亜美の二 笑顔が消えたお嬢様
凛ちゃんの家の使用人さん視点です。
前は家政婦って書きましたが、使用人が適切でしょうね。
時系列的には、前回の凛ちゃん視点の最後にあった、夕食のシーンになります。
「二人とも、学校は順調か?」
「まあね。授業速度が遅すぎたり、授業内容がちょっと薄かったりするけど、自習でカバーしてるかな? 成績を落とさないようには意識して、頑張ってるよ」
「私も、お兄様と同じく、自習でできる範囲で勉強を進めています。あとは、部活動が必修であったので、そちらも力を入れています」
「そうか。色々と足りないものが多いと思うが、晃も凛もそのまま頑張りなさい」
「わかってるよ、父さん」
「はい、お父様」
柏木家のご夕食は終始和やかなムードで進み、旦那様や晃様、凛お嬢様が中心となってご歓談されている。
今日はお嬢様方が高校に入学、編入されてから初めてのご家族が揃った会食ということで、旦那様もご機嫌な様子だった。
次いで、晃様も凛お嬢様と同じ学校に通うことができて嬉しいのか、ずっと上機嫌で学校生活の様子を語られていらっしゃった。これほどまでにキラキラした晃様を見るのは、今日が初めてかもしれない。
「……、凛」
「お母様? どうされました?」
「…………いえ、何でもないわ」
逆に、奥様は凛お嬢様が食卓につかれてからずっと、険しい表情をしておられた。奥様と接点の薄い私でさえわかるほどだから、他の使用人の先輩たちも気づいているだろう。空気がピンと張り詰めている気がする。
「どうだ、凛? 学校生活に不自由はないか?」
「はい。問題はありません」
「うんうん。それならいいんだ」
そして、ここ最近で一番心配なのが、凛お嬢様だ。一時期はとても明るくなられ、元気なお姿を拝見出来ていたというのに、高校に入学されてからは日毎に表情が曇っていくのを感じた。
今日もまた、凛お嬢様は控えめな笑みで旦那様の言葉に返していた。
そう、私をはじめとした使用人が作り出した、凛お嬢様用の対人コミュニケーションマニュアルそのままの微笑みを。
あの笑顔は、威力抜群だった凛お嬢様の素の笑顔を隠すために習得してもらった、完全に社交用の表情である。
想定として、凛お嬢様とそれほど親しくない学友や、その他親密度の低い人物、そして本音を見せてはいけない人物や状況にて使用するように指導させていただいた。
凛お嬢様が中学三年の夏休みに、使用人全員でお教えしたときも、表情を作る相手や状況については先輩方と長時間相談して規定したものだ。
物覚えのいい凛お嬢様のことだから、作る表情を間違えて浮かべたということはないはずだ。
そうすると、答えはひとつ。
現在凛お嬢様は、本音を見せてはいけない状況、ないしは人物を前にした緊張状態に曝されている、ということになる。
本来はあらゆる緊張から解き放たれているはずの家族団欒の場では、この上なく不自然だ。
そんな凛お嬢様の態度は、私はもちろん給事に徹している使用人や、奥様も気づかれているようだ。私たちは当然として、奥様は些細な機微にもさとい方だからだろう。
一方で、ご家族であるはずの旦那様や晃様は、凛お嬢様の変化に気づいた様子は見られない。むしろ何が楽しいのか、ずっと上機嫌で会話を続けていらっしゃった。
こうなれば察しがよくない私でもわかった。凛お嬢様が警戒しているのは、旦那様か晃様、あるいはその両方。特に、同じ時間を長く過ごす晃様への警戒が、より強いように思える。
心中で、学校で何やらかしたんだこのシスコン! と軽く睨みを利かしてみたのだが、晃様が私の視線に気づいた様子はない。
よく周りを見てみると、旦那様と晃様に向けられる使用人一同の視線は一様に厳しいものだった。全員、私と同じ結論に至ったようだ。
先程から旦那様たちの会話に参加していない奥様も、空気だけで大まかな事情を察せられたのか、お二人を見る目が一気に鋭くなった。
ここですごいのは、目があってもいないのに背筋が冷えるような奥様の視線を浴びてなお、旦那様と晃様が気づくそぶりを見せなかったことだ。
どんだけ鈍感なんだ、この父子は? と、思わず口に出しそうになるのをグッとこらえ、歓談の時間が過ぎていく。
「それでは、中間テストも近いですし、本日は失礼させていただきます」
すると、凛お嬢様は以前よりも早い段階で退室の言葉を告げられ、席を立った。旦那様と晃様は笑顔で見送っておられたが、奥様はとても心配そうな表情で凛お嬢様の背中を見つめています。
僭越ながら、仕事量が少ない私がお嬢様についていくことにした。軽く礼を残し、先に出ていかれた凛お嬢様を足早に追いかける。
「凛お嬢様」
「し……、橘さん? どうされました?」
し?
