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蒼海の魔法使い~海洋系リアル派異世界冒険記~  作者: あらいくもてる
第二章 13歳編 ローブを纏った航海士
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混迷

「サ……サイラス君かね。あ……ああ、覚えている、覚えているとも。彼は、確か……そう、遅れて故郷に帰ったよ。そろそろ着いているころじゃないかな」


 しどろもどろになりながら、トランディア伯爵は沈黙を破る。額から頬を伝う汗をレースの刺繍が入ったハンカチでぬぐっているが、そのハンカチ自体がびっしょりだ。


「失礼ながら申し上げます。私、故郷のカイデンからまっすぐここにやってきました。途中カリタヤ川の流域でも、アクレシアやセベシアでも、兄の姿を探したり、便りがないかギルドに問い合わせたりしたのですが、まったく不明なのです」


 マース湖畔から海岸までは距離的にはそれほど遠くない。しかし、その間には険しいトルボ山脈がそびえている。馬車で通るのは厳しいし、徒歩で越えるにしても相当な覚悟がいる。

 むしろ、カリタヤ川の流れに沿って行けば、それより安全かつ時間的にも短く海に出ることが出来る。

 そのために、マース湖畔からカイラさんの言った以外の道筋でマローナに来ることも、逆にここからマース湖畔に帰ることも、通常なら考えられないことだった。


「いやいやいや、カイラ君、ひょっとしたら道中で見落としたのかもしれない。上司たるトランダイア卿がおっしゃることだ。ここはマローナで一通り調べたら、戻ってみるのもいいかもしれないよ。行き違いになってもうカイデンに戻っているかもしれないじゃないか」

「と……ところで、そちらの……カイラさんという護衛はいつまで滞在するのかね?」

「ええ、一応は護衛の期間として一週間を考えています。時間をあげるつもりなので、非番のときにでもお兄さんのことをさがしたらいい、とそのように考えています」


 やはり何かありそうだ。

 とりあえずその話題はそこまでになり、あとは貿易で入ってくる品物はどうだとか、センピウスの最近の動向がどうだとか、そういった話になっていった。

 ここでちょっと興味を引かれたのは、センピウスとストランディラ海岸派との戦力比較だった。

 センピウスは軍事に長けるが、それはあくまで陸上のことであり、こと海上においてはストランディラの優勢らしい。

 さらにセンピウスは現在、ガニエ島をめぐってミニュジアと争っているために、ストランディラに向けての圧力をかけるほどの戦力を回せないという事情もあるようだ。

 なるほど、公爵の思惑とはこのことか、と納得した。

 つまり、たとえ大陸の領土がセンピウスに奪われるようなことになっても、ここマローナを中心として海軍さえ無事ならなんとか伍していけると考えているようだ。そうするとこの地で勢力を蓄えている公爵の力が、より一層重要視されることになる。

 さらにまかり間違ってもユースティスの王族がセンピウスによって皆殺しにでもされれば、事実上その後釜として公爵自身がユースティスの王として名乗りを上げるつもりなのだろう。

 そんなに都合よくいくとも限らないが、偶然というのは作り出すことも出来るのだ。ここ数日そういった貴族の腹黒さに接していた俺は、いつしかそんな風に想像を巡らすこともできるようになっていた。


 会談の残りは、そうしていたって普通の会話に終始した。

 カイラさんの件以降は、伯爵も威張った態度を改め、和やかな態度で臨んでいた。

 当然、この場にいるものは誰もが頭の中で得られた情報を吟味して、あれこれ考えを巡らせているのだろう。

 会談が終わって屋敷を辞し、トレリー卿の館へ帰った後で、俺がまず話をしに行ったのは当然マテリエさんだった。


 彼女も考えている様子で、部屋で待っていたので、俺はノックをして彼女の客室に入った。


「どうしたらいいと思いますか?」

「そうだね……これでケインはおとなしく帰るという訳には行かなくなったわけだ。うーん、難しいね」

「俺、何でもやりますよ」

「それは敵を殺すことになっても?」

「……」


 ずっと考えないようにしていたことだった。

 俺はリーデ号との戦いで何人かの命を奪っている。

 中には魔法の狙いや利きが甘かった上に、すぐに海上に落ちたことから後に生きて救出されたものもいたが、特に最初から船内に居た敵は全員絶命していた。

 他人の命を奪うということ。

 それはその人の残りの人生を奪うということ。


 一つには俺のような、本来この世界に生きていないはずの者が、この世界の人間を殺してその報酬として生を長らえるということが許されることなのだろうか、ということ。

 そこにはもちろん、数ヶ月の間だったがお世話になったアリビオ号のみんなを助けたいという気持ち、あるいはだましと裏切りによって利益を得ようとする相手への敵意、あるいは殺されたコールマンさんのことなどが関係していたのは間違いない。


