扉、その奥
※重要なお知らせです
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「パット!」
俺が叫んだとき、戦場から音が消えた気がした。
後で思い返してみると、それは実際にそうだったかもしれない。
俺たちの仲間は偶然にも、俺とパットが目に入る状況で戦っていたことになるのだ。
驚いた表情のまま倒れていくパット。
俺は……
「凍れっ!」
眼前の敵、パットを殺した相手に魔法を打つ。
命を奪うことは避けたい? それがどうした!
教団の情報を得るために生け捕り? そんなことは後回しだ!
教団の全滅? そんなものこの町に居座って必ず一網打尽にしてやる!
とにかく俺は、目の前のこいつが許せなかった。
致命傷にまでなったかはわからない。だが、そのつもりで俺は打ったし、ともかく敵はその場に崩れ落ちる。
そこへ、
「うらああっ」
横からもう1人が斬りつけてくる。
俺は斧をかわし……きれずに、杖を持った右の二の腕に怪我を負う。
激痛が走る。
深く切り込んだ傷は、ひょっとしたら骨まで達したかもしれない。
だが、そう、そんなことはどうでもいい。
俺は次の一撃を振り下ろそうとする男に接近し、胸に手を当てて叫んだ。
「凍れええっ」
至近距離、手のひらにも冷気が返って来る。
だが、直撃を受けた男の心臓は、今度は確実に凍りつき、そのままこちらに向かって倒れてくる。
俺は、その重さを水路側に逃がし、男は仰向けに泥水の中に沈んだ。
タコのえさにでもなるがいいさ。
周囲の剣戟は続いている。
俺は死体が沈むのを冷たく見下ろしていた。
斬られた傷から流れ出してくる血が、右腕にまとわり付いていたが気にしない。
自分のことよりも、パットだ。
と、そんな右腕に魔力が注ぎ込まれているのを感じる。
驚いて振り向くと、なんとパットが杖を持って俺の腕に治癒魔法をかけようとしている。
「パット……」
俺は……
思わず彼女に抱きついてしまった。
まだ仲間が戦っているということは頭から抜けていた。
パットはだぶだぶのローブ姿で、その身体は見た目よりも小柄で痩せている。
だが、その身体は女の子らしく柔らかく……って何かごつごつした硬いものが当たる。
「……ちょっと、ケイン……魔法が……かけられない」
パットは俺の身体を押しのけてくる。
こんな状況でなんだが、もうちょっと味わっていたかった。
と、つい本音が出てしまったが、そんなことよりも……
「パット、傷は無いの? 刺された傷は?」
俺は、彼女の身体を上から下まで視線を移す。
顔が赤くなっているような気がするのは、俺に抱きつかれたからだろうか。
首筋に傷があるのは、グルドの爪が皮膚にちょっと刺さっていたのだろう。
そして、胸の傷は……
彼女はローブの合わせ目を開いた。
そこにあるのは白い肌……ではなく、白い肌着だった。
そりゃそうだ。下着無しにローブを着るようなことはしないだろう。
そして、何だこれは?
胸に吊り下げられた……額縁?
