お前の血は猛毒なんだ
ーーーなんて美味しそうな血なのだろう。
いつもの時間、いつもの場所で美しく輝く大河を見ていると、向こう岸に1人の女がやってきた。
半袖のワンピースを着て、白い綺麗な脚を出して、風になびく真っ黒な髪は神秘の様。
女は毎週金曜日の夕方4時過ぎ、必ずこの大河を見に来る。
私はたまたまこの近くを通った時に女を見つけ、その日からずっとここに通っていた。
女の血が、匂いだけなのにとても美味しく感じられたからだ。
私は他の者と違い血への味や匂いにとても敏感だ。そのため好き嫌いがハッキリとしている。
私はまだ1度も心の奥底から求める血には出逢ってはいなかった。そしてこれからもそれのために出逢うことはないだろうと思っていた。
けれど、出逢ってしまった。
美しいその女に…。
私は一目見てこの女だと本能が求めた。
お前の血を飲みたい。
お前のその美しい肌を傷付けたい。
ーーーお前の血を私にくれ。
もう1人の自分が心の中で好き勝手に暴れる。
欲しい。欲しい欲しい欲しい。
お前のその血がーーー……。
けれど私は向こう側に行く事は出来ない。
この大河は私とお前を近づかせないためにある。
ここは境界線なのだ。
いくらお前を求めても世界はそれを認めてはくれない。
人間と吸血鬼が結ばれてはいけないのだ。
向こう岸に立つ女はそっと手を挙げた。
そして、小さく手を振った。
それは私とお前の小さな小さな繋がり。
私も軽く手を挙げ小さく手を振った。
お前も私を求めてくれているのだろうか。
きっと叶わないものだとわかっていてもお前は、私を求めていてくれているのだろうか。
一層のこと、私がこの大河を渡りお前の元へと行ってしまおうか。
お前のその華奢な体を抱きしめ、真っ白い首元に齧り付き、美味な血を飲むのだ。
きっと、止めることの出来ずお前を殺してしまうだろう。
お前の全てが猛毒なのだ。
私の本能を壊してしまう、狂わしてしまう程の依存性のある猛毒。
それを飲み干してしまったら、もう2度とそれに辿り着く事は出来ないだろう。
そして私はその場で命を絶ってしまう。
お前の血はそれ程までに美しいのだ。
女は振っていた手を下ろし、名残惜しそうな顔をして来た道を戻っていった。
女が離れていっても私はその場に留まり続けた。
ある日、女はいつもとは違って一人の男を連れてきた。
誰なんだ、其奴は。
醜い嫉妬が心を掻き乱す。何故なんだ。お前は私の事が好きではなかったのか?ただの独りよがりだったのか?私だけだったのか?お前を好きだったのは。
あぁ、駄目だ駄目だ。
女の気持ちなんてここからじゃ分かる訳がないのに、女に恋人がいたって可笑しくない。だって、あんなにも美しいのだから。
「私は馬鹿だなぁ」
お前を求めすぎて現実を見ていなかった。人間であるお前が吸血鬼である私を好きになる訳がないのだ。私を好きになる訳なんて…。
その時、一羽の鳥が飛んで来た。口には何やら紙を咥えている。
何だ?
私は鳥が咥えている紙を取った。するとその鳥は向こう岸へと戻っていき、男の肩へと止まった。私はまさか、とその紙を開く。
それを見た瞬間、私は不覚にも泣きそうになってしまった。
『名も知らぬ吸血鬼様へ
初めまして。
私はAです。
ふふ、ごめんなさい。
貴方の名前を知る事が出来ないから私の名前も秘密にしようかと思ったのです。
貴方と会う事が出来ないから、鳥を飼っている友人にこの紙を貴方に届けて貰うように頼みました。
ただ、一言だけ伝えたくて、私はこの言葉に私の想いを託します。
貴方を愛しています。
貴方を想う者より』
良かった。私の独り善がりではなかった。そっと紙から目線を上げると女が大きく手を振っていた。隣の男も小さく手を振っていた。
ポタ、ポタ、と私の服を濡らしていく。
あぁ、私は幸せ者だ。
貴方にこんなにも想われていたのだな。
私も大きく手を振った。
“愛してる”その想いをのせて。
それからもう半年が経った。
私は今もずっと毎週金曜日、お前に会うためにここに来ていた。
女も毎週必ずここに来ていた。
しかし、今日はいつになっても女は来ない。
もう夕方の6時。4時なんてとうに過ぎている。
何かあったのだろうか。
私は不安で堪らず、けれど大河に渡る覚悟がまだ無く、ここにいる事しか出来なかった。
早く来てくれ。お前の姿を私の瞳に写させてくれ。それだけで私は生きている意味があるのだ。
「レオ。いつまでそこにいるのだ。今日は月に1度の人間の血が飲める日なのだぞ?」
「…あぁ。わかっている」
私はもうこれ以上ここにいる事は出来なかった。今日は人間の血が飲める吸血鬼にとって素晴らしい日なのだ。
私達庶民の吸血鬼も飲む事が出来る。
人間の血は高いのだ。
裕福な家庭でも半年に2回飲めるか飲めないかとなってしまう程に高い。
そのため、私達庶民はこの半年に1度開かれるこの日を楽しみに過ごしている。
私も去年はそうであった。
この日を楽しみにしていた。
けれど、女に出逢ってしまった。
私はもう女の血以外を飲みたいと思わなくなってしまったのだ。
あんな美味しそうな血、今までに見た事がない。
あぁ、早くあの血を飲みたい。
「レオ、行くぞ」
「あぁ」
行きたくないのだが、社会のためにも私は我慢して開かれる会場へ向かった。
会場の中は沢山の血の匂いで混雑していた。
色々な匂いが混じったせいでここにいるだけで不味く感じる。
「臭いな」
「そうか?とても美味しそうではないか」
リッカーが顔を輝かせて会場内を見る。
私はリッカーには申し訳ないが今日は帰らせてもらおうと思った。
その時、
「ーーーっ!?」
あの匂いがした。
私を惹きつけるあの猛毒の匂いがした。
本能のままに足が動く。
「え?ちょ、レオ!?」
リッカーが私を呼び止める声がしたが私はそれを無視し、その血の元へ向かう。
そして辿り着いたのは人気の少ない場所にある1つのテーブル。
その上にはたった1つだけ、真っ赤な血の入ったワイングラスがあった。
震える手を堪えそのワイングラスを手に持つ。私は一口、それを飲んだ。
その瞬間体を駆け巡る快感。
熱く濡れた瞳、魅惑的な口元、隙だらけの首元、真っ白い肌、汗が伝う生脚、その全てが私の頭の中をぐるぐると回る。
心臓が燃える様に熱い。
欲しい欲しい欲しい。
お前のその血が欲しい!!!