 一方でそれはいいんじゃないかという気持ちも少しはある。

 これは、神様の言ったことを信じるしかないのだが、死んだ存在は記憶を消されても消滅するわけでは無い。ちゃんと魂をきれいにした後に再び生を受けるのだと。

 だから、所詮やり直しになるだけで、本当の意味での消滅の危機を感じている俺とは違うじゃないか。という気持ちだ。


 ……わかっている。

 そんなのはただの言い訳に過ぎないことは。

 魂が不滅でも記憶が失われるということは、結局その人の人生が失われるということだ。

 前に、爺さんのことを思い出したことがあったが、婆さんの方は認知症を患っていた。

 俺は、健二という名前でわかるかもしれないが次男で、兄、姉に次いで一番下の子供だった。

 遠く離れていることもあって、婆さんに会いに行っても兄や姉のことは覚えているのに、俺の名前は何回言ってもすぐに忘れられてしまう。

 そういう言語的な記憶とエピソード的な記憶は別らしく、名前以外の俺が小さかったときにああいうことがあった、こういうことが合ったということは覚えていてくれたし、俺が孫であることはしっかり認識してくれていたが、それでも少し寂しかったのを覚えている。

 もしかして症状が進めばそのあたりも危なくなってくるのかもしれない。しかし、普通に受け答えし、動き回れるのに、そこから俺に関する記憶が薄れかけていくようなそのときの婆さんの状態こそが、俺にとっては一番見ていられない気持ちだったのではないか、と今では思う。

 そんなわけで実はゴールデンウィークにも帰る機会があったのに「忙しい」と断って、夏休みになって久しぶりに帰省したときに、俺は事故に遭ったのだが、結局そのせいでもう婆さんにも会うことは叶わなくなった。


 俺のほうは今でも会いたい気持ちを持っているし、母にしかられたときにかばってくれた婆さんのことは、これからもずっと覚えているだろう。

 だが、婆さんから俺の記憶が失われているということを知って、俺は短いながら人生を一部否定されたような気がしたことは確かだ。

 魂が不滅でも記憶が失われるというのは、その魂が持っていた誰かの記憶や人生を否定することにもなっている。

 輪廻転生があろうが無かろうが、人の死というものは世界から決して戻らない何かを奪うということに他ならない。


 そんなわけで、俺は当然人殺しをなんとも思わない冷血漢では無い。

 ただ、悩みながらでもそれが必要とされる場所なら、ためらわずに力を使おうとするだろう。

 命を奪ったことの重みは受け止めなくてはいけない。

 だが、かつて船長の父、フランシスコさんが言ったように、裏切りや故意のサボり、あるいは悪意の絡んだことであれば、それには断固とした対応を取ろう。

 悪意は鏡のように持ち主に返すのだ。


 マテリエさんは、返事を待ってくれているようだった。

 俺は、このように返答した。


「やります。ここで恩を返さないわけには行きません。もちろんできれば人が死ぬのは避けたいし、少ない犠牲で何とかできればと思いますが……俺は」

「わかった、いいよ。そこまででいい……やっぱり船乗りってのはこうなのかねえ。ま、とりあえず調査が先だ。一通り調べに行くよ」

「はい。お願いします」


 決心は固まった。

 俺とマテリエさんは、縛り首になる前に何とかアリビオ号のみんなを助ける。そのために犠牲が出ることはしょうがない。

 このことは2人で共有しておかないと大惨事を招きかねない。


 ところで一つ、自分の中で矛盾があったので彼女と共有しておくことにする。


「マテリエさん、実は俺、あの戦闘で魔法士を見ていないんですけど……」


今回の豆知識:


トランダイア伯爵は本当にここが本宅です。一族の者の反乱で、本来の領地を失って荒れた何もないところに転封させられたので、そこを放置してここにすがり付いています。

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