ゴールデンウィーク前日その2
「ほら、さっさと行くぞ四十五分からタイムセールあるんだろ」
朝川学園から明たちの自宅までは、さほど距離は離れていない。徒歩で十五分ぐらいの距離だった。今から買い物に向かう場所は、学園と自宅の間ににある大きなスーパーである。
「そうだね、遊んでる時間はないよ、お兄ちゃん。ほら、レッツゴー!」
「遊んでるのはお前だけどな」
夏奈が先を歩きだし、明もあとを追うように歩きだした。
前でゆさゆさと右へ左へと揺れる、夏奈の黄色いサイドテールを明は眺めながら、
「なー、ゴールデンウィークだしよ、久しぶりに隣の市にでも遊びに行くか。亜矢や高崎も誘ってよ」
夏奈は唐突に振り返り、明の顔を見つめて笑顔を造った。
「いいよ、お兄ちゃん。わたしは、お兄ちゃんといられればそれで楽しいし。なにより、お兄ちゃんにはたくさんの宿題があるんでしょ」
なんで知っているんだ!?、と言いたい表情を驚いて思わず明は造る。
「亜矢ちゃんからメールがあったんだよねー。まったく、わたしだってゴールデンウィークは休みたいのに」
そう言って、夏奈は明に携帯電話の画面を見せる。そこには、『明くんは馬鹿だから宿題が出ちゃったから、教えてあげて』、と書かれていた。
「ごめんな夏奈。俺のせいでよ……」
「大丈夫だよ、お兄ちゃん。わたし、お兄ちゃんの役に立てることだったらなんでもするよ」
握りこぶしを作る夏奈の笑顔を見て、明はため息を吐いてから、
「俺以外にそんなセリフ言うなよ。その……なんでもする、とかな」
「ん、なんで?」
そんな明の心配は届いていないらしく、夏奈は首を傾けていた。
それからスーパーに着くと、今日の晩御飯は何にするか話ながら、買い物を始めた。お菓子エリアで夏奈が買っていいでしょ、と迫ってきた以外は予定通りの買い物が終わった。
「んー買ったねー。お兄ちゃん、ナイスファイトだったよ」
夏奈が親指をグッ、と立てて突きつけてくる。おそらくタイムセールで主婦の壁に突っ込んだときのことを言っているんだろう。
「どうも。俺の奮闘で手に入れた肉で美味しいの作ってくれよ」
明は、両手にたくさん食材の入ったビニール袋をぶら下げて自宅の方へ歩き始めた。
「了解であります、軍曹!」
軍隊みたいな敬礼をすると、夏奈は明の隣に足早に駆け寄り、同じ歩幅で歩く。
買い物が長引いてしまったので、空はだいぶ暗くなり、人通りが少なくなってきていた。
そして何気ないように背後を確認し、ため息を吐いた。
「どうしたのお兄ちゃん?」
心配そうに首を傾げる夏奈に、
「いや、何でもない」
とだけ言って、前を歩き続けた。
明から二十メートル離れた後方に、一人の少女が電信柱の背後にとっさに隠れていた。図書室から出たときに見かけた、白と黒を基調としたメイド服を着た少女だった。
見覚えのない顔だ。美しい顔立ちをしているが、どことなく人に慣れていないような雰囲気をだしていた。こんな街中でメイド服で歩いているなんて、巷で有名なゴスロリという奴なのだろうか。少なくとも、俺が知る限り朝川市にはメイド喫茶みたいな店は存在しないはずだ。
彼女は明から一定の距離を維持したまま、歩調を合わせて歩いていた。明が立ち止まると彼女は近くにあるポストやら、電信柱やらに身を隠した。かといって、彼女から声をかけてくる気配はなかった。
夏奈と同じくらいの身長だったため、夏奈の友達かと可能性を検討した。
立花夏奈は明の一歳年下の妹で、朝川学園中等部の三年生でもある。見知らぬ少女が明に何かしら興味を持つとしたら、妹の関係者というのが一番妥当と考えた。
だが、それならなぜ彼女が声をかけてこない理由がわからなかった。空は暗くなり、もう夜と言ってもいい時間に少女が一人で尾行するのはなかなか危険だと思う。
「あ、お兄ちゃん。わたしあれ欲しい。お兄ちゃん取ってよ、お願いです!」 夏奈は明が後方の背後にいる少女に対しての心配をよそに、ゲームセンター前に設置された、クレーゲームの筐体を見つけて、目を輝かせながら手を合わせて拝むように、明に頭を下げた。
