(34)ジョンの話
34.
ぼくは口を出さずにはいられなかった。「信じられないよ。あれはマグナスだったんだ」
「話の途中なのに。わけのわからぬことをいいだした」ネコがうんざりした口調でいった。
「子供のころに彼を見たことがあったんだ。空に届くような高さの木に子供が一人で上っていて、とんでもないことだって思った。でもよく見たら、そうさ、翼があったんだ。あれはこっちに遊びに来ていたマグナスだったんだ」
サフソルムはフッと鼻で笑った。「そんなことはオレさまにはわからぬ」
ぼくは頭をゆっくりと横にふった。「間違いない。賭けたっていい。でもやっぱり賭けるのはやめておくけど。……とにかく、マグナスがそんな目に遭っていたなんて」
「話の続きがあるのだ」
「ああ、悪かった。……痛かっただろうに。体も心も両方さ。どうぞ続けて」
サフソルムは透明な緑の瞳を細めて、いったん口を引き結んでから改めて話し出した。
「普通なら命も落とすところであったが、彼はある人物に助けられることになった。それがイーバ様のおじ・おば様である、イェンドート様とスタティラゥス様だった……」
彼が落ちた場所は、人間界ではなく、この世界だった。
怪我をして、意識がもうろうとしている彼を何人かのイェンドート様のお付きの者たちが宮殿へ運んだ。
彼は清潔な部屋で幾日も手当てを受けた。優秀な医者たちが彼の怪我を診た。背中の羽根がほんのわずかに残っていたが、彼の意思を聞かずして手術が行われ、取り除かれた。
彼がやがて、ついに目覚めたときには少し記憶をなくしていた。彼にはまだ養生する時間が必要だった。
イェンドート様もスタティラウス様も滅多に他の者たちの前に姿を現すことはなかった。不思議なことだが、この二人は肉体を持っているとも持っていないともいえて、しかし二人の住まう宮殿も存在していたし、食事も必ず用意された。お付きの者が部屋に入れば、天井から長く吊るされた半透明の布の向こうに影を認めることもあった。それでも二人が普通の王たちのように、玉座に座り、他の者たちに姿を見せるということはまずなかったのだ。
そんな二人だったが、彼のことはとても気になるようで、彼が一人で休んでいるときにはこっそりと様子を見に行くようであった。
徐々に回復を果たしてきた彼だったが、幾つかの記憶はやはり欠けたままだった。それになぜか記憶が少しずつ失われていくようでもあった。彼は引き続き、宮殿の部屋の一つを与えられて住んでいたが、あるとき召使たちから、これはイェンドート様たちのご意思であるとの言葉と共に剣を差し出された。彼はそれをよく分からずに受け取り、さらに宮殿内にある武道場にて何十、何百日とかけて剣で戦う術を習得することになった。
記憶が戻らないまま、彼は羽根のあったことも忘れて自らを鍛え上げ、たくさんの筋肉を身に着けていった。飛ぶことができなくなったとあっては自分が重くなったとしても何の問題もなかった。最も彼は翼があったこと自体、忘れていったのだが。
やがて彼は宮殿を離れ、他の大勢の男たちと共に戦いに出かけるようになった。戦いはイェンドート様の世界にて起こる諸々の厄介ごとを片付けるためであった。別の王たちが領地を奪おうとするところへ赴くこともあれば、反乱を起こした良からぬ者たちを治めに行くこともあった。
羽根のあった、どこか優雅な時代はすっかり血や汗の匂いのする生活へと変わってしまっていた。しかし彼はなぜかそのことについて疑問に思うことがなかった。自分にはこのような生活が合っているし、今までの自分は間違っていたような気がする。どうやら今が本当の自分であるといえるのではないかとすら思っていた。
戦士としての彼はとても優秀だった。実力はどんどん増していき、一隊を率いることができるようにもなった。だがある日のこと、彼は宮殿へと呼び戻された。宮殿に入ると、イェンドート様たちに謁見する前にすべてが洗い清められ、髪も顔も磨かれて美しさを再び蘇らせた。そして新しい服とかつて頂戴した剣を身に着け、玉座の置かれた場所へとやってきた。
イェンドート様もスタティラウス様も姿は見せなかったが、声のような、ご意思だけは彼の頭のなかで響かせることができた。
彼は大いにほめられ、まるで息子のように誇りに思うと声をかけられた。そしてこれまでの褒美として自分の妻の元へ一時的に戻ることを許されたのだ。




