264話 魔王戦 その4
「女神の勇者たち……か」
彫刻のように整った外見の魔王が口を開いた。
褐色肌に白く長い髪。
薄く開いた瞳は赤く輝き、さきほどから濃密な死の匂いが充満している。
ジョニィさんをはじめ、土の勇者さん、木の勇者さん、光の勇者さんが剣を構える。
不死の王は動かない。
俺たちは城下町を水没させ、魔王城を破壊した。
にもかかわらず、魔王はさして気にしていないようだ。
それを見て、俺は運命の女神様との会話を思い出した。
◇
大迷宮を出発する前、運命の女神の巫女様が、皆を集めた。
勿論、語るのは運命の女神様だ。
「さて、これから魔王討伐なわけだけど、あなたたちは魔王ビフロンスについてどれくらい知っているのかしら?」
腰に手を当て、台の上に立った運命の女神様が俺たちを見下ろしながら尋ねる。
「吸血鬼の王です!」
木の勇者さんが手をあげる。
「そうね、一般的にはそう言われている。でも違う。正確には魔王ビフロンスは、吸血鬼の始祖。最初の吸血鬼。だから、この世界にいる不死者は全て魔王ビフロンスによって不死者にされた存在なの。だからこその不死の王」
へぇ、そうだったのか。
千年後の歴史書には、そこまで詳しく書いてなかった。
「じゃあ、相当な年寄りなんですね」
誰かがぽつりと言った。
確かに、最初の不死者ということはかなりの長生き(?)なのだろう。
「100万年」
「「「え?」」」
運命の女神様の言葉に、皆の声が上がった。
「不死の王が魔王となって、100万年が経っているわ。現在、地上を支配する九人の魔王の中で『最古』の王。古竜の王ですら、十万年は生きていない」
「べ、別に長く魔王をやっているから強いとは限らな……」
「魔王ビフロンスは、九人の魔王の中で最も魔法を得意としている。理由は……、魔法の威力は『熟練度』に比例する。魔法使いならわかるでしょ? 100万年魔法を研鑽すれば、一体それがどれほどとてつもないのか」
「「「……」」」
俺も含め、その場に居た魔法使いが息を飲んだ。
どうやらこれまでの敵とは、次元が異なるようだ。
しかし、運命の女神様の説明だと相手の恐ろしさしか伝わってこない。
「明るい話はないんですか?」
皆の顔が暗く沈んできたので、俺は話題を変えた。
運命の女神様が、「あら?」という顔をする。
気づいてなかったんかい!
「コホン、勿論良い情報もあるわ。不死者の弱点は『太陽の光』。いくら魔王でもそれは変わらない。だから、戦いを挑むなら昼間なら有利になる。そして、ここには『光の勇者』がいるわ!」
運命の女神様の声に、皆の視線が光の勇者さんに集中する。
……最近、ずっと女性姿だなぁ。
男性モードを見ていない。
「魔王ビフロンスは、強力な魔王よ。ここにいる土の勇者や、木の勇者の攻撃じゃ千回斬ってやっと倒せるかどうか、ってところだけど『光の勇者』の全力の攻撃を当てることができれば、『一撃』で倒せるわ!」
「「「「「おお!」」」」」
その言葉に、一気に周りのテンションが上がった。
確かに、それなら勝算はある。
「ただし、『光の勇者』の能力は太陽の光の下でなければ、十全に発揮できない。なんとしても、魔王ビフロンスを昼間の外に引きずり出しなさい」
運命の女神様が、俺のほうをちらりと見る。
魔王城をぶっ壊せ、ということかな。
「それともう一つ。いい情報と言えるかわからないけど、魔王ビフロンスは他の魔王と大きく異なる点があるわ」
「なんですか? それは」
俺が聞くと、運命の女神様は少しもったいぶってから告げた。
「温厚なのよ。魔王ビフロンスは、九人の魔王の中で最も柔和な魔王よ」
◇
「私の名はビフロンス・ゴエティア。今は、あの御方にこの地の管理を任されている王……、と言えるのかな? さて、そちらも名乗りくらいは上げて欲しいものだが」
その口調は穏やかだ。
運命の女神様の言った通りだった。
(高月マコト……、わかってるわね。紳士的な態度だからって油断するんじゃないわよ)
運命の女神様の念話が届いた。
勿論、気は抜きませんよ。
それは、他の勇者たちも同じで厳しい表情で剣を構えたままだ。
「寂しいものだな……、返事も無いとは」
魔王が小さくわらった。
「女神の勇者を喰うのは、久しぶりだ。せめてもの弔いに名を聞いておこうと思ったが……まぁ、いいだろう」
……ズズズ、と赤い魔法陣が魔王ビフロンスの周りに浮かび上がる。
濃密な瘴気で、少しむせた。
(魔王ビフロンスの紳士的な態度は、家畜に対する優しさよ。食べない生き物は殺さない……、腹が減れば喰う。それだけよ)
運命の女神様の言葉は、眼前の魔王の目を見ればわかった。
「風の矢」
ジョニィさんの放った数百本の魔法の矢が、魔王に襲いかかる。
魔王ビフロンスは、それを避けもしない。
突如、魔王の前に黒い壁が出現する。
(あれは……、闇の結界魔法?)
