敵船の謎
現在、タロッテからアンティロスへの道半ば、ガニエ島の東を回って少し進んだ先だった。アンティロスは風が吹いてくる南東のはるか彼方、すぐ北西にはガニエ島、南西には少し離れてケーリック島があり、逆に東にはあのマローナがある。
不審な船、というのは、外洋に出ている船で国旗を掲げていないものだ。そういう船は海賊船として対処していいことになっている。
とはいえ、ウラッカ号のような弱小の船としては逃げる以外の対処は無いのだが……
望遠鏡越しで見える不審船は、ほぼまっすぐ東からこちらに向かって来ていた。正面からなので大きさがよくわからないが、見た感じ2本マストで上に横帆がいっぱいに張られているのが見える。
「速いな」
「ええ、多分こちらよりも……」
「それはそうと、何かおかしくないか?」
俺は、その船の姿に違和感を覚えた。なんだ? どこかおかしい。
隣で自分の望遠鏡を覗きこんでいたセリオは目をすがめて確認していたが、否定した。
「船長、俺にはおかしな点は見えませんけど……」
気のせいか……いや、それでも違和感が拭えない。その時、一人だけ望遠鏡なしで船を見ていたガフがこう言った。
「ちょっと変な感じがするだすね。風の具合からして速過ぎるような……」
慌てて俺もセリオも再び望遠鏡を構える。
確かに……前から見ている限り、あの帆の張り具合と船体のシルエットからいって、あれほど船首で波を立てているのはおかしい。
「……そういえば」
「それならばもしや……」
俺は目を閉じ、精神を集中する。はるか遠い船影に集中する。そこには、微弱ながら魔法が使われている流れが感じられた。
「間違いない。魔法で船足を上げているようだ」
「前に凪で船長がやっておられたのと同様ですな」
「そうだと思うけど、ちょっと違う気がする」
あれは風の魔法だから、もっと上の帆の辺りに魔力が集中するはずだ。今回はむしろ船体の方から強く感じられた。
「そういえば、あの船の帆のはらみ方は普通だすな」
「……うん。ともかく状況を整理すると、海賊船らしき船が、風上からまっすぐこっちに向かってきている。敵は謎の魔法推進を使っており、こっちは不利な風下……」
目で確認しても事実誤認を指摘する声は2人からは上がらなかった。
「よし、進路南南西に取る。戦闘準備をしてソバートン方面に一時退避だ」
「了解」
これで引き離せればいいが……
2人が、それぞれの部署に命令を伝えに行く。本来副長であるセリオが船長と共に船尾の高いところに控えるのだが、現在のウラッカ号の場合は違う。ガフが操舵士を兼任しているので後尾楼の俺の近くで、セリオがメインマストの側で命令を出している。
たちまち船全体が船員の駆けまわる振動で震え、帆が回され、進路を南西に取る。
セリオの方を見ると、大砲を発車する準備が行われている。万一の時を考えて水桶が出され、船倉から丸い砲弾が運び上げられて砲弾置きに並べられていく。
俺はうまくこいつらを訓練できていただろうか? まだアリビオ号の域には達していないことは間違いないが、俺もそれなりに厳しく訓練を続けてきた。船員は面倒で疲れる訓練をいやがるが、それが命をつなぐこともある。
ふと気づくと、側に船員が立っていた。
「船長……」
ああ、その顔を見て思い出した。ちょうど夕食前だったのだ。本職のコックほどではないが、一応満足のいく食事を作ってくれている調理員だった。
「ああ、気が付かなくて悪い。もう出来ているんだな? じゃあ進路を変えたらまず腹ごしらえにしよう。かまどの火は確認しておけよ」
「アイアイサー」
彼我の速度差はそれほどではないので、このままだと接敵には1時間以上かかるだろう。しっかり食事して力を出してもらったほうがうまくいくだろう。そういえば、俺は実験に熱中して空腹を忘れていた。
