(54)ジョンの話
54.
誰もそれ以上のことを聞こうとしなかった。
つまり誰も聞かないってことは、ぼくも聞かず、サフソルムも聞かないということであって、男だけは続きの話を何か説明したそうなそぶりを見せたが、ぼくらは男から少し離れたところにゆっくりと座り直して、はじめと同じように前を見て、何にもない海を見つめた。
「名前はベルナーだ」誰も聞いてないのに横から男はそう名乗った。「きみたちは?」
ぼくたちは答えなかった。
「道に…、いや、海に迷ったんだ」ベルナーは続けた。「私は絵描きだ。王様のところに住んで、王様のお好みの絵を言われたとおりに描いている…、いや描いていた。ある日、王様の愛しいお妃を描くことになった。これまでにも何回か描いている。何にも問題はなかった。いつものように似せてはいるけれども、少しシワを消し、肌がきれいに見えるように描いた。少し若く見えるようにもした。出来上がりを王様もお妃様も気に入られた。しかしそこへ親戚の子供がやってきて、実物と絵があまりにも違うといったのだ」
「あまりにも、だって?」ぼくは思わず男を見た。
「そうだ。子供は絵の方が若くてきれいだといったのだ」
ぼくは、ああ、とか、おお、とかそんなような言葉を出した。
「お妃は」とベルナーが続けた。「恥をかいた、とお思いになった。怒って、私の妻と小さな子供と共にここから出ていけと仰られたが、その後にさらなる怒りが湧きあがった。王様もそれに同調した」
ふむ、とサフソルムが小さく相槌をうった。
「王様は私にこう命令した。これより罰としておまえの妻と子供を幽閉する。おまえは外に出て誰も見たことのないほどの美しい絵画を描いて、それを見せよ。もし妃がそれを見て心を動かされたのならこれまで通りおまえたちをここに住まわせよう。しかし妃がそれを見て愚かであると思ったのなら、家族揃って処刑とする」
ベルナーは続けた。「私は取るものも取りあえず、だが絵の道具だけは持って城を飛び出した。街行く人にぶつかりながら、息を切らして走って、街の広場の真ん中まで来て、はたと止まった。そしてこれではダメだと思ったのだ。何か作戦がいる。私は広場の端で起きているのか、寝ているのかも分からぬ者に近づいた」
「はっきりいって、たいした作戦には思えないけど」ぼくはそういった。
「誰も見たことのないほどの絵を描くには夢とうつつの間をさまよっている者に聞くのがいいと思ったのだ。私はしゃがみこみ、酒で泥酔している男に聞いた。いま見ている夢を教えてくれ、と」
「なんていった?」とぼく。
「男は答えなかった。揺すっても起きなかった。私は諦め、立ち上がったときに建物と建物の隙間に、フードで頭を覆った小さな老婆がいるのを見つけた。彼女は私を見て笑っていた。『もしおまえさん、顔に悪い相がでておるな』といった。『時間の問題じゃ』ともいった。そうとも、時間の問題だ、早く見つけなくてはならないのだ、と答えた。老婆は笑って『海にでるべきじゃ』といった」
「そいつを信用したってわけだ!」
「そうだ」
「オレさまが思うに」とサフソルムがいった。「それを信用するとはじつに愚か……」
ベルナーはぼくたちを見た。「いまからきみたちを信用しようと思う。私はどうしたらいい?」
「あの洞窟を進んでいけば」とぼくはいった。「黒ダコのお姫様がいる。基本、だれも見たことがないと思う」
「美しいのか?」
「なんともいえないな。見る者による。そうだ、その途中の海のなかもずいぶんきれいだった。光でいっぱいだったんだ」
「それじゃあ、それを描くことにする」
「描くものが決まってよかったよ!」ぼくは立ち上がった。そして再び服についた砂をパンパンと払った。
ベルナーも杖を持ち直し、何とか立ち上がった。
空のどこかで羽音が響いて、赤い鳥がやってくるのがわかった。ぼくは笑顔になって、彼に向って話した。「幸運を。いい絵が描けるといいね」
赤い鳥がものすごい風を起こしながら砂浜に降り立った。
その風のなかでベルナーが叫んだ。「きみたちはどこへ行くんだ?」
「そんなことは関係なかろう」サフソルムが答えた。「ここですばらしい絵を思う存分描けばよい」
「待て待て待て! 違う違う! こんなところに置いていくというのか? 私も連れていってくれ。頼む! そうだ、私の持っている、少しばかりの宝石をプレゼントしようじゃないか!」




