巫女さんに会いに行こう! の巻
今回のプロローグ
脱衣所にて
見た目は幼い少女である狐と、男湯の脱衣所で一緒に着替える俺。
設置されているロッカーに服を入れ、鍵をかける。
……
……
「な、あ……うあああああああああ!!」
「ひゃあ!? な、なんじゃ突然……。チャックで挟んだのか?」
「ち、違う……。こ、このロッカー……」
「ろ、ロッカーがどうしたんじゃ?」
「このロッカー……、百円が返ってこないタイプだ……っ!」
「御主、意外とけちくさいのう……」
●
「なんだか、御主の弁当のほうが美味そうじゃな。交換せい」
「一生油揚げ食ってろバカ。稲荷バカ」
適当に乗り込んだ新幹線で、運良く自由席に座れた俺と狐は、少し遅い朝飯を食べていた。食べるものは当然駅弁。
狐はお稲荷さん弁当とやらを買い、俺は黒豚しょうが焼き弁当を購入した。ここでも金は俺の支払いであり、新幹線の代金も含めて、たった二日で財布はすっかり軽くなってしまった。
「儂は別に油揚げが好きなわけではない。油揚げが儂を好きなのじゃ」
「うるせーよ。勝手に油揚げとフィーリングカップルでもしてろよ。赤いキツネの中にゴールインしてこいよ」
暢気な掛け合いをしている間も新幹線は進み続け、到着まであと数十分ほどだ。俺の実家は、愛知県の尾張地方にある。手付かずの自然に囲まれた、田舎の巨大な寺だ。にもかかわらず名古屋がすぐ近くにあるため、物資の調達に苦労しない好条件の土地だ。
売る気は無いが、売れば結構な値になるだろう。
「――ところで、お前は寺に入って大丈夫なのか? 大抵の妖怪は近づくことも出来ないぞ?」
「悔しいが、今の儂の力では結界に引っかかることすら出来ん。普通の人間以下じゃ」
「小さすぎて網目を潜り抜けてしまうようなもんか。不便っちゃ不便だが、今回は良い方向に働いたもんだな」
「まあ、力はあくまで身を守る為のものでしかないからの。普通に生活するのであれば、問題は殆んどないといっていいじゃろ」
「普通にって、お前野生の動物を取って喰ってたのか?」
「いや? 普通にシュークリームとサーティーワンアイスクリームを食っておったぞ?」
「よし、”普通”って言葉について話し合おうぜ」
肉どころか主食ですらない。どれほど甘党の女子高生だろうとそんな暴挙はしないだろう。そして自身の食生活について一抹の疑問も抱いていない辺り腹が立つ。
クリームしか食ってねーじゃねーか。アメリカの小学生も裸足で逃げ出すわ。
「うるさいのう。若いうちから細かいところを気にしとると、コゲるぞ」
「まあ、焦げたらハゲるだろうけどよ……」
噛んだのかわざと間違えたのか、小さい口に目一杯大好物を詰め込んで、狐は嬉しそうに目を細める。箸を器用に使いこなしているところを見ると、大妖の時からちょくちょく人型になっていたのだろうか。それにしたって、現代人よりよほど上手い。
「儂は精密動作性がAじゃからのう。箸で豆を取るぐらいならお茶の子さいさいじゃ」
「成長性はEだろうけどな」
「ほう、よく分かったの。儂は史上最強じゃからE(完成)なんじゃ」
「ああ? スタープラチナと同じとか、おこがましいわアホ幼女」
内容の無い雑談を続けているうちに、いつのまにやら新幹線は減速しはじめ、窓の外の景色がはっきりと目に映る。
見下ろすことが出来る高架から、見知った駅前を眺める。見慣れた景色も、こうして見ると面白い。人間というものの存在が、強く感じられる。
意味のわからない現代アート展をやっている暇があれば、窓から見える景色を写真に収めたほうがよほど芸術性があるようにも思う。それほど、車窓の景色と言うものは味わい深い。