「自室に戻っている。何か動きがあったら知らせてくれ」
初めての本格的な接敵ということで、あれこれ考えることが多い。あまり食欲はなかったが、こういう時に余裕を見せるのも船長の仕事だ。俺は駆け足にならないように船室に引っ込んだ。
そのつもりだったのだが、やはり気になるので食事を済ませてさっさと甲板に出てきてしまった。なにせこちらより速い船が相手なんて異常事態だ。なるべく状況を把握しておきたい。船尾楼に上がってみると、セリオとガフが揃って指揮を取っていた。
「どうだ?」
「正体はわからないんですが、なにかチラッと後ろに曳航しているものがあるようです」
「曳航?」
つまり引っ張っているものがあるということだ。それならば船速が落ちるはずなのだが……ともかく、この角度では敵船の後ろは見えない。
ちょっと考え、船員たちがすでに食事を終えて配置に付いているのを確認したおれは決断した。
「よし、ちょっと振ってみるか……とりかじ一杯、風上に目一杯切り上げるぞ」
「了解、とーりかーじいっぱーい」
船はとりかじ、すなわち左に舵を取った。この向きは向かい風になる。とはいえ、真正面から向かってくる風に向かって帆船が進むわけはない。斜め前、それもかなり浅い角度でないと船はたちまち押し戻されてしまう。
ウラッカ号は、帆を変えたことで風上への切り上がり性能は一級である。敵船は横帆もあるということはトップセイルスクーナーかブリッグだろうから、この角度でついて来ることは出来ない。
ただ、相手は風上側なので無理にこちらの進路に合わせる必要はなく、ちょっと向きを修正すればよいし、裏帆を打つ恐れもない。
だが、その一瞬、俺は船の横からの姿を確認することが出来た。
「なるほど、外輪船か」
幕末に日本に来た黒船などで、左右に水車のようなものをつけている船があるが、あれの一種だ。この敵は、それを船尾につけている。引っ張っているわけではなく、後ろから押されていたのだ。
「舵を取るのは苦手そうだな……」
推進力を得る外輪が舵より後ろにあるからか、敵の方向転換はずいぶん鈍かった。
「動力船だすか?」
「そのようだね……まあ煙が上がっていないから人力か何かだろうが……」
こちらでも蒸気機関の初歩のようなものは存在している。ただ、まだ実用化には程遠い状態だったはずだ。ましてや船に載せるほどのものにはなっていない。
だから、あれは人力で漕いでいるのだろう。
俺は確認できたので、船の針路を戻すように命令する。このままでは敵船との距離が縮まってしまう。
ぎりぎりの、一歩間違えれば船が失速してしまう風上への切り上がりの間、集中して気を張っていたガフが、安堵のため息を漏らす。セリオが腑に落ちないというような表情で、質問を発する。
「どうして、あんな形にしたんですかね? 普通に櫂で漕ぐ形にしたらいいのに……」
「やはり波じゃないかな」
「そうだすけど、最近はそれも改良したような船が出てきてますよ?」
それは俺も見たことがある。櫂の出る位置が高いガレー船がタロッテに寄港していたのを覚えている。櫂で漕ぐ時には、なるべく櫂を水平にしないと力がかけられないので、必然的に櫂が出る穴が海面に近い位置になってしまう。そのために波に弱いというのが今までの常識だったが、それを覆して高い位置から櫂が出ている船があったのだ。
「あれも内部はかなり複雑な機構が備わっていると思うよ。それに比べたらあの船の仕組みは単純で故障も少なそうに見える」
「なるほど……」
キャプスタンと同じように、何人かで大きな車を回して、それをロープで伝達すれば簡単だろう。
「それに、既存の帆船に後付するならあの形が改造も楽だろう」
「それもそうですな」
「ただ、後は魔法の気配が気になる」
外輪を回す連中に肉体強化? いや、あれは自分にしか効かないし、かなり高度なはずだ。そんなレベルの魔法士を複数使用して外輪を回すだけ、なんて割に合わない。
