。
そして最後にお見送りをするのは、この国の新たなリーダーであるわたくしなのでした。
ルートヴィヒ殿を先に行かせ、ビスク嬢はわたくしのもとの歩いていらっしゃいました。
「色々あったけれど、ありがとう」
ビスク嬢がそうおっしゃいました。わたくしは頭を下げるだけでした。ビスク嬢は何も答えないわたくしにまだお声をかけてくれます。
「積み木はね、きっと何度も何度も壊れても積み上げるところが面白いんだわ。積み続けてたら、きっと本物みたいにすごいものができるかも」
わたくしは顔をあげました。それは以前のわたくしの言葉に対するお答えなのでした。
「わたしニンゲンの国でたくさん勉強してくる。虹もみてくるわ。いつか帰ってきたら、またあなたのお話を聞かせて。どこが嘘なのか当ててあげるから。だから、約束ね」
わたくしはこの瞬間を一生忘れないでしょう。
ビスク嬢の薄いピンク色の唇が、そっとわたくしのほぺたに触れたのであります。
「な、ななな・・・・・」
ルートヴィヒ殿が言葉を失っているのが見えました。
わたくしは嬉しいやら恥ずかしいやらでどうすればいいのかわかりませんでした。
「じゃ、もう行くわ 」
ビスク嬢はそう言うと、ニンゲン族の娘の手元に向かっていくのでした。ああ、行ってしまう。こんなにも愛しいあのお方が。わたくしは引き止めたい気持ちを押さえつけ、叫びました。
「み、皆さん! 虹の橋を!」
それはわたくしと、積み木の国の民からのプレゼントでした。
色とりどりの積み木たちが、一斉に動き出し、階段を作って行きました。緩やかな曲線を描いたそれはビスク嬢の足下から続き、ニンゲン族の娘の手元まで延びていくのでした。
「まぁ・・・・・・これは」
ビスク嬢が声を高くして笑いました。
本当は本物の虹を見せたかったのです。
ですがわたくしは嘘つきカサンバ。だから、最後まで偽物だけしかビスク嬢にお見せすることができませんでした。それでも嬉しそうにビスク嬢は積み木の階段を進んでいくのです。
「ありがとう! カサンバ! さようなら!」
やがてビスク嬢はすっぽりとニンゲン族の娘の手の中に収まり、ルートヴィヒ殿もそれに続きました。
『じゃあね~~』
ニンゲン族の娘はそう言い残すと、ぱたん、と「奈落」の穴を閉じました。
終わりはあっけないものでした。
「さようなら、ビスク嬢」
ゆるゆると崩れていく虹の橋を見つめながらわたくしはそうつぶやいたのでした。
こうして積み木の国は一つの節目を迎えました。わたくしは国のリーダーとして毎日忙しい日々を送っています。
そうは言いつつも手の空いたとき、雨漏りしている天井の隙間から、時々少しだけ見える空を眺めることがあります。ビスク嬢のお顔を思い出しながら、空の欠片を見つめるのです。
虹は見えないだろうか、と思いながら。
数年前に書いた作品です。内輪の同人誌に掲載したもので、ああだこうだ意見をやりとりしたのが懐かしい。ストックはまだ数店あるので、よければご覧ください。
近いうちに連載もしたいなぁと思ってます。