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キツネギアソリッド2



「――つまり、尻尾を取り返したいと――力を、取り返したいと言うことですか」


「うむ。しかし残念ながら、儂だけでは力不足じゃ。じゃから、そこの陰陽師に頼んだんじゃ」


「なかば無理やりに巻き込まれただけだけどな」



本堂のなかで、仏に見守られながら狐と玲は膝をつき合わせていた。面倒だと思っていた説明は全て狐がしてくれたので、手持ち無沙汰な俺は少し離れた場所で胡坐をかいている。


玲と狐は正座をしていたが、よくもまあ木の板の上で座布団も敷かずに正座が出来るものだと、感心してしまう。畳の上なら一時間程度は出来るが、床に直はきつい。


ふいと外を眺めると、沈み始めた太陽に、黒い点が見えた。黒点という奴だろうか、それとも、ただの鳥の影か。俺は眩しくて目を逸らす。夏もそろそろ終わりかという時期だが、太陽の元気さだけは変わらない。


「簡単に取り返すと言いますが、尻尾がどこにあるのかはご存知なのですか?」


「無理に決まってんだろ? 世界中のどこにあるかもわかんねーんだぞ? ドラゴンボール探すのにブルマがどんだけ苦労したと思ってんの? パイ揉まれたりノーパンしゃぶしゃぶしたり彼氏がヤムチャだったり、三蔵法師より苦労してるよ彼女は」


「彼氏がヤムチャだったりってなんじゃ! 別にいいじゃろ?! その時はまだよかったじゃろ! 最初にドラゴンボール集め終わるまでは輝いてたじゃろーが!!!」

 

 などと俺と狐が言い争っていると、玲はコホンと咳払いをしてから、ゆっくりと話し始めた。


「まあ、話だけでも聞いてみてはいかがですか? 集めても願いは叶いませんが。私達が狐さんの願いを叶えることはできます。そうでしょう?」


微かに笑みを見せて、玲は狐と俺をしっかりと見据えた。初対面の畜生にこの発言。もはや背中に後光すらさして見えた。

 

「…………あ、あきらっさぁぁぁぁん!!!! 聖女じゃ! この地球に舞い降りた天使じゃよお主はぁぁぁぁ!!」


「いえ、妖怪です」


「Cooooooool!!! めっちゃクーーールじゃよあんた!! 一生ついていくよ儂は!!」


「おーい、アホなことで盛り上がってんじゃねーよボンクラ共。だから、どうやって探すんだよ尻尾をよ。ドラゴンレーダーでもあんのか? ああ?」 


何より恐ろしいことは、妖怪は無限の寿命を持っているため、時間さえかければいいと思っていることが多々あるのだ。人間にそんな無茶を押し付けられても困る。


「心配はいらん。尻尾は儂の一部――どこにあるかなど、だいたい見当がつく。儂が受信機だとすれば、尻尾は送信機。ドラゴンレーダー内蔵型狐とは儂のことよ」


自慢げに、狐は尻尾を振り回して説明する。


なるほど、なんとも便利だ。


「そんなもんなのか? だったら、とっとと場所を教えてくれよ」


正直、自分の仕事もある以上、あまり長いこと付き合ってやるわけにはいかない。寺の雑用や、陰陽師としての依頼もあるのだ。社会人は暇ではない。


「う、うむ。それがなんじゃが……」


急かすように詰め寄ると、狐は面目無さそうに頬をかいた。


「儂は、今やその受信機としての力すら失っとるような有様じゃ。今のところ、わかるのはたった一本だけじゃ」


力を取り戻せば多分分かるのじゃが、と言って狐は俯いき、床にのの字を書き始めた。伝説の妖怪として、自分の不甲斐なさに多少悔しさを感じているのだろうか。


出来ていたことができなくなると言うことは、案外人の自尊心を傷つける。それが当たり前のことだったのなら、尚更だろう。


そんな狐を見かねた玲が、優しく狐の手をとった。


「大丈夫です。きっと白道様が解決してくれるはずです。なにも心配は要りません」


淡々とした口調ではあったが、玲にしては心が篭っていた――ように思う。とても断定的な言い方だ。人を何でも屋扱いされるのは困るが、信頼されているようだったので、素直に嬉しかった。


