フリゲート
さすがにもう限界だ。
俺は、例のトレリー卿の話については後日に回すことにした。
どうせ、アンティロスに戻ってからのことになるし、ともかく今は船を無事にソバートンに寄港させることが第一だ。
俺は自分の個室、といっても荷物のほとんどをセベシアの宿屋に置きっぱなしにしているので、がらんとしたそこで、吊り寝台にすっぽり入り込んで泥のように眠った。
目覚めると、すでに暑くなっていて、俺は寝過ごしたかとあわてて飛び起きた。
甲板に駆け上がると、やはり太陽の位置からもう昼前だとわかる。
風上側で当直についているリックを見つけ、声をかける。
「すいません。寝過ごしました」
「ああ、いや昨日は大変だったから起こさないようにと言っておいたんだ。幸いこっちはしばらく動いてなかったから休息は十分だからね」
そのように茶化してリックが返す。
「それにケインは正式には乗っていないことになっているから、当直の割り当てにも入っていないよ」
「それはそうですが……」
昨日はあまり気にせず甲板に立っていたが、確かに俺の名前は乗員名簿にも載っていないだろう。サイラスさんがあのようになった以上は彼の代わりを勤めるというのが順当なところなのかもしれない。
「十分休めたというのなら、ついでに俺にもケインの大冒険について聞かせてくれないかな」
「そういうことならお安い御用です」
そしてリックに昨日、というより今朝の、船長やサイラスさんとの話を説明していると、船長室への扉が開き、船長が現れた。
あわててリックが風上側の左舷を譲り、右舷へ移動する。俺もそれに続く。
船長、あるいは艦長は基本的には当直には入らないのだが、戦闘や入港・出港の時には船長自ら指揮を取ることもある。そのときには風上側を船長に譲るのが規則ということになっている。
が、船長は移動した俺たちの方へ向かってきた。
「ケイン、トレリー卿というのはとんでもない方だな」
「といいますと、船長もあのことをお聞きになりましたか?」
「ああ、なるほど聞いてみると、別に奇妙な話では無いが、それにしても実行されれば様々な方面に衝撃が走るだろう。乗るべきか……乗らざるべきか………どちらにせよ、俺の手にも余る。アンティロスに戻って父やダニエルさんに相談だな」
「それが良いと思います」
一人リックだけが話から取り残されていたが、事の深刻さを感じ取ったのか口を挟むことは無かった。
そのリックが、突然大声を上げた。
「見張り、左舷やや前方確認せよ」
メイン(中央)マストのトップ台にいた見張り担当が、あわてて左舷に望遠鏡を振る。
しばらくして、
「船影1、シップ帆走のフリゲートのようです」
「国籍は?」
「センピウスの国旗を掲げています」
センピウスのフリゲート、ということはこちらとしては友好的に接する必要がある。
トランドとセンピウスは、敵対はしていないが友好的でもない。中立、というかそもそも接点がほとんど無いのだ。
いくつかの商船は、今回のアリビオ号のようにソバートンとアンティロス間で交易をしているが、それはいたって少数だ。
トランドとしては友好的なミスチケイアという貿易先があり、そちらは東西貿易の拠点でもあるので、商品も多様でうまみがある。
わざわざセンピウスだけが貿易相手となるソバートンへ向かうという理由が無い。
今後はアリビオ号のような事情で往来が増える可能性はあるが、まだ今のところ、センピウスは没交渉な相手であった。
「ストランディラの偽装の可能性は?」
「見張り員ではわからんこともあるだろう、リック、上がれ」
「了解」
リックが格子状になっている横静索を上っていく。船乗りらしくトップ台手前で垂直を越えて手前に張られているフトックシュラウドを使って外側からトップ台にたどり着いた。
あれって怖いんだよな。
あの高いところで仰向けに近い角度でしがみついて登っていかなくてはいけない。俺もやったことがあるが、子供に戻って体重が軽くなっていなければ腕が持たなかったかもしれない。
