凛の六 何事もうまくいくとは限らないようです
凛ちゃん視点です。
この時点で私の当初の構想からは脱しました。
バイバイ、と手を振ってくださる相馬さんに微笑みつつ、私は階段の下で名残惜しい気持ちをグッと堪えて彼の背中を見送りました。
私が桂西高校に登校したのは、いずれかの日のように、午前五時ごろでした。校門もまだ開いていない時間帯で、新しくお世話になる先生方を驚かせてしまいました。
ご迷惑をおかけして申し訳なく思いましたが、仕方がなかったのです。
また相馬さんと同じ学校に通える。
それだけで嬉しい気持ちで胸が一杯になり、じっとしてはいられなかったのです。
それから、私の後にちらほらと登校してこられる生徒の方々に相馬さんの姿を探しては、一喜一憂していました。
いつもであればただの空き時間でしたけど、会いたい誰かを待つということが、こんなにも楽しくて心が弾むことなのだと、相馬さんに教えてもらった気が致します。
何せ、春休みの時から、高校の入学式を指折り数えては、お母様にからかわれてしまったくらいです。とても恥ずかしく思いましたが、それも相馬さんとお話しできただけで全てが気にならなくなりました。
しかし、全てが思うようになることはありません。
クラス掲示が張り出されると、私は自分の名前と共に相馬さんの名前も探していました。
最初、私は自分の目を疑ってしまいました。何度も見直して、目を細めたり擦ったりしても、掲示された結果が変わることはありません。
私が三組で、相馬さんが四組。
私は愕然としました。そう。私は今の今まで、相馬さんとクラスが離れることを全く想定していなかったのです!
しかし、思い返せば桂中学校では相馬さんと同じクラスになったのは三年生の時だけでした。また、高校生になると一学年の人数も増え、クラス数も増加するのは当然です。
よって、私が相馬さんとまた同じクラスになれる確率は、そもそも低かったと言えるのです。
ちょっと、いえ、かなり落ち込んでしまいましたが、両親の意向通りに進学していれば、相馬さんとは学校さえも離ればなれになっていたのです。私が望めば顔を合わせることができる環境にあるだけで、ありがたく思わなければならないことなのでしょう。
先生方の指示を受け、皆さんが各クラスに足を運ぶ中、そのように自分を慰めつつ私は相馬さんを待ち続けました。
相馬さんは朝方が苦手なご様子で、中学生の時もよく遅刻しそうになっておられました。相馬さんを待つと決めたところで、教室に入る時間が遅刻寸前になってしまうのは覚悟していたので、大丈夫です。
案の定、相馬さんは遅めの時間になって、走りながら登校されていました。
数週間ぶりに相馬さんとお会いできて、胸がキュンと締め付けられる感覚に陥ります。相馬さんとお会いする度に、私は彼のことが大好きなのだと確認しているようで、自然と表情が綻んでしまいます。
ご自分のクラスを探す相馬さんの後ろから声をかけさせていただきますと、相馬さんは酷く驚いた様子で私の名前を呼んでくださりました。
イタズラが成功したような、ちょっぴり楽しい気分になってしまったことは、相馬さんには内緒にしておきます。
本当はもっとお話ししていたかったのですが、近くにいた先生に時間を指摘されてしまい、こうして教室まで移動した次第です。
「……はぁ。行ってしまわれました」
相馬さんの背中が見えなくなり、私は残念な気持ちを隠せずため息を漏らしてしまいます。
……いえ、落ち込んでばかりもいられません。これから新しい学校生活が始まるのですから、新しいクラスにも馴染まなければいけません。
トラウマになっていしまっている女子校ではないとはいえ、嫌がらせが起きないとは限らないのです。
私が嫌な思いをしないためにも、何より相馬さんとの繋がりを大切にするためにも、良好な人間関係を構築していかなければ。
「よしっ!」
改めて両手を胸の前で握りしめ、自分に気合いを入れます。
相馬さん! 私、頑張ります!
