リッケン寄港
さらに二週間が過ぎた。
もっとも危ない地域は二週間前ですでに過ぎていたらしく、今回は不思議と嵐にもあわずに順調な航海だったようだ。
西大陸最南端のカッサニエと南大陸側の対岸にあたるネッテダの間のブンジー海峡も3日前に通り過ぎたが、こちらはその両都市間を往来する船が横切るために、いくらか神経を使った。
宿敵ストランディラの船はこの西側にはほとんど現れないそうで、実際に遭遇はしなかったが、訓練ということでトップ台に上り、望遠鏡で船の見分け方や色々なことを当番の水夫たちに聞いた。
ブンジー海峡を南北に、西大陸と南大陸の間を往来する船は、風がよければ早朝に出て暗くなる前には着く程度で、遅くとも翌日には着けるそうだ。
そのため保存食や水の心配なく、船員も2~3人の最低限で行き来している。
船も小型の1本マストに大三角帆をつけた、地球で言うところのダウ船(インド洋やアラブの方で交易に使われていた快速船)に近い形をしている。
南北両岸見てみても、アラブやエジプト的な乾燥地帯のような風景をしている。
ともかく、アリビオ号の目的地はネッテダではなく、海峡を抜けてラウレダ半島を南に回りこんだ先、湾の中央の河口にある都市、リッケンだ。
クウェロンという国、とにかく地名が変わった響きのものが多い。
リッケンというのも現地の発音では「リックウェン」というのが近いらしい。
というのも、元々ここから西にある魔大陸の南部の南の魔王領から、魔王や魔物の脅威を避けて逃れてきた人族が作ったらしく、もともとの文化圏がかなり特殊らしい。
新興でもあるのでまだまだ国としての体裁が整っていないことに加え、南大陸は獣人たちの集落があちこちにあって、そこを刺激しないように西の端だけにこじんまりと建国したそうだ。
獣人たちとの関係は良好らしく、というか積極的に対立関係を取れるような力すらクウェロンには無い。
ただ、河口にあるリッケンはクウェロン発祥の地であり、首都でもあるので、ある程度の規模の港町にはなっている。
蛇足だが、クウェロンは共和制に近い形を取っているそうだ。
「リッケン見えたぞお」
トップ台の水夫が下に向かって叫ぶ。
久しぶりの上陸だ。伝令が非番の船長を呼びに走る。
「ようやく上陸だよ。今回は順調だったな」
最先任の航海士見習い、リックが話しかけてくる。
「そうですね、ようやくです」
「上陸はするんだろう?」
「ええ、魔法長が身分証明を取るのと難破船情報を探しに連れて行ってくれると聞いています」
「そうか、結局ここまで記憶は戻らずか……」
言葉と表情に同情の気配を感じて、俺はつとめて明るく返した。
「ええ、まあしょうがないですよ。どっちにせよ、今はアリビオ号で仕事をさせてもらって満足しています。もしかしたら、船員志望で単身トランドに向かう途中だったのかも知れませんし」
「何か力になれることがあったら、言ってくれよ」
「はい、ありがとうございます」
と、そのような心温まる会話をしている脇では、見習い仲間のカルロスが若い水夫たちと娼館に出かける算段をしている。まったく台無しだよ。
アリビオ号は無寄港で1ヶ月以上熱帯の中を走ってきている。当然、男たちは禁欲生活を強いられているわけで、船乗りになるような健康な男ならそういう話になるだろう。
せいぜい身奇麗にして娼婦に嫌われないようにしてもらいたい。船全体に迷惑がかかる。
一方俺としては、12歳に戻ったこともあって今のところそうした性欲はあまり強くない。毎日あれこれ学ばないといけないことがあって、考える余裕がないということもある。
上陸しても、今の12歳の体でそういうところにいく気にはなれないだろう。
さて、そうすると他に上陸してやることがあっただろうか?
