好敵手
実際にはかなり広範囲から集められていた元奴隷のみなさんだが、いちいち回るわけにもいかないので、ミナス東岸の中心都市、リグエダでまとめて下船してもらうことになっていた。
中心都市、というぐらいだから、もっと大きなものを予想していたので、実際に近づいてみた時にはちょっと拍子抜けした。
「これは……漁村?」
「間違って無いですよね?」
慌てて甲板に元奴隷の一人を連れ出して確認するセリオ。やはり間違いないようだ。
「いやあ、何て言うか……」
「もっと大きなものを予想していたなあ」
町並みは、ミニュジア風の石造りが多いが、それでもタロッテ西で見たような4層、5層といった高層建築は無い。せいぜい平屋か2階建て程度で、それもせいぜいが200軒も無いだろう。ということは町の住人も多く見ても1000人かそこらということになる。
それでも、元奴隷の皆さんにとっては懐かしい故郷だろう。
俺は、全員を甲板に上げるように指示すると、停泊している船を観察した。
港も大した規模ではない。ウラッカ号のような小さな船なら停泊できるが、フリゲートなどでは入り込めないだろう。水深も足りないかもしれない。
港の船は三角帆が中心。これは、ウラッカ号にも通じるのだが、操船人員を減らすためには複雑な帆装は不向きなのだ。
泊まっているのは舷側の低い構造や武装の状況から見ても漁船がほとんどのようだった。
目を引いたのは、ちょっと漁船に見えないような船が1隻泊まっていたことだった。
大きさ的にはウラッカ号より一回り大きいだろうか。高い2本マストに大三角帆を装備し、風をたくさん受けられそうだった。船体は異常なほど幅広で、小さな後尾楼があるだけでほとんど平甲板船。上部が軽いので喫水は浅そうだ。多少の武装が見られることから、商船だろう。
「あれは沿岸貿易船でしょうかね?」
「そうだろうね。あの喫水じゃ外洋は安定しないだろうし、三角帆をうまく使ってタロッテとの間を陸伝いに交易しているのだと思う」
だが、のんきな感想を喋っていられたのもここまでだ。セリオは近づいてくる警備艇に事情を説明するのに忙しくなったし、俺は俺で入港の準備のためにあれこれ忙殺されてしまった。
幸い、敵対的になることなしに、ウラッカ号は港に停泊することができた。
船はガフに任せて、俺とセリオで元奴隷たちを先導し、上陸する。
町の長は、前進をだぶだぶのローブで覆った老人だった。見事な禿頭も含めて褐色、ミニュジア人の特徴的な肌の色をしていた。
この暑い地で暑苦しい格好をしているなと思ったが、そういえば地球でも砂漠地域は意外と肌を露出しない服装だったのを思い出した。それに長年の慣れなのか、汗一つかいていない。
俺達はそういうわけにはいかず、一応公式の場だから正装していったが額から吹き出る汗が頬を伝って首筋を濡らす。正直なところさっさと一団を引き渡して船に戻りたい気分だった。
港近くで出迎えてくれた町長一行との実際のやりとりはセリオが担当したので、俺は紹介された時に頭を下げただけだった。この辺りでは握手の習慣は無い。
奴隷にされていた一行は、町で責任をもって故郷に送り返すということだったので、ここで引き渡しとなった。言葉は分からないが、口々に俺たちに感謝の言葉をかけてくる。いいことをして感謝されるのは気分が良い。
そこでようやく船に帰れるかと思ったら、町長が食事に招待してくれるとのことだった。
「受けるべきかな?」
「その方がいいと思います」
この暑さで若干食欲も減退していたが、例を失しないことのほうが重要だろう。俺はありがたく受けることにした。
町長の家は2階建だった。石造りなので外に比べれば温度が低い。しかも風の通り道を考慮しているらしく、さわやかな風が吹き抜けていた。
俺はやっと一息つくことができた。そうなると、食事の方にも期待が出来る。
スパイスのいい匂いが漂ってくる。
竹で編まれた敷物の上に直接座って卓を囲む。この辺りも俺には抵抗は無い。トランドでもタロッテでもテーブルや椅子の生活だったが、元日本人の俺は畳の生活を思い出して
懐かしくなったぐらいだ。
食事の内容について、一言で言えば辛かった。
肉もあったような覚えがある。野菜もあったような気がする。煮たものも揚げたものも焼いたものもあったと思う。だが、どれも辛かった。
俺は、このあたりの人間は主食が香辛料なんではないかと疑いを覚えるほどだった。
一応出されたものなので我慢して食べたが、どちらかと言うと食後の果物や甘い飲み物の方が有りがたかった。
食事を終える頃には汗びっしょりだったが、不思議と爽やか気分だった。
もちろん食べてばかりではなく、セリオに通訳をしてもらいながら、町長やその側近と色々な話をした。戦争やセンピウスの事はタブーだと思ったので、話題は必然的にタロッテのことや、この地域のこと、それと来年のレースのことなどになった。俺達が海賊と戦った時のことについては、向こうも興味津々で聞いてくれた。
