許可
「どうしてもこうしても無いよ。いきなり船長になって出港とか……約束したじゃない」
もう2年以上前か、確かにアンティロスの家でそんなことを約束した覚えがある。
「と、とにかく中で話を聞くよ。ガフ、すまない、また後で」
そう言って俺は本来船長室になるはずの船尾船室にパットの手を引いて連れて行く。
パットは杖と四角いかばんを一つ持っているだけで、そのまま乗船して航海できるような荷物は持っていなかった。だからきっと急いでやってきたのだとわかる。
アリビオ号と同じく後部だけ1層高くなっているウラッカ号では、その後尾甲板の下の部分が本来なら船長室として使われるはずだった。
だが、今回は賓客が2人もいる。片方はトランドの宰相だし、もう片方はこの世に3人しかいない魔王の1人だ。そこで、船尾を共用のスペースとして、その前に小さく各自の個室を左右二つずつ取ることになった。おのおのの個室はアリビオ号の士官室程度の狭いものだ。
俺の個室は前の左舷側、すぐに甲板に出られるようにしてある。その向かいは共用の倉庫として使用され、後部の2部屋は左舷がディオンさん、右舷がドラコさん用となっている。
俺がパットを連れて行ったのは最後尾の広間で、ここには中央にテーブルが置かれているだけだったが、それだけで部屋は一杯だった。別に執務机を置くようなスペースは存在しない。
「どうして……リーデ号は?」
「辞めた」
「そんな、辞めたって……」
「元々あんまり役に立ってなかったのもある。せいぜい2・3日の航海では魔法士の出番はそれほど多くない」
「そりゃ……そうかも知れないけど……」
「アリビオ号にいられなくなって、リーデ号は腰掛のつもりだった。ケインがあの船を出るなら、私が着いていかない理由なんて無い」
自分自身でも半ば忘れていたが、そういえばそうだった。そのときも彼女は俺をかばって船を下りたのだった。
「……ありがとう。でも、リーデ号の人たちにはちゃんとわかってもらってるの?」
「……船長には言った」
「他の人には?」
「言ってない」
「それじゃだめだ。ちゃんと船員のみんなにも挨拶して、筋を通して来てほしい」
「えっ?」
「それほど役に立ってないと言ってたけど、それでも魔法士がいるといないでは全然安心感が違う。パットがこっちに来てしまったら、怪我や飲み水の不足におびえなくてはいけない。上の、例えばフランシスコ様の命令でそうするならばともかく、自分の意志で船を下りるんだったらちゃんと説明しないとだめだ」
「……」
「返事は?」
「はい……」
「なんだったら俺もリーデ号に一緒に行くけど?」
「……それはいい。1人で……行って来る」
そして、パットはリーデ号に帰って行った。こちらの準備に手一杯で忘れていたけど、確かにスケジュール的には向こうもニスポスに到着しているころだった。
ああ……向こうにそれらしき船が見える。その姿は、砲が下ろされていて若干変わっているようだったが2年半前に対峙したあの時のとおりだった。
さて、パットが来るまでに、こちらはディオンさんの説得が必要になる。正直気が重かったが、やらないわけには行くまい。いや、むしろ彼よりドラコさんのほうがいいだろうか……
などと考えながら、俺は再び船室に戻るのだった。
結論として、ドラコさんに事情を話すことにした。
「しかしまあ、おめえも手が早いな、ケイン」
「……そんなこと無いですよ。パットとはもうすぐ3年ぐらいの付き合いですから、こっちでは幼馴染も同然です」
「ほう、そうか……そういうものか……だが、いいことではあるな。なんて言ったっけ、ほら、地球で言う、恋愛関係が充実している……」
「“リア充”ですか?」
俺もこんな言葉口にするのは何年ぶりだろう?