「おはようございます」
そうして、遅ればせながら私のクラスになる一年三組の扉を開きました。
『……………………』
……あら? 皆さん、とてもお静かな方たちばかりなのですね?
『うおおおおお!!!?』
「きゃっ!?」
と、内心首をかしげていたところ、廊下の外まで響き渡りそうな叫び声が襲いかかってきました。
え? え?? 一体、何が起こっているのでしょうか???
「美少女キター!」
「よっしゃあ! あんま期待してなかったけど、これで一年間は勝ち組決定だぜ!」
「はぁ!? ちょっと男子共!! それってどういう意味よ!?」
「うっせぇ地味顔! 鏡見てから出直してこいよ!!」
「なんですってぇ!!?」
呆然とする私を置いてけぼりにして、何故かクラスの男子と女子の方々が、突如言い争いを始めてしまわれました。
心当たりはありませんが、私が入室したことが原因で間違い無さそうです。
ということは、この騒ぎは、私が悪いのでしょうか?
「え、えと、あの……」
次第に興奮が強くなっていくクラスメイトの方々に、私はおろおろとすることしかできません。いつの間にか教室の中央から男女に別れ、綺麗な対立構造を形成していました。
正直なところ、展開が急すぎてついていけません。
「美少女バンザイ!!」
「差別反対!!」
ポツン、と取り残された私を尻目に、クラスの方々は示し合わせたかのように主張を口にし、片腕を突き出します。
……とても仲良しに見えてきました。
しかし、私は仲間はずれです。
くすん。
「よーし! お前ら席につ……、なにやっとんじゃあ!!」
こうして、一年三組の始めての顔合わせは、担任となられる先生の登場で幕引きとなりました。
仲裁に入られた先生により暴動は収まったのですが、入学早々問題を起こしたとして、私が先生に注意をされてしまいました。
私、何も悪いことしてませんよね?
生まれてはじめて、私は理不尽というものを味わった気が致します。
その後は担任の先生による厳重な引率の下、私たち一年三組は入学式に臨みました。
他のクラスの皆さんは退屈そうな様子でしたが、私たちはそうもいきません。
常にピリピリとしたムードが漂い、男女二列縦隊という隣同士にいさかい相手がいるという、物凄く気まずくて緊迫した空気に晒されていました。
油断すれば手が出てしまう空気に耐えながら、私はひたすらに時が過ぎるのを待ちました。泣きそうです。
とても居心地の悪い時間を過ごし、何とか問題も起きずに入学式は終了しました。
「明日は確認テストだが、お前ら俺がいないからってテスト中に乱闘騒ぎなんか起こしやがったらただじゃ済まさねぇからな! モンスターペアレントが出てきても、徹底交戦してやるから覚悟しろよ!」
その言葉をホームルームの最後に残し、担任の先生は三組から去っていきました。
入学初日に頂く言葉でありません。が、険悪な空気が消えないこの場では、適切な忠告に思えますから不思議でなりません。
ああ、平和が恋しいです……。
日本国憲法第九条が、これほど偉大だと感じた日は他にありません。
「ねぇ、君! めっちゃ可愛いよな! 名前何て言うの?」
「さっきから怖がらせてゴメンね。悪いのは男子のクソ共だから、気にしなくていいよ。あ、今後一切、あいつらのことは無視してていいから」
「はぁ!?」
「何よっ!?」
(こ、こわいです……!)