数百本の魔法の矢が、結界に阻まれる。
「土竜斬り!」
「烈風剣!」
土の勇者さんと、木の勇者さんの放つ斬撃が魔王の結界魔法を回り込むように放たれた。
こちらは結界の発動が間に合っていない。
大きな爆発が起き、地面が揺れる。
土埃がゆっくりと晴れた。
そこには、魔王の玉座が砕け、現れたのは腕が千切れかけ、胸元に大きな傷を負った魔王がいた。
「やった!」
木の勇者さんが、喜びの声を上げる前に。
「ふむ」
魔王が小さく呟くと、一秒とかからずに魔王の傷が癒えた。
それだけでなく、服装まで元に戻った。
何事もなかったかのように、魔王は振る舞う。
「「「……」」」
無意味に終わった攻撃をしかけた三人は、押し黙った。
(魔王の最も得意とする魔法は『再生』。不死者だから痛みも感じない)
運命の女神様の声が響いた。
事前に聞いていたことだが、これほどとは……。
まともな方法でダメージを与えるのは無理そうだ。
「あ、あれ……?」
光の勇者さんの声に、違和感に気づいた。
魔王の座っていた玉座までも、元に戻っている。
さっきの攻撃で、壊れたはずなのに。
どかり、と魔王は腰を下ろした。
その疑問は、すぐに解消された。
「この城には、私の血を含ませてある。いくら壊そうと、元に戻るだけだ。先程の『精霊魔法』による破壊の修繕も既に終えた」
事も無げに言われた。
……もう元に戻った、のか?
俺の寿命の大半を費やした『彗星落とし』の破壊を?
城内にいる俺たちには、確認できないが魔王の言葉が嘘だとは思えなかった。
どうやら、先程通ってきた通路が綺麗だったのも魔王が『再生』したからなのかもしれない。
「それにしても、あの御方ですら注意しなければならない『恐ろしい勇者』が来ると聞いたのだが……、この中にはいないのか……」
魔王の声に、俺たちは光の勇者さんのほうには視線を向けない。
なるべく光の勇者さんには、注意を向けさせたくない。
(そうよ、光の勇者ちゃんは『最後の一撃』よ。それまでの場を整えるの)
わかってますって、イラ様。
……それにしても。
「なぜ、立ち上がって戦わないんだ? 魔王ビフロンス」
俺は尋ねた。
いくら温厚でも、勝手に人の家に上がりこんで狼藉をする俺たちに腹が立たないのだろうか?
「君は会話をするのだな。しかし、ものを尋ねるなら仮面くらい外してはどうかな?」
「恥ずかしがり屋なので、仮面がないとしゃべれないんですよ」
「その割には流暢ではないか」
「仮面の下が気になるのでしたら、魔王らしく力ずくでどうぞ」
「なるほど、ではそうさせてもらおう」
魔王の声は、楽しげですらあった。
おしゃべり好きなのだろうか?
