4.お出かけ
(どうしたらラーナさんの誤解が解けるかしら)
ドレスショップへ向かいながら、クロエは内心でため息をついていた。
店を出る時に向けられた生暖かい目を見れば、彼女がまだクロエとフレッドが恋人だと思っているのは一目瞭然だった。
「クロエ? どうかしたのかい? 具合でも悪い?」
何やら考え込んでいるクロエを不審に思ったのか、フレッドがそう言って顔を覗き込んできた。
間近にフレッドの青く透き通った瞳がクロエを捉える。
端正な顔が近づいただけでも驚くのに、その本人であるフレッドのことを考えていたクロエは、二重の意味で驚き、目を見開いてしまった。
まさかフレッドのことを考えていたとは言えず、クロエは曖昧に微笑んで誤魔化すことにした。
「ええと、昨日遅くまで論文を読んでいたからかしら。少しぼーっとしてしまったみたい」
「この間もそうだったが、最近少しぼんやり考えごとをすることが多いみたいね。何か悩みがあるなら聞くよ?」
「本当に大丈夫よ。せっかくお兄様が時間を作ってくれたのに、ごめんなさい」
「俺のことは気にしなくていい。それより……まさか好きな男のことを考えていた、とか言わないよな?」
予想外の突然の問いかけに、クロエは驚いて即答できなかった。
すぐに答えなかったことが気に障ったのだろうか。フレッドは、少しばかり不機嫌そうな低い声を出した。
「まさか……本当に好きな男ができた、のか?」
「えっ!? いいえ、そんなわけないじゃない! 本当に寝不足でぼーっとしてしまっただけだから!」
「まぁ、そこまで言うなら信じるが……」
フレッドはそう言いつつもまだ疑いの目を向けている。
自分たちを恋人だと勘違いしているラーナの誤解を解く方法を考えていた、と素直に告げればよかったのかもしれない。
だが、そんな勘違いされたことを知ったら、フレッドが不愉快に思うかもしれない。
自分とフレッドが釣り合わないことは分かっているものの、フレッドの口から『クロエなんかと恋人だと思われるなんて心外だ』などと言われたら、やはりショックだ。
だからクロエは強引に話題を変えることにした。
「あ! ドレスショップっていつものお店よね? 急ぎましょう!」
明るくそう言うと、渋い顔をしているフレッドの表情に気づかないふりをしてドレスショップに足早に向かった。
※
程なくして、いつもドレスを買いに来るドレスショップに到着した。
クロエがドアを開くと、待ち構えていたようにオーナー兼デザイナーのマダム・エメルダが両手を広げて迎えた。
「まあまあまあまあ! お待ちしておりましたよ、クロエ様、アルドリッジ様!」
ここのドレスショップは以前からお世話になっているが、ここまで大仰に迎えられたのは初めてだ。
それにマダム・エメルダは『お待ちしておりました』と言っていたことから、自分たちが来ることを知っているようだった。
「マダム、例のものは準備できているかい?」
「もちろんです! ちゃんと仕立てておきました」
フレッドが尋ねると、マダムは嬉々とした表情で答えた。
二人の会話から察するに、既にドレスは用意されているのだろうか?
クロエは状況が理解できず首を傾げながらフレッドを見上げると、フレッドは悪戯を企んでいるような笑顔を向けるだけだった。
笑顔の意味を問おうとクロエが口を開いたと同時に、それを遮るようにマダムの大きな声が店内に響いた。
「さぁさぁクロエ様、こちらにいらっしゃってください。最後の調整をしますわ!」
「えっえっえっ?」
マダム・エメルダにグイグイと腕を引かれてしまい、戸惑いの表情でフレッドを振り返るが、彼はにこやかに笑っているだけで止めようともせず、むしろ手を振って見送られてしまう。
そして、フィッティングルームに連れていかれたクロエは、マダムに透き通るような青色のドレスを渡され、あれよあれよという間に飾り付けられてしまった。
「さぁ、できましたよ」
鏡に映る自分の姿を見たクロエは、小さく口を開けたまま言葉を失った。
それは、優美で可憐な印象を与えるあまりにも美しいドレスだった。
そう、童話に出てくる妖精が着るような……。
ビスチェタイプのドレスは青を基調としたもので、胸元あたりは混じり気のないブルー。
金糸で繊細な模様と、大小様々な花の刺繍が施されている。
肩はふんわりとしたチュールでできたキャップスリーブとなっており、袖に向かって白に近いアクアブルーのグラデーションとなっていた。
スカートも、同様に、裾に向かって淡いスカイブルーからアクアブルーへと柔く移り変わり、軽やかなチュールが幾重にも重なって凄艶な印象を受けた。
大きく開いた胸元を飾るのは大ぶりのサファイアのネックレス。
輝く金色のチェーンが3連になっており、等間隔に小ぶりのダイヤがついた豪華なものだった。
正直に言って、クロエが身につけるには、分不相応であると思ってしまう。
(ドレスに着られている気がするわ)
確かに素敵なドレスを身に着けられるのは嬉しい。
だが、モグラと称されるような地味な自分には、こんな華美なドレスを着るのはもったいない気がする。
クロエが困惑する一方で、フィッティングルームに入ってきたフレッドとマダムは満足そうに頷き、クロエを絶賛する言葉を口にした。
「本当、お美しいですわ! お似合いですわね!」
「あぁ! クロエ、とても可愛いよ!」
フレッドはそう言って褒めてくれるものの、クロエの心中は複雑だった。
オーダードレスは既製品のドレスやセミオーダードレスより、グンと値段が高くなる。