少ないながらも給料が出るから、何か小物を買うのもいいだろうし、測量に使う六分儀……はさすがに自分用に買うには高すぎるから、衣服だろうか。
帰りも同じような航路だとするとやはり着替えはほしい。今は当然、もともと着ていたTシャツなどは跡形も無く、リックの古着を貸してもらっている。
いろいろお世話になっているリックにちょっとしたプレゼントするのもよいだろうか。
あとは魔法に関する杖や本、これは高いかもしれないので後で師匠に相談しよう。
まあ、とりあえず師匠に付いて回って、自由時間があれば適当に町をぶらぶらしようか。
そんな感じで上陸後のプランは特になしと決定した。
上陸後、船長・主計士はなじみの商会へと商売のために出かけていった。
リッケンまで乗り入れる船はそれほど多くないそうで、北大陸北西の旧ダカス帝国諸国から西大陸を回ってやってくる船かトランド船ぐらいらしい。
そんなわけで桟橋が開いていたのでこちらとしてもゆっくりできる。
なんでも混雑している港では荷物を降ろす桟橋と、荷物を積み込む桟橋を別々に時間決めで予約を取らないといけなくて、予約の順番を沖合いでじっと待っていなければいけないそうだ。
そうした面倒が無いので、船長が出かけるころには荷下ろしは終わって、二交代で一泊ずつ上陸となった。積み込む荷物の買い付けにもよるが、とりあえず一週間以上は寄港の予定だから、何回か上陸の機会があるだろう。
「あなたも後番なの?」
珍しく、本当に珍しくパトリシアが話しかけてきた。
ケダマスライムモフモフ未遂事件以降、適当に挨拶はするものの、あまり接点の無かった彼女だが、よくよく考えてみれば彼女は誰に対してもそうだった。
「ええ、明日は魔法長といくつか用事があるので」
「……そう」
「パトリシアさんは、上陸したらやっぱり買い物ですか?」
「……ええ、美少年でも買うわ」
ええ、まさかの買春宣言ですか?
売春?いや買うほうだから買春であってるよな?一瞬混乱してしまった。
「……冗談」
「そ、そうですよね。あせりました」
「だって、あなたも結構美少年よ」
ええええ、まさかの告白フラグ?ここに来てチョロインですか?チョロインですか?大事なことなので二回心の中で言いました。
「……冗談」
「ははっ、はっ、いや、あせりました」
「……パット」
「え?」
「……パトリシアさんじゃなくて、パットでいい。さんもいらない」
「……じゃあ、パットは上陸してなにするんですか?」
「……敬語も不要。上陸したら買い物」
「そ、そうかあ……」
いかん、まだ混乱が収まらない。
「そういえば、パットさ……パットは、よくあんなに暑いのに体力持つね?結構大変じゃなかった?」
俺も一ヶ月の航海中、毎日蒸し暑くて寝苦しかった。仮に、あれほど忙しくなくて疲れていなかったら、なかなか寝られなかっただろうと思う。
それに、暑ければ汗もかくので、女性としては気持ち悪かっただろうと思う。よくパットは耐えていられたと、そう思う。
「……女の魔法士は、陰魔法を使っていいことになってる」
「へえ」
陰、つまり魔法でローブの中を冷却しているらしい。
「……男の人はだめ。たとえ先生でも……」
そういえば、最初の船長室で師匠はローブを捲り上げて暑そうにしていた。
男女の体力や身だしなみの必要性を考えて、女性魔法士に配慮した、トランド流合理的な制度というわけだ。
「……だから、大丈夫……あなたは、だめ」
そう言って、彼女は離れていった。
なんだか話のペースがつかみにくい子だよな。
でも、まあそれほど嫌われているわけではなさそうだ。愛称でタメ口だもんな。
ていうか、パットに懸想しているらしいカルロスに聞かれていたら、恨まれていたかもしれない。
実際には、前番で上陸許可をもらってすっ飛んでいったから、今頃はお楽しみ中だろう。
そんなわけで、その日は若干広くなった士官次室で、いつものハンモックだったけどすこしゆったりと眠りにつけたのだった。
今回の豆知識:
陰魔法は女性の味方