凛お嬢様が何を言いかけたのか気になるが、それよりも今はお嬢様の体調を気にする方が先決だ。
「最近ご気分が優れないご様子ですが、お体の方は大丈夫なのでしょうか? 私はもちろん、奥様や使用人一同、とても心配しております」
「……ありがとうございます。私に自覚はなかったのですが、ご心配をお掛けしてしまったようですね。
もしかしたら、まだ新しい学生生活に慣れていないからかもしれません。部活動といった、新しいことにも挑戦してますから、見えない疲労がたまっているのでしょう。
今の生活サイクルに順応すれば、もしかしたら顔色もよくなるかもしれません。今のところは大きな不調もありませんから、平気ですよ」
そう言うと、凛お嬢様は作られた表情ではない笑みを浮かべ、再び自室へと足を向けられた。
「…………」
小さく見えるお嬢様の背中を、私は無言で追従する。心配するなと言われても、言葉だけで納得するほど私はバカではない。
実際、言葉では気丈に振る舞っておられたが、今にも消え入りそうな儚い笑みでは、説得力が皆無だ。
凛お嬢様はご自身の不調を、あまり周囲に知られたくないらしい。優しいお嬢様のことだ、私たちに無用な心配をかけたくないという配慮なのだろう。
しっかりとした歩き方を見るに、身体の疲労よりは精神的な疲労の方が強いようだ。それはそれで、こちらが小さなサインを見逃すと大変なことになるかもしれない。後で奥様や先輩たちにもお伝えしておこう。
「お嬢様」
「はい?」
ついぞ無言で付き添い、凛お嬢様が自室の扉に手をかけたとき、私は二度目の言葉をかけさせていただいた。
「どのようなことがあっても、私を含めた使用人はお嬢様の味方です。あまりご自身で抱え込まれる前に、私たちをもっと頼ってくださってもいいのですよ?」
少しでもお嬢様の心労が解消されればと、悩みがあれば私たちに打ち明けてくれ、といったことを遠回しに伝えた。直接的に申し上げたら反発されるかもしれない、と思ってのことだ。
「……ありがとうございます」
しかし、私の気遣いは完全に裏目に出たのだと、お嬢様の態度でわかってしまった。
感謝の言葉と共に張り付いたのは、仮面のような空虚な笑顔だった。そしてそのまま、凛お嬢様は自室へと戻られていった。
取り残された私は、まず混乱した。お嬢様への言葉で何を間違えたのか、自分でもさっぱりわからなかったからだ。
あの笑みは、私に対する拒絶の意思表示であり、凛お嬢様からの信頼が失われた証拠でもある。
一言で言えば、私もまた凛お嬢様の『敵』と認定されてしまったのだ。いや、言葉のニュアンスを思い出す限り、それは使用人全体にまで広がった可能性もある。
私は理由のわからない自分の失言に大きく後悔しつつ、すぐに踵を返した。私の得た情報を先輩たちと共有し、今後の凛お嬢様への対応を協議しなくてはならなくなった。
もしかすると、私たちが思っている以上に事態は深刻なのかもしれない。
今まで気を許してくれていた身内や、身内同然に扱ってくださった使用人でさえ疑心暗鬼の視線を向けるなど、尋常ではない。
これは、奥様にもご相談させていただいた方がいいかもしれない。
言い様のない焦燥に駆られ、私は早足でその場を立ち去った。
凛ちゃん、ストレスを知られる、という話です。
ちなみに、この日の出来事により、使用人さんたちの凛ちゃんパパ・シスコン兄への好感度は、一気に地に落ちました。




