虜囚の夜
その日は暗くなったこともあり、そのまま停泊ということになった。
アリビオ号は武装としては上甲板、露天甲板といってもいいだろうか、そこにのみ大砲が備え付けられている。
また、武装や弾薬は、下甲板のさらに下、最下層のフロアに存在する。そこは半ば水面下にあり、船体から水が徐々にしみこんでくる。温度は低いが光も入らず、暗いところだ。船倉や弾薬庫、あるいは船匠や船医の仕事場ということになっている。
その下は人の入るスペースではなく、ただ船体があり、その一枚下は海となっている。染み出した海水が常にある程度溜まっており、船内で流れた水なども溜まるので常に水はにごって汚い。
そんなわけで、俺達は普段どおり下甲板、上から2つ目のフロアに手を縛られて押し込められていた。普段は半数が仕事に出ているので、水夫が全員入るとすし詰め状態である。
上下との階段には武装した見張りが常に警戒しており、前は水夫と俺たち航海士見習い、後ろの士官室に士官と互いに隔離されている。
これは反撃を防ぐためということで、特に戦闘指揮を取れる艦長やリック、魔法士である師匠やパットは厳重に見張りがついているそうだ。
これも聞いた話だが、上の船長室はそのままモンタネス達裏切り者が居座っており、船長は主の居なくなったコールマンさんの部屋、このフロアの艦尾左舷の部屋をあてがわれているらしい。
と、ここまで厳重にされて俺はどうなっているのか?ということだが、他の水夫と一緒くたにされていた。一応上着も着て、士官っぽくしていたのに不思議だ。まあ、杖を持っていたら問答無用で隔離されただろう。
ともかく、色々あって疲れた。
明日からのことは心配だが、ここは体力を回復させることを優先すべきか。あるいは……
いや、この状態を何とかできる道が見えない。
船員は押し込められ、手も使えない。武器は取り上げられ、指揮をとるべき士官とは隔離されている。魔法士には見張りがついている。
一方で相手は武装している。数は15人ほどとはいえ、こっちで争う音が聞こえたらたちまち2つの船から砲撃を受けるだろう。
それに、仮にうまく音を立てずに制圧できたとしても、索でつながれ、見張られている状態だ。逃げようとして、帆を開くためにマストに上るだけで、向こうの船には筒抜けだろう。
だめだ、手詰まりでしかない。
あと頼れるのは俺の魔法で向こうを混乱させるぐらいのものだが、それにしたって船内の制圧には使えても残りの2つの船に何か出来るとは思わない。前に師匠が言っていたように、海戦では魔法など、大砲の前には無力なのだ。
多少混乱させるぐらいなら出来るかもしれないが、1つクリアしたところでまだもう一隻の敵船が残っている。連続で、果たしてその隙が向こうにあるだろうか?
考え込む俺は、自分に向かって声がかけられていることに気づくのが遅れた。
「……い、おい、ケイン」
それは小声だったこともあって気づかなかったのだが、いつの間にかそばに来ていたカルロスだった。
「ケイン、お前なら何とかできるんじゃないのか?」
俺は考えていたことを答えた。
「難しい……と思う。確かに魔法が使えることで一瞬びっくりさせることは出来ると思うけど、それだけで逃げ延びるには敵の船が多すぎる」
「そうか、そうだろうな。勝算があるならやってるよな。……だけど、いいのか?ケイン」
「何が?」
「このままだと俺たちあいつらに奴隷にされて、売られちまうんだぜ。それは何とかなるかも知れねえけど、パットはどうするんだよ?このままじゃあいつらの慰み者になっちまうぜ」
パット。
そうだ、何でそこに思い至らなかったんだろう。
爺より女の子の方が楽しめるとかあいつらは言っていた。俺達は最悪奴隷として生き延びることが出来るかもしれないけど、パットはそれだけじゃ済まない。
パットは俺の味方になってくれた。友達だと言ってくれた。俺は彼女に力になる、助けると言った。その彼女を慰み者になんてさせられない。
「聞いてくれ、ケイン……俺、実は海軍にあこがれていたんだ」
沈黙を続ける俺にカルロスはふとそんなことを言った。
「本当は軍艦に乗りたかったけど、士官候補生は大変だってことで親父にこの船に放り込まれた。こっちのほうが海軍で士官候補生やるよりも待遇がいいし、航海士の資格を取ったらそこから軍艦に乗って、海尉の昇進試験を受けることができるからってな」
