アンティロスでの多忙な日々(1)
タロッテから帰って、ドラコさんと別れた後、俺は忙しい日々を送っていた。
「えいやっ」と決断したのはいいものの、自分から動いていかなければ何も始まらない。
一つ一つ片付けていかねばなるまい。
「なるほど、概要はわかりました。ですが……」
「どこが問題ですか?」
俺はアンティロスの船大工を訪ねていた。
老齢と言っていい、白髪を短く切りそろえた船大工は俺の説明を聞くと、難しい顔をした。
「まず、船体のこれについては難しいでしょうな」
「やっぱり……」
「船体を一から作りなおすぐらいの手間がかかりますし、なにより錆びない鉄みたいな素材が必要です」
錆びない鉄、つまりはステンレスみたいなものだろうか。
鉄と何かの合金だということは知っているものの、どれをどう混ぜればいいのか俺は知らない。
一度ジャックさんの弟のロバートさんにでもその辺りのことを聞いてみる必要があるだろう。
「では、帆の方はどうでしょうか?」
「ああ、こっちは何とかなりそうですが……この高さ大丈夫でしょうかな?」
「それに関しては今までの帆と違って風を受ける部分が下寄りだから大丈夫だと思うんですが……」
「それは……なるほど、そうなるでしょうな」
「それに、帆の面積を考えると、高くする必要がありますから」
「いずれにせよ、強度との兼ね合いですな。索の張り方も考えないといけませんな」
「そうですね。その辺りはお任せしていいでしょうか?」
「ああ、任せておいてください」
「じゃあ、今回は帆の改装のみということでお願いします」
後は費用と納期の問題だ。俺は、そのあたりを船大工と打ち合わせ、正式に仕事を依頼する。
この船大工は、実はアリビオ号の建造に関わった人だった。当時の親方格だった人はもう亡くなっているが、その後を継いだこの人が今でもアリビオ号の面倒を見ている。
あの船は当時としては最先端であった。
あえて船型を細く絞って、水の抵抗を減らしてある。そのために小回りが効かないが速度は出る。かなりの費用をかけて船底に銅板を貼り、海藻が付くのを防いである。
今でもあれ以上の快速船はほとんど無い。
交易をするなら、もっと大量に積める船がいいのかも知れないが、それでは海賊や敵国船にたちまち捕まってしまう。
あえて積載量を犠牲にして、快速を追求し、その結果として長く現役で活躍している船だった。
そんな船に関わっていたこの人なら、俺の目指すところを汲み取ってくれると考えたのだった。
残念ながら、ウラッカ号はもっと普通寄りの船だ。
だが、俺としてはあのアリビオ号の快速を知っているから、なんとかそれに近づけようと色々考えてきた。
とりあえず今回は、帆を大きくし、なおかつ扱いやすくすることで速度を上げることにした。
出来上がりが楽しみだが、それには費用がかかっている。
今回タロッテから積んできた荷物が売れなければ一文無しになってしまうかもしれない。
俺は、次にエルノーさんの書店に向かうことにした。
ここに来るのも何度目になるだろう?
