(7)ジョンの話
7.
酒の匂い、肉の焼ける匂い、大きなお喋りに笑い声。あちこちに置かれたオレンジ色の明かりがテーブルに座る客を浮かび上がらせていた。
そこは宿屋兼酒場だった。十以上あるテーブルはほぼ満席。いつものぼくが立ち寄り、歌をうたってみせる場所となんら変わりなかった。そこにいる客たちをのぞいては。
店の奥のテーブルにぼくら四人は腰掛けていた。注文を取りに来た男は服は着ていたけれど毛むくじゃらで牙が生えていた。すぐに運ばれてきた小さな三杯は、――ネコは酒を飲まなかった――、服からグレーの肌をのぞかせた、骨と皮だけのような細い女性によってテーブルに置かれたが、彼女もやっぱり牙が生えていた。
その女性がカウンターへと戻っていくときには、どこか動物じみた、でも人間くさい客たちからいろんな声がかかった。よぉ姉ちゃん、今日もべっぴんだな、とかなんとか。彼女は客たちに人気があるのだ。
隣のイザベラが全員で乾杯をする前に、――乾杯するかどうかを決めてたわけじゃなかったけど――、いっきにグラスの中身を飲み干していた。
目の前にはマグナスとネコがいた。マグナスはイザベラが酒を飲むのを見ると、自分も同じように口に運んだ。
「それで?」といきなりイザベラが話し出した。「これから我々はどうするわけ?」
「我々は」マグナスは楽しそうに繰り返した。「今夜はここに泊まって明日には最初の目的地に向かう」
「最初の目的地?」
「そう。そこに立ち寄ったあとに今度はジョンを待っている人物のところへ連れて行く。それだけさ」
「ふぅん」イザベラがこたえた。つづけて「私はね、もうなんにも聞くことをやめたの。ここにいるのが灰色の鬼たちだろうが、動物みたいに全身毛をはやした生き物が料理を作ろうがもういいの」
「感心だね」ぼくは口をはさんだ。
やがて運ばれてきた肉料理、じゃがいも、チーズ、それにまた酒の何杯かを口のなかへほおりこみながら、ぼくはマグナスに聞いた。「最初の目的地って?」
マグナスがこたえた。「罪滅ぼしの旅さ」
「え?」とぼく。
サフソルムが口をだす。「どうしてももう一度そこへ寄りたいという」
マグナスはあきらめたように笑った。「性格なんだ」
「何といっても、すごい美人が待っているのだからな」とネコ。
ふぅーん、そうなの、とイザベラが鼻で笑う。
「そうじゃないさ」マグナスは青い目をきらりとさせた。「……ずいぶん昔に他人の恋の橋渡しをしたんだ」
誰も話さないでいるとマグナスは続けた。「ある有名な一族の男と女性が恋をした。二人はまったくの身分違い。それでも思いは通じ合っている。それなら一緒にいない手はないだろう? おれが間をとりもち、ふたりはめでたく結婚し、子供も生まれ、幸せは続いていくはずだった」
「何が問題なのか見当もつかないけど」とぼく。
「ああ、そうとも。世の中どうなるのかわかったものじゃない。その結婚はつまり身分違い、いや種族違いさ。おれはその違いをしりぞけて解決をもたらしたつもりがそうじゃなかった」
マグナスは少し寂しげな笑みを口元に浮かべた。
「ねぇ」とイザベラが話した。「とにかくその場所へは何をしにいくわけ? みんなで謝りに行くってわけ?」
マグナスの目にまた力が戻ってイザベラを見た。「謝りに行くとしたら?」
「つまらないわ」とイザベラ。「そんなものは手紙の一枚でも送ってやったらいいのよ。わざわざ出向くこともない。それよりさっさとこの黒ずくめをどこかへ送り届けたら? それで終わり。……それにしてもお酒が意外とおいしいじゃない。そうでしょ?」
イザベラがぼくに聞いた。
「ああ、そうだね」そう答えると、ちょうどテーブルのそばを通った、やっぱり毛むくじゃらで牙を生やした運び手の女がふとこっちを向いた。でっぷりとして年齢もずいぶん上の人物がぼくを見て笑った。
「そりゃそうだよ。その酒には人間の血が入ってる。あんたもおいしそうだけどね」じゅるり、と舌なめずりをしてゆさゆさと全身をゆらして通り過ぎていった。
「冗談だろ?」とぼく。
マグナスが「どっちが?」ときいた。
「どっちもさ」
「血は入ってない。だけどジョンがおいしそうっていうのはほんとうだろうな」
はん、とイザベラが隣で笑った。
「ここでは人間が狙われてるってことかい? つまり彼らの夕飯のテーブルにのぼるのはぼくら自身と? ちょっと待ってくれよ。ここに出ている肉はどうなってる? いや、もうすでに胃のなかだ」
今度はネコが笑った。
だいじょうぶさ、とマグナス。
「だいじょうぶなもんか。その……人食いっていうのは」と声を落とした。「外にいるだけだと思っていた」
「彼らはわかっている」ネコが話した。「もちろん外の荒野にいる連中はわからんが。この辺りにいる一般的な者たちはたとえ人間の肉が好きであってもマグナスと共にいる者を食おうとは……まぁ表向きは……思わぬといえる。つまりマグナスの後ろには彼らが恐れる者たちがいるのだからな」
ぼくはマグナスを見た。マグナスは楽しげにぼくと目を合わせ、イザベラとも目を合わせた。
マグナスは美しくて神秘的だった。だからといって女性的では決してなく。イザベラもあなたってほんとうに男前ね、などといってはまた酒を飲んだ。ぼくはきみって人間だろう? と聞いてみたくなったがやめた。
会話はどれも知りきれとんぼだったが、やがて夕飯はお開きとなった。