水晶占いの胡散臭さは異常
「兄さん、勉強を教えてくれませんか?」
もう日が随分あがってしまったときにようやく起きた俺に、凛はいきなりそんなことを言った。頼み自体はいいが、なにも起きてすぐに言うことはなくないだろうか。一応、まだ覚醒していないぼうっとした頭で、差し出してきた教科書を見てみる。
見覚えのある記号、見たくもない数式。教えてと言われた時からわかってはいたが、やはりこの教科か。
「あのなあ。確かに数学は朝にやるべきだとはいうけども、起きてすぐじゃなくていーだろうが。夏休みラジオ体操じゃねーんだよ。まず飯食わせろ飯を。朝ごはん食べないとラジオ体操中に熱中症になるだろーが。そんなんじゃスタンプはやれねえな」
腹になにも入ってない状態では、考え事などできるはずもない。
「あ、すいません私としたことが。もう時間的には昼ごはんですけど、すぐに用意しますね。あと、別にスタンプはいりませn」
「あーそう。どうも」
特に用意してくれとは言ってないんだが、作ってくれるというなら、無碍にするのも悪いだろう。俺は凛の肩をぽんと叩き、礼を言った。昔はご飯と言えば俺が作っていたが、時間がたつのは早いものだ。自分の成長はまるでわからない癖に、周りの成長は痛いほどわかる。
「歳を重ねるのは、嫌なもんだな、狐さんよ」
なんとはなしに、問いかける。姿は見てないが、近くにいるような気はしていた。
「しゃらくさいくて青くさいことを言うでないわ。二十歳そこそこのガキが」
思った通り、俺の後ろから、ちっこいババアが出てきた。やたらとフリルのついた、ゴスロリのような服を着ている。ロリがゴスロリを着てもおかしくはないが、そんな服、一体どこにあったのだろう。
「はっ、流石に長生きしてるやつは言うことがちげーな」
「ふん、黙っとれ。ちゅうか、御主、勉強を教えることなんぞできるのか? あの妹は、確か進学校に通っとるのじゃろう」
「問題ねーよ。俺もそれなりの受験戦争をくぐりぬけてるしな。それに、これでも旧帝に通ってる大学生だ。ほとんど行ってねえし、行く気もねえが」
「きゅ……? なんじゃそれは」
「知らねーなら知らねーでいい。自慢するようなことでもないし、俺の人生にはあんまり関係ねー」
「ふふん、儂にとっては、御主が馬鹿ではないとわかったことは嬉しくはあるがな」
「ああそうかい。そういう奴が多いと、俺の人生も生きやすくなって嬉しいよ」
学歴に誇りは持っているが、それが役立つかは疑問だ。高学歴ってだけで、努力家だと判断してくれる人なんかには有効ではあるとは思うが、そんな単純な奴はいないだろう。
「ところで、お前のほうでは尻尾の位置はさっぱりわかんねえのか?」
「無理じゃな。力が戻れば、と思っていたが、尻尾一本程度では何も変わらんかった。秋田の一本も、長い時間をかけてようやく発見したものじゃし」
「そうか。ならやっぱり、凛に頼って正解か」
自分の選択が間違っていなかったことに、俺は胸をなでおろす。
居間のほうから、凛の声が聞こえる。どうやら、料理は終わったようだ。狐はすでに食べたらしく、ゲームをするといって、用意された自分の部屋のほうに歩いて行った。入道雲が上に来たのか、大きな影が移動するのが見える。ゆっくりとした、実に平穏な時間だ。
素足でぺたぺたと歩き、居間の扉を開く。いいにおいが流れ出し、空腹を忘れていた腹が目を覚ました。
「朝からほっけとは、豪勢だな」
食卓に並べられた立派な焼き魚を見て、俺は言う。ごはんとみそ汁も、なかなかうまそうだ。
「もらいものですけど、是非兄さんに食べてもらいたくて、昨日から考えてたんです」