このデザインや布地を見る限り、かなり高額なドレスだということが察せられた。
いくら幼馴染とはいえ、ここまで高価なドレスを貰うのは気が引ける。
「あの……お兄様。これは、オートクチュールよね?」
クロエは念のため恐る恐る尋ねた。
「ああ、そうだよ。マダムと俺が相談して決めたんだ。気に入ったかい?」
「ええ。もちろん素敵なドレスだと思いますが……こんな豪華なドレスを贈ってくださらなくても大丈夫よ?私はこれまで通りセミオーダーでも十分ですけど」
「もし値段のことを気にしているのなら、そんな心配は無用だよ。クロエが久しぶりに参加する夜会なんだ。もっと飾りを付けて、豪華に仕上げてもよかったくらいだよ」
ニコニコと微笑むフレッドは、クロエが恐縮していることに気づかないようだ。
だが、直接的に「要りません」とは言えず、クロエは婉曲に断ろうとした。
(オートクチュールだけど、サイズを調整すれば他の女性も着られるから無駄にはならないだろうし)
だからクロエが着なくても、フレッドの妹のメリッサや、今後現れるであろうフレッドの恋人が着れるならば、ドレスも無駄にならない。
むしろ、これほど美しいドレスならば、クロエのような地味な女よりももっと相応しい女性が着るべきだろう。
「あの、すごく素敵なドレスですけど……幼馴染なだけなのに、こんな高価なドレスを贈ってもらうのは申し訳ないわ」
「そんなことは気にしないでくれ。俺が贈りたいからしていることだよ」
とりあえず受け取れない理由の一つは却下されてしまった。
だが、一番受け取れない理由は他にもあるのだ。それはドレスとネックレスの配色である。
(この配色の意味を、お兄様は気づいていらっしゃらないのかしら?)
金色とブルーの組み合わせは、金の髪にスカイブルーの瞳を持つフレッドの色と一緒なのだ。
一般的にエスコート相手の色を身に着けるのは、二人が特別な関係であるということを意味する。
つまり、クロエがこのドレスを着て夜会に出てしまうと、クロエがフレッドの恋人であると誤解される可能性があるのだ。
夜会にはフレッドの女避けとして参加する意味もあるものの、さすがに周囲に勘違いさせるのは問題だろう。
「でも、こういうのは恋人に贈るものではなくて?」
「なぜ?」
「なぜってそれは……」
首を傾げながら不思議そうなフレッドに、『この色じゃ、恋人と勘違いされてしまう』とズバリ指摘するのが躊躇われた。
フレッドのことを変に意識していると思われるのも恥ずかしいし、「まさかお前がそんな勘違いをするなんて」と思われた日には、羞恥で地面に埋まりたくなるだろう。
そこでクロエの中で一つの可能性が生まれた。
(もしかして、フレッドお兄様はエスコート相手の色を身に着ける意味を知らないのかしら? それとも恋人らしく見えるように、あえてこの配色にしたのかしら?)
フレッドがクロエを夜会でエスコートする理由は、煩わしい女性たちから逃げるためだ。
ということは、周囲から二人が恋人だと思わせる必要がある。
だから、あえてのこの配色なのかもしれない。
とはいうものの、一応婉曲に尋ねてみることにした。
「ええと、お兄様はこの色を私が着ても気にならないのかと心配になってしまって。ほら、こういう色はフレッドお兄様の特別な方が着た方がいいかと思って」
クロエは遠回しに尋ねたが、フレッドはいまいち質問の意味を理解していないようで首を傾げている。
(やっぱりお兄様は配色の意味を知らないのだわ)
そうならば、なおさらこの配色は避けなくてはならない。
クロエは頭を悩ませ、この配色のドレスを断る理由を探した。
「ええと、それにほら、私はもっと暗い色の方が似合うと思うの」
「いいや、お前は色白だし、目鼻立ちもくっきりとして愛らしい。こういう明るい色が似合うよ。うん、可愛いよ」
「あ、ありがとうございます……」
上手く言いたいことが伝わっていない。
さてどうしたものかと考えを巡らせたところで、急にフレッドが悲しそうに眉を顰めた。
「もしかして、そんなに気に入らなかったかい?」
「いえ、とっても素敵なドレスだし、お兄様が贈ってくださるのは何でも嬉しいわ」
「そう? ならこのドレスを貰ってくれるね?」
「えっ? ええと……お兄様がいいならありがたく頂くわ」
「ありがとう。ふふふ、このドレスを着たお前をエスコートできるのが、楽しみだよ」
捨てられた子犬のような表情を一転させ、フレッドは嬉々とした笑みをこぼした。
ここまで喜ばれてしまうと、これ以上固辞することはできない。
今回はありがたく頂戴することにしよう。
「では、最終的な調整をして、夜会の前にお届けしますね」
「よろしく頼むよ」
マダム・エメルダの言葉に、フレッドは返事をしたあと、フィッティングルームから出て行った。
その後ろ姿を見送ったクロエは、ドアが閉まると同時にがっくりと項垂れた。
フレッドがクロエを思ってくれていることは重々承知している。
だが、ただの幼馴染に対して過分の贈り物に、申し訳なさだけが募っていく。
(あとで何かお返しをしないと)
やはりフレッドにはお返しをしなくてはならないだろう。
そんなことを考えているうちに、気づけば着替えを終えたクロエは、フィッティングルームを出る際に、バッグにそっと触れた。
バッグの中にはフレッドのために焼いたクッキーの包みが入っている。
少し焦げた不格好なクッキーを、果たしてフレッドは喜んでくれるだろうか?
それにどのタイミングで渡せばいいのか。
色々と考えを巡らせながら、クロエはフレッドの元に戻った。