そんなこんなで夕方まで続いた食事会はお開きになった。
今日はもう遅いので、一晩停泊して明日朝に出港ということにする。
俺達は町長に礼を言って船に戻る。
ウラッカ号が停泊しているところまで戻ると、なにやら熱心にウラッカ号を見上げている男がいた。
まだ青年といっていい年齢のようだが、ひげを伸ばしていて正確なところはわからない。ミニュジアの人間の特徴である褐色の肌をしていたが、頭のかぶりものからはみ出ている髪は黒い色をしていた。
俺たちが近づくのに気づいた男は、にこやかに話しかけてきた。
「この船の船長さんですか?」
「あ、ええ、私が船長のケイン・サハラです」
一瞬戸惑ったのは、男が俺にわかる言葉で話しかけてきたことだった。
「これはご丁寧に、私はあの船、エンバー・ガット号の船長をしています、ニハイ・カナドといいます。この辺りで交易を生業としています」
「ああ、あの速そうな船ですね」
入港時に気になったあの商船の船長らしい。
「お褒めいただきありがとうございます。ですが、船長の船も色々工夫されているようで……この帆はご自分で?」
「そうですね。研究の結果ちょっと試してみたらうまくいったので……」
「いやすばらしい。なるほど、三角帆を大きくするためにヤードを垂直にしてマストと一体にするという発想は革命的ですね。機会があれば私の船でも試してみようかと思えるぐらいです」
「ありがとうございます。別に秘密でもなんでもないのでご自由にお使いください」
「いいんですか? ありがとうございます。ところで、町長のところの食事は辛かったですか?」
正直に言っていいものだろうか? だが、船乗りは率直がひとつの美徳だ。別に告げ口したりしないだろうし、されても問題ないだろう。
「ええ、あんなに香辛料を使った料理は初めてでした」
「はは、それはあなたが気に入られたということですよ……この地方では歓迎の度合いを香辛料の使用量で表しますからね。むしろ辛くなかったらそちらのほうが問題です」
そうなのか……確かにあれだけ香辛料を使用するというのはいくら産地だとしてもかなり費用がかかったに違いない。
そこで、カナド船長は姿勢を正して深く礼をしてこう続けた。
「町長からもあったでしょうが、私からも礼を述べさせてください。海賊にさらわれた土地の男の件は、私の方でも悔しい思いをしていました。助けだして送り届けて頂いたこと、地域の一員として感謝しております」
「あ……いえ、どういたしまして。でも、海の上のことですから偶然の成り行きでもありました。それに全員助けられたわけではありませんから、こちらもそれほど感謝いただくわけには……」
「この東岸は恵まれていない分、人のつながりが濃いのですよ。今回返してくれた人の中にもうちの船の船員の家族がいたぐらいです。サハラ船長の成したことはきっとすぐに広まると思います」
「そんな……」
別に感謝されたくてやったわけじゃないし、センピウスで聞いた外交カードという話もひっかかっていた。そんな全面的に感謝してもらえるのはむしろ心苦しい。
俺は、話題をそらそうとした。
「ところで、カナド船長はやはり交易を?」
「ええ、タロッテとの間でこまごましたものを運んでいます」
「なるほど、うちのウラッカ号と同じようなものですね。競争は激しくないんですか?」
「あんまり儲からないんですよ。東岸はそれほど大きな市場じゃありませんし、危険な海域も通りますから、まあ何とかやっていけています」
「なるほど……」
「それでもいつまでもこのままでいいはずありませんから、なんとか来年のレースの賞金で、規模を広げようとしているんですがね」
「タロッテのレースですね。うちも出ようかと考えています」
「やはりそうでしたか! そうなると直接エンバー・ガット号の競争相手ということになりますね」
同じ縦帆船、マスト2本だから部門が細かく分かれていたとしても同クラスのはずだった。カナド船長としても偶然速そうな2本マスト船を見かけて敵情視察という意図もあるのだろう。
「そうなったらよろしくお願いします。お互いに優勝争いが出来るといいですね」
「こちらこそ。来年を楽しみにしています」
そうして、俺のミナス大陸初上陸は無事に終わり、船に戻ってくることが出来た。
しかし、だんだんつながりが増えてきて、レースに出ることが既定になってきつつある。何かしら縁があるのかもしれない。
今回の豆知識:
世間も暑くなってきました。作者が夏場を過ごして一番暑いと思ったのは京都です。風が少なく、地下水が上がってきているのか湿気がすごくて息が詰まりそうになりました。その意味で、乾燥地帯は気温が高くても湿度が低いので意外と日陰などでは過ごしやすいのかもしれません。