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【完結】天才令嬢は時戻りを繰り返す~溺愛してくる幼馴染の年上伯爵に伝えたいこと~  作者: イトカワジンカイ


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22/28

22.自分の隣にいる人は

ラルドビア交流会をきっかけに、クロエとダニエルの交際が始まった。

交際は順調だった。


ダニエルとは同じ研究所で建屋が違うだけなので、仕事終わりに行きつけのカフェでお茶をしたり、週末には一緒に外出することも多かった。


その間、フレッドから何度か手紙が来たようだったが、クロエはそれを受け取らなかった。


何が書いてあるかは分からないが、互いに恋人がいる状態で頻繁に手紙のやり取りをするのも憚られたし、距離を置くべきだと思ったからだ。


そうしてダニエルと交際を初めてあっという間に2か月が経とうとしていた。

週末の今日は、クロエはダニエルとのデートで美術館に行くことにした。


「今回の企画展は抽象画を集めたものらしい」

「そうなのですね。楽しみです」


クロエはダニエルとたわいのない話をしながら街を歩くと、ちょうどドレスショップの前を通った。

以前フレッドと夜会のドレスを買いに行った店だ。


思わず歩く速度がゆっくりになり、不意にショーウィンドウに映る自分たちの姿に目が行った。


クロエの隣には当然ながらダニエルが立っている。だが、フレッド以外の男性が立っていることに、まだ慣れなかった。

いや、むしろ違和感さえ覚えてしまう。


(ダメよ、私ったらダニエル様といるのに!)


恋人のダニエルと一緒にいるのに、ふとした瞬間、フレッドの姿を思い出してしまい、その度にクロエは心の中で頭を振ってその考えを追い出す。


そんなことを度々繰り返していた。


「どうしたんだ?」

「あ、いえ。なんでもありません。さぁ、行きましょう」


歩む速度が落ちたクロエを、ダニエルが訝し気に見る。

クロエは意識的に笑顔を浮かべて再びダニエルの隣を歩き、美術館へと向かった。


いつもは閑散としている美術館であったが、今日は人でごった返しだった。


事前に人気の企画展だとは聞いていたがこれほどまでとは予想しておらず、クロエたちは入り口で驚きの声を上げてしまった。


「すごい人ですね」

「あぁ、予想以上だな」


人の流れに沿って1つ1つの展示を見ながら、クロエはそう小声で会話をする。


(でも、下手をしたら人に流されてしまいそうだわ)


そんな風に考えながら歩いていた時だった。

突然人の波がクロエの元に押し寄せて、押し潰されそうになってしまった。


「きゃっ!」

「クロエ嬢」


小さく悲鳴を上げたクロエの手を、ダニエルの大きな手がギュッと掴んだ。


「ありがとうございます」

「いや、大丈夫だ。それにしても凄い人だな。このままだと逸れてしまうかもしれない」

「そう、ですね……」


ダニエルはクロエの背よりも頭一つ高い位置から、前方に目をやると、そのまま人混みを縫って歩き始めた。


その間、ダニエルはクロエの手を離さずに進む。

男性特有の少しごつごつした大きな手。


(そう言えばお兄様ともこうやって手を繋いで歩いたことがあったわね)


最後にフレッドと出かけた際、路地裏の本屋に向かう時に繋がれた手は、温かく逞しかった。


その温度を感じた時には、心拍数があがり、ドキドキと心臓が暴れて仕方なかった。


だが、今はどうだろう。

フレッドに手を握られた時には、あんなに激しく動いていた鼓動は今は静かに凪いだままだ。

ダニエルに手を繋がれても、両親や友達と手を繋いだ時と変わらなかった。


「ここまでくればいいかな」


ダニエルはクロエを美術館の外まで連れ出すと、そう言ってクロエの手を離した。


だが、離れゆくダニエルの手を見つめながら、そのことに特段何も思わなかった。


フレッドの時にはあんなにも離れがたかったのに、今回はするりと手を離してしまった。

同じ行為でもダニエルとフレッドとは感じ方が違う。


交際し、ダニエルと共に過ごす時間が重なれば重なるほど、その違和感が増していく。


「クロエ嬢、大丈夫だったか?」

「あ、はい。逸れなくって良かったです」

「そうだな。少し、休むことにしようか」


そうしてクロエたちは美術館に併設されているカフェに入ると、窓際の席に座り飲み物を注文した。


窓の外は快晴で、整備された庭園が広がっているのが見えた。


夏特有の濃い緑が、抜けるような青空とのコントラストが美しい。


その時、不意に青々と茂る芝生の片隅に、ひっそりと水色の小さな花が咲いていることにクロエは気が付いた。


(あれは、『星の瞳』だわ)


