海賊船での死闘
「船長!」
いかん、一瞬思考が止まっていた。
この状況を招いたのはいくつかの不運が重なったことも原因だが、俺が敵を甘く見ていたことも確かだろう。これ以上呆けていて、さらに失態を重ねるわけにはいかない。なんとか主導権を取り返さなくては……
声をかけてくれたガフに手を上げて無事だとアピールすると、俺は状況把握に努めた。
幸い、今の砲撃で船体に被害は無い。怪我をしたものもいないようだ。マストも無事、索具も数本ちぎれているが致命的な損傷は無い。
問題は帆だ。破れたところが風の圧力で広がっていき、その分推進力が奪われている。
向こうはどうだろう。砲撃後、こちらに並走しながら徐々に距離を縮めてきている。このままもう一撃、恐らくは船体を狙って撃ってくるだろう。
あるいは斬りこんでくれれば、俺が何とか出来るのだが……
そんなことをセリオやガフに言っても信じてもらえないかもしれない。なにせあの規模なら100人、いや200人近くもいるかもしれない。普通に考えれば斬り込んで来られてはひとたまりもない。
だが、色々の修羅場をくぐって、魔法の使い方にも習熟した俺にとっては、それなりに勝算がある。近寄ってくればこちらから水を召喚して……
そこで、俺は変なことに気がついた。
向こうは外輪を回すのに魔法が使えるぐらいの魔法士を乗せているはずだ。それだったら、ここまでどうして魔法を使って攻撃してこないのか……
俺は、敵船の魔力の流れに集中する。
驚いたことに、敵船には全く魔力が感じられない。
ならばっ……
俺は半信半疑だったが、試してみることにした。
ドラコさんから教えてもらった、人間を超える魔力を有効に使う方法。それは、レイン・リーン以前の魔法の使い方を一部取り入れるというものだった。
――今だと物質界と精神界、それに不可知の存在力というように単純化されているがな。昔はそうじゃなかったんだ。
ドラコさんはなんて言っていたっけ? そう、たしか……
――古式、レイン以前の魔法を俺はそう呼んでいる。今より魔法使いの数も少なく、印刷もなかったから書物もほとんど残っていない。ま、失われた技術だな。
古式魔法、それは世界の把握の仕方が違う。
――小さな、どこにでもいる目に見えない存在。それに対して呼びかけることで世界を改編する。
一つ一つは小さい存在が、それでも多数集まって世界を規定する力を持つ。
――それらは意志を持たないから強い意志に反応してくれる。それによって俺たち魔族は意志の力を使って人には出来ないことを成し遂げる。
そして、もう一つ。
――その小さな存在は、具体的な指示を好む。だから仮に水を呼び出すのなら、ただの水じゃなくて……
目の前の海水だ。
俺は、目の前にあるマーリエ海の海水を敵船の上方に呼び出す。
敵船のメインマストより高い位置に現れた水の球体は、そのまま重力にしたがって落下し、帆を濡らし、ヤードに登っていた敵船員を叩き落とし、そして甲板で忙しく動いていた敵船員に襲いかかる。
この距離でもわかる怒号と叫び声が敵甲板の混乱を知らせてくれる。
普通に魔法士が1人でもいて、魔力で防御していたなら、あるいはこちらに普通の魔法士しかいなかったのならこんな事にはなっていない。数百mという距離は、単純な魔法でも威力を減衰するのには十分な距離だ。
今の魔法も威力という点では大したことはない。ただ、高い位置からまとまった水が落ちてくるという事に混乱しているだけだ。敵船員を甲板から押し流すほどの威力はなかった。
このまま混乱に乗じて逃げるか?
だが、ウラッカ号の帆は1枚1枚が大きく、補修するにも一苦労だ。その余裕がないかもしれない。一方でこのまま魔法攻撃が効果を発揮するという保証もない。敵に魔法士がいることは間違いないのだ。今のは単に防御を忘れていただけかもしれない。改めて魔力で魔法を妨害されては今のような攻撃はもう通じない。
逃げるべきか、立ち向かうべきか……
俺は視線を泳がせた。こちらの船員たちの様子が目に入る。遠くからで見間違いだったかもしれないが、彼らの目には怯えの色よりも期待の色が満ちているように思えた。
俺は……
「よし、この隙に反撃する。上手回しで敵船左舷に付ける。その間、砲は牽制のために各々の判断で砲撃。俺は魔法で牽制を続ける」
船員20名そこそこ、大砲4門の小型船が、大砲を20門以上装備した海賊船に立ち向かうなど、正気の沙汰ではないかもしれないが、状況が特殊なのでなんとかなるかもしれない。俺一人の戦力に依存しているのは気になるが、逆に言うと俺がしっかり立ちまわることができれば成功するだろう。
俺はもう一度、敵船上に水を召喚する。今回も抵抗なくうまくいった。そうすると、敵船の魔法士はやはり動ける状況に無いのだろうか?
