蓮の二 小さな一歩、大きな後退
蓮くん視点です。
僕が柏木さんに話しかけ続けて、二ヶ月くらいが経とうとしている。
もうすぐ夏休みに入るというのに、いまだ彼女の声を聞いたことがない。
は? と思うかもしれないが、柏木さんは本当に一言も喋らなかった。
しつこすぎただろうか? とめげそうになったこともある。けど、僕の話を全く聞いていないかというと、そうでもなさそうだった。
休み時間の時に話しかけることが多く、話す時間も短いけど、不意に僕の一方的な話に反応してくれることがあった。
僕が柏木さんの席に近づいて話しかけたとき、彼女は決まって眉をわずかに動かす。
彼女に問いかけるように話を振れば、一瞬だけだがこちらへ視線を向けてくれる。
休み時間が終わり、席を離れようとしたら、やはり一瞬だけ目を合わせてくれる。
一つ一つはとても小さな動きで、毎日のように話しかけてても、彼女の動きに気づくのに一ヶ月はかかった。
それに、柏木さんの反応に気づいても素直に喜べない。
何せ、それらの動きで僕が鬱陶しがられていることがわかってしまったからだ。
僕が近寄ると眉をひそめ、会話のバトンを渡そうとすれば睨まれる。極めつけは、去り際の「もう来るな」といわんばかりの圧力あるアイコンタクト。
なまじ美人であるがゆえに、無表情とセットの合わせ技でこられると、ものすごく恐いし精神的ダメージもでかい。
自分でも、二ヶ月間よく挫折しなかったものだと思う。
もはや意地になっていた。柏木さんの声が聞ければ勝ち、という自分ルールを掲げ、下らない話をしまくった。
当初の目的も忘れ、人形に話しかけているような気分を味わいつつ、一方通行な関係は続いている。
「もうすぐ期末試験だよね。僕は勉強ができる方じゃないから、かなり心配なんだ」
今日の話題は来週に迫った期末テスト。赤点を取るか取らないか、そんなギリギリのラインにいつもいる僕は、知らずため息を漏らす。
勉強が出来ないのに、楽しみだなんて思えるはずがない。柏木さんに話しかけるときは、できるだけ楽しい話題を提供したいけど、とっさに口から出たのがテストの話だった。
時期的に不自然ではないし、いきなり話題を変えるのもおかしいと思ったから、不本意ながら話を続ける。
「いつも全教科平均点以下でさ、いくら勉強しても点数が上がらないんだよね」
勉強法が悪いのだろうか? それなりに机にかじりついても、成果が表に出ないのだ。
ああ、考えただけで憂鬱……。
「柏木さんは、勉強とかできそうだよね~。苦手教科とか無さそうだし、羨ましいな~」
実際、彼女は頭がいいらしい。
僕は同じクラスになったのが今年からだったから知らないけど、かつて柏木さんと同じクラスだった友人によると、成績は常に一桁台にいるらしい。
また、幼い頃から習い事で新体操と空手をやっていたらしく、運動神経もいい。
まさに文武両道、才色兼備な女の子。
そんな女子は二次元にしか存在しないと思っていたが、いるところにはいるもんなんだなぁ、とアニメオタクの友人も語っていた。
「相馬さん」
ふと、誰かが僕を呼んだ。
「……え?」
鈴でも鳴らしたような綺麗な声が、一瞬誰の声かわからなかった。
だって、そうだろう?
約二ヶ月の沈黙を保っていた彼女が、いきなり口を開くなんて思いもしないじゃないか。
「なっ、な、なに、かな?」
盛大にどもる僕を誰が責められようか。いきなり声をかけられたところで焦るのは当然だ。
今まで無視され続けていたから、少し忘れぎみになるけど、柏木さんは文句なしの美少女だ。僕とのツーショットなんて本来実現しない相手なのだ。
どういう心境の変化があったのか、柏木さんは僕の顔をじっと見つめ、もう一度、小さな口を開けた。
「テストの成績が心配なら、休み時間に勉強をすればいいのではないでしょうか?」
……えっ、と~。
つまり、柏木さんはこう言いたいのだろうか?
『成績が悪いことを吹聴して、自分の物覚えの悪さを嘆いたり、私に構ったりする暇があるんだったら、その時間を勉強に当てた方が有意義ではないか?』
…………正論だ。
「……そ、そうだね。あ、あははは」
たった一度の言葉の槍が僕の心を刺し貫き、すでに虫の息。
僕にできたことといえば、苦笑いを残してすごすごと自分の席へ退散することだけ。
柏木さんの声が聞けたことは、確かな進歩と言えるのだろう。
でも、どう考えても好意的とは思えない台詞に、僕は柏木さんとの間にどうしようもない距離を感じた。
「……勉強、しよ」
僕は、中学生になってから初めて、授業以外の時間に教科書を開いた。
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その後、僕はテストが終わるまで、柏木さんのところへ行けなかった。
今度テスト期間に馬鹿な話をしに行ったりしたら、怒られそうで、恐かったんです……。




