蓮の三十八 意外とあっさりいくもんだ
蓮くん視点です。
「僕、実は、携帯電話持ってないんだ……」
「……え?」
柏木さんのお願いを理解した後、僕はとても申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
とても気まずい思いをして、柏木さんに嫌な思いもさせてると気づいているからこそ、まともに視線を合わせられない。
ビシバシと感じる柏木さんの視線が、痛い。
「え、と、本当に、ごめんね?」
「あ、いえ、そういう、ことでしたら、仕方ありませんよ……」
もう一度謝罪の言葉を重ねて、ようやく柏木さんの方をチラ見したけど、正直見なきゃよかったと思った。
だって、表情にはっきりと影が差してたし、すっごい声のトーンが下がってたんだもん。
うわぁ、明らかに落ち込んでる。
どうしよ、罪悪感は増す一方だよ!
それから少しだけ謝罪合戦が続いてから、よくよく話を聞いてみると、柏木さんのお願いはある意味当然のことだった。
まず、柏木さんも、少し前までは携帯電話を持っていなかったらしい。
理由は主に、過保護なお父さんとオウジ先輩に反対されていたからだそうだ。かわいそうに。
だけど、もうすぐ演劇部の大会があり、もし緊急の連絡事項が発生した時、携帯電話がないと不便だと考え、家族に直訴をしたそうな。
その時に、テスト結果次第で携帯電話を買ってもらえるということになり、見事ゲットしたのがこのピンクのスマホ。
早速学校に持ってきた柏木さんは、演劇部のメンバーに連絡先を聞いて回ってたみたい。
それで見つかった相手が、たまたま廊下をフラフラしてた僕だった、ってわけだ。
部員との連絡手段として契約したわけだから、同じ演劇部員である僕と連絡先を交換する、っていうのはおかしくない。
ただ誤算だったのは、僕が携帯電話を持っていなかったこと。
柏木さんに勢いよく頭を下げられ、突然聞かれた連絡先だったけど、携帯電話を持っていない僕には教えようがなかった。
さっき柏木さんの顔が赤かったり、落ち着きがなかったのも、連絡先を聞くのが恥ずかしかったからかもしれない。
同じクラスでもう連絡先を交換しただろう、女子のハーリーさんならともかく、僕は男だからね。
異性の連絡先を聞く、っていうことを意識しすぎちゃったんだろう。
気持ちはわかるなぁ。僕が逆の立場でも、柏木さんに連絡先を聞くのって、すごく勇気いるもん。
実際、柏木さんはすっごい勇気を振り絞って、連絡先を聞いてくれたのがわかるから、余計に僕の胸がチクチクと痛む。
「え、えっと、それじゃあ柏木さんの連絡先だけ、教えてくれないかな? 僕も携帯電話のこと、親に相談してみるよ。もし契約できたら、その時に連絡するってことで」
「あ、はい……。では、ちょっと待ってくださいね」
とりあえず、僕が柏木さんの連絡先をメモに書いてもらい、もし僕も携帯電話を持たせてもらえるのであれば連絡する、という話に落ち着いた。
ちなみに、柏木さんのメモはとってもきれいな字だった。才色兼備って、本当に何でもできるんだと気づかされた瞬間だった。
「……え? 蓮って携帯電話持ってなかったっけ?」
部活を終えて帰宅した僕が、晩ご飯を作ってくれている母さんの背中に携帯電話の話をした時の第一声が、これだった。
遅れて帰ってきた父さんも、事情を話すとびっくりして自分のスマホの電話帳を確認してたくらいだ。
あ、麗奈は全然興味なさそうだったよ。いつも通りだよね。
さて、僕が携帯電話を持っていなかった理由は、実にシンプルだ。
今まで必要だった場面がなかったから。
これに尽きる。
まず、僕の交友関係は階堂、春、皇など、ごくわずかで狭く深くの関係が続いていた。
一緒に外で遊ぶこともあったけど、僕は待ち合わせ場所を間違えたり、待ち合わせ時間に遅れたこともない。逆に、誰かを待っていることが多かったくらいだ。
