アンティロスでの多忙な日々(3)
「ああ、ちょうどいいところに、ケイン君」
書類でいっぱいで、横の床にまで積まれている執務机の向こうから、顔を見るなりディオンさんが飛び出してきた。俺の手を取って握手をして上下にふる。
「っと、いきなり何ですか? 何か問題でも……ああ」
問題は山積みだ。文字通りの意味で。
「そうなんだよ、留守中の仕事がこ~んなにたまっていてね。もう2日以上ほとんど寝てないんだよ。だからこんなふうに自分を鼓舞していないと挫けそうなのさ」
「こ~んなに」のところで、両腕を大きく広げて大きさを表現するディオンさん。なんだかテンションが高いのは、そうか、徹夜のテンションだな。ちょうど、徹夜麻雀をした友人のことを思い出して納得する。
「それは、お疲れ様です。今日は、ウラッカ号の譲渡の件できたんですけど……」
「ああ、それはすでにやってあるよ。うん、あの書類は……えーと、たしか、この辺に……」
程なく、譲渡の書類は山から救出された。崩れ落ちた書類の山は犠牲になったのだ。片付けはディオンさんかメイカさんの役割で、俺には関係ない。
「でも、先に済ませてもらって良かったんですか? こ~んなに残っているのに……」
「こ~んなに」のところはあえてディオンさんの真似をして言ってみた。
ディオンさんは、テンションが途切れたのか急に普通になって答えた。
「なに、答えの出ない問題は先送りにしている。やることが決まっているものは頭を使わなくていいから、むしろ休憩だよ」
「……そういうものですか……」
テンションが途切れたというよりは、あれは眠いのだな。わかりやすくふらふらしながらももをつねる姿を見て、俺は納得した。
「で、本題なんだがケイン君」
「えーと、お断りします」
面倒は御免だ。
「そんな、せめて話を聞くだけでも……」
ディオンさんはしつこく食い下がる。安く船を譲ってもらった恩もあるし、しょうがない。話を聞くぐらいはしてもいいだろう。
「……分かりました、とはいえ俺も忙しいですから、お受け出来るかわかりませんよ」
「そうか、いや、なに君の得意分野のことだよ」
得意分野? 船のことだろうか? それとも魔法のことだろうか?
「実は、タロッテみたいな下水道をこっちでも作ろうって話になってね……」
「どこが得意分野なんですか!」
「いや、ちゃんと報告書を出したからね、下水道といえばケイン君だよ」
「魔人ケイン」に続く二つ名が「下水道のケイン」というのは意表を突かれた。どっちもあまり公言したい名前ではないな。
「……さっきも言いましたが、俺も忙しいですから、実際に作る作業は手伝えませんよ? 助言程度なら出来るかも知れませんが……」
そこは最低限守ってもらわないと困る。時間はいくらあっても足りないのだ。
「うん、よし、じゃあ率直に聞くが、何が一番の問題だと思う?」
俺はちょっと考えて確認する。
「魔法使いの数は問題ありませんか?」
「ああ、大丈夫だ」
「じゃあ、工事には問題は無いですね。一番はどこに汚水を捨てるかだと思います。タロッテの港、覚えていらっしゃいますよね?」
「確かに……汚かったね」
汚水を捨てているタロッテの港は、アンティロスに比べて濁って汚かった。もともと、水の流れのない港の水がきれいであるはずはないのだが、今まで見てきた中でもタロッテのは特別だった。
ただ、これは必ずしもタロッテが都市として遅れているということを意味しない。
アンティロスでは、一般家庭は汚水を地面に掘った穴に捨てるという行為が行われている。そのため、地面に濾過されて海に直接汚水が流れこむことにはなっていないが、それは一方で井戸水が汚染され、町に悪臭が立ち込めることにもなっている。
「別に港が汚いぐらいは船の出入りにはあまり問題じゃないんですが、少なくとも漁場は荒れますね」
「そう……だね。そこが問題か……」
さすがに港の中で漁をしている漁船は無いものの、少し出た辺りでは網を下ろしているのを見る。そうした漁師の生活に影響があるだろう。
「だから潮の流れの速いところ、南の岬の付近まで下水道を通して、そこから海に流すのが影響を抑えられる気がします……あ、もっともそちらで漁をしている人がいれば別ですけど……」
「あちらは流れが急だからそうそういないと思うがね……先に確かめておくか……」
「それはそうと、そんなに急ぐ必要がある案件ですか? この仕事が一段落してからでいいと思うんですが……」
「ああ、実は急ぐんだ」
なんだろう? ちょっと考えて俺は答えに行き着いた。
「というと……病気、ですか?」
「そうなんだ。報告書を見る限り、今年は疫病が流行っている。アンティロスは医療体制がしっかりしているし、魔法を使う者も多いんだが……」
