公爵閣下の思惑
いや、まだ拿捕されたと決まったわけじゃない。単に寄港しているだけかもしれない。
そのように考え直そうとしたが、だめだ。ストランディラへの私掠船免状のあるアリビオ号がここにあるということは、つまりそういうことだ。
なぜだ?
アリビオ号の船足ならフリゲートがやってきても逃げられるはずだ。よほどアリビオ号を目の敵にして艦隊で追い回さないと捕まえることなどできないだろう。
見ると、船体に傷は、少なくともここから見える範囲では無い。
甲板の状況を見る限りにおいても、激しい戦闘をしたわけではなさそうだ。
皆は無事だろうか?
捕虜になっているのだろうか?
不安に思いながら、とりあえずマテリエさんを探して話をしてみる。
彼女は彼女でアリビオ号を確認したらしく、青い顔をしていた。
「まずいね……」
「ええ」
「ケインとしてはどうしたい?」
俺はちょっと考えて答えた。
「とりあえず皆が無事かどうかを確認して、それで問題ないならそのまま仕事をして帰ります。というか、逆に何かできることありますか?」
「いやー、ケインだったらそのまま乗り込んで敵をばったばったと倒してそのまま船ごと取り返しそうな気がしたんだよー」
「って、そんなこと無理に決まってるじゃないですか。だいたい今は船員じゃないんで、取り返したりしたらただの略奪です。犯罪者の仲間入りですよ」
「なるほど、それもそうかー」
こんなにのんきなことで、よく100年以上も無事で生きてこられたな、と思ったものの、女性に年の話は禁物だ。自重した。
「とにかく、状況を確認したいので、お願いできますか?」
「わかった。任せといて」
とりあえずこんなところだろうか?
俺のほうとしてはあまり目立たず、トレリー卿について行こう。今セベシアであった3人と出会ったとしても勝つ自信はあるが、それをここでやるのはどう考えてもまずい。
俺はローブのフードも被り、顔がばれないようにし、下船の準備を始めた。
カイラさんには一瞬変な顔をされたが、とりあえず何も言われず、俺達は船を下りてマローナの町へ入っていく。
マローナの町は、北東が港になっている。
港の向きは違うが、町全体の形はアンティロスと似ていた。
造成したのか大きなカーブを描いて海に突き出している港から、内陸のほうに行くに従って幅が狭くなっていく扇の形をしている。
大きな違いは、商業地区が港側で、奥が住宅街ということで、アンティロスとちょうど逆になっていることだ。他にも、アンティロスにはあった貴族街のようなものが見当たらないこと、商業地区から見て扇のへりにあたる両脇の部分はバラックのようなものが立ち並んでいること、あとは熱帯の町らしく建物が開放的で、中には突き抜けて向こうの道まで見えるぐらい開けた建物があることなどだ。
俺達は、そのようなマローナの町を歩き、扇の根元にあたる部分にやってきた。ここはいわゆる役所のようなものだろうか、立派な建物が立ち並んでいた。
「ふむ、どうやらここが私のこれからの職場というわけだ。とりあえず初顔合わせといこうかね」
トレリー卿の言葉に従い、俺たち3人と奴隷1人も彼の後に続く。
内部はさすがに歴史あるマローナの庁舎と言うべきだった。マローナの開港自体は本国に近い分トランドよりも早く、すでに100年以上の歴史がある。
中にある調度品の中にも10年や20年では出せないような風格あるものがちらほらと見受けられた。
案内されて奥にある立派な両開きの扉を抜けると、そこはさらに豪華な調度品で飾られた部屋だった。執務机、キャビネット、応接セット、その他飾られている絵画や焼き物など、俺には正確な値段などわからないが相当に高価なものに思えた。
執務机から立ち上がってトレリー卿を出迎えたのは、この町の有力者だろう。初老で白髪の薄くなった、口ひげを蓄えた男だ。
「これはトレリー卿、よくいらっしゃいました」
「わざわざ立たせてしまって申し訳ありません、お久しぶりです公爵閣下」
有力者だと思ったら貴族の最上位だった。ということは恐らく町の中の力関係でも最上位ということだろう。考えてみれば河川派という有力派閥の代表であるトレリー卿がわざわざ会いに行くのにそれ以外は考えられなかった。
俺達は護衛という立場だったが、さすがに入室時に武器を、俺の場合は杖も預けてある。入り口の脇で3人揃って立つことになった。奴隷は室外待機だった。
しばらく社交辞令のような挨拶と世間話が続き、俺はその中からでも情報を得られないかと聞いていたが、めぼしいものは無かった。どこの貴族の娘がどこに嫁いだとか、今年のストランディラ全体会議の代表はだれだとか、そんな話だった。ただ、公爵が海岸派で、やはり有力な貴族であるという印象は得られた。
そんな俺の気持ちを察してくれたのかどうか、トレリー卿は話をアリビオ号の事に向けてくれた。
