新たな姿、新たな道
「いやー、これはまた……」
「どう? 変じゃないかな?」
ドックから出て港に浮くウラッカ号を、俺はガフと見に来ていた。
全長25m、全幅8mの平甲板後尾楼型の船体。マストは2本、だがそこには今までと違う形のマスト、ブームが備え付けられていた。
今までより長く、甲板から30m以上も伸びるマスト。斜桁は撤去され、甲板2mほどのところに横に伸びるブームも前よりちょっと長くしてあった。
こちらの世界では見たことが無かったが、地球の21世紀では当たり前のように使われている、そう、ちょうどヨットの帆のような形だった。
発想は単純だ。
21世紀のヨットにガフセイルもラテンセイルも使われていないというのは、それが扱いにくいからでは無いのだろうか? ヨットは少人数、場合によっては一人で操作して世界一周を成し遂げられる能力がある。ならば、その帆装は扱いやすく優れたものに違いない、というものだ。
帆走能力の点でも俺には勝算があった。ヨットの帆は船体の割に大きい。大きい帆はそれだけ多くの風を受けられ、大きな推進力を生む。特に俺は記憶にあるヨットのマストがこちらの船のそれに比べて長いということに注目していた。
「変……って言われると、まあ見たことないだすが……こんな高いマストで転覆したりしねえか心配だすな」
「それは考えてあるんだ。見てわかるように上の方は受風面積も小さいから大丈夫のはずだ」
ガフセイルのように、四角形をしていれば上の方も多くの風を受けることになる。それに対してこの形だったら風は下の方の帆で受けることになる。その分転覆の心配は少ないはずだ。
「なるほど、あとはマストの強度がどうか……」
「斜桁に比べれは太いし、垂直に立っているから丈夫なはずだ。索具でしっかり固定すれば問題無いと思う」
ガフはちょっと考えて、眉をひそめながら続ける。
「それでも真正面から受けるとちょっと心配だすな」
「そんな場面はあるかな?」
「縦帆船だすから、あんまねえと思いやすが、この構造にするんだったら、帆を横にして追い風を受ける場合もあると思うだよ。そんときゃちょっと難しいかもしんねえだすな」
「そうか……」
なるほど、縦帆は基本的に前後に張り、風を斜めに受け流して推進力にする。その使い方なら問題ないだろうが、もし追い風で推進力を得ようと真正面から風を受けるとなるとマストが折れる可能性もある。なにせ大きな帆なのだ。
「とりあえずはそういう使い方はしない方がいいってことだね」
「そうだすな」
でも、できたら向かい風でも追い風でも敵なしってことだし、なにかいい方法はないかなあ……
そう考えている俺に、背後からトーンの高い声がかかった。
「ちょっといいかな?」
「はい?」
振り向いてみると、背の高い男だった。年の頃は20代に見える。彫りの深い、かなりのハンサムで、長髪を後ろでくくっていた。雰囲気からして船乗りだろう。
「ああ、ひょっとしてこの船の船長さん? ……ああ、良かった、俺を船に乗せてくれないかな?」
「えっと……」
俺はちょっと考える。今回帆を付け替えたことで、俺はウラッカ号をより少ない人数で操れると考えていた。人数が少なくなれば、それだけ賃金の支払いも楽になるし、船内の居住環境も良くなる。
前の航海から残ってくれている船員もいるので、考えている定員はすでに埋まっていた。
「今水夫はちょっと多いかなって思ってるぐらいなんで……」
男は、ちょっと鼻を鳴らして答えた。
「いや、俺は航海士だ。セリオ・アルビオール、資格を取ってから7年」
「航海士?」「ほう……ベテランだすな」俺とガフの声が重なった。
航海士か……確かに見れば一般の船員より身なりが良い気もする。
今、ウラッカ号はガフが航海士見習い兼操舵士の役目についている。能力に不満は無い。確かに、もう1人居ればいいと思ったことはあるが、それよりも別に聞いておくことがある。
「失礼ですが、トランド出身ですか?」
「そうだよ。アンティロス生まれのアンティロス育ち、ま、物心ついてからはずっと船に乗っていたけどね」
それが本当ならストランディラのスパイという線は無いのか。
海が物騒、というのはつまりストランディラの圧力が増しているということだから、用心しておくに越したことはないのだ。
俺は、セリオと名乗った航海士にちょっと待ってもらって、ガフと一緒に距離を取る。
「ガフ?」
「問題ねえと思うっす。おいらは見習いだし、もう一人航海士がいたら船長が当直に立たんで済みやす。失礼ながら、一人でなんでもされては体に触りやす」