間違っても表情には出さないけど。


「気は進まねーが、俺は陰陽師だからな。尻尾はともかく妖怪退治が仕事だ。安心して背中に隠れてろ」


苦笑しながら俺は言う。こうなってしまった以上、途中で見捨てるなんてことは出来ない。それに、狐は案外良い奴だ。話の合う面白い奴だ。


これも、間違っても言いはしないけど。


「御主ら……」


狐は戸惑っているような、困っているような、それでいて笑っているような、複雑な表情で俺たちを見た。そして相好を崩して、尻尾をぴんと立てる。


「ありがたい。そして、借りは必ず返す。じゃから、儂の命運は御主らに任せる」


狐の言葉に、俺は少し驚いた。伝説の妖狐が、素直に人に頭を下げるなどとは思っていなかった。同時に、なんともいえない気分のよさが、胸の奥からこみ上げてきた。


自然、微笑む。


「借りなんて、返さなくていいさ。テメーはいつもどおり尊大に笑ってろ」


そう言うと、玲も嬉しそうに尻尾を振りながら、頬を綻ばせた。


「その通りです。好きでやるのですから、お礼はいりませんよ。微力ながら、私もお手伝いさせていただきます」


がっちりと狐と握手を交わし、決意を固める。俺はもう、殆んどの妖怪たちにとって敵だ。どこにいっても命を狙われるだろう。

――だが、それを不幸だとは思わない。陰陽師は、もとから妖怪の宿敵であり、天敵だ。いまさら、妖怪を敵に回して恐れることなどなにも無い。


「それじゃ、善は急げだ。一本は位置が分かってるんだろ? 明日にでも行こうじゃねーか」


「うむ、了解した」


狐は威勢良く手を叩き、ワンピースのポケットから小さな日本地図を取り出した。今朝キヨスクでごそごそやっていたのは、このためか。


「詳細は着いてから調べるとして、大まかな位置はここじゃ」


と言って、狐が指差したそこは。


「東北地方、秋田県じゃ」



………………。


「チェンジで」


「なんでじゃ!? ていうかまた!?」


狐は思い切り床に尻尾を叩きつけて、ムキー、といった風に歯をむいて犬歯を光らせた。だが、俺も黙ってはいられない。


床を踏みつけ睨みを利かせ、狐に怒鳴る。


「お前ふざけんなコラ。秋田ってお前、東北ってお前……本州の端っこじゃねーかっ!! 電車賃だれが出すと思ってんだコノヤロー!!」


「なんじゃけちんぼ!! さっきまで格好いいことぬかしとったくせに!!」


「うるせーバカヤロー!! 陰陽師なんてなあ、ほとんどボランティアみてーなもんなんだよ! かつかつなんだよ! アイハブノーマニー! アーユーオーケー!?」


「五月蝿いわボケナス!」


「なっ! て、てめえ言うに事欠いてナスだと!? 歯ぁ食いしばれコラァ!」


「黙れ若造がッ! この九尾、容赦せんッ!」


双方共に、乾坤一擲とばかりに構えを取る。


「はああ!! 喰らえっ! 奥義陰陽師パンチ!」


「甘いッ! 必殺きつねカウンターァァあああああああ!!」


ドガッ!


ボゴッ!



「「ぎゃふん!」」











閑話休題。


春の話。



「うん? お前何やってんだ?」


喉が渇いたので麦茶でも、と台所にいくと、玲がなにやら難しい顔をして包丁を握っていた。


端から見ると人を刺しそうな雰囲気で、正直恐ろしい。まな板に転がっている野菜が不気味だ。


「ああ、白道様。実は、創作料理の研究をしているのですが、なかなか上手くいかなく、行き詰まっているところです」


「ふ~ん、創作ねえ。お前さんの料理、やたら美味いなとは思っていたが、そんな努力をしてたのか」


普段から料理の腕前には目を見張るものがあったので、俺は何も考えずそう言った。


「っ……そ、そうですか。美味しかった、ですか。ありがとう、ございます」


玲は何故か俺から目を逸らして、頬を赤く染めた。目を合わせようと覗き込むと、さらに赤くなる。褒められて照れているのだろうか。だとしたら、案外可愛い奴だ。


――ならば、もうすこし意地悪してやろう。


「おう。俺はお前の料理が大好きだ」


言った瞬間、空気が変わった。


どんな顔で照れるかと思っていると、玲は驚愕の顔(玲にしては)を浮かべて、おずおずと口を開いた。


「――っ! ……す、すみませんが『の料理』のところを無くして今の台詞をいってください」


ものすごい力で包丁を握り締めながら、妙なオーラを放っている玲に戦慄を覚える。有無を言わさぬ雰囲気だ。


「お、俺はお前が大好きだ?」


「疑問系ではなく」


「……俺はお前が大好きだ」


「~~~~っ!」


ダンッ! と包丁をまな板に突き刺し、玲はぷるぷると震えじめた。


……いやいや、怖い怖い怖い! 何やってんだよ玲さん!。血の気が多いのか、顔が真っ赤なのがまた怖い。耳まで赤い。つーかなんでちょっとにやついてるんだ。無表情が売りじゃなかったのか。