ただ、船乗りとしてはトップ台の内側の穴を通って上ることは臆病者という評判を立てられることになるので、出来る限りは外を通らないといけないのだ。
望遠鏡を受け取ったリックは、見つけた船を観察すると、下に向けて叫んだ。
「あれは『獅子』です。ダイアレン号と思われます」
「センピウスの『獅子』、ハロルド・ジョプリン艦長か……」
船乗りの経験では船長やリックに及ばない俺も、その名前は知っていた。というか、先のトレリー卿とトランダイア伯爵との会話にも出ていた。
恐らく、センピウスのマーリエ海に出ている中で最も優秀な艦長、ストランディラ商船に最大の被害を与えており、恐れられている『獅子』ことジョプリン艦長。
マローナ滞在時で、その被害が増加し続けているという話が出ていたということは、このタイミングでストランディラの罠という可能性は無いだろう。
「よし、ソバートン寄港の件もあるので、ご挨拶しないといけないな。うまくいけばソバートンまで護衛してもらえるかもしれん」
船長は、国際的に通用する「通信求む」の旗をマストに掲げさせた。
程なくして先方からも「了解」の旗が揚がった。
肉眼でも確認できるようになったダイアレン号は、フリゲートにしては大型の方だった。片舷の砲口は、ざっと見ても15を越えているので、30門以上は搭載している。
恐らく36門程度だろうか、それにあわせて船体も頑丈に作られているので、戦列艦が出てこない限りは海上で最高の戦力というわけだ。それに、戦列艦がやってきたらその速力を生かして逃げればいい。そのようにして、フリゲートは海の上では最もうるさい相手として恐れられているのだ。
敵意が無いことを示すためにも、こちらから先方に訪問するのがいいだろう。
そう船長は判断したらしく小艇を海面に下ろさせる。艇の指揮は当然ジャックさんがとる。
2隻の間を小船が漕ぎ進み、船長がダイアレン号に乗り込んだ。
アリビオ号は、商船にしては規律が取れているほうだと思う。長らく航海している商船の中にはかなりいい加減なものもあり、甲板が散らかっていたり、乗組員がだらけていたりすることもある。
それに対して、アリビオ号は去年まで軍属のコールマンさんが航海士をしていたせいもあるだろうが、港で見るトランドや他国の軍艦と比べても遜色が無い。
その、アリビオ号の基準に照らしても、ダイアレン号の船員の動きはすばらしいものだと感じられる。
だらだらとしているものなど皆無で、みな何らかの仕事を熱心に続けている。向こうから見てもアリビオ号というのは物珍しい船だと思うが、ぼんやり見物しているような者はいない。
仮に戦うとなったら、苦戦するだろうな。
もともとの船の戦力でも劣っており、この規律と錬度であれば、まず勝ち目は無いだろう。可能性としては魔法で一発逆転があるかもしれないが、それにしたってこれほどの艦の魔法士が無能であることは期待できないだろう。
それに、魔法士が戦闘で出来ることなどほんのわずかなことだ。
結局操船や砲術、そしてチームワークと指揮が海戦の勝敗を決めるのだ。
などと思いをはせていたら、向こうの甲板で動きがあった。
と、船長が縄梯子を伝って小艇に降りてくる。
こちらに漕ぎ戻った小艇から、船長がまず甲板に登ってくる。
船長は主だった皆を集めて、こう言った。
「事情は先方に説明した。ちょうど向こうもソバートンへ帰る頃合だということで、同行することになった。以後は先方の指揮に従う」
まずは、一同胸をなで下ろした。
今回の豆知識:
小説を読むと、だいたいフリゲートというのは26~40門弱の長砲を搭載しています。
中にはもっと搭載しているのもありますが、そういうのは元々小型戦列艦だったものを改造したようなもので、史実の有名どころではサー・エドワード・ペリュー艦長の活躍で有名な『インディファティガブル』などがあります。これは44門搭載だそうです。