エプロンを脱ぎ、丁寧に畳みながら、凛は笑った。その笑顔を見ると、俺も自然に微笑んでしまう。今更ながら、家族というのはいいものだと思う。普通のやりとりが、最高のやりとりになる。らしくない、と思いつつ、俺は椅子に座る。
「んじゃ、頂きますか。って、箸がねーな」
「白道様、箸ならここに。魚の骨はすでに取りました。はい、あーん」
「ん、おおそうか、悪いな。あー――っじゃねえよ。真剣にノリツッコミしちまったじゃねえか。口開くまで違和感に気づけなかったわ」
いつの間にか隣に、玲が座っていた。相変わらず、忍者かなにかと思うほどの気配のなさ。上達しているような気がする。
「お前はぶれねえなまったく。何度も言うが、俺は世話をされるのはよくても、介護をされる気はねえ」
「私がしたいからしているだけです。それより、早く食べて頂かないと、ご飯が冷めてしまいますよ」
「誰のせいなんだよコノヤロー。いいよもう好きにしてくれ。今日は甘えさせていただくわ」
寝過ぎたせいで体がだるいし、食べさせてくれるというのであれば歓迎だ。こういうときは、嫌がるより流されたほうがいい。
「それでは、はい、あーん」
「あーんじゃありません」
俺のほうへと差し出された箸は、凛の持っていた菜箸によって止められた。マナービーンズならぬ、マナーチョップスティックスだ。ん? 意味がそんなに変わってないようなきがする。
「なんでしょうか凛様。私たちの愛の営みを邪魔しないで頂けますか?」
「私たちの愛の巣へ勝手に入ってきたあなたに言われたくはありません」
「おい、飯時にケンカすんじゃねーよ」
仲裁に入った俺の言葉はどこ吹く風。二人して言い合いを始めてしまった。俺としてはとっとと仲良くしてほしいんだが、そうなる日はどうやら遠い日のことになりそうだった。
●
凛の渡してきた教材は、高校生ならみんな知ってるチャートと、学校で支給されたセンターレベル以下の簡単な問題集だ。俺は書いてある公式を一通り見直した後、凛の質問に1つ1つ答えていく。
問題はどんどん消化され、テスト範囲の分はそろそろ終わろうとしていた。
「ここは、さっきの公式の応用ですか?」
凛がペンで指した部分を見る。
「いや、そこは無理に公式にあてはめなくていい。普通に計算したほうが速い。センターじゃ速度が重要だからな、なるべく速く解ける方法でやってみろ」
「はい、わかりました。……ふふっ、やっぱり兄さんに頼んで良かった。学校じゃ教えてくれないことばかりです」
「学校で教えることは、皆に当てはまるやり方だしな。自分にあったやり方のほうがいいに決まってるさ」
英語なんかじゃ、問題文から読んだりする方法もある。解く順番だって、最後からやるやつもいる。人に教えられた通りに勉強したって、意味はない。重要なのは、机の前にいる時間じゃなく、頭をよくしようと努力した時間だ。俺のような、授業をさぼってたやつが言っても説得力が無いが。
「えーと、点Pがこのときここだから……」
その点、この優秀な妹は、さぼることもないだろうし、安心だ。もう三時間ほどやっているが、集中力も衰えていない。
「そういや、お前のテストの成績ってどのくらいなんだ? 何位くらいになるんだ?」
「学年360人中、20位程です」
「おー、そりゃすげえ。お兄ちゃんちょっと驚いたわ。それじゃ、今回のテストで10位以内になったら、俺がなんかご褒美やろうか? なんてな」
「うふふ、兄さんったら」 凛は苦笑した。そうだよな、そんなことで成績が上がるなら苦労はしな 「ダントツで一位を取って見せますね」 ――あれえ?