「そう、それ。何かとこの世界も物騒だし、ネットがあるわけでも無いから、人とのつながりは大事にした方がいい。それに守るべきものがあるのもいいことだ」
「それはそうだと思います」
地球でも俺はそれなりに友達とかとはうまくやっていたつもりだ。だけど、こっちの世界での仲間のように一緒に戦える友達がいたかというと疑問だ。まあ、そんな状況がありえない、ということもあったが、今の感覚で言うと俺はずいぶん薄っぺらい人付き合いをしてきたのだという気もする。
「いいよ、連れて来な。おめえも魔法士の仕事なんてしている暇なんて無いだろう?」
「それは……若干危惧していたころです」
確かに、航海士でも若干厳しかったのに、今回は船長と兼任ということになったら魔法士としての仕事がおろそかになる恐れはあった。ましてや乗組員の少ないウラッカ号では、俺は当直までするのだ。
「じゃ、ちょっとディオンに言ってくるよ」
そう言って、ドラコさんはディオンさんを探しに行った。
そもそもスポンサーなのは彼女の方なのだから、彼女がいいといえばそうなるはずだ。俺は、彼女に任せて船の業務に戻ることにした。ガフから準備状況を聞かないといけない。
「だめです」
「えっ?」
「彼女の乗船を認めるわけにはいきません」
「どうしてですか?」
「確かに……専任の魔法士を雇うという考え方は理解できます。ですが、その魔法士が彼女だということは……船長が自分の愛人を連れ込んだようにしか見えません」
「愛人……って」
「仮に彼女にしか出来ない特殊技能でもあるなら別ですが、今の状況ではいそうですかとは言えません。ドラコさん、たとえあなたの意向だったとしてもです」
ああ、これはメイカさんのことも関係しているのかもしれない。彼女もドラコさんの一声で同行が決まってたと聞いている。あまりイエスマンになってしまっては今後のトランドと魔王との関係にも影響がある、ということなのかもしれない。
そのあたりのことはドラコさんも察したのか、それ以上ごり押しすることは無かった。
代わりに、
「ごめん、ケイン、どうも無理みたいだ」
と、俺に向かっていった。
……しょうがないか。
すでに準備は進んでいる。そこに横入りする形で、パットを同行させるのは所詮無理があったのだ。ああ、でも……
パットの怒りを受け止めるのは……俺の仕事なんだよなあ。
その日の夕暮れ、ついにそのときがやってきた。
パットは相変わらず杖とかばんだけ持ってやってきていた。あれ? 他の荷物は? と思ったが、まあ持ってきていないことはかえって好都合だ。俺はこれから彼女を追い返さないといけない。
「ケイン……」
さっきは勢いに押されてそのまま乗船させてしまったが、本来船というものは乗船に許可が要る。
俺は乗船用の渡し板の手前、港の桟橋に立って彼女を出迎えた。
後ろにはディオンさん、ドラコさん、そしてどこからか噂を聞きつけたマテリエさん以下俺の仲間もいた。ついでにメイカさんもいた。
「パット……ごめん。船主の許可が下りなかった」
船主、という言葉で、パットが後ろにいるディオンさんに目をやる。
怒った顔もかわいいのだが、今はそんなことを考えている場合では無い。
「ケイン、理由を教えてもらえる?」
「……俺の事情なんだ。船長が女を連れ込んだという風に思われたら、俺が船員の信頼を得ることが出来なくなる。俺にとっても初めての船長で、船員をうまく掌握できるかどうかの瀬戸際なんだ……」
「……と言え、ってディオンさんに言われたわけね」
「……」
「言っとくけどケイン、それとディオンさん、私はそんな浮ついた気持ちで来たんじゃない。ケインが大変なら私はそのそばでケインを助ける。戦えといわれればそうする。私はケインの無事が何より大切なの。もう……マローナの時みたいに私の知らないところでケインが危ない目にあっているのは耐えられない」
「……パット」
「それに、何? この顔ぶれは? マテリエさんとカイラさんはともかく知らない女が2人もいて……それで私はだめっていうのは納得がいかない。というかケインの貞操も心配」
「な……」
なんてこと言うんだ。
「そんなこと、無いよ」
「ケインの事は信じているけど、流されて……とかあるかもしれない」
信用無いんだろうか、俺……いやいや、きっと船乗り補正がかかっているだけだ。うん、きっとそうだ。
「まあまあ、お2人とも、落ち着いてください。周りの目も気にしてくださいよ」
ディオンさんに言われて見ると、ウラッカ号だけではなく反対側に係留された船の甲板でも人が集まっている。
「……パトリシアさん。魔法士としてはケイン君だけで十分に役割を果たせます。小さな船ですし、他にもう1人魔法士を雇うわけには……」
ディオンさんは、ともすれば感情的になりすぎているパットをいさめるように話を持っていった。確かに、これを言われると、パットも納得するしかないはずだった。
「仮に、ケイン君が出来ないことが出来るとか、そういったことが無い限り……」
「……ある」
「は?」
「ケインに出来ない魔法が、強力な航海魔法があればいいのね?」
そう言って、パットは持ってきていたかばん、四角くてちょうど地球で言うところのアタッシュケースのようなかばんを開けた。
中には……なにも入っていなかった。
パットは、そのかばんを開いて逆さまにした。
すると……
かばんから中から本やら日用品やら着替えやらがドサドサッと落ちてきた。
落ちてきたカップが割れて音を立てる。
中から出てきた物は、どう考えてもあんなかばんに入るような量の荷物じゃなかった。
「これは……」
「おお、こいつはレインの奴が得意だった魔法だな。確か『一元空間圧縮魔法』、ま、平たく言うと『アイテムボックス』ってやつだ」
そんなのもあるのか……
「どう? 小さい船だったら空間に余裕が無いと思うけど、これがあれば解決できるはず」
振り向いてみると、一同言葉を失っていたが、俺が目を合わせたのはディオンさんだった。
彼も呆然としていたが、俺の視線に気づくと渋い顔をしながら頭を掻いて、そして最後には頷いた。
俺は改めてパットに振り向いて、言った。
「パトリシア・リナルディ、ウラッカ号への乗船を許可する」
「……ありがとう……ございます……船長」
気がつくと、なぜかマテリエさん達が手を叩いて喜んでいた。
今回の豆知識:
前回登場のガフの種族、フリクルについて、前にエルフとドワーフがちょっと特殊な獣人であるという設定が本編に出ましたが、フリクルも同様です。イメージした動物は「レッサーパンダ」で、髪のしましまは、レッサーパンダの尾のしましまが元になっています。寿命は250年程度なので、エルフよりは短いですが相当に長命で、ガフも年寄りというわけではありません。