『星の瞳』はフレッドが好きな花だ。アルドリッジ伯爵邸のバラ園で、二人で眺めた思い出の花である。

そこまで思ったクロエは、再びハッとした。


(私ったらまたお兄様の事を考えているわ)


「何を考えていたんだ?」


一口紅茶を飲んだダニエルが、突然訪ねてきた。

まさかダニエルを前にして他の男性(フレッド)のことを考えたなどと答えることができず、曖昧に笑いながら答えた。


「いえ、綺麗な庭だと思って」

「そうだな」


そう言ったダニエルはティーカップを持ったまま庭に目をやった。

だが、それ以上口を開くことがなく、クロエもまた何を話していいのか分からず、静かに紅茶を飲みながら庭を眺めた。


ダニエルの口数が少ないような気がするのは気のせいだろうか?

それにダニエルの顔が緊張したような面持ちであることも気になった。


クロエがそのことを尋ねようとしたタイミングで、ダニエルがゆっくりと口を開いた。


「実は、君に話したいことがあるんだ」


ティーカップをソーサーに置いたダニエルが、クロエを真っ直ぐに見つめてそう切り出してきた。

何か重要なことを言おうとしているような気がして、クロエも思わず体に力が入る。


「どうしたんですか? 改まって」

「今度、ラルドビアへの留学が決まったんだ」

「まぁ、凄いですね!」


ラルドビアとの友好条約を結ぶ前に、試験的にラルドビアが留学生を受け入れるのだと、クロエは父から聞いていた。

しかし、その留学枠は限られており、ダニエルが留学生に選ばれるというのは、非常に優秀であるという証でもあった。


選ばれなかったクロエとしては少し羨ましくもある。


「君はラルドビア留学に興味はないか?」

「それはもちろんありますよ」


研究者として興味もあるし、留学はクロエの夢でもある。

羨望の眼差しとともに頷いた。


「もし、君が良ければ僕と一緒にラルドビアに行ってくれないか?」

「え……?」

一瞬、言葉の意味が分からず、クロエは首を傾げた。


ラルドビア留学の枠は埋まっているはずだ。なのに、なぜクロエもラルドビアに行けるのだろうか?


その疑問が顔に表れていたようで、ダニエルは説明の言葉を口にした。


「留学には家族も同行することが可能だ。だから、僕の妻になって一緒にラルドビアに行ってほしい」


ダニエルの突然の言葉に、クロエは息が止まった。


目を見開いたまま言葉を発せないでいるクロエを真っ直ぐに見つめ、ダニエルはさらに続ける。


「これはプロポーズのつもりだ。まだ恋人になって間もないのにこんなに焦って言うつもりはなかった。でも僕は君と一生共に過ごしたいと思っている」


確かにラルドビア留学はクロエの夢であり、その夢を叶えてくれる男性と結婚したいと思っていた。


だが、漠然と思い描いていた夢がこんな風に現実味を帯びたことに、実感が伴っていないというのが正直な気持ちだった。


しかも、突然結婚の申し込みまでされたのだ。


遠い将来の話だと思っていたことが、突然具体化して、この状況にどう答えを出していいのか分からなかった。


以前の自分であれば、夢が叶うと言って小躍りしたのだろうか?

だが、今は心が躍らない。


結婚——


ダニエルはクロエの結婚相手としては申し分が無い男性だ。


魔術科学研究という共通の話題もあるし、クロエと対等に話せる能力のある稀有な存在でもある。


一緒に出かけることも嫌だとは思わない。

加えてラルドビア留学の夢も叶えてくれる。

なのに、嬉しいと思えないのは何故なのか。


ダニエルは言った。『一生共に過ごしたい』と。


(……私が一生共に過ごしたいのは本当にダニエル様?)