「……ところで、港にあるあの船、乗ってきた船の船員に聞いたのですが、とても有名な敵国の船だそうですね? 良く捕まりましたね」
「ええ、そうですね。いや、もちろんあの船が拿捕できたことは喜ばしい。ただその一方で問題になっていることもありましてな」
「というと?」
「後で紹介しますが、この町の海軍司令官が増長しておりましてね。部下も町で威張り散らしていて、困っているのですよ」
「ほう? 海軍司令官というと、例の……」
「はい、トランダイア伯爵です」
その名は俺も知っている。ただし、「伯爵」ではなく「国王」としてだ。
トランド王家の初代はストランディラの貴族の四男だったという話は広く知られている。現在のマウリス王で3代目に当たるが、新たに姓を名乗ることなく、昔のままの姓を引き継いで使っている。
すなわち、ここマローナの海軍司令官であるトランダイア伯爵と言うのは、かつて身内に裏切られたことで、面目を失い、そして恐らくトランドに激しい恨みを持っている一族の者に違いなかった。
「ほう、それはまさに本懐というべきか、いやいやいや、むしろまだ序の口だと本人は思っているでしょうな。今の情勢で全軍挙げてトランドに総攻撃などということになってはどれほどの混乱が起こるかわかりませんからね」
「まさにそれ、私もそこを心配しておったのですよ。センピウスの脅威が迫っている今、そちらに海軍を使うわけにはいかないと、彼には何度も説明しているのですが……」
「なるほど、確かにそれは困ったことです」
「私としては、今は国力を温存すべきだと考えているのですが、どうでしょう? 来られたばかりで申し訳ないのですが、河川派の代表として一言トランダイア伯爵にご忠告いただけませんかな?」
「うーん、いやいやいや、なかなか……いえ、もちろん公爵閣下にそのように言われてはこちらとしてはご意見申し上げなければいけませんが、彼とは面識はありませんし、話を聞く限りでは河川派に対してあまりいい印象をもたれていないようで……」
「彼がいい印象を持っている相手というのは聞いたことがありませんがな。もしお手伝いいただけるなら、こちらとしても色々と便宜を図ることも……」
「ほう、いやいやいや、それは有難い話ですな。便宜とは具体的には?」
「それは、まあ今後の相談ということで、まだいらっしゃって間もないですし、今後の任期はまだ長い。じっくり詰めさせていただきましょう」
「ふむ……いいでしょう、引き受けます。こちらには今優秀な護衛が居ますからな。危険なことになっても切り抜けられるでしょう」
「おお、それは有難い。よろしくお願いします」
聞きたかった情報が得られて良かったと思う反面、なにやら面倒ごとにわざわざ首を突っ込まなくてはいけないということに、俺はうんざりした。
だが、考えようによっては、これはチャンスかもしれない。
トランダイア伯爵とその一味に公に接触できるというのは、アリビオ号の面々についての更なる情報を得られる可能性がある。
これを生かさなければ、と俺はローブに隠れた口元を引き締めるのだった。
「いやいやいや、彼もなかなかの策士だからね」
行政府を退出して、今後の住まいとなる館に向かう途中、トレリー卿はこんな風に切り出した。
「ケイン君、知っているかい? 彼、ベーロット公爵はいずれここがユースティスの首都になると見越して、なるだけ波風を立てず力を蓄えようとしているんだよ。いやいやいや、まったく持って気の長い話だと思わないかい?」
「というと、公爵閣下は海岸派が大陸の領土を失うと考えておられるのでしょうか?」
「ま、表立っては口にしないけどね。噂を聞く限りはそのように動いているとしか考えられない。少なくとも強硬派のトランダイア伯爵とはそりが合わないことは確実だ」
「なるほど」
そういうわけでトレリー卿とも友好的に接していたし、一方のトレリー卿も公爵に対して協力するそぶりを見せたというわけだ。それにしても……
疑おうと思えば誰でも疑えるんだよな、これ。
公爵のその態度も見せ掛けかも知れず、単に河川派のトレリー卿の頭を伯爵の手を借りて押さえつける魂胆かもしれない。また、トレリー卿自身も、公爵の話に乗る振りをしているだけかもしれない。俺に対しての道中の言葉も、一応は納得したものの本当のところは違うかもしれない。
俺には貴族の腹芸は無理だな。
そういう感想だけが残った。
今回の豆知識:
フリゲート艦というのは、1章でも出てきましたが、戦列艦の砲門を1列にして速力と機動性を重視した船の形です。
今回これを書き始めてから、大判の『大帆船』という船体輪切り図解本を入手しましたが、色々思い違いをしていた部分もあり、非常に参考になりました。少々高い本ですが、興味のある方は入手されるのも良いかと思います。値段以上の価値はあると思います。