(9)マグナスの昔の話
9.マグナスの昔の話
きれいな青い空の高い位置に細く白い雲がたなびいていて、風が長く遠くまで吹いていたある日、マグナスは普段よくやるようにこれまで訪れたことのなかった新しい街をちょっと覗いてみることにした。
その街はちょっとした都会で、どの家も背が高く作られていた。家々にはかわいらしい窓がついていて、洗濯物が干されていたり、花が置かれていたりした。時間は昼下がり、通りにあまり人の姿は見えなかった。それでも何か作業をしている仕事場では人の動く物音がしていたし、シンとして静かな家でも人の気配はあるようだった。
マグナスはまだ青年になったばかりの年頃で、何の武器も身につけず、重い筋肉も持ち合わせていなかった。軽い身のこなしで通りをすたすたと歩いていき、大きな道を十分に見た後で今度は細い道へと入り込んでみた。ふと見れば家の敷地から木の枝が伸びて、豊かに実った果実が道に飛び出していたので何のためらいもなく手を伸ばしてもぎとり、口にした。
新鮮な果物をかじりながら歩いていくと、それまでの街の家とは違う大きな門構えの家を見つけた。彼はふと足をとめた。大きな家に興味があったのではなく、奥から大きな声がしてきたからだった。耳をそばだてていると、そんな勝手は許さんだの、姉さんいまさら困るよだのと聞えてくる。
マグナスは勝手なことが許されないのはずいぶん酷じゃないかと思ったので、門のなかをもっと観察しようとした。幸い、門も塀もいろんな飾り細工のために隙間があけられていたので覗くのは簡単だった。でも結局誰かが閉め忘れた塀の小さな扉を見つけてそこからするりと入った。
葉の生い茂った木や、花や植物が丁寧に植えられた庭の向こうに立派な屋敷が建っていた。屋敷の窓から庭に通じるポーチにテーブルと椅子が置かれていて、そこにきれいな娘が座っていた。近くに父親らしき人物と、娘によく似た弟とみられる若い男がそばにいたが、マグナスが見ている間に父親が顔を真っ赤にして怒りながら屋敷の奥へと去っていった。
弟は娘の腰掛けている椅子のそばに立ち、姉さんいったいどうしたの? と問いかけた。
姉はわからない、と答え、またしばらくしてから「どうしてこうなってしまったのかしら。すべては順調だったのに」といった。
再び黙り込んだあとで娘は続けた。この家の私が取引相手でもある家に嫁ぐ。彼も私も昔からの付き合いでお互いに好きあっていて、お互いの家もなんでもよく分かっている。好き同士が結婚するだけじゃない、商売のためでもある。ほかの同業者が追随できないような、強固ですばらしい基盤ができると多くの人が喜んでいるというのに。
「そうだよ」弟は熱心な目つきで姉を見つめた。「いわゆる政略結婚なら嫌になるのは分かるよ。でも元から違ったじゃない。だから不思議なのさ。お相手のことが嫌いになった?」
「そうじゃないわ」
「それなのに結婚をとりやめたいだなんて」
木々の後ろに隠れて、会話を聞いていたマグナスは姉の気持ちの続きが聞きたくて、弟と同じように次の言葉を待った。
「ケアリーの森に行ってからだわ、私の気持ちが少しおかしくなってしまったのは」
姉の言葉に弟は驚いた声を出した。「何か関係があるの?」
ケアリーの森といえば、とマグナスは思った。あの一族が住んでいる場所だ。
「あの場所でちょっと不思議なことがあったの」姉はそう答えた。「それからこの結婚は間違っているような気がしてきてしまったのよ」
マグナスはそこまで聞くと、誰にも気付かれないように庭先から姿を消した。そして今度はケアリーの森を目指すことにした。