歳月の重み
ちょっと長くなってしまいました。
ともあれ、ケインにとって一区切りですし、前からの伏線の回収ということで重要な話ではあると思います。
今後ともよろしくお願いします。
予定通り、19日間の航海を経てアンティロスに到着した。
前に出たときより気温が低くなってきており、冬の到来を予感させた。
港に下りてみると、意外な人がいた。
師匠の奥さんのマリアさんだ。
マリアさんは、やはり潮風がきついのかケープを羽織って桟橋に立っていた。
俺の後から帆布の椅子で吊り下げられて降りてくる師匠の姿をじっと見ていた。
桟橋に降りた師匠は、杖をついて立ち上がると、マリアさんに近づいた。
「ただいま、そして、ありがとう。今まで心配をかけたな」
「いえ、あなたは立派にやり遂げましたもの。お帰りなさい、あなた」
そして、師匠はちょっと照れくさかったのか、一瞬ためらうそぶりを見せたが、マリアさんの肩を、杖を持っていない左手で抱き寄せ、背中をぽんぽんと叩いた。
マリアさんは抱き寄せられたまま、両手で持っていたハンカチで目元をぬぐった。
師匠も、こっちからではわからないが涙ぐんでいるのかもしれない。
しばし、あたりのものは手を止めて師匠達の様子に見入っている様子だった。普段騒がしい港だったが、この周辺だけは時が止まったようだった。
と、突然一発の砲声が聞こえる。
そっちを見ると、あれは、トランド海軍の旗艦エルカルトだろうか、大型の砲列が三段になった大型船の1門が、砲煙を上げている。
続いて隣の砲が炎を上げ、遅れて砲声が聞こえる。
礼砲というやつだろうか、それが誰に向けてのものなのかは、港の船を見渡せば一目瞭然だった。
どの船も、船員がマストに登り、ヤードに広がってこっちに手を振っている。
そんな、師匠に向けた礼砲は合計13発鳴り響き、残響だけが残った。
13発、と言うのはたしか下級だが将官への礼砲の数だったはずだ。これまでの港でたびたび耳にしたことがあって、リックに聞いたことがあった。
それだけ、師匠に対してトランド海軍が感謝を感じているということだろうか。
航海においてそれまで魔法はせいぜい水を出すぐらいにしか使われておらず、たまたま士官や役職者で魔法が使えるものがいたら使う程度のものだったのを、師匠が要件を整理して体系化したのだ。
今では、海軍の艦も専任の魔法士を乗せるようになっており、それにより航海の安全性・確実性は飛躍的に高まったと言える。病気や怪我の悪化で、戦闘よりも多くの者が亡くなっていた航海はトランド海軍では過去のものとなっていた。
これは師匠が若いころからフランシスコさんと共に船に乗り込み、実際に船上で歳月を費やして貯めてきたノウハウを、惜しみなく公開したからに他ならない。もちろん、そのような試みを快く引き受けて協力してくれたフランシスコさんの助けもあってのことだ。
そんな師匠の最後の弟子である俺は、航海魔法を発展させる義務がある。
この礼砲は、師匠へのねぎらいと共に、俺にとっては今後の皆の期待を思い知らされるような、そんなものであるかのように思えた。
「よろしいかな、ダニエル様」
そして、なにやら身なりの良い、黒髪を長髪にした30代ぐらいの男が声をかけてきた。
師匠は礼砲が始まると、マリアさんに何か声をかけて離れ、胸を張って立ち、礼砲や手を振る皆に顔を上げて応えていたのだったが、その声を聞いて振り返った。
「おお、これはケーバス様、このようなところまでご足労いただき、申し訳ありませんな」
「いや、さすがにダニエル様の引退の時に、王宮側から誰も出ないというのは失礼に当たります。本当はあの方も、まあ珍しく自分から動こうなどというのは……いや、本当に珍しいのですが、自分が行くと言っておられたぐらいです。まあ、皆でお止めしましたが……」
ケーバス宰相、平民でありながら博識で国を支える重鎮だ。彼が「あの方」と言うのはひょっとして国王陛下だろうか?なにか微妙な表現が含まれていたようなので、違うだろうと思う。うん、そうであって欲しい。
「……ともかく、トランド国として、まずはご無事でのご勇退、喜ばしく思っております。本当に、お疲れ様でした」
「ご丁寧に、ありがとうございます。わざわざケーバス殿に出向いていただき、この老骨、感謝し、また感激しております」
師匠は深く頭を下げ、言葉通りの感謝の意を表した。
「さて、トランド国ではダニエル様の長年の貢献に際して、王室近衛艦隊名誉少将の位を授与します。まあ、王室近衛艦隊など小船が数隻といったところですから、もともと指揮できる艦隊などありませんがね。ともかく、それに伴い年金貨40枚の恩給をあたえる事とします。これは一代限りですが終身のものとなります」
「重ねて、ありがとうございます」
品物により上下はあるが、だいたい金貨1枚が日本での100万円ぐらい、となるとこれは大した額だ。少将としての称号も、さっきの礼砲の数と合致する。ということは、事前に準備されていたということか。
トランドは、師匠に対してそれだけの恩を感じているということなのだろう。
「……そして、ここからは『あの方』の言葉なのですが、そのままお伝えします」
「はい」
「じじい、今のうちにせいぜいパットに孝行してもらっておくんだな。そのうち引っ張り出して国でこき使ってやるから、今のうちに腰を治して首を洗って待っていろ……とのことです」
「ははっ、あの方も変わりませんなあ」
「まったく……もう少し威厳とやる気を出していただけるなら名君と呼ばれたのでしょうがね」
してみるとやはり「あの方」と言うのは国王陛下だったようだ。俺は母国の元首の思わぬ残念な一面を知って、なんともいえない気持ちになった。そういえば、パットのことが話に出ていたようだが、国王もパットの知り合いということになるのだろうか?