確かに、そういう利点はある。船長兼魔法士で、なおかつ当直にも立つというのはちょっと無理があるかも知れないと薄々感じていた。おまけに少人数のウラッカ号では船医や主計士なども乗せていない。俺がやらなくてはならないことは多かった。
「……そうか、そうだね」
航海士を一人雇うのに月銀貨50枚、正直今の状態だと重い負担だと思うが……
俺は費用と利益を天秤にかけ、考えこみ、そして結論を出した。
「よし、じゃあ前向きに検討するよ。出港は7日後を予定しているから、それまでに身分と経験を証明する書類を……」
「おっ、それは有り難い。で……物は相談だけど、今から船に乗り、いや隠れさせてくれないか?」
「えっ?」
まだ船には荷物の一つも積まれていない。がらんどうの状態なのだが……
「いや、ちょっとね、面倒事から逃げている最中なんで……」
「何か悪いことをしたんですか? 悪いけど犯罪者は……」
善良なトランド市民として、犯罪の片棒を担ぐことは避けたい。
セリオは後ろに結んだ長髪の房をいじりながら、きまり悪そうに答えた。
「いや……そういうわけじゃなくて、ちょっと……その……男女のことで……」
「はあ……」
ハンサムにはハンサムの事情があるということか……
「まあ、しょうがないな。じゃあ乗り込んでおいてくれ。士官室の船尾左舷側が君の個室だ」
「了解、船長」
そう行って、セリオは慣れた様子で舷側から甲板に乗り移り、やはり珍しいのか帆をあれこれ調べている。
その様子を岸から観察しながら、ガフが聞いてくる。
「いいんですか? ちょっと得体が知れねえ感じがするだすが……」
「まあ、その辺は調べておくよ。まだ正式採用じゃないしな」
彼が何かの裏を持っているとしたら、ディオンさん経由で調べてもらえればわかるだろう。
ともかく、俺はこうして初めての「自分の」船を手に入れたのだった。
それから出港までは、自分でも何をやっていたのか覚えていないぐらいだ。かろうじて、酒場でリック、カルロス、マルコと会った時に、カルロスがすでに海軍の制服を着ていたのを皆でからかったのが記憶に残っているぐらいだ。
カルロスは翌日には島の北部にある軍港、レルッソに向かわなくてはいけないらしい。最初は戦列艦アルドールの3人いる航海士の1人として勤務するらしい。
「まあ、航海の経験は嫌っていうほど積んだからな。まずは海軍の流儀をじっくり学ぶとするよ」
そうは言っていたが、戦列艦ということは港の守備が主任務だ。海に乗り出して行けないいらだちのようなものがにじみ出ていた。
マルコは、しばらく見ないうちにしっかりしてきていた。これならばアリビオ号もなんとかやっていけるだろう。
その日は、明日があるから、と言うカルロスを引き止め、深夜まで騒いでいた。
「じゃあ、ケイン。ちゃんと危ないと思ったら逃げてね」
「大丈夫、ちゃんと生きて帰ってくるから、そっちも気をつけて」
新生ウラッカ号の出港の日、俺はパットと別れを惜しんでいた。
親密になった分、なんか言動がお母さんっぽくなってきている気がする。パット自身は、引き続きガルシア家の船、今度はリーデ号ではないが、ニスポスとセベシアという比較的安全な航路の船に乗ることになっていた。
そして、他にも見送ってくれる人がいる。
「初航海の出港は見逃したからな、弟子の晴れ舞台に腰を上げんわけにもいくまい」
「今回が本当の初航海みたいなもんですから」
「気をつけるのじゃぞ。最近は物騒だと聞いている」
「はい、気を張って行きます」
もう船を下りてしばらく経つが、師匠もやはり港の雰囲気が好きらしい。さっきからきょろきょろと落ち着きが無い。年と立場を考えてほしいとちょっと思う。
船上からセリオが叫ぶ声が聞こえる。
「船長、そろそろ準備を」
結局、彼を雇うことにした。ディオンさんは問題ないと断言していたし、後で出してもらった書類も正規のものだった。
ちなみに、彼が逃げまわっている女性だが、女性「達」だった。
船乗りに彼のことを聞いて回っている女性が複数いると聞いている。
その女性たちだが……全員、ある特徴があった。
いや……個人の好みだ。あれこれ詮索するのも野暮ってものだが……業が深いなあ……
ともかく、俺は皆に別れを告げる。
「じゃあ、みんな、行ってくるよ」
今回の豆知識:
ケイン的発想としては、本文中の通りなのですが、ヨットの三角の帆はバミューダセイルと言います。英領バミューダ諸島で17世紀には使われていたらしいので意外に歴史があります。せっかく歴史ものじゃなくて異世界を舞台にしたので、できれば英海軍帆船小説に出てこない技術を使いたいと思っていたのですがようやく1つ出せました。
ちなみに、私のtwitterアイコンになっているのが、バミューダセイルの代表的な船、Spirit of Bermudaです。