「と、ところで、創作料理ってのは例えばどんなのを作ってるんだ?」


一歩後ずさり、強引に話を変える。しかし返事は無い。後ずさった分近づき、肩に手をかける。


玲は「ひゃあ」と小さく声を上げて、こちらを振り向いた。


「……え? あ、ああ、そうですね、料理ですか。基本的には、白道様の好みに合いそうなものを作っていますが」


「俺の好みって、ラーメンとか?」


中華系だろうか。というか、そもそも好きも嫌いもあまりないんだけどな。


「いえ、ビーフストロガノフ的なものを作ってます」


なんで!?


「ビーフストロガノフ的なものって、それもうビーフストロガノフだよね!? 紛う事なきビーフストロガノフしか出来ないよね!? つーかなんでロシア料理っ!?」


「じゃあパンナコッタでも作りましょうか」


「お前それ完全に語感の良さだけで言ってるだろ。あれスイーツだから。思っくそデザートだから」


もはや創作ですらないし、俺の好みに関係ない。


「じゃあ肉じゃがでも作りましょうか」


「最初からそうしてくれ……」











――なんやかんやあったが、ひとまずリセット。


渋々ながら俺はコンビニで貯金を下ろし、明日に備えて早めに風呂に入ることにした。東北で見るものなどないし、出来れば日帰り旅行にしたいところだ。


着替えをタンスから取り出し、タオルを掴んで脱衣所に入る。歴史があるだけあって、風呂は上等な檜風呂だ。温泉と比べるとどうしても物足りなく感じるが、足を伸ばして入ることが出来れば、上出来だ。


「――ところで、なんでテメーはそんなところで覗いてるんだ?」


ズボンに手をかけたところで、扉の隙間からこっちを見ている玲に声を掛ける。玲は「ばれていましたか」などと舌打ちして、扉を開けた。なにしてるんだこいつは。隙間から覗くとは、無駄に妖怪っぽいことしてるな。


「――いえ、着替えをお忘れではないかと思いまして」


「そもそもお前が俺に着替えを渡しただろーが」


「――私をお忘れではないかと思いまして」


「初めての修学旅行並みに忘れ物チェックしたから大丈夫だ」


荒っぽく扉を蹴って閉めて、置いてあった木刀を立てかけて鍵代わりにする。なぜ木刀があるのかはさっぱりわからないが、これからはいつも置いておこう。


扉に背を向けてパンツを脱ぎ、念の為に腰にタオルを巻く。妖怪が本気を出せば、木刀程度、爪楊枝のように折ることが出来るのだ。セキリュティは完璧にしておかなければならない。


肌寒さに体を震わせて、風呂場に入る。入った途端、湯気が全身に張り付き、視界を曇らせる。早く湯船に入ろう、そう思っていると――。


「おお、先にはいっておるぞ」


狐がいた。


本気でひっくり返った。


貴重な体験をしてしまった。


「……お前、人を驚かせて楽しいか?」


「かかか、人を驚かせるのも妖怪の仕事じゃよ」


ただでさえ潤っている髪を濡らせて、狐は浴槽の中で快活に笑った。色々と言いたいことが頭の中を渦巻いているが、とりあえずタオルを巻いておいてよかった。


一応きっちりと巻きなおして、椅子に座る。


一人では――少女にとっては大きすぎる湯船で、狐は体操座りのような格好で浮いていた。身長――というか座高が低いため、ふちに手をかけると勝手に浮いてしまうようだった。


「お前、ちゃんと身体洗ってから入っただろうな」


「たわけ。淑女たる儂が、身を清めないわけがなかろう。御主こそしっかり洗え」


「へーへー、わーってますよ」


舌を出して狐をからかい、スポンジを取る。俺とて常識ぐらいある。玲がいるのだから、汚いまま湯船に入るわけがない。


シャワーからお湯を出し、ボディソープをつけたスポンジを何度も握って泡立てる。俺はへちまのたわしが好きなのだが、玲が勝手に取り替えてしまったのだ。おかげで少し物足りない。