ともかく、そこでケーバス宰相の用件は終わりということらしく、彼は町のほうへ去っていった。
この日の意外な出迎えは彼で最後かと思われたが、最後に建物の陰で待っていた人はさらに意外な人物だった。
「アル?」
近づいてくる彼を見つけ、声をかけたのは師匠の方が先立った。
「ダニエル、今日は……いや、まずはお疲れ様でした。多くの航海者の命を守ったあなたの功績を、王立教会を代表して、このアルトゥル・ミデアス王立教会大司教から称えさせていただきます」
「ふむ、まあ礼を言っておく……教会のご配慮、このダニエル・アルフォンス、真にありがたく思っております……で、それだけではなかろう」
「ダニエル……君が40年続けた海での生活を終えるこのときに、私はあえてここだけ信仰を曲げる決意をした。あらかじめ神には何度も問いかけ、懺悔しておいた。その上でやっと言える決心がついた……」
師匠は、そのままミデアスさんの言葉を待つ。
「すまなかった、ダニエル。あの子は、ファランが神の最高の加護を持って生まれてくるというのは、私の間違いだったかもしれない……私は神託だと思っていたあれは、ひょっとして……」
「皆まで言うな、アル……なあ、アル。お前は仮にも王立教会の最上位だろう。そのお前が神託を受けてそれを疑うなどと言ったら、下のものに示しがつかんだろう」
「ダニエル……」
「確かにあれは、わしの息子ファランは、真実お前の言うとおり神に最大限の加護をもらっていたのかもしれん。だとしても、何も百まで生きるわけではなかろう。神とて何から何まで面倒を見切れるものでは無いはずじゃ。そう、あれが生まれてまもなく死んでしまったのは、神の手にも余る運命だったのではないかと、最近はそう思って、いや、そう考えることにしておる」
「すまない、ダニエル」
頑なだった師匠が、旧友と和解した感動的なその場面で、しかし俺の方といえば、別のことが頭の中を回っていた。
「神の最高の加護」「生後すぐ死亡」そして「神の手に余る『運命』」。
確か、あのとき神様が言っていなかったか?
31回目の転生の時は、最大限の加護を与えて転生させたのだが、何者かに殺されてしまったと。
殺された、というのがちょっと違うようだが、大体が師匠の子供の状況と似てはいないだろうか。
もしかして俺は31回目の転生のときに師匠の子供として生まれていたのではないだろうか。
考えることがいっぱいで、俺は、師匠とミデアス大司教が、久方ぶりに友情を復活させたことを喜ぶ暇もなく、そのままぼんやりと視線だけを2人に向け続けるのだった。
「入れ」
返事があって、俺はノックしたその扉を開け、師匠の私室へ入った。
今日のところは家でゆっくりと、ということで放免された師匠は、普段の上陸時通りに夕食を食べ、普段と同じようにしていた。
また、明日からはフランシスコさんのところや、その他で出向くところもあるだろうし、会う約束をしている旧友や、アリビオ号一同主催の宴会なども予定されている。明日か明後日にはパットも航海から戻るようだから、船を下りたとはいえ、師匠にはしばらく忙しい日々が続くことになる。
機会としては今日しかない。
「師匠、お疲れ様です。無人島からこちら、師匠に多大な恩を受けて感謝しています。もう船で直接教えていただくわけにはいきませんが、今後ともご指導よろしくお願いします」
「うむ、まあ何とか一人で出来ると思ったからこそ、わしも船を下りたんじゃ。後はまかせたぞ」
「はい、期待に沿えるようにがんばります」
「よろしい……と、それだけではなかろう。何が聞きたい?」
「それは……し、師匠の息子さんのことです。差し支えなければ教えてください」
「うむ……」
ぶしつけだとは思うが、この疑問を抱えたままこの先の旅を続けるわけにはいかない。それに、マリアさんに聞くわけにもいかないだろう。他の人に聞くという選択もあったかもしれないが、俺の秘密を話しているのは師匠にだけだ。ここは直接当たるしかないと考え、俺は扉を叩いたのだ。
「……あの子が、わしらの息子ファランが生まれたのは今から28年前じゃ。生きておれば27ということになる。生まれる前にな、あのアル……当時はまだ司祭になりたてだったが、奴が神託を受けてな。この子は神の最高の加護を受けた子になると言われて、わしもマリアも喜んだものじゃった。だが、生まれて2ヶ月で原因不明の病気にかかったらしく、あっさり冷たくなっておったそうじゃ。わしはそのとき航海の最中じゃった」
それでは殺されたわけでは無いのだろうか?神は「殺された」と確かに言っていたが、それではファランと俺は別人なのだろうか?