思わず見入ってしまっていると、狐が服を引っ張ってきた。
「のうのう、あの桃色の西洋の城のような建物はなんじゃろう? ホテルの様じゃが」
「……台無しじゃねえか」
●
名古屋駅から電車に揺られること数十分。俺たちは、改札も無い無人駅に到着した。外に出ると同時に、倦怠感や悩みを吹き飛ばしてしまいそうな、爽やかな日光が降り注ぐ。
特殊な地形の為、湿度は殆んどなく、嫌味のない暑さが体に染み込む。呼吸をするたびに感じる、土と草と風の匂い。どこか安心する田舎の空気だ。このまま道に倒れこんで、眠ってしまいたくなる。
太陽を見上げ、深呼吸してから、二人で歩き出す。狐はどこから取り出したのか、麦藁帽子を被っていた。長い金髪に、大きすぎる帽子がよく似合っていた。
「そこにある階段を上っていけば、俺の家――つまり寺がある。一応近くに神社もあるけど、寺が本業だ」
「寺も神社もやっておるのか?」
「神仏習合ってな。比叡山だって延暦寺と日吉大社があるだろ。そこらへん、日本人はいい加減なんだよ」
昔は仏教と神道の間でひと悶着あったらしいが、今や寺と神社の差など、分からない人も多いだろう。まあ、宗教戦争なんて愚かな真似をするよりは、よっぽど平和的で合理的だ。
「ふ~む」
狐は顎に手を当てて、神妙な顔をしていた。今の話に、なにか感じるものでもあったのだろうか。
――などと思っていると。
「疲れた。階段が長い。抱っこ」
と言って、短い腕を差し出してきた。
「そうか。結界で燃え尽きて灰になれ」
俺は狐を置いていくことにした。
●
一週間は経過したように思われる長い道程を経て、遂に俺たちは石段の最上段――寺の入り口までたどり着いた。
平日の昼間では参拝者もおらず、広場は閑散としている。木枯らしでも吹きそうな雰囲気だった。
「立派な寺じゃが、名前はあるのか?」
結局俺に抱きついてきた狐が、腕の中で声を出した。動き回る尻尾がくすぐったい。あと重い。男して口には出さないが、重い。おんぶなら良いが、抱っこは人を運ぶには辛すぎる。
あれ?なんで俺普通にこいつを抱っこしているの? イリュージョン?
「戦で死んだ魂を清めるって意味で、『浄城寺』だ。仏なんて信じていない寺だから、名前にそれほど仏教的意味はねーんだ」
気だるそうに説明すると、狐はさして興味があったわけでもなかったのか、ふーんと言って姿勢を変えた。勝手に腕の中で動き回られると、とても邪魔くさい。
枝毛の一本も無い金色の髪の毛が、風にそよいで腕を撫ぜる。
「神社のほうはなんて名前なんじゃ?」
荒れてしまった息を整えていると、狐が神社の方向を尻尾で指差して、また尋ねてきた。
「あっちは『白道神社』って名前だ。白道ってのは俺の苗字だ。俺の家の神社なんだから、当然っちゃ当然だけどな」
「御主、白道なんて洒落た苗字だったんじゃな」
「古い家系だからな、それなりに厳しい名前でもおかしかねーだろ」
話を切り上げて、境内を歩き出す。散らばった落ち葉が、本殿までの一本道を緑に染めている。落葉の季節ではないが、瑞々しい緑色の落ち葉が風に吹かれていくのも、風情があるように思えた。
静かだが、無音ではなかった。セミの声がどこか遠くから、潮騒のように耳に届く。木々のざわめきと風の音とが相まって、心地よさこそあれど、うるさいとは感じない。
実家は寺の裏手にあり、築百年以上の骨董品のような木造一戸建てだ。けれど異常なほど頑丈で、リフォームもほとんどしていない。
