229話 高月マコトは、大賢者と出会う
「モモ……」
俺は、大賢者様の腕を掴んだ。
細い腕だ。
そして、冷たい体温が伝わってきた。
「だ、駄目です! 離して下さい、マコト様!」
「マコトさん、危険です! 彼女は既に魔王の眷属なんです!」
モモとアベルが叫ぶ。
「危険……なのか?」
「はい、今は自分の意思で行動できていますが、頭の中で常に魔王ビフロンス様の声が響いています。ひとたび、マコト様を襲えと命令されれば、私はきっと逆らえないでしょう……」
「マコトさん……吸血鬼の親と子は強力な『因果の糸』で繋がっています。子は親に逆らえない。魔王ビフロンスによって吸血鬼にされた、彼女はもう……」
大賢者様と勇者アベルが俯き、悲しそうに話した。
因果の糸……聞いたことがある。
確かフリアエさんだ。
運命魔法の使い手であるフリアエは、因果の糸を視ることができるとか。
魔王ビフロンスは、因果の糸を使って子の吸血鬼を操る……か。
「モモ、今は大丈夫なんだよな?」
「はい……魔王様の声は聞こえますが、身体は自由に動かせます。でも、魔王城から遠くへは行けないと思います……」
そうか。
困ったな。
これじゃあ、モモと一緒に逃げることができない。
その時、空中にふわりと文字が浮かぶ。
『大賢者様を見捨てますか?』
はい
いいえ←
性格の悪い選択肢を表示された。
『いいえ』だと、わかってて聞いてるだろ?
しかし、どうするか。
因果の糸なんて、一体どうすればいいのか。
そもそも俺は視えないし……本当に視えないのか?
俺は運命の女神様に、運命魔法を賜った。
まだ扱いは素人同然だが、これを使えないだろうか。
うーん、と俺は少しだけ悩み、『RPGプレイヤー』スキルの『視点切替』でモモを眺めた。
――運命魔法・初級
魔力を瞳にあつめ、モモを見つめる。
始めは何も視えなかったが……徐々に、うっすらとモモから延びる糸のような線が視えた。
お、いけそうだ。
その中でも、ひと際、禍々しく輝く血のように赤い糸。
こいつだな……。
これがモモを縛っている。
この糸の所為で、魔王ビフロンスに逆らえない。
これを切ることができれば……。
俺は女神様の短剣を、鞘から引き抜いた。
「マコトさん!?」
「ま、マコト様!? 何をっ!?」
勇者アベルとモモが驚いた声を上げる。
いきなり短剣を抜けば、そりゃそうか。
「モモ、俺を信じて、じっとしていてくれる?」
「……はい。信じます」
俺が問うと、モモは覚悟を決めたように頷いた。
「ありがとう」
俺は女神様の短剣に、運命魔法の魔力を纏わせた。
そして、モモから延びる血のように赤い糸を、そっと切った。
「はうっ!」
びくん、とモモが痙攣する。
「モモ!」
慌てて抱きとめた。
……はぁっ……はぁっ……はぁっ……はぁっ……はぁっ
モモの小さな口から、荒い息遣いが聞こえる。
俺は彼女が落ち着くのを待った。
「モモちゃん、大丈夫か!?」
アベルも心配になったのか、近くまでやってきた。
「ま、マコト様……」
「モモ、魔王の声は今も聞こえるか?」
「マコトさん、一体何を?」
モモが息を整え、ぱっちりとした赤い瞳で俺を見上げた。
「聞こえません! 魔王様の声が、聞こえなくなりました。それに、何かに心臓を縛られているような圧迫感も消えました!」
「!?」
よし、うまくいった。
さすがは、女神様の短剣。
何でも斬れる。
「マコトさん、何をしたんですか?」
「因果の糸を切った」
「……は? いや、そんな……まさか」
「モモ、自由になった?」
「はい……さっきまでと全然違います。私を縛っていたモノから解放されました。マコト様……凄い」
うっとりとした目で、モモが俺の袖を掴む。
大賢者様の顔でそんな顔をされると、おかしな気分になる。
