アンティロス出航
それからの10日あまりは、基本的には俺は図書館へと入り浸った。
毎日来るのですっかり顔なじみになった受付の人には、入館料を割り引いてもらえることになって、懐の暖かいといえない身には助かっていた。持ち逃げしないという信用ができたということだろう。
パットは、あれからたまに図書館に同行するだけで、主に自分の部屋で購入した本を読んでいるらしい。
師匠は相変わらずといった感じで忙しく方々を動き回っていた。やはり船の生活よりは楽なのか、腰の調子もよさそうだ。
特筆すべき点はあまりなかったが、一度リックが食事でも、と訪ねて来たことがあった。
夕方だったので、マリアさんに夕食はいりませんと断って外出した。せっかくマリアさんが夕食を作っていたのに悪いかなと思ったのだが、マリアさんのほうでは「友達は大切だものね」と快く送り出してくれた。
リックに付いていくと商業地域の大きな食堂だった。
「ここは値段のわりに料理も酒も良くてね、よく来るんだ」
とのことだった。
テーブルを確保すると、リックが手早く料理を注文して、ワインも壜で注文していた。
ワインが先に来たが、リックはグラスを3つ頼んでいた。とすると、他に誰か来るのだろうか?
と、見慣れた顔がやってきた。カルロスだ。
カルロスはなんだか布に包んだ長いものを持ってきていた。
「さて、そろったところで乾杯といこうか」
船ではラム酒の水割りが支給されたが、俺は年のこともあるしめったなことでは飲まなかった。
本来、船で酒が支給されるのは、皆の楽しみの意味もあるが水が悪いのを酒でごまかすという側面もある。航海魔法士がいればそのことは解決できるので、大体は遠慮していた。
今日は、遠慮は無用とばかりにリックがなみなみとワインを注いできたので、まあたまにはいいかと思っていただくことにした。
「今日は、何かのお祝いですか?」
「ああ、俺はちょうどこの間16歳になってね、それに伴って見習いが取れて航海士として正式にアリビオ号に採用となった」
「それはおめでとうございます」
「ありがとう」
料理は、ジャガイモと燻製肉の煮込み料理、大きな魚を焼いてピリッとするソースをかけたもの、小魚のフライなど、まあ言ってみれば酒のすすむ、居酒屋料理的なものだ。
量はたっぷりあって、若い3人の胃袋でも十分満足できるものだった。
「カルロス、あれを」
そう、リックが促すと、カルロスはしぶしぶといった感じで、持ってきていた荷物の包みを解いた。
あれは……
「そうだ、ケインの杖を、カルロスが隠していたそうだ」
「すまん、出航までには返すつもりだったんだ。ゆるしてくれ」
「何で……こんなことを?」
「それは……」
「言いにくいようだから、俺が代わりに説明するけど、パトリシアと仲良くしているのを見て腹が立ったそうだ」
そういえば、カルロスがパットに惚れているのは、少なくとも士官次室の面々には周知のことだった。
確かあの戦闘後のパットに声をかけたとき、どこからか妙な視線を感じたような気がしたが、あれはカルロスだったのか。すっかり忘れていた。
「俺がちょうど士官室に移動になるので荷物を整理していたときに、隅っこに隠してあるのを見つけてね、もしかしたらと思ってカルロスを問い詰めたら白状したよ」
「そうですか……まあ、今回は水に流します。それと、パットのことについてはカルロスが思っているようなことは無いですよ、あくまで魔法士の先輩後輩として、友達としての付き合いです」
「……そうか、じゃあ、今度俺のことどう思ってるかとか聞いてもらっていいか?」
ぱっと表情を明るくしてカルロスが聞いてきた。
泣いたカラスがもう笑うというのを地で行っているのかもしれない。
「ええと、そういえばパットはカルロスがもうちょっと落ち着いたらとか何とか……」
「本当に?俺が落ち着いたら、パットに気に入ってもらえるんだな?」
「おいおい、そういうところがいけないんじゃないか?これじゃあケインとどっちが年上だかわかりゃあしないぞ」
と、年長のリックがなだめる。
リックは、もとから落ち着いた性格だったが、航海士になれたことで、自信もついたのかもしれない。心なしか、まえより積極的にものを言うようになった気がした。