「もうだいぶ暗いぞ」
明は夏奈が諦めないか言ってみるが、
「お願いします、ほらあめ玉あげるから」
「よし乗った!」
夏奈の手に乗せられたあめ玉を受けとり、交渉成立となり、あめ玉を口に放り込んで明は筐体の前にたった。
「あれ、お兄ちゃんどうしたの?」
しばらくして、明が一向に動かないのを不思議そうに横から夏奈が訊ねた。
「百円くれねーか。俺もう今月は金ねーんだわ」
「わたしがお願いしてるんだからわたしが払うよ。お金がないんだったら最初からそう言ってよ」
百円玉が筐体のコイン投入口に入るのを確認すると、明は真剣な表情で筐体の中にあるぬいぐるみの一つを見つめ、あめ玉を噛み割った。
そこからは明の集中力と技術でぬいぐるみはアームに捕らえられ、逃げることができず、筐体の外に落とされて、今は笑顔の夏奈の腕の中にいる。
「ところで、それなんだ。なんかのキャラクターだよな」
「え、お兄ちゃん知らないの!?今とーっても有名な、朝川市のマスコットキャラクターのアサニャンだよ!」
夏奈から、可愛らしい顔をした猫のぬいぐるみを突きつけられた。
「すまん、流行には疎いんだよ」
そう返事をすると、夏奈は頬を膨らまして、
「そんなんだから英語できないんだよ、お兄ちゃんは」
「いや、英語と流行はまったく関係ないだろ!」
明は夏奈の頭に軽くチョップしてから、家路に着こうと身体の向きを変えると、見知らぬ男の三人組が、行く手を遮るようにして立っていた。年齢は明よりも二つ三つ上だろうか。真っ赤に染められた髪に、両耳にはピアス。大きく開かれた襟元からは、首から重そうな金属がぶら下げられたネックレス。どこからどうみても、チャラそうな男たちであることに間違いはなかった。
「二人って姉妹?超かわいいね」
「暇だったらさ、今から俺たちと遊ばねーか」
「ちょうど俺たち今日が給料日でさ、金ならたくさん持ってるからよ」
男たちがあからさまに、明たちをナンパし始めた。横にいた夏奈は、アサニャンを落とすほど前にいる男を怖がって、明のシャツの裾を掴んでいた。
明は男たちの言葉の数ヵ所に苛立ちながら、一歩前に出た。
「どいてくれねーか。俺たちは、今から帰るとこなんだよ」
しかし、男たちは道を開けようとはしなかった。それどころか、さらに男たちは一歩近づいてきた。
「ボーイッシュ系なの、彼女」
「だから、男の制服を着てるわけか」
「俺らそういうのも大歓迎だぜ」
おいおい、こいつらの目は節穴かよ、と内心で呟きながら無理に通ろうとすると、男たちが壁になって進めなかった。
回りをもう人はほとんど歩いておらず、助けが来るなんて可能性はほぼないだろう。
「どけよ。邪魔なんだよ、オッサンたち」
明は、あらためて語気を強めて口にするが、それは男たちを怒らせるだけだった。
「はぁ、生意気な口するんじゃねーよ!」
「俺らを怒らすと、痛い目みるぞ!」
「まだ俺ら、オッサンって歳じゃねーよ!」
男たちの一人がクレーゲームに手をドンと突き、明を上から眺めた。
「あと、俺は女じゃねーから。勝手に変なこと言うんじゃねーよ、オッサン」
明は、男たちに言いたかったことを口にして、無理やり道を作ろうと腕を前に伸ばす。
すると、男の一人が伸ばした明の腕を掴んで身体を引き寄せた。明は急に引っ張られたので、逆らえず引き寄せられてしまった。
「お前みたいに、かわいいのが男なわけねーだろうが!」
「男か女かどうか確認しなきゃな。ほら、こっち来い。脱がしてやるよ」
男が明を路地裏の方へと引っ張り込もうとするので、明は力を込めて抵抗するが男の力は強く、明はじょじょに路地裏へと連れ込まれる。
「お兄ちゃん!」
男たちに対する恐怖で黙っていた、夏奈が叫んだ。そして、
「ガッ……!」
明を引きずり込んでいた男は、次の瞬間、何かに薙ぎ払われて、横に凄い勢いで吹っ飛んだ。
男を吹き飛ばしたのは、一本の木刀だった。
