(37)イザベラと馬のマリウスの話
37.イザベラと馬のマリウスの話
自分の顔が生暖かい息と共に何度も押されているのに気が付いて、イザベラは目を覚ました。
手でその鼻を触ってやると、マリウスは満足げに鼻を鳴らした。
半身を起こして、辺りの様子を伺った。暗くてよく見えなかったが、マリウスに今度は背中をぐいぐいと押されたので立ち上がることにした。
さらに押されるままに少しずつ歩くことになった。マリウスだって暗いところではよく見えないだろうに何とか歩みを進め、相当歩いたと思ったときに、さて遠くがぼんやりと明るくなっているのがわかった。
「マリウス、あなたってなんておりこうさんなの」
イザベラの言葉にフンフンと鼻を鳴らし、足取りも軽く、一人と一頭はさらに明かりのほうへと近づいていった。
暗かった地下は明るさを増していった。自分たちは広い洞窟を歩いていること、たどり着いた明かりの源というのは人の背丈よりずっと高い、天井近くに開いている穴から光が届いているからだということ、そしてその下には透明な水が湧き、小さな池ができていて、そこから別の方向へ小川となって水が流れていることが分かった。
マリウスは池に近づいて水を飲んだ。イザベラも手を水に浸し、手を泳がせてからすくって飲んでみた。それはどこで飲んだ水よりもおいしく感じられた。
マリウスの背にくくりつけてあった荷物もすべて無事だったし、誰も怪我をしていなかった。腰には剣がきちんと収まっていた。イザベラは自分用とマリウス用の食べ物を取り出して、わずかではあったが腹ごしらえをした。
イザベラは自分がまず心が折れたことなどなかったと記憶していたが、いま少しだけ自分が遭遇したことのない目に遭っていると実感しつつあった。……マリウスも地上に出られる出口ならよかったのに。
「いいえ」彼女は独り言をいった。「そもそもマグナスという良い男に出会ったことだってかつてなかったことじゃない」
彼女は上を見あげた。天井は自分の背丈の三倍はありそうだった。
「喋るネコもかつてなかったことだけど」
彼女は元より剣をふるい、男たちと戦えるくらいの力強さを持っているのだから、体力も申し分なかった。
急な壁が続いていたが、足場となりそうなところもあり、登れないわけではなさそうだった。
「マリウス、いまからここをのぼって外の様子を見てくる。ここで大人しく待っていてくれるわね?」
マリウスはイザベラを信用していたので、彼女が壁を登り始めたときも、落ちそうになりながらも何とか上までたどり着き、ついに外に出て、穴をのぞき、もう一度「マリウスー!」と声をかけられても、大人しくイザベラを見るだけだった。
「ここで待ってて!」
彼女はもう一度そういうと、立ち上がった。
辺りはほっそりとした木が生えている森だった。木があるばかりで道らしきものは見えなかった。
目印となるように、持っていた白い布をいくつか木に結んだ。
イザベラは方角を確かめながら少しずつ歩いた。やがていくらも歩かないうちに、遠くから不思議な歌声が聞こえてくるのに気が付いた。
かつてなかった場所を訪れている以上、用心するに越したことはなかった。イザベラは中腰となり、静かに歌声のほうへ近づいていった。
木々が生えている向こうが崖になっていて、その下が道になっているのに気が付いた。木の陰にそっと隠れ、道を行進していく者たちを上から眺めた。
人の半分くらいの小さな男たちが、頭にとんがった帽子を被り、手に手に武器を持って何十人と列をなして歩いていた。服も着ていたし、顔も人間であったが、体だけは茶色い蟻の形をしていた。
彼らは楽しげに同じ歌を繰り返してうたっていた。……朝は早起き、畑をやる奴ぁ、畑に行くさ、狩りをする奴ぁ、森に行け! ほかの奴らは食事の用意だ! それならそれで問題ない! 間違いなく誰もが腹ペコ、腹が減るのも問題ない!
彼らは体の大きさの何十倍もある、大きな荷車を引いていた。それは檻になっていて、なかに生きたままの鹿やうさぎが何頭も入れられていた。
そこに若い青年がうなだれて床にぺたんと座り込んでいるのも見えた。
イザベラが驚き、じっと見ていると相手も気が付いたのか、顔をあげ、イザベラのいる方向を見た。
声は出さずにこちらを見ながら、助けてといったような気がした。
一行は通り過ぎていき、イザベラは短く、ハッと息を出した。
イザベラは少し迷っていたが、木の枝や白い布で目印をさらに念入りにつけた。そして短い崖をおり、一行の後を追った。