他には……だめだ。俺には思いつかない。直接外輪を回すような魔法の使い方は出来なかったはずだが……
「ま、とにかく向こうの弱点は方向転換にあるようだから、それを利用するのがいいだろうな」
「まかしといてくだせえだす」
こちらには操舵のスペシャリストたるガフがいる。操船で向こうに遅れを取るはずはない。
「じゃあ始めるか、面舵一杯、進路を北にとる」
敵はいま、東北東側から近づいている。北に進路を取るということはむしろ敵との距離を縮めることになってしまう。しかも、風が南東から吹いている現在であれば、向こうは風下側への転進なので失敗の恐れが無い。
本来ならこちらを不利にするだけなのだが……
こちらが鋭い動きで方向転換するのと比べて、向こうはのろのろと方向を変えている。船の舵が一番後ろにあるのにはそれなりの意味がある。その舵より後ろで推進力を発生している敵船は、思ったように舵が効いていない。
ようやく敵船が方向を変えた時には、こちらはかなり北進しており、敵船は東南東側に見える。こちらの未来位置に向かって針路をとっているために、斜めから敵船の様子を見ることが出来る。
外輪は引き続き回っている。帆装は前のマストの上半分だけに横帆を張り、前の下半分と後ろの帆には縦帆のガフセイルを張ったトップセイルスクーナーだ。
「意外に重装だな」
舷側から見える砲口は12門程もあった。船体の長さの割に多い。
このままだと、斜めに接近しているのですぐに敵の砲撃が始まってしまう。だが……
「針路、下手回しで180度、南に針路を取る」
「アイアイサー」
下手回し、つまり風上に船首を回さない向きで方向転換をする。風上に船首を回す上手回しに比べれば簡単だが、風上に向かってジグザグに進んでいる時にはそちらが必要になる。
今回は、敵からむしろ遠ざかるので下手回しで正解だ。そして180度、真後ろへの方向転換は、船員が熟練で船の反応も良いウラッカ号には簡単だが、敵船はそうではないだろう。
俺は、これで振りきれると革新していた。
だが……
「船長、見てください」
言われて、敵船を見ると、敵船の方向転換がおもったよりはるかに速い。
「なんだ? ……あ!」
なんと、敵船は外輪を切り離していた。そうか、さっき自分で言ったことだった。あの形は、帆船に「後付で」「ほとんど改造なしに」付けられるのだから、逆に簡単に外せるということなのだ。
まずい、こちらも真後ろに転身したせいで行き足がついていない。それは敵船も同じだが、このままでは一斉射を食らってしまう。
だが、こちらにできることはもう無い。打ち返すにもこちらは片舷2門の豆鉄砲だ。かすり傷もつかないだろう。
しまった。俺は頭が真っ白になる思いだった。
だが、今回は俺が判断して俺が責任をすべて負うのだ。
何か無いか……何か……
仮に敵船が砲撃を外してしまえば、外輪を外した敵船に比べてこちらのほうが速い。そのまま何とか引き離せるかもしれない。だが、こちらは船体に比べて帆が大きい。当然目立ってしまうし、敵はそこを狙ってくるだろう。その場合は……
「敵船、砲撃、来ます」
敵船の甲板上の合図を盗み見たのか、ガフが叫ぶ。
砲口から炎が出、煙が上がり、一瞬後に音が響いてくる。
「伏せろ!」
俺は叫び、自身もしゃがむ。
パン、という何かが破裂するような音が聞こえて、見ると帆が破られていた。幸いにマストは無事のようだが……破れた帆がバタバタと音を立てて舞っている。
これでこちらの速度によるアドバンテージはなくなった。まさに絶体絶命だ。
今回の豆知識:
外輪船はわかりやすいですが、効率的にはスクリューに劣ります。外輪船とスクリュー船で比べて結論が出て以来廃れたそうですが、異世界ではまだ現役のようです。