「疫病には、直接的に効く魔法が無いですよね」
俺がかつて身を持って経験したことだった。細菌やウイルスを選択的に殺すような魔法は無い。
「そう。だからせめて下水道を作ることで汚水を地面に捨てなくなれば、少しはましかと考えたんだ。なにせ人の出入りが激しいからね」
「なるほど……」
「ニスポスも人が増えて密集した町になりつつある。なるべく早く技術を確立したいと考えているところなんだよね」
なるほど、ディオンさんは将来のトランドのことを考えていたのだ。
実際の下水道の中の様子と、考えられる問題について議論して、俺はディオンさんのところから退出した。
そろそろ夕方だが、時間があったのでちょうど通りかかったロバートさんの店に寄る。
「お久しぶりです。ロバートさん」
「おうっ、元気そうだな……おーい、兄貴、ケインが来たぞう!」
ロバートさんは棚を整理する手を止め、上の階に向けて怒鳴った。
すぐに、階段にギシギシと音を立てさせながらジャックさんが降りてきた。
一瞬、壊れるのではないかと思ったが、よく考えて見ればこの家にはよく似た体型のドワーフしかいない。そんなやわな作りではないはずだった。
「おうっ、元気そうだな……ってなんで笑い出すんだ?」
俺は、ロバートさんも同じように声をかけてきたことをジャックさんに話した。兄弟はそれぞれ気まずそうに頭をかいている。そんな仕草もそっくりだった。
「似てるのはしょうがねえじゃねえか、兄弟なんだし……」
「そうですね、ごめんなさい。ああ、そうだ、今日はロバートさんに聞きたいことがあったんですよ」
立ち話でもないだろう、ということで店を閉めて皆で2階へ移動する。
「錆びない鉄か……ちょっと聞いたことねえな」
「そうですか……」
やはり、ステンレスはこちらには無いらしい。となると、作り方を某魔王か某大魔王にでも聞いてみるか……
「いや、待てよ……ケイン、それは船に使うんだよな?」
「はい、できれば竜骨に使いたいと考えています」
竜骨、というのは船のベースとなる木だ。船底中央を前後に通っている一本の木材で、船で一番重要な部品である。これがもしも折れたり曲がったりした場合は、船自体が駄目になる、まさに背骨と言っていい部品だ。
俺は、いくつかの構造を作るためにこれを金属製にしたいと考えていた。
「なら、鉄みてえな木っていうのは噂に聞いたことがあるが……」
「鉄みたいな、木……ですか……」
ジャックさんも口をはさむ。
「そいつは俺も聞いたことがあるな……切り倒そうとした斧を弾いたとか、木の棒なのに打ちあった剣が折れたとか……本当か嘘かわかんねえけどな」
「まあ、鉄みてえに溶接とかは出来ねえらしいが……むしろそっちは魔法の出番じゃねえのかな?」
「そうですね、木材加工の魔法か……」
なるほど、加工方法が木と同じ、ただし強度が高いということは並の道具では難しいだろう。魔法で形を作る、というのがあるのかどうか確かめておく必要がある。
「ま、気長に探すんだな。お宝はすぐに見つかるもんじゃねえからな」
冒険者らしいジャックさんの一言。
「兄貴の言っていた、故郷へ行けるかも知れないっていうのも、すぐじゃねえんだろ?」
「ああ、まあそのためにもケインに頑張ってもらわねえとな」
ああ、第一魔王の本拠地の事か……「冒険船長」ぐらいになったら、連れて行ってくれよと言われたのを思い出す。俺も酒の席だったので安請け合いをしたのだった。
「大体、兄貴は最近船乗りなんだか冒険者なんだかわかんねえな。しかもエルフなんぞとつるみやがって」
「やっぱり、ドワーフとしてはエルフが嫌いなんですか?」
「嫌いっていうか、なるべく関わりあいにならないようにしているだけだぜ。故郷さえ無事なら、俺達は今もそこで山の中で土にまみれて鉄を掘ってたはずだからな」
ジャックさんは異論があるようだ。
「まああんまり悪く言ってやるな。エルフの中にも物分かりのいいやつもいるからな」
「あのエルフのことか? まったく……俺には兄貴のことはわかんねえよ」
「わからなくて結構だ。まあ、似てても違うところはあるってことだな」
少なくとも見た目にはそっくりだが、片や熟練の船乗り、もう片方は船など二度と乗るかと思っている鍛冶屋。兄弟でも生き方はすでに離れてしまっている。
夕食の誘いは残念だが断って、俺は師匠の家に戻った。
考えるべきことは多い、だが少なくとも少しずつは進んでいるのかな、という感想を抱いた一日だった。
今回の豆知識:
現実にも鉄の木というのはあるそうで、中には比重が鉄より大きい物もあるそうです。
ただ、加工は難しい上に鉄のように溶接や補修しにくいので、使いどころは難しいだろうなと思います。




