異世界的船員生活(1)
ゴロゴロゴロゴロ……
ゴロゴロゴロゴロ……
腰痛がひどいダニエルさんを助けながら、甲板に上がると変な光景があった。
(甲板を、毛玉が、転がってる?)
ひと抱え、5~60センチぐらいのつぶれた感じの白い、汚れた毛玉が3つ、ひとりでに甲板を前後にゴロゴロころがっていた。
縄をさばいたり、樽を運んだりしている船員は、気にも留めず揺れる甲板上で転がってくる毛玉を器用によけながら仕事をしている。
「おお、トランドの船は初めてのようじゃな。あれは魔物だが危険ではないぞ。働き者のケダマスライムたちじゃ」
「毛玉……すらいむ?」
「おお、そうじゃ。南の大陸におってな。ああして転がって甲板を掃除してくれておるのじゃ」
「はあ……」
シュールだ。
だが異世界だ。こういうこともあるかもしれない。
「トランドは海運に長けておるからな。まあ、独自技術といったところじゃ」
そうか、単純にホーン○ロワーみたいなのを想像してたけれど、こっちはファンタジー世界だから、若干ずれているのだろう。さっき聞いたように航海に水術が役立つというのは長期航海の最大の問題である飲料水の積み込みなんかも最低限でいいということだ。
「よし、まずお前の先輩弟子と会わせてやろう」
そういって、そのまま下へつづく急な階段を降りていくダニエルさんに、俺も続く。
ここは艦尾の、ちょうど船長室の下にあたるところ。
前世知識に照らしてそうなのと同じく、士官室ということだろう。艦尾のほうには艦長室と同じように飾り窓があり、中央に大テーブルの置かれた船幅よりせまいスペースがある。両側には布で仕切られた個室、といっても単なる薄い板1枚で間仕切りされた狭い空間があるようだ。
右舷手前から2つめの仕切りは開け放たれており、中の寝台には、本来こういう船には居ないはずの見た目の人物が腰掛けて、なにやら本を読んでいた。
黒髪の直毛は短めに、肩にかからない程度に切りそろえられて、ダニエルさんのように灰色のローブに身を包んだ小柄な体。彫りの深くない、それこそ日本ではそこらへんで見かける少女がそこにいた。
「こいつは、今度わしが弟子に取ることにしたケイン……なんじゃったかの?」
「ケイン・サハラです。よろしくお願いします」
「そうじゃそうじゃ、で、こっちがパトリシア、あ……なんじゃったっけ?」
ダニエルさんは腰痛以前にそろそろ記憶力のほうがまずいのではないだろうか?
「……パトリシア・リナルディ……よろしく」
少女は顔を上げて無表情のまま、そう口に出した。
「そうじゃ、リナルディじゃったな。出身はトランドで、といってもうちの船はだいたいそうじゃな。水術と陰術傾向が得意で現在は魔法士見習いと衛生士をやっておる。年は……そうたしか、14……だったかのう」
少女はコクっと無言のままうなずいた。
「というか、そろそろケダマどもの甲板掃除が終わるから、仕事じゃぞ」
「……はい」
そう言ってパトリシアさんは、本を閉じ、作り付けの棚に置いて、立てかけてあった杖(こちらもダニエルさんのものと同じような意匠だった)を手に、個室から出てそのまま甲板に向かった。
これは、いわゆる無口系少女というやつらしい。
うん、ここに来てテンプレ的異世界人登場だな。無口魔法少女だ。ちょっとかわいいので何とか仲良くなりたいものだ。そんな暇無いと思うけど。
「本来船は男の世界じゃから、乗客として以外で女性が乗ることは無いんじゃがな。魔法士だけは希少価値があるから、少なくともトランドでは特例で船員として採用される。まあ、それなりに気を使わんといかんし、そのため見習いでも個室になっておったりするんじゃが、そんなに珍しくはないんじゃ」