本殿の前は綺麗に掃除されていた。参拝者が居ないのが残念だ。心の中で「ただいま」と呟き、裏手に回る。
その時だった。
「――遅すぎます、白道様。せっかく昨夜は貴方のベッドで待ち受けていたというのに、酷い待ちぼうけです」
少し長めの髪の毛を、小さく二つに纏めた髪型。無表情な顔。日焼けを知らない白い肌。そして肌よりも更に白い、巫女服。
気配をまったく感じさせることなく、俺の背中に、耳と尻尾の生えた犬娘がくっついていた。腹に腕を回されるまで、微塵も気付かなかった。
「玲……お前くのいちかなにかか?」
「くのいちでも忍者でもありません。私は白道様に仕える巫女です」
「何度でも言うけどよ、寺に巫女はいねーからな?」
「神仏習合です。別におかしいことではありません」
「違うと言いきれないところがまたむかつくなコノヤロー」
一見コスプレにしかみえない犬巫女ルックの少女の名は、『白道玲』。
人間ではなく、犬の妖怪が人間化した姿だ。耳も尻尾も正真正銘本物で、鼻も効く。恩着せがましい言い方ではあるが、昔俺が、危険なところを救ってやった妖怪だ。救われたのは誰か、わかりゃしないが。
それ以来俺に懐いたのか、やたらと付きまとってくるようになり、今では巫女服姿で寺の雑用や家事をこなしてくれている。
苗字が同じなのは、妖怪ゆえに名が存在しなかったので、俺がそのまま自分の苗字を付けたからだ。
「遅れるなら遅れると、もっと早くおっしゃってください。いくら白道様といえど、許せません」
しゅんと尻尾をうなだれさせて、玲は少しだけきつく抱きしめる。
「それは悪かったと思ってるっての。ただ、俺自身気持ちの整理をする時間が欲しかったんだよ。あと苦しい。妖怪の力で抱きつくのは止めてくんない?人間の尊厳が尻から零れそうになるから」
「気持ちの整理とは、なんのことで……」
言葉の途中で、玲は俺の腕の中のものに気付いた。鉄仮面のような無表情が、かすかに驚きの色に染まる。確認するように俺の前に回り、まじまじと狐を見た。
「白道様……私たちに子供はまだ早いかと……」
顔を赤らめて、玲は下を向いた。
「……俺もいらないから、お前もろとも東京湾に沈んでこい。コンクリートとドラム缶貸してやるから」
「御主なんと恐ろしいことを言うんじゃ!?」
狐も玲も無視して、俺は肩を落とす。本当に、最後の最後で厄介な問題が残っていたものだ。
説明――面倒くさいな。
――――――
今回のエピローグ
「なあ玲、お前って妖怪だろ?」
春ごろ、境内を掃除していた玲を見かけたので、ふいと疑問をぶつけてみる。
「はい、そうですが、それがなにか?」
「いや、巫女服なんて着たら浄化されて成仏しちまうんじゃねえの?」
神社御用達の老舗で作られた、神父服に匹敵するような神聖な服装だ。並の妖怪相手なら、攻撃を跳ね返す鎧にすらなりえる。
「ん、少し、何と言うのでしょう、麻の服を着てるようなちくちくとした感じはあります」
服を摘まんで、玲は言う。
「それは、地味に嫌だな。つーか、それなら別に無理に着る必要はねーんだぞ?」
むしろ巫女さんがいる寺や神社のほうが珍しい。そう言うと、玲は俺にしか分からない程度に顔を赤らめて、胸を張った。
「この服は、白道様に貰ったものです。だから脱ぐことはできません。タンスにしまいっぱなしなんて、もったいないではないです」
かすかに微笑んだ玲に、俺はむずがゆくなる。そこまで言うのなら、文句は無い。
「それと」
「へ? それと?」
「このくすぐったい痛み、白道様に虐められているみたいで興奮します」
「…………」
新しい服を買って来よう、そう誓った春の日だった。