また、僕の友達は全員自分の時間をとても大切にしていて、友人同士の電話やSNSはあまり利用しないと言っていた。話があるなら学校で済ませていたし、コミュニケーションで問題になることもなかった。
他に連絡が必要なのは家族だろうけど、僕は用事がなければ基本的に家にいる。自宅の電話に誰かがかけてくれれば、僕と連絡を取ることは大体できていた。
だから、家族は僕を含め、僕が携帯電話を持っていないことに、誰も気づかなかったんだ。
実は僕が携帯電話を持っていないことに気付いたのだって、ハーリーさんがスバルの連絡先を教えてくれ、と頼んできた時だったしね。
そういえば、先輩たちの連絡先知らないなぁ……あれ? 僕携帯電話持ってたっけ? って感じだったし。
それだけ僕は、携帯電話というアイテムに無頓着だったわけだ。
世間じゃ中高生の必須アイテムらしいんだけど、僕が持っても正しく部活の連絡用でしか使わなさそうだなぁ。
「なるほどねぇ。なら、明日契約しに行く? 私は仕事が早く終われそうだし、付き合ってあげるけど?」
家族で夕飯を囲みながら事情を説明すると、母さんからあっさりとオッケーをもらった。
むしろ持っていない方が不便だろう、という父さんの意見もあり、あれよあれよという間に携帯電話を買ってもらえることになった。
柏木さんはあれだけ苦労したのに、僕の家はたった一言。
なんだろう、昼休みの時に感じたのとは、また違った罪悪感が……。
希望通り、携帯電話を買ってもらうことになった僕が、痛みをこらえるような表情だったのが不思議だったのか。父さんも母さんも、頭に疑問符を浮かべて僕を見ていた。
ごめん、こっちの話だから……。
「ありがとうございました~」
翌日。
放課後にがっつり大会の練習をやり終えた僕は、約束通り母さんと一緒に近くの携帯ショップにきていた。
色々勧められて、結局スマホを買うことになった。
機能が多すぎても使い切れないと思って、ガラケーでもよかったんだけど、母さんが「あとあと便利だから、こっちにしときなさい」と押し切った。
途中から僕は店員さんの説明に思考が停止していたので、今手元にあるスマホがどんな機能が売りなのか、さっぱりわからない。
まあ、使っていればわかってくるかな。スマホの使い方がわかんなかったら、父さんや母さんに聞けばいいし。麗奈もスマホだったけど、どうせ教えてくんないからね。
「じゃ、練習がてら私の電話番号とメールアドレスを登録してみる? 私のは……」
「あ、ごめん、その前にちょっと待って」
家に帰って落ち着いてから、母さんが自分のスマホを取り出し、ありがたい提案をしてくれたが、僕は待ったをかけた。
リビングのソファに座っていた僕は、わたわたとポケットを探り、柏木さんからもらったメモ用紙を取り出した。
昨日は柏木さんに迷惑をかけちゃったんだし、改めてごめんの気持ちも込めて僕の連絡先を送らなきゃ。
昨日の部活では先輩たちと連絡先を交換してたし、今日の部活での様子も普通そうだったし、もしかしたら柏木さんは、もう気にしてないのかもしれないけど。
仕方なかったとはいえ、僕がお願いを断っちゃったときの柏木さんの顔が、忘れられない。
僕の考えすぎかもしれないし、気のせいだったのかもしれない。
でも、やっぱり。
あの時の柏木さんは。
ピンクのスマホを差し出した手は、震えてて。
僕を見上げる瞳には、あふれだしそうな涙が浮かんでいた。
多分、僕が考えている以上に、あの時の柏木さんにとっては、すごいショックだったんだって、思う。
僕の中で、昔の柏木さんのイメージは、『寂しそうな女の子』だった。
今は、とても魅力的に笑う、とっても『かわいい女の子』。
もう当たり前だと思えるくらい、柏木さんは笑顔が似合う女の子になった。
僕は、柏木さんの笑顔が、好きだ。
見ている僕も、なんだか幸せな気持ちになるから。
なのに、わざとじゃないとはいえ、僕は柏木さんを、泣かせようとした。
