3.二人の関係
週末。
今日は約束通りフレッドとドレスを買いに行く日だ。
空は鮮やかな水色の絵の具のように澄み渡り、最近の曇天が嘘のように雲一つない。
むしろ日差しが照りつけて暑いくらいだ。
クロエはその空の下を、小走りに歩いていた。
(最後の仕上げに少し時間がかかってしまったわ)
バッグの中には、先ほどまでオーブンの中にいたクッキーが入っている。そのバッグを携え、フレッドとの待ち合わせのカフェに向かった。
カフェの深緑色のドアを開き、ほぼ駆け込むようにして店内に入ると、黒いソムリエエプロンをした店員がクロエに、にこやかな笑みを浮かべた。
「いらっしゃいませ」
「こんにちは」
そう早口で挨拶を返しながら、キョロキョロと店内を見回し、フレッドの姿を探す。
お昼時は満席になるこの店であるが、今はお昼を少し過ぎたこともあり、店内の客は数人だった。
幸いにしてその中にフレッドの姿は無かった。
どうやら待ち合わせには間に合ったらしい。
ほっと息をつき、胸を撫で下ろすと明るい声がクロエの名を呼んだ。
「あぁ、クロエちゃん、いらっしゃい」
「ラーナさんこんにちは」
明るい太陽のような笑顔で声をかけてくれたのは店員のラーナだ。
このカフェの看板娘で、クロエよりも3つ年上の女性だ。
面倒見が良く、いつもクロエを気にかけてくれる。
この店は、クロエの勤める王立魔術科学研究所からほど近い大通りにあるのでクロエもよく来る。
そのため、今ではすっかり顔馴染みだ。
「今日は何にする? いつものサンドウィッチでいい?」
「あ、注文は後にするわ。今日は待ち合わせなの」
「あぁフレッド様と? なになにデート?」
まさにニヤニヤとした表情というのがぴったりの笑みを浮かべて尋ねてくるラーナに、クロエは苦笑して返した。
「まさか、デートだなんてそんなわけないでしょ? お兄様と一緒にお買い物なの。ドレスを買ってくれるみたい。忙しいのに申し訳ないわよね」
忙しい合間を縫って時間を作ってくれる年上の幼馴染には感謝しかない。
しかもその理由がクロエが夜会に着るドレス選びとは。
女性ならいざしらず、ドレスショップに行くのは男性としては退屈なのではないだろうか?
それに今更飾り立てても華やかな美女に変身するわけでもないし、フレッドには何の益もない。
(幼馴染なだけなのに。はぁ……申し訳ない気持ちでいっぱいだわ)
だからこそ、せめてものお礼としてクッキーを焼いてみたのだが……。
果たしてこんなものを贈って彼は喜ぶのだろうかと一抹の不安がよぎった。
そんなクロエの心中など分からないようで、ラーナは首を捻っている。
「えっ? でもそれってデートでしょ?」
「ん? デートって恋人同士がするものじゃない?」
「お付き合い……しているのよね?」
「まさか! お兄様と私は幼馴染なだけよ」
「でもドレスを贈ってくれる仲なんでしょ?」
「そうね。いつもドレスを贈ってくれるけど……たぶん私があまりにも貧相だから、可哀想に思ってせめてドレスだけでも、ってことだと思うけど」
「クロエちゃんはフレッド様がそう思ってるって考えてるの?」
「ええ、そうだけど」
どうやらラーナは、クロエとフレッドは恋人同士だと思っているらしい。
盛大な勘違いな上に、そんな誤解はフレッドに申し訳ない。
そう思ったクロエは苦笑しながらラーナの認識を訂正することにした。
「まさかラーナさんは、私とお兄様が恋人だと思ってたの? ふふふ、お兄様には私みたいなモグラじゃ釣り合わないわよ」
モグラとは社交界で言われているクロエの綽名だ。
研究室に篭ってほとんど日の光の下に出てこないというのを揶揄しているらしい。
最初はその呼び名にショックを受けたが、今ではもう慣れっこだ。
むしろ言い得て妙だ。初めてつけた人のネーミングセンスを褒めたいくらいだと思っている。
それに容姿だって美しいフレッドと釣り合うとは思えない。
クロエの容姿は特段目立つものではなく、キャラメル色の髪はぼんやりとしていて締まりがない。
対して瞳は深い緑。今度は目ばかりが目立ってしまい、あまりいい配色とは言えない。
顔立ちだってごく普通だ。
色は白い方だが、それは研究室に篭っているだけで、むしろ青白いと言った方がいいだろう。
だからクロエは、そんな自分が今を時めく美丈夫なフレッドと釣り合うとは思えなかった。
「それにね、お兄様に言われているのよ。『一人で参加すると女性に囲まれてしまって大変なんだ。クロエが一緒に出てくれればそういう煩わしさから解放されるし、夜会に一緒に出てくれないか?』って。だから私はフレッドお兄様にとって、私は女避けなの」
そう。
今から3年ほど前、クロエがデビュタント直後にフレッドにそう言われたのだ。
正直、一番身近な男性でもあったフレッドに、憧れに似た思慕の気持ちがあったのは事実だ。
だが、フレッドにとってはクロエは幼馴染の一人にすぎないことが、この言葉から察することができた。
「つまり、私とお兄様はただの幼馴染なだけってことよ。ほら、最近流行りの小説であったでしょ? ええと……偽装結婚の恋人版。偽装恋人? みたいな関係なのよ」
熱弁するクロエを見て、ラーナは絶句し、呆れるように口を開け、眉を顰めた。
「それは……うん。そうとも取れるね……ったく、フレッド様、何てこと言ったのよ」
「ごめんなさい。後半が聞こえなかったけど、何?」
「ううん。なんでもない。こっちの話」
そんな話をしていると、ドアベルの軽やかな音が店内に響いた。
視線を向けると、そこにはクロエの待ち人の姿があった。
「あ、噂をすれば影ね。フレッド様、いらっしゃいませ!」
ラーナがいつものように笑顔を向けると、フレッドは彼女の側に座っていたクロエに目を止めた。
「クロエ、すまない。遅くなってしまった。出掛けに急な用事が入ってしまって」
「いいんです。私も今来たばかりだったから」
フレッドはテーブルの上に水しかないことを確認すると、クロエの言葉が真実だと分かったようで、少しばかり安堵したようだった。
「クロエは何か頼んだかい?」
「いいえ。これから注文しようとしてたところなの」
「じゃあ、少し何か飲んでから行こうか」
クロエは紅茶とスコーンを注文し、フレッドはコーヒーを注文すると、ラーナはまたニヤニヤした笑みを浮かべてテーブルから立ち去った。
それからしばらく軽食を楽しんだ後、クロエたちは喫茶店を後にしてドレスショップに向かうことにした。
それはいつものお出かけ。
クロエはそう思っていた。まさか、これがフレッドと出かける最後になるとは知らずに……。