「そんなことが……それは……神の業です」
勇者アベルは、まだ呆然としている。
「そうなの?」
ま、ノア様の神器だからなぁ。
それくらい、できるだろう。
「それじゃあ、モモ、アベルさん。急いで逃げ……」
「まさか、ノコノコ現れるとはな」
嘲るような声が響き、突風が舞った。
俺が水魔法で生成していた『霧』が晴れる。
霧が晴れた向こうには、俺たちを取り囲むように魔族、魔物たちの目がこちらを見つめていた。
360度、囲まれている。
罠か。
俺たちを取り囲む魔族や魔物の中でも、ひと際目を引く魔族が居る。
紅い甲冑で身を纏った、壮年の魔族。
身の丈は二メートル以上あり、身体を纏う魔力はどの魔族より力強かった。
「豪魔のバラム……」
勇者アベルの息をのむ声が聞こえた。
その名前には、聞き覚えがある。
モモや土の勇者さんに教えてもらった。
魔王ビフロンス配下の最高幹部の一人だ。
「しかし、土の勇者と木の勇者が不在か……。居るのは雷の勇者だけだな。もう一人は……脆弱な人族か、外れだな」
魔王幹部のバラムが、髭を撫でながらつまらなそうに言った。
「光の勇者とやら以外は、捕らえよとの魔王様のお達しだ。ただし、次は逃げられぬよう足を切り落としておけ」
「「「「「はっ!」」」」」
バラムの命令に、配下の魔族が返事をし、魔物たちが応えるように吠える。
(光の勇者とやら……か)
魔王軍は、アベルを光の勇者と認識してない?
俺はチラリと、隣に居る人物を見た。
勇者アベルは緊張した表情で、周りを警戒している。
光の勇者という言葉には、反応していなかった。
気になる点は多々あるが、まずはこの場を乗り切らないといけない。
俺はモモを護るように肩を抱き寄せた。
モモが、俺の服をぎゅっと掴む。
震えている。
しかし、それは恐怖ではなく、……別の感情。
憎しみの目で魔王軍の幹部を睨みつけている。
それは出会ってから、初めて見るモモの眼だった。
「モモ……あいつに何かされたのか?」
「あいつが……私の母を喰い殺したんです……」
「!?」
俺とモモが出会った時、母親が三日前に死んだと言った。
あれから数日が経過しているが、モモにとっては未だ真新しい記憶だろう。
母が殺された記憶。
親の仇にいいように使われる、その無念は俺にはわからない。
「マコトさん、僕たちは包囲されていますが、数はそれほど多くない。一点を狙って突破し、逃げましょう。増援が来る前に」
勇者アベルが、俺に耳打ちした。
それを聞いたモモが、憎々しげに頷いた。
「……豪魔将軍バラムは魔王ビフロンスの中でも最も古参の魔族。とても強い……」
「そうですね、あいつとは戦ってはいけない。逃げましょう」
モモの言葉に、アベルが頷いた。
二人の声は、緊張で硬い。
「マコトさん?」
「マコト様?」
「…………」
俺はアベルとモモの呼びかけに応えなかった。
俺は、ぐるりと周りを見回した。
俺たちを取り囲む数百体の魔族や魔物たち。
いずれも、大魔王の加護を受けているのか強大な魔力を感じる。
俺が居た千年後よりも、ずっと強い魔物だろう。
絶対絶命の危機だ。
なのに――、心は穏やかだった。
こんな状況なのに、心に浮かんだ言葉は「取るに足らない」という思いだった。
……スキルのせいか?
(明鏡止水スキル……解除)
が、変わらない。
心は騒めかない。
凪のように静かだ。
これは、もうアレだな。
千年前にノア様が居ないから、会話できないことが残念だが、居ればきっとこう言っていただろう。
――マコト! さっさとその雑魚共をぶっ飛ばしてやりなさい
「ですね、女神様」
俺はそう呟くと、勇者アベルとモモに振り返った。
「モモ。迎えが遅くなったお詫びに、仇を討つよ」