と、そこで俺の疑問のひとつが氷解した。つまり海軍にとっては海尉の下が士官候補生と航海士なので、航海士より下の見習いなんてそもそも眼中に無いのだ。それでカルロスと俺はこうして水夫と一緒に扱われているんだ。
カルロスは続ける。
「で、こっちに来てみたらコールマンさんがいた。コールマンさんに色々聞いたよ。海軍生活のこととか、どの艦長が優秀だとか、どの船の設計がいいとか。コールマンさんは海軍のことが好きで、俺も海軍のことが好きだった。だけど……だけど、そんなコールマンさんがよりにもよって海軍の奴の裏切りで、だまし討ちにあって死んでしまったんだ。こんな無念なことがあるか」
回りを気にして声は抑えていたが、カルロスは今にも叫び出しそうで、縛られている手を握り締め、力が入っていた。
「だから俺はこのまま奴隷にされて連れて行かれるなんてごめんだ。パットのこと、俺はもうお前の責任だと思っているけど、それもこのままじゃいけない。ケイン、お前はいつも落ち着いていて、正直おれより頭がいいし、下手すりゃ俺より先に航海士になるかもしれない、かなわないって思っている」
「何を?」
「いいから聞け、だからといって、頭がいいからといっていつも計算ばかりしてちゃだめだ。俺もうまくいえないけど、海軍だと、たとえ勝てないってわかってても敵が来たら戦わなくちゃいけないんだ。できるできないじゃなくて、ひょっとしてら犬死かも知れないけど、何にもならないかも知れないけど、守るためには勝ち目が無くても立ち向かわないといけないって時があるんじゃないか?」
「……」
「男ってのは、海の男って言うのは、そうやって生きるものじゃないのか?」
俺は、言い返すことが出来なかった。
正直、俺は地球ではヘタレだった。恋愛に関してだけじゃない。何かに一生懸命になって、汗まみれになってスポーツに打ち込む奴らを見ても、ごくろうさん、と冷めた目で見ていたものだった。進路だって、普通に勉強して普通に受験して、大して挫折もせず、それなりの努力しかせず、そうやって生きてきた。
だってそういうものだろう?
暑苦しいのなんて、スポーツ中継に出てくる元テニスプレーヤーの松なんとかさんだけで十分だ。
21世紀初頭の日本なんて、みんなそんなものだっただろう?
だから、俺はこのカルロスの言葉に、何も言い返すことは出来なかった。
この世界に来て、ちょっとは冷めた自分から抜け出した気がしていた。パットと仲良くなって、友達だってちょっと恥ずかしかったけど宣言して、船の仕事にも魔法の修行にも一生懸命になって、それで自分が変わったような気がしていた。
だけど、本当は変わっていなかった。
やっぱり冷めた目で、得失を計算して、自分に出来そうなことをやっていく。異世界で今までに無い環境になり、今までに無い力を持ったとしても、俺の本質は何一つ変わっていない。
オーケー、無理だと思ってもやろう。無理だと思うなら無理じゃなくなるように知恵を絞ろう。知恵を絞ってだめなら力を絞ろう。それでもだめでも、気持ちだけは振り絞って最後まであがこう。
甘い考えでは生き抜けない、『運命』?へっ、今の状態だったら『運命』のほうにだって鼻で笑われるに違いない。そうじゃない。無理でも何でもねじ伏せて、その先にのこのこやってきた『運命』だって、蹴散らしてやる。
俺は、カルロスに返事をする代わりに、互いに縛られたままで彼の手を取って握った。
男同士の力のこもった握手というやつだ。
カルロスの手は力が入っていたからか汗で濡れていたがかまうものか。
そして、俺達は脱出のためのプランを練り始めた。
まだ夜9時といったところか、あせる必要は無いが時間は限られている。
明日になったら、出航ということになってしまう。パットなどは向こうの船に移されてしまうかもしれない。
なんとか、今夜中に脱出できる方法をカルロスと話しているときに、不意に上から声がかかった。
「おい、なんか考えているんなら力になるぜ」
それは、船の制圧以来姿を見なかったジャックさんだった。
彼は上甲板にいた。明り取り窓から、声をかけてきたのだ。
「船酔いしなくて頑丈なドワーフ一丁、役立ててくんな」
今回の豆知識:
シリアスなので、おちゃらけを書けない。
よく帆船小説で、二層甲板艦などの表現がありますが、あれは大砲が設置してある砲列甲板の数なので、実際にはそれ以上の甲板が存在しています。