「よし、銃撃に注意しろよ。みんな必要がないときは物陰に隠れろ」
あの混乱で大砲の操作は難しいだろう。フリントロック式は火打ち石を使うが、導火線の役割をする部分が水に濡れていては着火しない。だが、手持ち式の銃であればなんとか操作が間に合って撃ってくる可能性がある。
ウラッカ号は、残った帆でなんとか風上に進み、敵船を追い越して左にかじを切り、敵船の船首を回り込んだ。その間、俺は断続的に魔法を発動して、敵船の甲板に混乱から立ち直る暇を与えない。
距離が近づくにつれて、魔法の威力も増して、今のところ追加の砲撃は無い。
「よし、一気に詰めるぞ。はしご用意」
敵船はウラッカ号より大きいので舷側も高い。板で渡しても角度が急すぎて登っていけないので、フック付きのはしごを使って渡る。普段あまり使われないこうした道具も、船には用意されている。陸にあって船に無いのは畑ぐらいだろうか……
「はしごをかけてもすぐに登るなよ。最後に一発最大威力でぶちかますから、命令したら水に気をつけて乗り込め」
俺も乗り込みの時は杖を捨ててカットラスに持ち変える事にしよう。どのみち乱戦になったら大威力の魔法は使えない。
俺は近づいてくる敵の左舷を睨みながら、最後の一撃を加えようと精神を集中し……かけて、傍らに控える姿に気づいた。
「ガフ、おまえ、大丈夫なのか?」
種族の特性で短躯のガフを戦力には数えていなかった。だが、どこに持ち込んでいたのか、身長より長く、片刃の付いた槍を持ったガフが今にも斬り込もうと身構えていたのだ。
「なに、船乗り長くやっておればこれぐらいのことは何度も経験済みだす。それに腕っ節がなけりゃあ船員たちはついて来ねえだすよ」
「……そうか、気をつけろよ」
こうして、自分の不利を考慮した武器をわざわざ用意しているからには自信があるのだろう。俺は心配するのをやめた。
間近に見る甲板上には、多くの人影がこちらの動きに対応しようとしている。カットラスを構えている姿も見える。
俺は、敵船員の特徴に気がついた。肌の色が褐色の者が目立つ。ということは西のミニュジアの者が多いということだ。今までの船乗り生活であまり接点が無い国だった。
だが、こちらを襲ってきたということは国なんて関係ない。こちらは慈悲をかけることなく、単なる海賊として対処するまでだ。
鉤爪のロープが渡され、はしごがかけられる。
俺は最後の魔法を放った。
敵船甲板にまたも海水がぶちまけられ、砲口から水が流れ出してくる。
「よし、乗り込むぞ!」
俺は叫びながら自分でもはしごに手をかけた。
海水の余波でこちらも濡れていて、気をつけないと滑りそうだった。
俺は反撃がないので慎重にはしごを伝って、敵船の甲板に降り立った。
「炎よ」
ここまでびしょ濡れなのだから船が燃える恐れはない。だが、船乗りが火を嫌うのはもはや本能と言ってもいいほどの習慣になっているはずだ。
こちらに向かってこようとしていた10人程が一瞬怯む。
その隙にウラッカ号の者がどんどん乗り込んでくる。
ウラッカ号は敵船の斜め前から接近したので、船尾にいた俺は敵船の船首側に乗り込んでいる。
手前は船員に任せて、俺はウラッカ号の接する側と反対、敵船の右舷を回って突き進む。
100人以上だと思っていたが、甲板に出ている敵船員はそれよりかなり少ない印象を受けた。
おそらく、魔法で怪我をしたものがいるのだろう。ヤードから落ちたものなどは重傷かもしれない。
だが、向こうの事情を気にする暇はなかった。少ない人数で斬り込んでいる俺達はうまく立ち回らないといけない。
艦尾の空中に炎をもう一発。
敵をひるませるだけの目的で、人を狙ったわけではない。だが、上着に火が付き、暴れまわる姿が見える。
ああ、後尾楼には水は行ってなかったのか……
重量のあるカットラスが振り下ろされる。
危ない。
目の前にはすでに敵が3人、俺を取り囲んでいた。
服装から指揮官だとばれたのかもしれない。
今の一撃はなんとか後ろに飛び退いたが、それで滑って俺は尻もちをついた。
滑り止めの砂が甲板に撒かれているはずだが、ほかならぬ俺の魔法でそれも押し流されていた。
3人が叫び声を上げて向かってくる。
立ち上がるのには間に合わない。