アサニャンのイラストが書かれた黒いパーカーのフードを目深に被っているため、誰かはわからなかった。
だけど一つだけわかっていることがあった。このアサニャンフード男は、明たちを助けようとしてくれているのだ。
吹き飛ばされた男はどうやら激怒している様子だった。身体を起こして立ち上がると、パーカー男に拳を構えて猛然と突っ込んでいった。
「このガキ、なめてんじゃねーぞ!」
パーカー男は、紙一重で男の拳を避けると、男の頭に木刀を叩きつけた。男は衝撃で空気を洩らし、地面に倒れた。
「くそがてめー、覚えてろよ!」
「次会ったときは、こうはいかねーからな!」
残りの二人の男が、倒れた男に肩を貸して逃げていった。
「すまん、助かった。恩に着る」
明は、パーカー男に礼を言うと、
「…………」
パーカー男は明たちを一瞥しただけで、走って去っていった。
「誰なんだ、あいつは……」
助けてくれた謎のパーカー男の正体が、明は気になっていた。それと同時に、自分では夏奈を守れなかった弱さが嫌いになり拳を強く握った。
「お兄ちゃん、大丈夫!?」 夏奈が駆け寄り、明の顔を心配そうに覗き込む。
ーー駄目だ、妹を心配させてるようじゃ、兄失格だ。
明は、自分がとても情けないと思った。夏奈の前では辛い顔を見せないよう、すぐに表情を変えて、夏奈を見る。
夏奈の眼には小粒の涙が浮かび上がって、それを見た明は、自分への苛立ちがさらに増した。
「大丈夫だ、夏奈。はやく帰ろうぜ、腹が減ったよ。もうくたくただ」
本当に今日は疲れた。図書室で宿題をして、男なのにナンパされて。明日から学校が休みで助かった。
食材の入っているビニール袋を両手にぶら下げると、明は今度こそ家路に着けた。
「お兄ちゃん、先にお風呂入ってきちゃいなよ。わたし、ご飯の用意してるから」
明たちが自宅に着くと、夏奈は足早に奥のキッチンに向かって米を研ぎ始めた。明は、ビニール袋から食材を取り出して冷蔵庫にしまうと、二階の自室に入った。
まずバックを机のそばに置いてから、ベットに身体から横になる。
ーー俺も力があればな……。
一度ため息を吐いて、自分が自分に絶望する前に身体を起こして、寝間着を取り出し一階の脱衣所に向かった。
明は、脱衣所で上半身裸になった状態で、鏡に写った自分の姿を眺めた。
肩にかかるまで伸びた、黒い髪。長めの前髪の下にある、柔弱そうな両の瞳。さっきみたいに、妹の夏奈と一緒にいると、姉妹に間違われるほどの線の細い顔。肉の少ない胴から、すらーと伸びた両腕。
「…………はぁー」
ソプラノの高い声が、自分の口から洩れることも嫌いだった。明の口からイカツイ声が出れば、ナンパしてきた男たちはビビって近寄らなかったはずだろうから。
何で自分の身体が、こんな女の子みたいに華奢なのかわからなかった。
今亡き父は、この浮遊都市開発のために、全力で文字通り身を粉にする勢いで働いていたらしい。そんな父の遺伝子が身体に流れているなら、華奢な身体にもう少し筋肉が付いてもいいんじゃないだろうか。
明が覚えている限り、髪が急激に伸びるのが早くなったのは十年前からである。十年前に何があったか、覚えていないが身体に変化が起き始めたのだ。
バスタブにたっぷりと肩まで浸かると全身を心地よい熱感と圧力が包み込み、身体に溜まっていた疲労を消し去っていく。
じっくりと湯船に浸かってから、頭と身体を洗いシャワーを頭から浴びてから、浴室を出た。
寝間着を着てから、リビングに入るとテーブルに、今日の晩御飯が並べられていた。
「あ、お兄ちゃんお帰り。じゃじゃーん、今日の晩御飯のカレーライスでーす!冷めないうちに食べよ」
エプロンを制服の上から着た夏奈がどうよ、といった表情で明を見る。
「美味しそうだな、さっそく食べるか。夏奈、お茶取ってくれ」
テーブルの椅子に座り、夏奈が持ってきたお茶が注がれたコップを受け取った。カレーライスには今日のタイムセールで手に入れた、普段は手が出せない極上肉が入っているため食べるのが楽しみだった。