それが、柏木さんに申し訳なくて。
自分が情けなくて。
ずっと、心が痛んでいた。
だから、少しでも早く、約束を果たしてあげよう、ってずっと考えてた。
父さんや母さんに言った、部活の連絡用だっていう、携帯電話が欲しい理由は、嘘じゃないけど、一番じゃない。
僕が携帯電話を買ってもらいたかった、一番の理由は。
柏木さんに、泣いてほしくなかったから。
僕なんかのことで、気に病んでほしくなかったから。
落ち込んだ柏木さんの顔なんて、僕が見たくなかったからだ。
ちょっと、僕の自意識過剰かもしれないけど。
僕が約束を守ったら、あの時傷つけちゃった分の悲しさが。
少しでも笑顔に変わってくれる、かもしれない。
だったらすぐにでも、僕の連絡先を教えてあげなくちゃ、って思ったんだ。
「ん、と、よし、送信、っと」
不慣れな操作でスマホと格闘すること、三十分。
僕は文面を何度も読み返し、自分の電話番号とメールアドレスを打ち間違っていないか確認して、柏木さんのメールアドレスに送信した。
ついでに、柏木さんの連絡先はスマホの電話帳の中に登録しておいた。
返信が来てもすぐに柏木さんかどうかがわかるようにしておかないと、不便だしね。
「……ふぅ~ん?」
一仕事終えた気分で顔を上げると、何故か目の前には母さんが意味深な笑みを浮かべてソファに座っていた。
そういえば、集中してて気づかなかったけど、僕がメールを打っている間、母さんはずっと対面で座っていたらしい。
膝をぴったり閉じてソファに座り、両ひじを膝につけて花のように広げた両手に顎を乗せて、前のめりに僕の顔をガン見してくる。
家族としては、週刊誌のグラビアっぽい仕草を母親に取られると微妙な気持ちになるんだけど、様になっているから指摘しづらいんだよなぁ。
なんせ、母さんは父さん同様、年齢詐欺ってくらいに若い。
仕事が終わって化粧を落とし、すっぴんノーメイクで携帯ショップに行っても、「付き添いのお姉さんも契約されますか?」と店員さんに声を掛けられてたし。
父さんと並べば、いつも大学生カップルだと勘違いされる。結婚して十年以上経っても二人の関係がバカップルのそれだから、そう見えるのかもしれないけど。
一方、麗奈と横に並んだら百パー姉妹だと言われ、母さんも訂正しないから近所では美人姉妹で通っているほどだ。
まあ、僕が一緒に並んだら、僕にだけ微妙な視線が突き刺さるんだけどね。「え? 何この組み合わせ?」って副音声が毎回聞こえてきそうな他人の表情には、もう慣れちゃったよ。
そんな美形家族に囲まれたから、中学三年生の時、柏木さんみたいな美少女に話しかけることに抵抗がなかったんだろうなぁ。
「なに?」
なんて考えていたけど、どんどん不穏な笑顔を向けてくる母さんに、ちょっと身が引ける。
これは、多分あれだ。
面白いことを見つけた時の、『椎名晴香』のイメージにぴったり合うと思う。
つまり、ろくでもないこと考えているに違いない。
「彼女?」
「ぶふぅっ!?!?」
母さんが何を言い出してもいいように身構えていたけど、無駄に終わって吹き出した。
こともあろうにこの母親、僕のメール相手を指して彼女とか言い出した!
予想の範囲を超えすぎてて、僕は顔を真っ赤にさせて反論した!
「そ、そんなわけないだろ!! いきなり何を言い出すんだよっ!!」
「だって、このメモに書いている名前、女の子でしょ? 今どきの女の子にしては珍しいくらい綺麗で真面目さが伝わってくる文字だけど、すっごい丁寧に書かれてるし~? メールを打ってる時の蓮の表情もすっごい真剣だったし~? てっきり恋人なのかなぁ~? ってね?」
「そんなんじゃないって!! 部活の友達だよ!! 昨日連絡先を聞かれたけど、僕が携帯持ってなかったから、連絡先を教えてあげただけ!! それだけだから!!」
「へぇ~? ほぉ~? ふぅ~ん?」
絶対面白がってんじゃん、その反応っ!!