「圧縮空間、杖入れ……ほら」
そう言って彼女は、額縁に見えたそれを開く。
左側にちょうつがいが有るらしく、枠を残した内側が扉のように横に開く。
そこにあったのは、圧縮空間の境界面だった。
つまり、この額縁のように見えたものは、前後に圧縮された厚みのある空間ということなのだろう。
「剣はここに差し込まれた。扉は貫かれたけど、後ろの蓋までは到達しなかった……うん、杖が入っていたら押し込まれて危なかったかもしれない」
「……そ、そうか、なるほど……でも本当によかった……」
「うん、ありがとう。それより腕、早くしないと……」
「でも、まだみんなが……」
見回すと、戦いは終わっていた。
対岸ではカイラさんに加えてドラコさんが乗り込んで行って、手早いことにすでに縛り上げられていた。
マテリエさんとダイクさんの相手をしていた2人は、まだ息はあるようで、床に伏してうめいていた。ダイクさんが肩を抑えて血を流しているのは、後で治療しないといけないだろう。
グルドとジャックさんの戦いは、いつの間にか武器を捨てたジャックさんによって、グルドが首を絞め落とされているようだった。
「あ、うん。お願い」
俺はパットにおとなしく従うことにした。
********
「それにしても、一瞬やられたって思ったわよ」とマテリエさん。
「私も……自分でやられたと思った。でも……痛みがなかった」
「そういう使い方をしてる奴は昔からいたなあ……。だが、女では……ああ」
ドラコさんが何に気づいたのかは、あえて聞かなかった。
みんなもすぐに気づいたが、やはり追求はしなかった。
女性だと、あのような額縁のようなものを胸に下げていると、目立ってしょうがないのだ……普通は。
だってそうだろう、押し上げるものがあるんだから。
いくらだぶだぶのローブだからといって、目立たないように首から吊り下げられたのはパットならではの身体的特徴によるものだった。
だが、その事が彼女の命を救ったのだから皮肉とも言える。
俺達の間を、なんともいえない沈黙が支配した。
縛り上げられた敵のうめき声と、汚水の流れる音だけが聞こえる。
「さて」
ドラコさんが、スイッチを押す。
隠し扉が開く。
奥には通路がまっすぐ続いているようだった。暗いので先は見えない。
「とりあえず俺が先に行くぜ」
「ドラコさん、まだ中に敵がいるかもしれませんよ」
「気配はないし、大丈夫だろ。なんかあったら呼ぶからここで待機しておいてくれ。ああ、その連中の尋問も進めといてくれ」
そういい残して、ドラコさんは気負った様子なく、通路に消えていった。
「グルド、おい、グルド」
「……ううっ……う、俺は……てめえっ、ダイク、よくもやってくれやがったな!」
失神していたグルドが、ダイクさんの呼びかけに目を覚ます。
立ち上がり、動こうとするが縛り上げられていて体の自由は利かない。
それでもじたばたと暴れようとするが、縄が緩む気配が無いのを感じて、ようやくおとなしくなった。
結局死んだのは俺が後に魔法をかけて水路に落とした1人だけ、残りは痛めつけられていたが生きていた。
よくよく思い出してみると、パットを刺したはずの男の剣には血が付いていなかった。
それに気づかないぐらい動転していたということだろう。
そのような状態でかけた魔法は、威力も不完全だったらしくて男は仮死状態になっていた。
戦いが終わったのだから、あえて命を奪う必要もない。今は治癒魔法をかけられて、おとなしく縛られて転がされていた。
「観念して、『聖者の園』について話してくれませんか?」
俺はグルドに声をかけるが返答は無い。ただにらんでくるだけだ。
ひげ面で蓬髪、狼獣人の鋭い顔つきなので迫力がある。別にいまさらひるむことはないが、ただ俺では、俺の見た目ではなめられるだけに思えた。
「俺に任せてくれや」
俺の肩を叩いて、グルドに向かうのはジャックさんだった。
今回のジャックさんは大活躍だった。
彼は、闇にまぎれて横道から隣の東2号を大回りして、グルドの背後に回って急襲したのだった。
こうして見ていると、その体型から鈍重な印象を受けるが、体型はドワーフだからであって、彼自身は決して鈍重では無い。
相当長い距離を一気に走りきる持久力もあれば、船乗りとして鍛えられた足音を消す走りもできる。さらには暗闇でも人間と比べるとはるかに夜目が利く性質が加わり、本職のスカウト顔負けの移動を成し遂げたのだった。
あとはこちらが敵の気を引いて、後ろからの急襲に気づかせなければいいだけだった。
ジャックさんは、グルドの前に座り込むと、こう切り出した。
「故郷に……帰ってやれねえのか?」
グルドは、何も返事をしない。だが、さすがに自分を絞め落とした相手を無視することは出来ないようで、警戒するように姿勢を正した。
「全部話してくれるっていうなら、俺たちがこの町から逃がしてやってもいいぜ」
出来るのだろうか? いや、やっていいのだろうか?
