32回死んだ男
とりあえずスタート。よろしくお願いします。
早く主人公を海に出したい。
(4/27追記)せっかく短編で会話文の練習をしたので改稿。以後の話の流れや設定に変化はありませんので、すでに読まれた方に改めて読み直してもらう必要はあまりありません。
怪我をしたものを前にして、“医者”は診断する。
確かに傷が開き、血や肉も失っている。
だが、この怪我は放置しても自然治癒するだろう。
そこで“医者”はふと思った。
この怪我を放置するのではなく、手を加えたらどうだろう?
もしかして元とは違う形に治癒するのでは無いか?
そうだ、そうすれば……
“医者”にはある望みがあった。
これは千載一遇のチャンスでは無いか?
そして彼は実行に移した。
準備には長い時間を要し、“医者”は最後の仕上げに入る。
こんな思考実験がある。
まったく身動きが取れなくなる薬を投与された人がいる。
その人がひどい苦痛を与えられる。
その後、その苦痛の記憶を消す薬を投与されたとしよう。
さて、その人は苦痛を与えられたといえるだろうか? というものだ。
普通は苦痛を与えられたら暴れるだろう。
意識がなくても反射やなんやらで体が反応するはずだ。
また、痛みの記憶は残っているだろう。普通ならば。
体が外部から観察可能な反応をしておらず、当人の記憶に残っていない苦痛というのは果たして存在するのだろうか? しないのだろうか?
それでも心は痛むじゃないか、というのが結論だったように思う。
心の定義に関してはいくつもの説が立てられた。
「心は動作を行う主体である」あるいは「記憶の集合である」など。
だが先のように思考してみれば、心は「動作主」でも「記憶の集合」でもない。
これは、そんな「心の定義」に関する思考実験というわけだ。
自称神様から受けた説明を聞いて、まず頭に浮かんだのはそんなことだった。
つまり、俺が太陽系第三惑星である地球の、日本という島国で大学生であり、夏休み前、前期の哲学の講義で聞いて、試験勉強としてノートを見直したそのことを、俺は思い出すことができるというわけだ。
そして、その思考実験と自分の境遇との相似についても……
「32回……ですか」
何やら白っぽい、ローブのようなものを纏って宙に浮いている人影。
角度からして見えているはずなのに認識できない顔。
そういった不思議な要素を持つ、神と名乗る存在と対面しているだけでも驚きなのだが、その言葉はもっと衝撃だった。
「そうです。私の力を持ってしても、正直なところ何の因果が影響しているかわからないのです。ですが、生まれ変わりをさせた先で、どの場合も生後まもなく死亡してしまうのです」
眼前の存在は、すこし申し訳無さそうな雰囲気を漂わせながら続けた。
話を整理するとこんなことらしい。
俺は地球で19歳、大学二年の夏に交通事故によって死んだ。
これは俺自身の記憶とも一致する。
8月のお盆前、大学が休みになり帰省することになった。
ちょうど同郷の友人が運転免許を取ったと聞いたので、「しめた、交通費が浮く」と考えて便乗した道中のことだった。
友人の名誉のために言っておくが、事故の責任はその友人にはない。
本当に唐突に、対向車線の大型トラックが突っ込んできたのだ。
不況はなんたらミクスである程度解消した2014年のことだったが、それで国全体が幸せになったわけではい。
かつて過重労働の運転手が、高速バスの居眠り運転事故を起こした事件が話題になっていたが、あれと同じようにそのトラック運転手も無理をしていたのだろう。
異常に気づいてから、その激突の瞬間までが、引き伸ばされてスローモーションのように感じるその中で、トラック運転手がよだれをたらして船を漕いでいるのがはっきり認識できた。
実際にはせいぜい1~2秒しかなかっただろうに、なぜかそのことははっきりわかった。
ひょっとすると命の危険で集中力が高まったとかそういうのだろうか。
もしかして、常に命の危険にさらしておけば、時間がないとお困りの受験生や社会人の勉強がはかどるのではないか。
これは大発見だ、ひょっとして、『佐原メソッド』として本を出したり講演依頼が来たりするかもしれない。などと、くだらないことを一瞬で妄想できるぐらい、そのときの頭の回転は速くなっていたようだ。
言い忘れていたが、俺の名前は佐原健二。19歳で親元を離れて大学に通う普通の大学生だ。いや、だった。
ともかく、そこまでは記憶にある。
俺たちは皆、前世の記憶とか死後の世界なんて存在しないと思っている。
しかし、実際には前世の記憶を持っていて、それは幼少のころにだんだん薄れていって、やがて5~6歳になるころには完全に忘れてしまっている。という話も聞く。
正直そういうオカルトめいたものは信用できなかったが、少なくとも死後の世界に俺はいるらしい。
見るからに日本じゃないし、夢にしてはやけにはっきりと認識できるので間違いはなさそうだ。
「生まれ変わりは普通のことです。誰しも死後いくらかの魂の休息と記憶の消去が終わったら、新たな生を受けるのです。そこで、近隣の世界と魂の総量に応じて交換が行われ、別の世界に生を受けることもあります」
これも妄想の産物だと思っていた、異世界への転生についても実際には存在するのだという。
いや、小説やアニメでそういうのがあるのは知っていたが、やはり想像上のことなのだと思い込んでいた。さすがに記憶の消去が行われるということなので、よくあるように赤ん坊に転生して幼少時から修行とかは難しいようだが。
いや、むしろ世間で『神童』と呼ばれるものは、記憶がうっすら残っている幼少のころに生まれ変わりを自覚して修行していたからそうなったのではないか?