だが、俺ならなんとでもなる。
とっさに先頭の男に風を集中して叩きつける。
範囲を絞った一撃は、勢いがついていた男の胸に当たり、男はその拍子に立ち止まってしまう。後ろから続いていた男達とぶつかり転んでしまう。
その隙に、俺はなんとか索に捕まり立ち上がる。
転がる3人をまたいで2人、こちらに近づいてくる。
俺はカットラスで相手の斬撃を受け、押し返し、もう一人の腕に斬りつける。
いつものように血液を凍らせればいいのかもしれないが、俺には別の思惑があった。
それに、魔法で強化されている俺の剣は、そうそう押し負けるものではない。たとえ、身長160cmそこそこの新米のちびに見えていたとしても、見た目は実態を表していないのだ。そうなのだ……身長が伸びないで悲しい気持ちもあるけど、関係ないのだ……くすん。
……気を取り直していこう。
押し返した男は、結局大砲に頭をぶつけて動かなくなった。息はあっても重傷かもしれない。腕を切られた男は傷口を抑えてうずくまっている。ちょっと深く入ってしまったからな……
最初に転んだ3人が再び向かってくる。
これは剣1本では無理だな……
すると、横から飛び出す影があった。
「まかせるだす!」
ガフだ。
彼は槍を振り回し、敵を引きつける。
障害物が多く、索も張られている甲板上でよくあれだけ振り回して引っかからないな。
2人は引き受けてくれたので、こちらに向かってくるのは1人。
それなら簡単だ。俺は敵の利き腕に冷却魔法をかける。若干甘目にかけているので、凍傷まではいかないだろう。それでも、敵は武器を取り落として利き腕を抱えている。
余裕が出来てガフの方を見ると、すでに1人斬り捨てている。さらにその向こう、ウラッカ号の主力のいる辺りでは、セリオが奮闘していた。
彼が使うのは、カットラスよりはかなり細身の剣。あまり派手な動きはしないが的確に敵の急所を突いて、あるいは切りつけて戦闘能力を奪っている。
これなら心配ないだろう。
俺は、船尾の方に移動した。
ウラッカ号と同じで後尾楼があるこの船では、そこに上がる両舷の階段が一つの激戦区になる。ここまで混乱していても、階段を上ろうとする俺に複数の敵が向かってきていた。
だが、もうここまで来たら俺の腹も決まっている。すでにかなりの劣勢を跳ね返して互角以上になっているのだ。あとひと頑張り、それで全てが終わるはずだ。
さすがに精鋭だったらしい。かなりの大男で剣撃も鋭い者がいたが、戦闘において俺の取れる選択肢は広い。剣撃を受けられさえすれば、後はこちらから斬りつけるなり、魔法を使うなりして敵を無力化していった。
そしてついに……
「お前がこの船の船長か?」
目の前にいるのは、長髪にしたk……男だ。
危ない危ない。確かに男は長身とは言えなかったが、俺とほぼ同じぐらい。こいつを「……」と表現するのは、俺の自尊心が許さない。
体重は2倍近く差がありそうだったので、こっちは何の気兼ねもなく言える。デブだ。
男は返事をせず、マスケット銃を構えてこちらに突きつけている。おや? やはり言葉が通じないのだろうか?
「装薬が濡れているぞ」
俺の言葉に、ハッと一瞬手元の銃に目を落とす。
「言葉は通じているようだな……ならば言おう。おとなしく降伏しろ」
すでに戦況はこちらに優勢だ。下の甲板ではもう残党処理程度になっているし、この後尾楼でも立っているのは俺と船長の2人……あ、今左舷側からセリオが上がってきた。あれだけ激戦だったのにも関わらず大して怪我もしていないようでなにより。
「ちくしょう!」
敵船長は引き金を引いた。だが、フリントロック式だと火種が筒内に移動するまで一瞬間がある。乱戦の時ならともかく、1対1で使うような武器ではない。
俺はやすやすと銃口の向いている方を避け、船長に近づいてカットラスで斬りつける。
みねうちだったが、銃を持つ腕を打たれ、砲煙の上がる銃が船長の手から甲板に転げ落ちる。
膝をつき、腕を抑える船長の鼻先に、セリオが剣を突きつける。
近くで見ると、何人もの血を吸ってなお、その刃は鋭さを保っているのがわかる。日本の刀以外でこういう言い方をするのが正しいのかどうかわからないが、業物というべきだろうか。
ついに観念したか、船長はその場にうずくまった。