そうだろう。まあ地球でもアン・ボニーやメアリ・リードみたいな女海賊が知られているぐらいで女の船乗りというのはほぼ皆無だ。海上自衛隊でもたしかつい最近、あ、前世的にだが、ようやく女性の護衛艦乗員が一部乗り込むようになったぐらいだ。
それから、ほかの士官・准士官にも紹介された。
航海士としては一人、アレックス・コールマンさんという、元はトランド海軍にいて現在休職中で臨時に乗り込んでいる人が居た。まだ20代だそうだが、いかにも厳格な軍人といった感じで金髪をオールバックにしていて目つきが鋭い。
航海士は一人のため、航海士見習いとしての俺はこの人の指揮下に入るということになる。
「ふん、まあ鍛えれば何とかなるか。言っておくが、確かに魔法士は大切だが、それでこちらの業務に差し障ってもらっては困る。船長と魔法長の決定だから従うが、俺は手加減はしないし、能力不足だと判断したらすぐにやめてもらうから覚悟しろよ」
「はい、精一杯がんばります」
「ならよし、寝床は船首の士官次室で、しばらくはエスパに面倒を見てもらう。魔法長、そのように伝えていただけるだろうか?」
「了解じゃ」
士官室には他に主計士、船医がおり、あとは掌帆長(帆の操作を管理し指揮する係)、掌砲長(大砲の指揮と火薬等の管理をする係)、船匠(船大工)が、准士官としているらしいが、今はそれぞれの持ち場についている。
商船だが、大砲があるというのは、アリビオ号は武装商船かつ、トランド海洋国発行の私掠船免状を持っているからだ。
私掠船免状というのは、敵対している国家がある場合に、その国の船に対して合法的に海賊行為をしていいですよ、という国の免許のようなものだ。
もちろん、そんなものを発行したらその国との敵対関係が明確になるわけで、ほいほい出せるものでは無い。
トランドはストランディラ都市国家連合との間で長年の抗争がある。というか元々ストランディラの色々のやり方に反発した連中が、遠く南の島で50年ほど前に国を興したのがトランドの始まりらしいので、両者は不倶戴天の敵であるそうだ。
現在、大陸に囲まれた半ば内海であるマーリエの中央と北はストランディラが制しており、かろうじて南のキュール大陸に近いエリアが、トランド船が安全に航行できる範囲らしい。
そんな中で、アリビオ号は比較的北に近いところを直線的に突っ切ってエルフ領ミスチケイアとクウェロン国の間を航行しており、けっこう危険な航路を取っているらしく、たびたび小競り合いがあったりする。
実際にはアリビオ号は快速であるし交易品を積んでいるので、あえてストランディラ船を探し回ってヒャッハーしているわけでは無いらしいのだが、それでも交戦の可能性はあるそうだ。
甲板に上がると、水夫が2人ついて、なにやら舷側からロープを引き上げている最中だった。
見ているとかごに先ほどのケダマスライムが入ったものを引き上げていたらしく、甲板を転げまわってついた汚れを落としていたようだ。
引き上げられたケダマたちに、そのまま近くに居たパトリシアさんが魔法をかける。
「開──水の力を我は求める
操──水は清浄なる水を現せ
実行」
水が、空中に現れ、ケダマに残った汚れと海水の塩分を流していく。
それを数回繰り返して、きれいになったケダマたちのかごを、今度は船員が一層分高くなっている後部甲板に持っていく。
「なるほど、ああやっているのか」
という感想は、ケダマスライムの扱いもそうだが、魔法の使い方だ。
属性を持った力を呼び出し、そのまま保持してどのように現出させるか形作った後、実際に力として呼び出す。
そうしてみると、無人島であれこれやったことはいくらか的外れだったようだ。
これは、ちゃんと弟子入りして正解だったんだろう。
俺は、そう考え、今後の修行をがんばろうと思い直した。
今回の豆知識:
毛玉ですが、「アンゴラウサギ」でぐぐると、だいたいそんな感じの見た目です。