「入るから、少しどけてくれ」


「湯をあまりこぼすでないぞ」


纏った泡を洗い流して、ゆっくりと湯船に浸かる。水位がぐんぐんあがって、狐の顔が沈みそうだ。そのまま溺れてしまえ。


「ふうむ、気持ちのいい風呂じゃが、ぬるいのう」


俺に背中を向けている狐から、不満そうな声がする。


「精神的に疲れているときは、ぬるめの風呂でゆっくりするのが一番なんだよ」


「なるほどのう。風呂一つとってもいろいろ研究されとるもんじゃな」


そこからは、言葉を交わすこともなく、静かな時間が流れ始めた。目を閉じて力を抜くと、お湯と一体化したような気分になる。お湯がじわじわと侵食してきて、ため息が漏れる。


今日はいつにもまして涼しいので、いつまでも入っていられそうな気分になる。のぼせ始めた頭が、不思議な幸福感を分泌する。重力からの開放感を噛み締めて、俺は口まで浸かってくつろいだ。


長くて短い時間が、過ぎていく。


――気付くと、狐が俺の腹の上に乗っていた。髪の毛が目の前で浮かんでいる。浮力とあいまって、殆んど狐の体重を感じない。


「随分と、リラックスしてるな」


「風呂の気持ちよさだけは、どれほど時が経とうと変わらんからの」


狐の背中と、俺の胸が接触する。吸い付くような肌だった。


「のう、ひとつ聞いてもよいか?」


狐は俺の腕を支え代わりに掴んで、囁くように尋ねた。


「どうしたよ。お前にしちゃ真剣な口調じゃねーか」


茶化すように俺は言うが、狐は反応もせずに言葉を続けた。


「御主は、どうして儂を助けてくれるんじゃ? ……いや、違う、どうして――憎まないんじゃ?」


俺は意味を図りかねて、頭を捻る。


「憎む? どうしてだよ」


「儂は嫌がる御主を、強引に巻き込んだんじゃぞ。だというのに、御主は面倒くさがりながらも、儂に力を貸してくれる。嫌ったりせずに、話してくれる。儂にはそれが――不思議なんじゃ」


とつとつと、言葉を選ぶように狐は話す。なんというか、不安そうな調子だ。傲慢で能天気なバカ狐だと思っていたので、つい呆気にとられてしまった。はっとして、意識を戻す。


どうにも、ふざけてはいられないようだった。


「よく、わからねーけどよ。少なくとも、俺はお前を憎んでもいないし嫌ってもない。ただの、話の合う友達だとしか思ってねえ」


「とも、だち?」


「ああ。普通に話せて、遊んだりしてる相手を友達といわないで、なんて呼べってんだよ」


他に言い方はあるだろうが、俺の語彙力ではそうとしか呼び様がない。そうとしか思えない。


「友か。数百年は聞いたことのない呼び名じゃの」


遠く昔に思いを馳せて、狐は呟いた。俺はなにも言わず、軽く狐の胴に手を回した。何千年という年月は、人間の俺には想像できないが、狐が辛かったであろうことは、自然と伝わってきた。


狐は、「少しだけ、時間をくれるか」と言い、深く息を吐いた。


「儂は、生まれた時から九尾じゃった。狐が化生したわけでもなく、最初から。悪の思念が集まって、儂は形成された。じゃから、儂は妖怪の王として、古代のアジアで暴れまわった。それこそ――子供のようにじゃ。……じゃが、ある日突然、今の儂が目覚めた。夢から覚めたように――悪夢から逃げ出したように、唐突に現在の性格になった。それが何故かは、未だに分からぬ。じゃが、儂にはそれが恐ろしくてたまらんかった」


ぎゅ、と俺の腕を掴む力が増した。少しだけ、震えているようにも見えた。


「以後何百年も、儂は自分のしたことが怖くて怖くて――狂いそうじゃった。悪を吐き出しつくしてしまった儂は、もはやただの力ある狐に過ぎぬ。そんな儂にとって、自らの罪は大きすぎた。そして――重すぎた」


狐の身体が縮こまり、俺に更に密着し始めた。まるで子供が、安心を求めて親に抱きついているようだ。


声を震わせ、唇を噛み締めながらも、独白は――続く。


「罪を忘れたくて、人間に化けて生活したりもした。子供となってはしゃぎまわったこともあった。――じゃが、儂は人間として生きるには寿命が長すぎる。……どれほど女子達と仲良くなろうと、みんな老いて死んでいってしまう。儂を置いて、死んでいってしまう。寂しさで、死んでしまいたくなった」