「そういうケインはどうなんだ?好きな子とかいるのか?」
と、これはカルロス。
「いやあ、女の子とか接点がありませんよ。今までずっと船だったし、まだ早いとも思いますし……」
「そうだなあ、まだ女を買うような年でもないか」
「俺はダニエル様が家に連れて行ったと聞いて、ひょっとしてパットとくっつけて家を継いでもらおうとしているのかと思ってたがねえ」
「ちょっ、それは無いですよ。一途な俺の想いはどうなるんです?」
「まあ、当人がそんな気が無いって言っているから大丈夫なんじゃないか?」
一途とか、真っ先に女買いに出かけていたカルロスが言うことじゃないとも思ったが、二人とも酒が回っているらしく楽しそうなので黙っておいた。
「それはそうと、聞いたか?」
「何をです?」
「船長がアリビオ号の武装を増やす気らしい」
それはどうだろう。
仮に大砲を増やすならそれを操作するための人員が10人単位で必要になる。大砲自体の重さもあるし、船の速度や積める商品にだって悪影響がある。
完全に私掠船として活動するならともかく、商船としてはマイナスなはずだ。
俺が、そのようなことをリックに告げると、彼もうなずいた。
「確かにその懸念はある。だが聞いた話だと新型の大砲らしくてな、威力の割に軽くて、操作にも人手が要らないらしい。追加で船員を雇う予定は無いそうだ」
あれ?俺はどこかで似たような話を聞いたことがある。
そうだ、あれは確か……
「その大砲は、ひょっとして射程が犠牲になっているとかですか?」
「おお、よく知っているな。そうだ、トランド海軍でも採用されそうだということで、武器商が売り込んできた新型だ。砲身が短くて射程はせいぜい300mほどだが、今の長砲よりさらに重い砲弾を撃てるらしい。まあ、そこまで近づいて撃ち合うってのもできれば勘弁してほしいがね」
間違いない。
前世地球で、イギリス軍が発明し、ナポレオン戦争前あたりから猛威を振るったカロネード砲と同じものだ。
主な特徴はリックが言ったとおり、重い砲弾を短射程で打ち出すもので、砲身は太いが短く、砲車に乗せずに衝撃吸収装置の上に乗せることで弾込めから発射まで2~3人いれば十分という新兵器だ。
なるほど、それならば今のアリビオ号でも運用可能かもしれない。
力強い味方になってくれるはずだ。
そんなこんなで、腹もくちくなり、アルコールも回ってきた俺達は船での再会を約束して別れたのだった。
結局、上陸時に、すわっ『運命』の差し金か。と思ったことは考えすぎだったらしい。
『運命』さん(笑)。
いかんいかん、こんなことを考えているとまたマー何とかさんの法則がやってくる。あれは世界を超えて普遍的なものらしいしな。酔いが回って気が緩んでいるのかもしれない。
数日後、準備が整ったアリビオ号は、南大陸からの麦や海産物などを満載して、熱帯のミスチケイア、セベシア港へ向けて出航した。
船の体制はリックが二等航海士となった以外に変更なし。水夫は引退したり新しく入ってきたりと入れ替わりがあったが、役付きは前回の航海のままのメンバーが乗り込んでいた。
予定では10日以内に到着との事、若干風向きは向かい風気味だが、角度はそれほどきつくないので、風上真正面へ向かうときのように斜めに風を受けてジグザグに進む必要もなかった。
あれは大変だったからな。
リッケンからアンティロスへ向かう前半がまさにそうだった。
その頃にはある程度マスト上で作業するのにも慣れ、周りに助けてもらいながら帆を操作する作業に加わっていたが、1日数度もマストに登って帆を調節し、方向転換をする。
体力的にもきつかったし、最後にはあの嵐もあった。
船の生活のきつさを思い知らされた。
今回からは、リックが正式に航海士となったので、そうした水夫に混じっての作業は基本的に業務外となった。その分俺とカルロスにしわ寄せがくるところだが、もともと人員には多少余裕があるアリビオ号のこと、それほど変わりは無かった。
そのまま特に嵐や海賊に襲われることもなく、9日後の午前中に、陸地視認となった。北の大陸ことラクア大陸の南東に位置するエルフの国、熱帯雨林が広がるミスチケイアだ。
今回の豆知識:
カロネードは、異世界では「重短砲」とそのままの名称です。