(8)ジョンの話
8.
ぼくらのための部屋は一部屋があるだけだった。ベッドが三つに、小さなテーブルと粗末な椅子が一つ。イザベラが自分はマリウスのところで寝るといった。いっさいの心配は無用、戦場でも寝られるのだし、人食いがやってきたとしても切り刻める。
そういって彼女が厩舎へと向かった後、残りはそこで休むことになった。場所は二階で窓から外を眺めると雨が降っているのに気が付いた。
「雨が降ってる」
「人間界では降らないのか?」とネコ。
ぼくはネコを振り返って見た。「きみらのこと、もう少し教えてくれたっていいだろ? 人間界で雨が降るのを知らないわけでなし」
ネコはきれいな色の目でじっとこちらを見た。「ではオレさまがマグナスと出会ったときのことを。ずいぶん前の話だ。オレさまがまだふわふわの子猫ちゃんだったころだ」
「いまでもまだ十分ふわふわだよ」とぼく。
サフソルムがぐっと口を引き結び、再び話し出した。「間抜けな歌うたいめ。とにかくオレさまがひとり大沼のほとりを歩いていたときのこと。沼の主の大ザリガニに見つかり、体を刻まれそうになったのだ。相手はオレさまの何十倍もあって、そのハサミにつかまってしまえば、あのいやらしく動く口へとほおりこまれてしまう! そこへ偶然にもマグナスが通りかかり、ザリガニからオレさまを救って、さらに倒したザリガニで夕飯までこしらえてくれたのだ」
「夕飯だって?」
「そうとも。実に見事な手際で火を起こし、焼きザリガニを作った。二人で食べるにはまったく多すぎるほどのな。上から塩をふって頂いた。それ以来マグナスはオレさまの恩人となり、オレさまは一生ついてゆくことにしたのだ」
「ふぅん。それできみは?」ぼくは壁際の椅子に腰掛けているマグナスのほうを向いた。「きみもぼくみたいに、だれかにこうやって、この世界につれこまれたってわけかい? ぼくみたいにこういう――、失礼、生き物がもともと見えていたから」
マグナスは少し笑って、さぁと肩をすくめた。
横からネコが口をはさんだ。「マグナスはな、歌うたいとは違うのだ。そしていついかなるときにも大いなる寵愛をうけている」
「誰から?」ぼくはたずねた。「ああ、つまりさっきいってた、他の連中が恐れている者から、だ」
サフソルムの目がカッと大きくなった。「そうだとも! 多くの者が名前をいうのも恐れ多いというのだ。つまりイーバさまのおじ・おばさまのことなのだがな。この世界の有力者、あるいは主。その手にかかればほぼどんなことも可能であるといわれている。しかしながら世界はひとつきりではないため、おじ・おばさまの力が及ばぬ者が現われることもある」
「ふむ」
「そしてあまり、そのおじ・おばさまのことは語らぬほうがいいのだ」
「なんでさ?」
ネコはふーっと息を吐いた。「どこかで見、聞き、全てを知っている」
規則正しい雨だれの音が外から聞えていた。我知らず、ごくりと唾を飲んだ。ネコが続けた。「しかしながらすべてを見抜かれていると思って用心していたとしても全く見られていないことがある」
は、とぼくは声をだした。
サフソルムは続けた。「今日黒い羽根が落ちてきたあれはおじ・おばさまがマグナスの意志を尊重し、オレさまが否定的だったのをよしとしなかったというわけだ」
「あれはずいぶんと唐突だった。何の前触れもなかった。それにまだ人間の住む世界だった」
「そうだとも! ときに、おじ・おばさまの目や耳はどこの世界、場所にも出現しうる。いっぽうで」とサフソルムはマグナスを見た。「明日行こうとしている場所については全く関心がないのだ。マグナスがしようとしていること、マグナスが守らんとしている者たちについてはな」
ぼくは窓際から離れ、近くのベッドに腰をおろした。罪滅ぼしの旅か、とぼくはつぶやき、マグナスを見た。「きみがなぜこの世界にいるのかをひょっとしたらイザベラも聞いてみたいかもしれないが、明日行こうとしている場所の話には、彼女はあんまり関心なさそうだったじゃないか」
マグナスは静かに笑い、ネコが口をはさんだ。「美女に対抗していたからな」
「謝りの手紙一枚で事は済むと思ってるふうだったからね。話はそんな単純じゃないんだろう? ここで話してくれたらいい。ぼくは聞いてみたい。……ここでちょっとした大人なら話したくないことは話さなくてもいいっていうんだろうけど」
マグナスは肩をすくませた。アイスブルーの目でぼくを見た後、「これまでにおれもいくつかのヘマをやってきた」といった。
「ぼくほどじゃないさ」と思わずいい、「歌うたいほどじゃなかろう」とネコがいった。
マグナスは小さく笑って話し出した。