俺は、そこで初めて合点がいった。狐がやけに人間の文化に詳しいのは、そうした寂しさを埋める為だったに違いない。生身の人間はいつか消えてしまうが、漫画や映画ならば、消えたりはしない。風化しない限り、いつまでも存在し続ける。


狐は能天気だったのではない。陽気さを武器に、必死に恐怖と戦っていたのだ。何年も、何百年も。


「本当は、九尾の力が抜けた時に、死んでしまおうと思っていたんじゃ。強すぎて自殺もできないという呪縛から、やっと逃れられたと喜んでおったんじゃ

「――じゃが、情けないことに、儂は死ぬことも怖かった。幾度となく死を見続けてきたが、それでも死ぬのは怖かったんじゃ。そして御主に助けを求めた。

「自分で自分に胸糞悪くなる。生への執着の、なんとあさましいことか」


情けない、情けない、と呪文のように狐は漏らし続けた。横から見える頬が濡れているのは、お湯のせいだけではないだろう。


俺はどうしたものかと頭をかく。正直な話、こういった話は苦手だった。


なんと声を掛ければいいのか、とんと見当もつかない。不甲斐ない限りだ。


――だから


何も考えることなく、俺は狐を抱き寄せた。


「……な、んじゃ」


鼻を啜りながら、嗚咽交じりに狐は突き放すように言葉を吐く。……少し傷ついた。


「特に、なにか言うつもりはねーよ。というより、なにも言えねーよ」


「……」


「――ただ、一つだけ文句がある」


俺には分かったような口をきく頭はないし、気のきいたことを言うような甲斐性も無い。


ひたすら、素直に思ったことを言うことしか出来ない。


「勝手に俺がお前を嫌ってるとか思ってんじゃねーよ。お前の過去がどうだろうと、お前の罪がなんだろうと、俺は気にしねえ。テメーが何と言おうと、俺は無視して仲良くする」


倫理とか道徳とか、そんな崇高なものは、はなから持ち合わせてはいない。


「お前はむかつく奴だ、適当な奴だ、理不尽な奴だ――けどな、お前は面白いんだよ。俺にとっちゃ、それだけで充分だ」


歯軋りが聞こえた。


狐が泣きじゃくりながら、言葉を紡ぐ。


「儂は、何万人も殺してきたんじゃぞ……?」


「そうかい、けど、今のテメーは人を殺したいとは思わないんだろ」


それならば、なんの問題も無い。今は普通の狐なのだから。


「儂のせいで、御主に面倒をかけるかもしれないんじゃぞ?」


「面倒じゃない女がいたら連れてこい。そいつ多分妖怪か詐欺師だから」


妖怪退治程度の面倒ごとなら、屁でもない。陰陽師としての仕事もできるだろうし一石二鳥だ。


「本当は死にたがりの、根暗な奴なんじゃぞ?」


「はっ、せっかく出来た友達死なせてたまるかよ。そんで、力取り戻した暁に礼をたっぷりふんだくってやらあ」


声を上げて笑い、狐の肩を叩く。


全く――くだらない。なんとも俺はしょうもねえ。結局、狐の悩み事の一つも解決できていやしない。そもそも、狐の苦しみの一割も理解していやしない。


ばかばかしすぎて、笑えてくる。


けれど、まあ


「御主は馬鹿じゃ……、大馬鹿じゃ……」


「馬鹿でいいんだよ。人間も妖怪も、馬鹿なぐらいがちょうどいいさ。難しいことは気にすんな。だから、そうだな、うん。……狐さんよ――これから、よろしくな」


丸っきり馬鹿な笑い顔で、俺は狐に手を差し出した。


過去も未来も、どうでもいい。今、この瞬間だけでも俺と狐が楽しく喋っていられれば、それでいい。


そんなことを思っていると、狐は呆れたように吹き出した。


「く、くくく、どうやら、儂も馬鹿だったようじゃの。御主に相談した――儂が馬鹿じゃったわ」


そう言いながらも、しっかりと、狐は俺の手を握り返す。


涙の後のついた顔はほんのりと赤く、そして、やさしく微笑んでいた。







――――




「のう、御主」


「なんだ狐」


「この風呂はぬるくてたまらん。……じゃから、もう少しくっつけ」


「なんだそりゃ。熱い湯が好きにも程があんだろ」


「いいから、儂を暖めろ阿呆……」


「はいはい、のぼせてもしらねーぞ」


「……ん」




――――


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