クロエがダニエルの妻として隣に立つことを想像しようとしてもできなかった。

代わりに頭の中に浮かんだのはフレッドの姿だった。


(私が一生隣に居たいのは、お兄様だわ)


その時、クロエはようやく自分の気持ちに気づいた。


違和感の正体、胸が苦しかったのも、嫉妬してしまったのも、フレッドの事が好きだからなのだ。

それは『兄』でも『幼馴染』として好きなのではなく、一人の男性としてフレッドの事が好きだったのだ。


「私……は……」


あまりにも色々な感情がクロエの中で目まぐるしく動き、それ以上は言葉にできなかった。


「混乱するのも分かる。でも、クロエ嬢が悩んでいるのはそれだけじゃないんじゃないか?」

「え?」

「フレッド様がまだ忘れられないからだろう?」


まさに図星だった。

気持ちを言い当てられたクロエは、そのまま声を失ってしまう。


「そうか、やっぱりか」


ダニエルは一旦言葉を区切ると、切なげに瞳を細めた。


「君は気づいていないかもしれないけど、時折何かを考えている。最初はまた研究の事を考えてトリップしているのかとも思ったけど、そうじゃない。フレッド様の事を考えていたんだろう?」

「ごめんなさい……」

「それでもいいから僕のプロポーズを受けてはくれないかな?」


クロエに寄り添ってくれたダニエルには、ただ感謝しかない。


いつもクロエを気遣ってくれたし、フレッドから受けた傷を癒そうとしてくれていた。


だが、これ以上甘えることは、ダニエルを利用しているようで、クロエの良心がそれを許さなかった。


自分の気持ちを確かめるように、ゆっくりと口を開いた。


「私はずっとお兄様への気持ちが分からなかったんです。だけど、今、自分の気持ちを自覚してしまいました。それなのに、こんな気持ちのままダニエル様の想いを受け入れるのは不誠実だと思うんです。だから、ごめんなさい」

「フレッド様には恋人がいる。君の気持ちは報われないと分かっていても?」

「ええ。それでも、自分の気持ちを誤魔化してダニエル様のプロポーズを受けることはやっぱりできません」

「……やっぱり、フレッド様には勝てなかったか」


ダニエルは、小さく呟いた。


それからダニエルに促されてカフェを出ると、共に無言のまま大通りまで歩いた。

辻馬車を止めると、クロエは促されてそれに乗ったが、ダニエルは同車することはなかった。


「本当は送ってあげるべきだろうけど……正直今の僕には無理そうだ。だから、ここで失礼するよ」


夕焼けに照らされたダニエルは静かにそう告げた。

いつもの精悍な顔立ちだったが、同時に憂いを帯びたものに見えるのは気のせいだろうか。


「ありがとうございました」


唇を引き結び、何かを堪えている表情のダニエルに、クロエはなんと言っていいのか分からず、ただそれだけを口にした。


そしてゆっくりと馬車が動き始めた。


ダニエルとの距離が遠くなっていく。

それが、二人の距離を表しているように思えた。


今、張り裂けそうなほど胸が苦しい。


自分がフレッドへの恋心を自覚し、同時に失恋した。胸が張り裂けんばかりに痛み、ズキズキと鋭い痛みが襲う。


だが同じ痛みを自分がダニエルに与えてしまったことに、自責の念が激しく迫った。


(私の心が弱いせいで優しいダニエル様を巻き込んで、振り回してしまった……)


ダニエルを深く傷つけてしまったことに、後悔と罪悪感で胸がいっぱいになり、涙が溢れて止まらない。


自分には泣く資格などない。

そう思うクロエだったが、頬を濡らす涙を止めることはできなかった。


「ごめんなさい、ダニエル様……ごめんなさい」


クロエは馬車の中で、何度もダニエルへの謝罪の言葉を口にしながら屋敷まで帰った。

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