僕と柏木さんが恋人とか、全然つり合ってないからっ!!
ありえないからっ!!
「わかったわ。蓮がそこまで否定するなら、信じてあげる」
「はぁ、まったく、変なこと言いださないでよね……」
「で? この子との馴れ初めは? もう手とか繋いだの? 付き合ってどれくらいになるかわかんないけど、さすがに親としては、キスは早いかなぁ? あ、デートする時は、ちゃんと身だしなみは整えて行きなさいよ? 蓮って全然見た目を気にしないし、彼女に恥かかせないか今から心配だわ……」
「だから違うって!! まるっきり僕への信用ゼロじゃないか!! それにどんどん僕と柏木さんの関係を進めないでよ!! 絶対面白がってるだけだろ、母さんっ!!」
「やぁねぇ、そんなことないわよ~? 引きこもり体質で男友達しかいない灰色の青春を過ごすかと思いきやいつの間にかロマンスの種をせっせと育てていた息子の恋バナを全力で煽って煽って煽りまくって大輪の花を咲かせてやろうなんて、全然思ってないんだからぁ~」
「自分の本音を全部暴露しといてよくシラを切るようなセリフが出てこれたね!? 僕のプライベートに踏み入る気満々じゃないか!!」
「安心しなさい、蓮。私が息子の純情をもてあそぶようなこと、すると思う? 大丈夫。父さん以外には話さないから」
「すでに一人漏れちゃってるじゃん!? あの勢いだけの父さんに話すとか、情報漏えいは時間の問題じゃん!? それに、さっきから気になってたんだけど、スマホいじって何やってんのさ!?」
「え? 連絡先の登録。柏木凛ちゃん、っと。関係は、義理の娘候補、っと。よっしゃ、完了」
「あ、ちょっと!! 何勝手に柏木さんの個人情報を抜き取ってんのさ!! 消してよ!! 変なことするに決まってるんだから!! ってか、すでにしてるし!! 僕と柏木さんは、全然そんな関係じゃないんだってば!!」
「お? やるっての? いいわ、かかってきなさい! 凛ちゃんの連絡先を消してほしければ、まずは私を倒してからにすることね!! 息子だからって、手加減しないわ!! 主に私の娯楽のためにっ!!」
「動機が不純すぎるだろぉっ!?!?」
さすがにたまりかねた僕は、母さんのスマホを奪うために立ち上がり、手を伸ばした。
すぐに反応した母さんは、まるで悪役のようなセリフを吐いて両手を広げ、スマホを庇うように立ちふさがった。
ここに、柏木さんの個人情報をかけた、譲れない母子の戦いが始まったんだ!
勝手に景品扱いになった柏木さん、ごめんなさい!!
「ほら、ギブ? ギブでしょ? でも止めな~い!」
「いたいいたいいたいいたい!! うで!! うでがもげる!!」
「ただいま~。……お? なんだ母さんに蓮も、やけに楽しそうじゃないか!」
しかし、結果は惨敗。
あっさりと返り討ちにあった僕は、母さんにさまざまな関節技を決められて、全面降伏した。
だっていうのに、母さんは僕に泣きが入っても解放してくれなかった。
結局、父さんが仕事から帰り、十数分にもおよぶ母さん必殺の腕ひしぎ十字固めをくらい続けて、ようやくお開きとなった。
その後、どたばたと騒いでいたからと麗奈に怒鳴られ、母さんとのデスマッチを面白がった父さんともプロレスごっこをするハメになって、さらに痛い目を見た。
ちなみに、母さんの晩御飯はいつも通りの時間に提供され、いつも通りに美味しかった。
人生で何度思ったかわからないけど、母さんを相手にすると、すごく負けた気持ちになる。
やけに上機嫌な母さんの様子を見て、僕は反対にため息が止まらなかった。
蓮くんママが想像以上の個性になった(笑)。前半がシリアスになった反動か、後半がもうドタバタになってしまいましたね。たまにはいいでしょう、こんなのも。
はてさて、蓮くんは凛ちゃんに、一体どんなメールを送ったんでしょうね?