俺はグルドを当局に引き渡すことになるのだと思っていた。
殺人もいとわないような襲撃犯を、無罪放免で逃がすには抵抗がある。
だが、そうしたらダイクさんの望みはかなわないだろう。
当局に引き渡せば間違いなくグルドは死刑になる。
ディオンさんから圧力をかけてもらうにしても、遠方にある他国の宰相ごときでそこまでの影響力を発揮できる保証はない。
それを考えるとしょうがないのか……
すでに殺されている襲撃犯もいることを考えると不公平な気もするが……いや、それは俺の感情だけの問題かもしれない。
グルドはそこで、初めての返事を返す。
「村に帰りてえなんて思わねえ。どこか遠くに逃がしてくれるなら考えるぜ」
「グルド!」
ダイクさんが声を荒げる。
「それこそ、トランドでもノヴァーザルでもいいぜ。とりあえずここから離れられれば御の字だ。どうしていまさらローレンシアなんて近場に戻らねえといけねえんだ?」
「大丈夫だ、俺がみんなを説得してかくまってもらう……絶対そうするから、俺を信じて……」
「だからあんな村に戻るのは嫌だって言ってるじゃねえか。あるのは山と森だけで、今にも潰れそうな村じゃねえか」
「だけど、テニアだっている。お前のことを心配しているんだぞ」
「……あいつの事なんてどうでもいい。結婚するというなら勝手にしろ」
ダイクさんの説得はうまくいっていない。
「なあ、お前、なんでそんなに勝手をしてえのかを聞いてもいいか?」
そう言いながら、ジャックさんは立ち上がって、グルドの肩を掴んで力を込める。
「くっ……だって悔しいじゃねえか。俺はせっかく力を持っているのに、一生山でイノシシやクマを相手に猟師をするなんてのは、宝の持ち腐れだぜ」
「その結果がこれかよ」
「うっ……」
「あのな、大半の奴らは逃げる場所なんて無いんだ。土地に縛られて生きている奴もそうだが、帰る土地がねえ場合だってあるんだ。一見自由だが、それはそれで新しい場所でやっていくために苦労する羽目になる。おめえだって経験はあるだろう?」
帰る場所が無い、それはジャックさんのことだろう。
ドワーフは、その故郷を魔王によって追い出され、少数ずつ各地に散らばって生活している。
どこの町でもよそ者だし、地盤を築くのに苦労しているはずだ。
俺は出自が特殊だからともかく、少なくとも北の大地に生きるグルドがそのことを知らないはずは無い。
肩を強く掴まれていることも、その語勢の強さもあって、グルドは言い返せないでいるようだった。
「……なあ、ともかく帰れる場所があって……それで受け入れてくれる人がいるってことだろう? ここはひとまずダイクの話を聞いてやってくれねえか?」
一転して、優しく諭すような口調。
グルドは目を逸らして、そのまま黙っていた……が、ついに口を開いた。
「……わかった。俺を村に帰してくれ」
「グルド! ……よかった、これで結婚式には……テニアにもなぐら……いや、言い訳が立つ」
気のせいじゃ……ないよな。
夫婦生活の力関係がかいま見える発言だった。
よく考えて見ればグルドの妹さんだ、それなりに戦闘力が高いのかもしれなかった。
「はいはい、じゃあここからあたしが聞いていくよー」
と、マテリエさんがジャックさんを押しのける。
ここでも女の方が強い、ということだろうか。
ジャックさんはしぶしぶ場所をあける。
「とりあえず、この扉の向こうについて、教えてもらえるかな?」
今回の豆知識:
作者「そうだ、パットの胸がえぐれているから剣が届かなかったことにしよう……おや、こんな夜に誰か来客のようだ」
その後、作者を見たものはいなかった。
というわけで、以後は作者のクローンが執筆しています。




