23.プロポーズの答え
今回は短いです。すみません。
ここ数日、クロエは屋敷の書斎に引き籠って過ごしていた。
フレッドへの恋心の自覚と、ダニエルとの別れ。
目まぐるしい感情の変化に、クロエの頭はまだ混乱の最中にあった。
頭の中がぐちゃぐちゃで、考えがまとまらない。
それゆえ、気晴らしに外出しようという気持ちにもならなかった。
寧ろ書斎にこもって本に囲まれている方が、安心して気持ちの整理ができるような気がした。
それでも思わず小さなため息が漏れ出てしまう。
「はぁ……」
最近元気のないクロエを気遣う父が、わざわざラルドビアから取り寄せてくれた学術書だったが、何度読んでもどうしても頭に入ってこない。
気づけば同じ行を繰り返し読んでいて、全くと言っていいほどページが進まない。
(ラルドビア、か)
そっと本の文字を撫でた。
最後に別れた時の、ダニエルの悲し気な顔がどうしても思い出される。同時に、フレッドとの失恋の痛手も思い出され、胸が軋んで悲鳴を上げた。
クロエは目を閉じると小さく息を吸い、そしてゆっくりと吐き出す。
全ての選択は自身でしたものだ。
だから、この胸の痛みも苦しみも、全て自分で受け入れるべきだ。
クロエは強くそう思うとゆっくりと目を開き、前を見据えた。
(悲劇のヒロインぶって落ち込んだり嘆くのはもう止める)
そして、自分がやるべきことを思い出す。
クロエが医療魔術研究をするのは「誰か」のためだ。その「誰か」なのかはまだ分からない。
『クロエの研究は絶対にどこかの誰かのためになるものだ』
以前フレッドに言われた言葉だ。その「誰か」を救うために、クロエは研究を進めなくてはならない。
そんな焦燥感が再び胸に蘇ってきた。
(よし、本の続きを読みましょう)
再び本に視線を落とした時だった。
廊下から言い争うような声がし、何か起こったのかとドアに目を向けた同時に、激しいノック音が書斎に響いた。
「クロエ! いるんだろ!」
それはフレッドの声だった。
切羽詰まったような、緊迫した声でクロエの名を呼びながらドアが激しく叩かれる。
どうしてフレッドが屋敷にいるのかという疑問と、何か緊急事態でも発生したのではないかという不安。
混乱と驚きの余り言葉を発せないでいると、突然荒々しい音と共に乱暴にドアが開いた。
「クロエ、入るぞ」
幼い頃、同じようにフレッドが書斎に乗り込んできたことがあったが、あの時のフレッドは柔らかな笑みを浮かべていた。
対して、今のフレッドは鬼気迫る表情をしている。
「ど、どうなさったの?」
「クロエ、ダニエルのプロポーズを受けるのか?」
「え?」
「ダニエルのプロポーズを受けるのかと聞いている」
「そんなこと、お兄様には関係ないじゃないですか」
「関係なくなんてない!」
フレッドは怒鳴り声を上げると、クロエの肩をぐっと掴む。
その力があまりにも強くて、クロエは一瞬息を呑んだ。
「約束しただろう。俺の妻になって一生傍にいると。この場所で、確かに約束したじゃないか!」
「最初に破ったのはお兄様じゃないですか!」
確かに幼い頃、フレッドと約束をしたのは事実だ。
だが先に恋人を作りクロエとの約束を反故にしたのはフレッドの方だ。
それなのに、何故自分が約束を破ったなどと言われなければならないのか。
「先に恋人を作って、その約束を破ったのはお兄様だわ。それなのに、何故私が悪者のように言われなくてはならないのですか?お兄様の顔も見たくありません。部屋から出て行ってください!」
フレッドの腕から逃げようとしたその刹那に、端正な顔がクロエの顔に迫る。
気づいた時には、クロエの口はフレッドに塞がれていた。
息を飲み込むほどに強く、激しい口付けだった。
反射的に抵抗しようとしたクロエだったが、角度を変えながら貪るようなキスをされ、息も絶え絶えになる。
ゆっくりと唇が離される。
だが、唇の距離は再び触れるほどの位置だ。
クロエは動揺で瞳を揺らしながら尋ねていた。
「どうして……キスなんて……」
「お前のことを愛しているからだ」
混じり気の無いスカイブルーの瞳からは、真摯な思いと、一欠片の嘘もないことが伝わってきた。
だからこそ、クロエは混乱した。
「意味が分かりません。私を、愛してる? だって、お兄様が愛しているのはロザリー様でしょう?」
「お前は勘違いしている。俺とロザリーは恋人などではない」
「どういうことですか?」
「順を追って説明させてくれ」
フレッドはようやくクロエから体を離し、その隣に座った。
だが、手は繋がれたままで、それが決してクロエを離さないというフレッドの意志が現れているようにも感じられた。
そして告げられた真実は、クロエの驚くべき内容だった。
クロエと結婚するために、ラルドビア留学の夢を叶えようとしたこと。
その過程でナグノイア侯爵と取引をし、ラルドビアとの国交樹立のために奔走したこと。
だが、ロザリー・ナグノイアを恋人扱いしなくてはならなくなったこと。
そんな内容がフレッドの口から説明された。
交流会でフレッドがロザリーを抱いているように見えたのは、ロザリーの体を引きはがそうとした瞬間だったのだ。
今までの事は、全てクロエの勘違いだったのだ。
(それじゃあお兄様は私のために……)
「お前があの男が好きだとしても、俺はお前を手放すことはできないんだ。だから……」
言葉を詰まらせたフレッドの頬にクロエは手を伸ばし、そっと触れる。
すれ違って傷つけあって……。だけどその分、フレッドへの愛しさが溢れた。
「お兄様も勘違いしています。私はダニエル様の申し出をお断りしたんです。私も、お兄様を愛しているから」
「クロエ」
喜びの色を滲ませたフレッドの顔を見たクロエは、ゆっくりと首を振った。
「でもお兄様とお付き合いをすることはできません」
「何故?」
「私はダニエル様を深く傷つけてしまいました。それなのに、自分だけお兄様の心を受け入れて幸せになるというのは、今の私には無理です」
クロエの言葉にフレッドはグッと唇を噛みしめた。
だが、小さくため息をつき、何かを決意したようにクロエを見つめた。
「じゃあ、俺はお前の心が定まるまでずっと待つよ。いつまでも、ずっと……」
「そんな日は来ないかもしれませんよ?」
「それでも待つ。俺にはクロエしかいないんだ。でも、大人しくは待ってない。絶対にお前が俺を受け入れるようにしてみせるよ」
フレッドはそう力強く言った。
そんな日が来るのかは、クロエ自身も分からない。
でも、フレッドがクロエの心に寄り添ってくれることに、クロエは久しぶりに小さく笑みを浮かべることができたのだった。