「さて、何故私が戦わないのか……だったか。それは私のもとに、これまで数千人の勇者が挑戦してきた。残念ながら、誰一人として私を倒すことは叶わなかったのだ。つまりは飽きたんだ。君たちの力は、ちょうど真ん中あたりだ。私が直々に手を下すのではなく、部下に任せようと思ってね。私は部下が戻ってくるのをのんびり待とうと思うのだ」
まるでこれからコーヒーでも飲もうと思う、と言っているかのような口調だった。
つまりは、俺たちを脅威に感じていないということだった。
「なん……だと」
「貴様っ」
土の勇者さんと、ジョニィさんの表情が険しくなる。
戦うに値しないと言われれば、そうだろう。
「水の大精霊」
俺は相棒を呼んだ。
なるべく派手に登場するように、言ってある。
光の勇者さんではなく、こっちに注意を引きつけるためだ。
魔力が空気を震わせながら、水の大精霊が俺の隣に現れた。
魔王の目が、少しだけ驚いたように見開いた。
「ほう……、水の大精霊を操る精霊使いが、まだ生き残っていたのか」
「これでもまだ戦う気はないと?」
「ふむ……、過去の勇者と比較して、真ん中などと言って悪かったな。君たち勇者パーティーは『上の中』だ。大精霊を相手にするのは、数万年ぶりだ。あの時の火の大精霊使いは強かった」
懐かしむような目で、魔王に見つめられた。
……どうやら、大精霊相手でも勝ち越しているらしい。
「我が王……、私の力はあの男に通じるかどうか……」
珍しく水の大精霊が気弱だ。
それほど、ということなのだろう。
対して、魔王ビフロンスは大いに俺に興味を持っている様子だった。
「不死者は自然を操る精霊魔法が使えない。我々は、自然の摂理に反する種族だからな。精霊は扱いが難しく、大精霊ともなれば人族の短い寿命で修得できないと思いこんでいた……。さては仮面の少年かと思っていたが、仮面の下は老人か?」
「あいにく、俺はまだ十代ですよ」
「ほう」
「「「「え?」」」」
なぜか、魔王より仲間のジョニイさんや他の勇者からびっくりされた。
年齢言ってなかったっけ?
何歳だと思われてたんだろう?
「素晴らしい才能だ! 20年足らずで大精霊を操るとは!」
「はぁ……」
魔王のテンションが高い。
こんなキャラだったんだ。
「どうだ、少年。十番目の魔王にならないか? あの御方に私から推挙しよう! ちょうど、我々の仲間にも精霊魔法を使う魔法剣士がいる。君と話が合うと思うのだ。知っているだろう? カインと名乗る男で……」
「ふざけるな!!!」
これまで静かに聞いていた光の勇者さんが驚くほど大きな声を上げた。
「マコトさんがおまえたちの仲間になるわけがない! よりにもよって魔王カインと話が合うだと! 馬鹿なことを言うな!」
烈火の如く怒った声で、光の勇者さんが怒鳴る。
ちなみに、俺は一言も返事をしていない。
光の勇者さんが俺の代わりに答えた。
(……まぁ、裏切る気は勿論ないから良いんだけど)
「そうか……、不死者として私の眷属にしてしまうと精霊を扱えないからな。できれば仲間に引き入れたかったが、残念だ」
魔王は、本当に残念そうな顔をしている。
それにしても、光の勇者さんから魔王カインに対しては、恨み骨髄に徹しているな。
海底神殿攻略では結構楽しく喋ってました、とはとても言えない。
彼女の前では、絶対にカインと会わないようにしないと。
そんなことを考えていると、魔王ビフロンスが訝しげな目で、光の勇者を見つめた。
「影が薄く気づかなかったが……、そちらの天翼族の勇者は不思議な闘気を纏っているな」
この言葉に、俺たちはぎくりとする。
「…………」
光の勇者さんがヤバい、という顔をした。
この人、ポーカーフェイスができないなぁ……。
「そうか、あの御方の話では『光の勇者』は男だと聞いたが……、君だったのか。のちに『救世主』と呼ばれる聖神族の切り札……」
その言葉とともに、魔王の周りにはますます沢山の赤い魔法陣が浮かび上がる。
見たことのない術式で、俺には何の魔法かわからなかった。
先程の結界魔法のために、これほど大げさな魔法陣が必要とは思えない。
「警戒を」
俺が言うと、他の人たちが小さく頷いた。
「訂正しよう」
魔王ビフロンスが立ち上がった。
「未来を見透す偉大なるあの御方によれば、君たちこそ私にとって最悪の敵であるらしい。ならば、こちらも全力で応えなければ礼儀を欠くというもの」
気がつくと、魔王ビフロンスの手には大きな黒い鎌が握られていた。
その姿は、死神のように見えた。