最初にアンティロスに上陸した時に、パットに連れて行ってもらってから、上陸中最低1回は顔を出すのが恒例になっている。
相変わらずエルノーさんは、外にでるわけでもなく、薄暗い店内で帽子をかぶって座っていた。
「これはサハラの旦那、上陸していらっしゃったとは知りませんでした」
「相変わらず、本に埋もれてますね」
事実、店先から見ると彼は本当に本に埋もれていて身動きが取れないようにも見える。
だが、どこをどう通ってくるのか、積まれた本の山を崩すことなくさっさと客の側に出てくるのだ。
これが魔法だと言われても納得してしまうかもしれない。
「久方ぶりのご来店、誠に有り難いんですが、前回いらした時からめぼしい入荷はありませんで……」
「ああ、それは……こういう言い方が正しいかわからないけど、ちょうど良かったです」
訝しげな面持ちで帽子の下の目が続きを促している。
「ちょうど、タロッテから本を運んできたところなんで、よかったらいくらか仕入れてもらえないでしょうか?」
「ほう……今度はタロッテに? アリビオ号はタロッテと交易なさるんですか?」
「いや、アリビオ号じゃなくて、今度自分の船を持つことになったんです」
「おお、それはおめでとうございます」
「まあ小さい船ですが……で、小さいからこそ本の交易を主体にしようかと考えています」
「なるほど、それはいいですね。近頃は南が発展しているおかげでアンティロスにもそれなりに他国から人が集まってきていますからな」
「それで、普通の本だとすでに他の船がやっているだろうから、うちの船は魔法書を主体にしようかと……」
「そうですか……いや、うちとしてはありがたいですが、それは難しいでしょうな」
「……どういうことですか?」
「魔法書の需要はそれほど高くありません。うちの店がこんな有り様なのも、店を広げるほどは売れない一方、人によって必要とされる本の種類が全く違うので品揃えを悪くするわけにはいかないという事情があります。単価が高いのはいいのですが、そう次から次へと魔法書を持って来ていただいても売るのは難しいでしょうな」
「そうなんですか……」
これは予想外だった。いや、予想が甘かったと言うべきか。
確かに俺も魔法を修行して3年ほどになり、懐具合も魔法士としては裕福な方だろうが、持っている魔法書は20冊にも満たない。
普通の魔法士が1年に買う本なんてせいぜい2、3冊程度だろう。
それを考えると、往復2ヶ月で魔法書をこちらに持ってきても、それに見合うだけの市場が存在しないということだろう。
「とりあえず、仕入れられるものがあるかどうか目録みたいなものはありますか」
「ええ、用意してきています」
今回タロッテから持ち込んだ100冊程度の魔法書、なるべく最新の研究で需要が高そうなものを選んできてはいるものの、さて……
しばらく目録とにらめっこしていたエルノーさんは、一旦奥に引っ込むと、なにやらゴソゴソとやって、また出てきた。
「さすがにサハラの旦那ですな。新しい魔法書がかなり入っていますから、今回は……ええ、全部まとめて仕入れさせてもらいます」
「そうですか、それは良かった」
「ですが、魔法書の世界は新しいものが次々と出てくるわけでは有りませんから、今後は考えないといけないでしょうな」
「そう……ですよね」
元々、それだけで交易をするつもりもない。だが、ある程度ウラッカ号の独自性を出す意味で主力として考えていたので、これは誤算だった。
「ま、むしろ注文を受ける形にしたほうがいいでしょうな」
「ええ、必要な本を取り寄せる形であれば無駄が出ませんからね。あとは……そうですね、この店に無い本であれば余程の事が無い限り仕入れさせてもらいますから、ここの目録を作って持っていけばいいのでは無いでしょうか」
それならば、なんとか商売になるかもしれない。問題は……
「エルノーさんは目録を作ってないんですか?」
「そうですね、大体分野に分けて積んでいるだけで、正確な物は作っていませんね」
ということは、俺が一からやらないと行けないのか……
いや、ちょうどウラッカ号の改装の間は動きがとれないから、その時間は十分にあるだろう。
「わかりました。じゃあこちらで目録を作りますので、これからしばらく通うことになりますが、よろしくお願いします」
「ええ、こちらこそよろしくお願いします。安定した仕入れの道はこちらも必要でしたから」
作業は山積みであったが、ともかく最初の積み荷は全部売ることが出来た。
これで一文無しの恐れはなくなった。
俺は、倉庫に上げてある魔法書を運び込む予定をエルノーさんと打ち合わせ、一部を手付金としてもらうことが出来た。
これからは、自分の財布とウラッカ号の財布を分けないといけないな。
今回の豆知識:
船底の銅張りについてですが、英語版のwikipediaによると技術的には18世紀初頭からあったそうですが、なにせ貴金属ですから費用がかかるので、なかなか普及するまでには至らなかったそうです。ただ、航海能力を示すものとして、保険の料率が下がるなどの利点があったらしく、商船でも銅張りを施す船もあったそうです。奴隷貿易船のような、逃げ足が必要な船にも施されていたとか……




