21.フレッド視点:分かたれた二人
夜会での一件があってから、フレッドは今まで以上に忙しくなった。
というのも、ラルドビア国との友好条約を結ぶにあたり、先立ってラルドビア国の交流会を開催することになったのだ。
公園でテントを並べラルドビアの特産品や工芸品、観光地を紹介する催しだ。
それが終わったら、近くのホテルで要人を招いたパーティーを行うことになり、フレッドもその準備に追われた。
多忙の中捻出した隙間時間で、何度かクロエには手紙を出したものの、「私はいつも通り研究をする日々です。お兄様もお体に気を付けてください」といった、当たり障りのない返事しか来なかった。
今までとは打って変わった他人行儀な手紙の返事に、フレッドは言い知れない不安に襲われた。
返事は来ないわけではないし、フレッドを気遣う言葉もある。
だが、クロエから距離を置かれているように思える。
それを追及したくても、手紙で伝えることもできず、また多忙により長文の手紙をしたためる余裕は今のフレッドには無かった。
(でもこの交流会さえ上手くいけば、ラルドビア留学の件は確たるものになるんだ)
フレッドはクロエに会いたい気持ちを抑えつつ、仕事に取り組んだ。
そして、いよいよ交流会の日。
公園での催しは大盛況に終わり、ホテルでは豪華絢爛なパーティーが行われた。
「やぁ、フレッド君。お疲れ様」
外務大臣の乾杯の挨拶が終わったタイミングで、ナグノイア侯爵がシャンパングラスを片手に声を掛けてきた。
「いやー、無事に一仕事終わったなぁ」
「はい。侯爵のご尽力のお陰です。あとは各所にて実務作業に入るだけですね」
先ほどラルドビア留学の件に関しては、各研究機関の長が技術交流することで、契約を交わし、今後は両国が留学生を受け入れることになった。
(これで、クロエとの約束を果たせる)
これまで必死になって取り組んだことが実を結び、フレッドは安堵で小さく笑みを浮かべた。
「それでだね、フレッド君。君に相談があるのだが」
ナグノイア侯爵が改めてフレッドに向き直ると、こう切り出してきた。
嫌な予感がする。
だが話を聞かないわけにはいかず、フレッドは言葉の先を促した。
「なんでしょうか?」
「ロザリーのことなんだが、あれは君をいたく気に入っているし、私としても君の事を買っている。それでだな、ロザリーと結婚してはどうだろうか? 君たちは、社交界でも恋人と認められているし、私には異論がない。それに侯爵位を得ることが出来るのだから、君にとっても悪い話じゃないだろう?」
侯爵の話はフレッドの予想通りの内容だった。
これまではラルドビア留学の件があるため、躱していた話題だったが、もう侯爵の機嫌を損ねたとしても問題ない。
「ありがたいお話だとは思いますが、私には既に心に決めた女性がいるのです。ですから、ロザリーとのことは考えられません」
きっぱりと告げる侯爵は、渋面な顔となった。
それはそうだろう。
フレッドは伯爵であり、侯爵よりも地位は下になる。
自分より身分の下の若輩者が、自分の提案を断ったのだ。気分を害すのは当然だ。
「だが、ロザリーは君の事を好いているんだ。これまでもデートを重ねたあの子を捨てるというのか?」
「ロザリーには気持ちを受け入れられないと伝えています」
「ラルドビアの件では、私がどれほど力を貸したか、分からないわけではないだろう?」
「ご尽力には感謝しております。ですが、これは正当な取引だったはずです。私はラルドビアとの国交条約を結びたい。貴方はラルドビア貿易の独占権と減税を。互いにメリットがあったあくまで対等な協力関係だったはずです。これ以上この話を続けるのであれば、独占権か減税処置か、いずれかを白紙にしていただいても結構です」
侯爵は話の分かる男である。
何が益で何が損かを把握し、冷静に決断する能力がある。
今回のフレッドの脅しに関しては、侯爵にはデメリットが多すぎると判断したのだろう。
「分かった。だが今日はこの会場にロザリーも来ている。ロザリーとの決着は自分でつけてくれたまえ」
ナグノイア侯爵は深いため息をついた後、フレッドの肩をポンと叩いてその場を立ち去った。
気配が消えたタイミングで、フレッドもまた大きく息を吐いた。これまでの疲労がどっとのしかかるように、体が重い。
(少し疲れたかな)
フレッドは窓際に移動し、外を眺めた。
ここ数日、体が重い日が続いている。微熱があるのか、倦怠感が強い。
窓に体を預けたまま目を閉じると、ふいにクロエの顔が思い浮かんだ。
暫く会っていない最愛の女性は、今も研究に勤しんでいるのだろうか?