成長するにつれて前世の記憶を失い、本人も理由を忘れてしまっているが、年齢にそぐわないぐらいに優秀、という存在になったのではないかとも思える。
ともかく俺の場合は、とある地球とは違う異世界、そこには魔法があり魔王などがいるファンタジーな世界に生まれ変わったらしい。
ここまでは、神様いわく「普通の事」らしい。
だが……
村長の次男として生まれた俺は、生後3ヶ月で流行り病により死んだ。
あまりに不憫なのと赤ん坊で消すべき記憶がほとんど無かったので、間をおかず山のドワーフの鍛冶屋の息子に転生したはずの俺は、母親の胎内にいる時に火事により死んだ。
同じように転生した今度は、国王の側室から生まれた跡継ぎ息子だったが、正室の立場を失うことを恐れた王妃により毒殺された。
以後も、雪崩による圧死、モンスターの襲撃による死亡、死産など、ともかく俺は物心つくどころか意識がはっきりする以前に、なぜか命を失ってしまっていたそうだ。
そうだ、と他人事のように感じてしまうのも、俺がその記憶を持っていないからに他ならない。数あるらしい短い一生について、おれは何も覚えていなかった。
それにしては地球のときのことははっきり覚えているのが不思議だった。
眼前の神様は、そこですこし戸惑いがちな、あるいはこちらの様子を探るような雰囲気を漂わせて続けた。
「前回、31回目の時には、それまでの不幸の代償として、ある程度の運命操作を行うだけの祝福が蓄積されていました。そこで、私のほうで許される限り最大限の加護を与えたのですが、その時にも何者かによって殺されるということになってしまいました」
「ちょっと待った」
「はい」
「まず何でこんな話を俺にするんでしょう? たとえば、もうあきらめてください……とか……」
そうだ、ずっと引っかかっていたことだ。
どうして神様が「俺」と、つまり31回前の前世の意識を持った存在としての俺と話をしているのか? そして、記憶に無い31回の短い人生の話をわざわざ説明してくれるのか?
これはもう神様の力でも無理だから、これ以上の生まれ変わりはあきらめて、俺に魂ごと消滅しろということでは無いのか? そのためのお詫びと説明としての、邂逅なのでは無いか?
正直ふざけるなと言いたい気分だった。
もちろん、生まれてすぐに命を失うものは、俺の記憶にある日本でだってかなりいたはずだ。そういう不憫さ、運のあるなしの不公平さに関しては、そういうものだと理解している。魂の不滅だとか生まれ変わりだとかいうものは、フィクションの中には存在しても現実には存在しないだろうから、そういう不運な人生に関してはあきらめるしかないよね、という考えではあった。
だが、現実は違ったのだ。
魂が不滅で、生まれ変わりが普通のことなら、そういった運や不運はだんだん平均化されていく。ある人生では不運にも早死にだったとしても、また生まれ変わって幸福な長寿を全うするかもしれない。そうして輪廻転生の中で、皆平等になっていくのだろう。
その事を俺は今さっき事実であるとして知らされた。
それなのに、俺にだけは生まれ変わりがうまくいかないからしょうがない、もう無理だから生を受けることはあきらめて、このままの状態で、あるいは消滅しなさいということなのか?
全世界、異世界も合わせた全ての存在が結果として平等のはずなのに、俺だけがそこに加わることが出来ない。俺だけが不運を一手に引き受けさせられ、救いの道も無いなんて我慢がならない。
だが、神様の答えは予想とは違っていた。
「いえ、生まれ変わりが無理だというなら、最後の手段を使います」
「え?」
「異世界転移です」