「わしは、あの子の元気な姿しか見ておらんのじゃ。航海から帰って見たものは、病気の原因がわからないと言うことで焼かれた赤子の骨と、憔悴しきった様子のマリアだけじゃった。わしは……いや、そうじゃな、確かにあの子が死んだと信じ切れなかったことは確かじゃが、今ではそれなりに受け入れて折り合いをつけられておるよ。今じゃ娘もおるしな」
「パットですか?」
「そうじゃ、あの子の両親も不幸なことに海で亡くなった。母親がわしの弟子じゃったのでわしが引き取ったのじゃが、今はそれでよかったと思っておる」
そこでもう1つ気になっていたことがあったので、切り出してみる。
「そういえば国王陛下がパットのことを言っておられたようですが……」
「ああ、パットの父親は元海軍でな、同時期に軍にいた国王、当時はまだ王子だったが、そのマウリス陛下と友人だったそうじゃ。だからパットのことも引き取るとか言い出してな、まったく、王家が養子を取るということの重大さをわかっておらんのかとあきれたもんじゃった」
「はあ、大変でしたね」
もし、そうなっていたらパットは今頃王女様ということになる。想像してみたが、あまりピンと来ない。
「まあ、当時はさすがに陛下自身の子がまだいなかったので、周囲の猛反対にあって、結局わしが引き取ることで決着したんじゃ」
「なるほど」
「それにな、ケイン……」
「はい」
「今はこうして二人目の息子が、わしの後を次いでくれようとしておる。何の不満があろうか。お前さえよければ……いや、まあまだ先のことじゃな。わしもまだまだ国でやるべきことがあるしの」
「師匠……」
不意を付かれた俺は、素直にうれしかった。
実は、ここに来る前には、師匠に自分の転生のこと、師匠の息子が俺の転生かも知れないこと、などを打ち明けることになるかもしれないと考えていた。
だが、ここまで言われてはそういうわけにもいかないだろう。師匠はファランのことには折り合いをつけ、そしてもう一人の息子だと俺のことを思ってくれている。
ここで打ち明けても混乱させるだけだし、結局のところ俺が師匠の息子としてファランとしての分も孝行してやればいいのだ。
こうして、俺は師匠とのことは一区切りをつけられたと考え、その場を辞した。
いくつか気になることは残った。
あくまで、ファランが俺の31回目の転生だと仮定しての話になるが、1つはファランの死因のこと。そしてもう1つが、転移時で28年差があり、俺の年齢を加えても16年の差があることだ。
死因については正しいのは神様のほうだと思う。病死に見せかけた殺害も不可能では無いだろう。
時間差については、少ないほうで考えても31回でざっと500年近く、長いほうで考えれば800年以上かかっていることになる。さすがにそれほど長期間にわたって、執念深く追いかけるというのは、魔族にとっても簡単では無いだろう。
それに、目下の第一容疑者である第三魔王が登場したのは200年前ということだ。
彼が無関係なのか、またはファランと俺との間で特別に時間がかかっただけなのか……
どちらにせよ、簡単に答えが出るものでもないし、俺はとりあえず棚上げにすることにした。
アリビオ号正魔法士として、航海士見習いとして、また師匠やマリアさん、パットの家族として、俺にはやるべきことはたくさんあるのだ。
そして次の日からの、アンティロスでのにぎやかな日々を終え、俺は再びアリビオ号に乗船する。
今回の豆知識:
お分かりの方もいらっしゃると思いますが、トランドの固有名詞は、いんちきスペイン語圏です。
と言っても、私自身よく知らない言語なので、ところどころ他のラテン語系言語が混じっていたり、崩したりしていて突っ込みを回避する方向で命名しています。
と、こんな話をしたのは、旗艦エルカルトの事です。これはまあ「el cuarto(四番目)」というのを由来としていて、トランドをユースティスの公爵の4男が建国したというネタからでした。いや、名前を考えるのって難しいですよね。