ホームルームが終わると、私はすぐにクラスメイトの男子と女子の方に両側から話しかけられ、止める間もなく修羅場に巻き込まれてしまいました。
担任の先生というストッパーがいなくなり、私を挟んだ睨み合いは激化の一途をたどり、少しの刺激で爆発しそうな一触即発状態となりました。
まるで限界まで膨らんだ風船のごとく、張りつめた空気がピークに達しようとした、その時でした。
「失礼するよ。凛がこのクラスだと聞いてきたんだけど、いるかな?」
教室の扉が開き、私はこの場で聞くはずのない声を聞いて思わず立ち上がってしまいました。
「お兄様!?」
私の大声につられて、クラス中の皆さんも扉の方へと視線を移されました。
『……きゃあああああ!!!』
瞬間、女生徒の甲高い悲鳴が教室を埋めつくしました。
端正な顔立ち、爽やかな笑み、長身に甘い低音ボイスで女性を虜にする(女性使用人さん調べ)というお兄様の登場で、一気に女子が色めき立ちます。
「ど、どうして、お兄様がこちらの学校にいらっしゃるのですか!? お兄様は確か、私立煌院学園に在学されていたはずではありませんでしたか!?」
煌院学園は男女共学の進学校で、国内屈指のエリート学校ですお兄様はそちらで次期生徒会長の有力候補であったはずです。
ただし、次期生徒会長というお話しは、夕食の席でお兄様からお聞きした情報ですので、本当かどうかは定かではありません。とても優秀なお方ではありますけどね。
「ああ、そこにいたのか、凛。学校のことなら心配ないよ。転校の手続きはすでに終わり、僕も今日からこの学校の生徒になったんだ」
「へ?」
「お父様にも許可と支持をいただいたから、手続きはスムーズだったよ。公立の学校は警備も雑だから、これからは登下校も僕と一緒にしようね。それが、凛にとって一番安全なんだ。いいね? 」
混乱が加速する私に、お兄様はさらに驚くようなことを仰り、目が点になってしまいました。
お兄様と一緒の登下校?
そんなことをされてしまったら、相馬さんと過ごせる時間が減ってしまうかもしれないじゃないですか!!
「そんな! 勝手に決められては……」
「あ、あのっ! 先輩、なんですよね!? どうしてこのクラスにいらっしゃったんですか?」
「あ! ちょっと! 抜け駆けしないでよ!!」
「先輩! これ、私のメアドです! よかったら連絡ください!!」
私が抗議の声を上げようとしたとき、クラスの女子の方々が一斉にお兄様へと群がり、私の声はかき消されてしまいました。
な、なんという逞しさ……。
確かにお兄様は女性から非常に慕われやすいお方ですが、ここまで迅速に囲まれたことはありませんでした。すっかり私や男子の方々など眼中になく、全員がお兄様を包囲してしまいました。
「…………皆様、私と、私の兄がお騒がせして、申し訳ございませんでした」
「…………ああ、いや、俺たちも、ちょっと興奮しすぎたよ。ごめんな」
放置されてしまった私たちは、改めて向き合い謝罪合戦となりました。彼女たちの熱にあてられ、男子の皆様も冷静になられたようです。皆さん、次々に私へと頭を下げてくださいました。
「女子の皆さんも、悪気があったわけではないと思われますので、どうかご容赦願えますか?」
「いや、それとこれとは話が別だ! あいつらから謝らねぇ限り、俺たちは断固として戦うぞ! なぁ、お前ら!!」
『おおっ!!』
「あ、あんた、柏木さん、だっけ? あんたは別に気にしちゃいないから、普通に接してくれよな」
「は、はぁ……」
妙な団結を見せた皆様とは、とりあえず和解に至ったようです。これが世に言う、男の友情、というものでしょうか?
が、肝心の女子の皆様とは完全に敵対関係となってしまわれたようで、いきなりクラスはバラバラとなってしまいました。
この先の学校生活、私はうまくやっていけるのでしょうか? 三年間がとても不安になる初日でした。
あ、ちなみに私はあれから男子の方々に挨拶をして、一人で帰宅しました。お兄様は隣のクラスからも溢れてくる女子の方々の相手でお忙しそうでしたので、声をかけることは致しませんでした。
……決して、私を監視するように転校なされたことを根に持っているわけではありませんよ? 本当ですよ?
お兄さん、もう出てきちゃったんですか?
シスコンを舐めていました……。