(6)ジョンの話
6.
女兵士はネコの言葉にさらなる怒りと苛立ちを募らせ、ぼくにそいつをぶつけてきた。「腹話術か、それとも奇術師なの? へぇ、たいしたもんね、だけどそうやって馬鹿にするなら考えがあるっていったでしょ!」
しかしやがてネコの口と言葉が合っているのを見てとった女兵士はこれは本当のことなのだと理解していった。少し勢いのなくなった彼女がいった。戦いで血は流したけど涙は何年と流したことはない。それがどうよ。訳がわからなくて涙が出そうなの。わかる?
マグナスは小さな笑みを作り、サフソルムはわからない、と答えた。
馬を三頭連ねて、ぼくたちは出発した。森を抜け、山道を登って、どこかの宿場町についた。
町の名前も分からなかったし、誰かに出会うということもなかった。どの土地のどの辺りなのかも不明だった。道中にイザベラはぼくに何度かどういうことなの、と聞いてきた。でもこっちとしても肩をすくめることしかできなかった。イザベラは馬の上で頭を空へと向けて大きなため息をつき、ぼく以外には聞えないように、――聞こえてるとは思うけど――、それなりの小声でいった。
「いまさら抜けられないじゃない」
「そりゃそうさ」
「なんであんたはここにいるのよ」
「頼まれた。この二人、あぁ一人と一匹に」
「頼まれたですって?」
「なにやら報酬がもらえる」ぼくはそういって、楽器を触った。
「報酬、ふん、怪しいもんだわ」
「いえるのは、ぼくは頼まれてここにいるけどきみは頼み込んでここにいるっていう違いがあるじゃないか」
「ご親切に教えてくれてありがとう。私がぬけてるみたいなことをいってくれてるわけね」
「そんなことをいわれたって困るよ。その冗談だか本音だかを何とかしてやれる知恵はないんだからさ、悪いけど」
「ああそう!」
たどりついた宿場町はどの家も黒ずんでいて、あんまり陽気な雰囲気ではなかった。ちょうど日が翳ってきて、日は落ちない時期なのに辺りは夕暮れの暗さだった。
先頭を行くマグナスが馬をとめたのは高い塀で囲まれた宿屋だった。塀の扉をたたき、扉を内側から開けさせて入っていった。ぼくらも扉をくぐり、そこで馬からおりた。
馬たちは頭まですっぽりとマントをかぶった者に厩舎へと連れて行かれ、ぼくらは宿の入り口に立った。なかに明かりが灯っているのが見えた。
「夏至の時期なのに夜が訪れようとしている」ぼくはマグナスに向かっていった。
足元にいるネコが答えた。「ずいぶん移動したからな」
「移動するといったって一日でそんなに距離が変わるものか」
「もうここは人間の住む世界ではないのだ」ネコがすましていうと扉の前にスッと座り込み、誰かが扉を開けてくれるのを待った。
ぼく一人だけならば、――冗談じゃない、そんなことは聞いていない、報酬がどんなに高くたってそれじゃあ話が違う! と、そもそもの話からして要領を得ていないことは承知で――、わめきかねないところだった。
隣に腕を組み、何かしら耐えているように見えるイザベラがいた。顔が青くなっているような気がしないでもなかった。
もし彼女が剣を持たぬ人間だったらうまく言い訳を思いついて、ここまでついて来ることはなかったかもしれない。しかし一度決めたことを守らぬわけにはいかなかった。剣を持つ兵士と自ら認めるがゆえに。
ぼくは少しだけ優しさをみせることにした。自らはいうことのできぬ彼女の心を言葉にしてみんと。
「人間の住む世界じゃないって? こんなところに連れてこられるなんて一言もいってなかったじゃないか」
サフソルムがぴくりと頭を動かした。「こんなところとは?」
「人間の住む世界じゃない、この場所にだよ」
「それでは歌うたいはこのまま元の道を帰りたいというのか? いま来た道にはもう人間が無事に通れることはできぬであろう人食いの……」
「人食いだって? そんなのがいるなんて一言もいってなかったじゃないか!」誰かのためでなく、自分が本当に思ってる言葉がでた。
「は!」イザベラが口元をひん曲げて笑った。「そんなのがいるの! 私が間違ってた。――いえ、そうじゃなくて、つまりこの剣をぞんぶんに使う機会があるってことがいま分かったっていう意味」
マグナスが手を扉にかけ、開けようとしていた。
サフソルムがそれに続き、イザベラがやってやろうじゃないの、と威勢よく呟くのが聞え、続けて入っていった。扉がゆっくりと閉まっていき、ぼくは建物の外で一人になった。
外は日が落ちかけていた。薄曇りの天気で、暗いところが増え始めていた。店の外にいたところで道はなかった。ぼくは扉に手を置いた。