私は残りの血を全て飲み干した。
手元からワイングラスが離れ地面へと落ちる。ガシャンッ、とグラスの割れる音がした。それでも私は動く事が出来なかった。
女の猛毒が私の全身を駆け巡る。
その度にドクドクと震える心臓。
こんなにも美味な血があって良いのか。
ーーー今すぐ行けよ、あの女の元へ。たっぷりと味わえるぞ?その猛毒を。
心に悪魔が囁く。
あの女の元へ行けと、私に女の血を飲み干せと囁く。
そんな事が出来たらどれだけ幸せなのだろう。幸せ過ぎて死ねるかもしれない。いや、死んでしまうだろう。
もう2度とその猛毒に会えなくなってしまうから。
「レオ、最近可笑しいぞ?」
「リッカー」
金曜日ではなく月曜日に私はそこへ来ていた。あの日からお前に会いたくて仕方がないのだ。
しかし、女はまだ1度もここには戻って来ていなかった。
突然姿を消してしまった女。
「なぁ、リッカー。どうすれば良い。血が、血が飲みたくて仕方がないんだ」
「血?それなら買ってこれば良いじゃないか。どこにでも売っているだろう?」
「違うんだよ。リッカー。私が飲みたいのは女の血なんだよ。人間の女の血なんだ」
「…無理に決まっているだろう。俺達が向こうに行けるわけがない。それは諦めるしかない」
「確かにその通りだな。けど、私はあの血を求めてしまうんだよ。本能には抗えない」
あの猛毒が欲しいんだ。
私を狂わすあの猛毒が。
「まぁ、俺には何も言えないけどな。お前は頑固だし。…お前をそこまで言わす血ってどんな味なんだろうな」
「それは教えないよ」
「ふ、だと思った。俺はちょっと用事があるからここで失礼するぜ」
「あぁ、それじゃあな」
リッカーと別れ私は大河の河岸にまで歩いた。 すぐそこにある透き通った河がとても美しい。
東から流れてくる風がとても心地良く、河の流れる音が聞こえる。
ここは良い場所だな、と改めて思った。
「はじめまして」
その時、私の後ろから若い女の声が聞こえた。私は動く事が出来なかった。
後ろからギュッと抱き付かれる。
「な、なぜ?」
「人間の血を運ぶトラックに忍び込んで来たの。ここまで吸血鬼に見つからない様に頑張って来たのよ?お陰でこんなに来るのが遅くなってしまったけれど」
「お前は、バカなのか?」
どうしてこちら側に来てしまったのだ。
お前は人間だろう?
人間がここに来てしまえば後は血を吸われて死ぬだけなのだぞ?
「知ってるよ。でもね、貴方に会いたかったの。どうしても、会いたかった。…ねぇ、私の血、飲んだ?手首を切ってね私の血を少しだけ入れておいたんだ」
「……心が壊れるかと思ったよ」
「ふふっ、そう言ってくれたらとても嬉しいわ」
私は女の方へ向き直った。
そこには私の求めていた姿があった。
「お前、名は?」
「アリサ、アリサよ。貴方は?」
「私はレオだ。……食うぞ」
その言葉を合図に私は女、アリスの唇を味わい始めた。至る所に噛み跡という名の愛を落とし、女の体を食い尽くす。やはり女は私にとって最高級の猛毒だった。
味わうにつれ、心が体が歓喜に踊る。
もっと欲しい。味わいたい。欲しい。味わいたい。ーーー愛おしい。
「愛している」
「私も愛してる」
女に微笑んでそっと口付けを落とす。
「なぁ、アリサ」
女の体を味わっている最中、私は尋ねた。
「お前を殺しても良いか?」
「………」
アリサは私の瞳をジッと見つめ、そして微笑んだ。
「共に逝ってくれるなら」
最後まで読んで下さりありがとうございます(^∇^)