「お、おい、そんな簡単に一位とか言っていいのか?」
中学校とかならまだしも、進学校で一位をとるのは、半端な勉強じゃ無理だ。才能と努力、その両方が必要とされる。
「兄さん。そんなことはどうでもいいです。それより、ご褒美はなにをお願いしてもよろしいんですか?」
「ん、まあ、すっげえ高いもの買えとか以外なら。俺にできることならなんでもしてやるよ」
「なんでも? いまなんでもと言いましたか? ふふ、ふふふ」
なぜだろう、俺は今とんでもない約束をしてしまった気がする。いや、そんなことはないはずだ。年の離れた兄妹なら、これくらいの約束はするだろう。しかし背中を流れる汗は、嫌に冷たい。
「ま、まあ、向上心があることはいいことだ。俺も協力するから、頑張れよ」
「はい、ありがとうございます。(協力? ということは兄さんも私にご褒美をあげたいということ!? きゃー!)」
なぜか凛の顔がゆるんでいるが、まあ、可愛いから気にしないことにしよう。今はそれより気になることがある。
「あー、凛。勉強中にする話じゃないかもしれねーけど、お前、陰陽師の技のほうはどうなんだ? 上達したのか?」
「え? ああはい。陰陽師の伝統的なもの以外に水晶やタロットなどの方面も上達しました」
手で丸を作ったり、カードを配るしぐさをして、凛は俺にわかりやすく伝えてくれた。
「あー、水晶な。けどあれは、最近だと一般的になりすぎて、あんまり客に信じてもらえなくないか?」
「それは大丈夫ですよ。仕事に使うんじゃなくて、趣味に使ってますから」
「趣味?」 使いようがわからず、俺は尋ねる。
「はい、暇なときに、兄さんが今何をしているかを見……こほん、そういえば、水晶って対象のこと以外は見えなくて大変なんですよ」
「え、ええ、ん? あ、そうなのか。不便なんだな」
なにか言いかけていたが、俺がなんなんだろうか。知らない間に運勢でも占ってくれているのか? それは、結局俺に知らせてくれなければ意味がないと思うぞ、妹よ。
「対象以外も見えるようになれば、あの邪魔な人も知ることができたんですけどねぇ」
「へえ、もう水晶玉の仕事が入ってるんだな。流石は自慢の妹だ」
「ええ、私の仕事といえば仕事ですね」
いやー、本当に立派な妹だ。最近仕事をさぼっている俺も、そろそろ金を稼ぐために、仕事をしなければならない。上手いこと仕事があってくれればいいんだが。凛の勉強もはかどっているようだし、一度聞いてみるか。
「凛、後は簡単な問題ばかりみたいだし、ちょっと用事があるから、教えるのはまた明日にしてもいいか?」
「んー、そうですね。兄さんに教えてもらえなくなるのは残念ですが、用事ならしょうがないです。大丈夫ですよ」
そっか、と言って、俺は携帯をズボンの右ポケットからとりだした。ロックを解除し、電話帳を開く。マ行をスライドさせると、一般的な名字が連続した後、一つだけ異様な名字、『斑目』が現れる。親指でタッチし、通話を選択し、携帯を耳につける。二回のコールの後、聞きなれた声が聞こえた。
「なんの用だ。仕事の話か、それとも新しい怪異譚でも手に入れたか」
聞こえるのは、地の底から響くような低い声。しかし嫌な印象は受けず、どちらかといえば、渋い部類にはいるだろう。
「残念ながら、おもしろい妖怪は見てねーな。今回は仕事の話だ」
斑目は普段は学校の教師をしているが、裏では様々な怪異譚を集めており、そのついでに妖怪関係の仕事を斡旋してくれる、頼もしい男だ。
「なんだ、つまらねえ。……まあいい、今どこにいる?」
「静岡だ」
「ふん、妹の所にいるわけか。まあそれはどうでもいい。静岡なら、最近だと、百万の仕事が一個入ってきてるな」
「百万か。どうせなら一発で大量に稼ぎたいところだが、オーケー、その仕事に決めた。詳細を教えてくれ」
「吸血鬼が二匹、ヨーロッパからはるばる入国してきている」
「吸血鬼だぁ? そりゃ陰陽師の領分じゃねえ気がするけどな。十字架も杭も俺は持ってねえぞ」
「そんなこと知るか。俺としては、吸血鬼どもは貴重な妖怪どもを食料にする、蛮族以下のクソどもだから殺してもらいたいだけだ。お前の事情なんて聞いてない。文句を言うなら俺に電話してくるな」
「あーはいはい、わかってるっての。それで、百万って値段からして、血を吸うだけのアホ吸血鬼か? まさか原初の吸血鬼相手にさせようってんじゃねーだろうな?」
「そんなやつを、むざむざとお前に殺されてたまるか。せいぜいコウモリより少し強いくらいだ。なんの問題も無い」
「そりゃよかった、了解。場所はあとで送ってくれ。今から準備するからよ」
それ以上無駄な話はせず、親指を動かして通話を切り、携帯をポケットに入れる。ちらりと横目を向けると、凛は一心不乱に鉛筆を動かしていた。邪魔をしないよう忍び足でその場を離れ、用意して頂いた自分の部屋へと向かう。途中の部屋で、椅子にかけておいた上着を取り、半袖のシャツの上に羽織る。
腰のあたりで振動を感じる。ポケットを探り、携帯を取り出し、新着メールを確認する。本文無しのメールには、吸血鬼の住んでいる場所の住所と地図が送られてきていた。地図アプリにその住所を入力し、現在地との距離を見る。ありがたいことに、二駅程度の距離に吸血鬼はいた。携帯をしまい、また歩く。
部屋の前に来ると、話し声が聞こえてきた。中には玲と狐がいるようだ。一応ノックをし、扉をあける。
「ぬぉぉ!? 儂の配管工に甲羅が! クラッシュしおった!」
「バナナを設置して油断しましたね。私がひっかかったのはいわばブラフ。ここからが本当の勝負です」
二人は、玲がいつの間にか持ってきていたレースゲームで遊んでいた。二人して俺に気付かないほど熱中しているようだ。それはいいんだが、いいたいことが一つある。
「お前ら二人とも、最下位争いしてんじゃねーよ」
「あぅっ」
「ひゃんっ」
両手で二人の頭を軽く叩く。どうすれば真剣にやって最下位になれるんだ。下手にも程があるだろうが。
「なんじゃ御主、れでぃの部屋に勝手に入ってくるなど、マナーがなっておらんの」
「いきなり叩くとは酷いです。おかげで私の姫が最下位になってしまったではありませんか」
「それはもとからだろーが。つーかなんでコンピューター相手に一周差をつけられてんだお前らは。それでよく楽しめるなオイ」
狐も狐で間の抜けたことを言っている。どこにレディがいるんだよ。
「儂は後半の追い上げに全てを賭けるタイプでな。そのためにとったアイテムはすべて使わずに取っておいたのじゃ」
「なにを勘違いしとんのか知らんが、アイテムの持ち越しなんて出来ねーぞ」
「なっ!? じゃあどうやってここから勝てばいいんじゃ!」
「知らんがな」
どこの方言ともわからない言葉を発してしまった。
「で、では、姫がこのあとさらわれて、配管工が亀を倒す旅にでる件はどうなっているのですか?」
「それ違うゲームじゃね?」
「なっ……!」
「いや、『なっ……!』じゃねーよ。お前はジャ○プとマガ○ン間違って買ってくるお母さんかよ」
頭が痛くなってきた。ゲームを侮辱しているのかこいつらは。
「ところで、白道様は何しにここへ?」
さっきまでのショックはどこへやら、玲が冷静に尋ねてきた。そうだ、ツッコミどころが多すぎて、当初の目的を忘れるところだった。
「仕事だよ。吸血鬼がいるらしいんで、退治しに行く。玲も、支度してくれ」
財布とタオルを探しながら、俺は言う。
「私も行ってよろしいのですか?」
少し遅れて、玲が不安そうな顔で言う。たった一日程度構わなかっただけで、拗ねたようだ。俺はため息を吐き、まっすぐに玲を見る。
「聞かんでもわかるだろ? お前がいたほうがいいに決まってる」
「――っ。はい、かしこまりました」
わずかに目を細めて、玲は微笑んだ。途端に、俺の目のピントは玲に合わせられる。つられてしまうような笑みではなく、心に一滴のしずくが落ち、そこから全身に、心地いい波紋が広がっていくような笑顔。こいつは、たまにこうした良い表情を見せてくれるから面白い。
「んじゃ、俺は先に外に出てるから、準備出来たら来てくれ」
バッグに、さっき見つけた財布とタオルを入れて、俺は部屋を出ようと、
「おい、儂はどうすればいいんじゃ?」
したところで、狐に呼び止められた。こいつは、自分の現状を理解していないのか?
「今のお前が吸血鬼に会ってみろ。一回吸われたら存在が消滅すんぞ」
「むぅ、た、確かに……」
「わかったらお留守番頼むぜ。晩飯までに帰れるかわからんから、凛にそう言っといてくれ。今は勉強中だから、終わった後でな」
「あいわかった。心配もいらんと思うが、怪我するでないぞ。あのアホ妹がうるさそうじゃしな」
「おう、あいつに心配されると困るし、気をつけるさ」
手を軽く振り、玲のほうを見る。話している間に準備は出来たようで、俺たちは二人で部屋を出る。太陽が沈み始めたようで、西日で影が廊下に伸びる。ちょうどいい時間だ。吸血鬼が動き出す、夜が近い。
俺は、吸血鬼の顔を想像しながら、天井の木目を眺めていた。