早く会って、これまでの話を伝えて、正式にプロポーズする。
いや、その前にランディット伯爵に許可をもらう必要があるだろう。
早速帰宅次第、ランディット伯爵に手紙を書こう。
(あぁ……早くクロエに会いたい)
そんなことを思っている時だった。フレッドの右手にズキリと痛みが走り、思わず息を詰まらせた。
「っ」
包帯を巻いて隠しているが、どこかでぶつけた内出血が、徐々にその色を広げており、時折痛みが走るのだ。
我慢できない程の痛みではないが、手の色が紫に変色しているのは、あまり見ていて気持ちの良いものでは無い。
それにこの手を見たらクロエは心配してしまうだろう。なんとか次にクロエに会う時には治っているといいのだが。
(少し具合が悪い。外で風に当たろう)
いつもは気にならないアルコールの匂いが鼻につき、人々の喧騒が煩く感じる。
人の熱気で空気が澱んでいるせいか、息苦しくなったフレッドは、廊下に出ることにした。
このままホテルの外に出て、新鮮な空気を吸おうと廊下を歩いていると、前方からどぎつい真紅のドレスを纏ったロザリーが、満面の笑みを浮かべて駆け寄ってきた。
「フレッド! 探したのよ!」
「ロザリー」
正直今見たい顔ではなかった。
内心うんざりとした気持ちでロザリーを見据えるが、フレッドの気持ちにはまるで気づかないようで、いつものように自らの腕を絡ませてきた。
わざとらしく胸を押し付けてくるようで、それさえも気分が悪い。
「離れてくれ」
「そんな恥ずかしがらないでよ。ねぇ、奥の個室でゆっくり話ましょうよ」
ホテルの個室でかつ男女が二人きりとなると言うことは、ロザリーは明らかに男女の関係を要求していることになる。
だが、もう彼女の顔色を窺う義理はないのだ。
「止めてくれ。そんなところに行ったら誤解されてしまう」
腕を絡めたまま歩こうとするロザリーを押し止めようとすると、彼女は突然柱の陰にフレッドを導いた。
そして首に腕を回して蠱惑的な笑みを浮かべた。
「ねぇ、フレッドも私の事を味わってくれればきっと気持ちは変わるはずよ?」
フレッドの断りなど全く耳に入っていない。
あえて無視しているのか、ごり押しすればフレッドが靡くと思って言うのか、はたまたとんでもなく頭が弱いかのいずれかだろう。
「じゃあ、ここでキスしてくれたら今日は我慢してあげるわ」
「離れてくれ」
「ふふふ、いいじゃないキスぐらい。ねぇ、フレッドったら、我慢しなくてもいいのよ」
いい加減ロザリーの態度に業を煮やしたフレッドは、その身体を引き離そうと腕を掴んだ。
その時、ロザリーは肩越しに何かに気づいたようで、一瞬そちらに目を留めた。
何があるのかとフレッドがそちらに意識を向けた瞬間、フレッドの首筋にロザリーがキスをした。
きつく吸い付かれる。と、同時にパリンというガラスの割れる音がして、慌てて振り返ったフレッドの目に入ったのは、蒼白な顔をしたクロエの姿だった。
「クロエ……どうしてここに?」
今日のパーティーはラルドビア交流会の関係者しか呼ばれていない。
なのに何故クロエがここにいるのか?
思わずそう漏らしたフレッドに対し、クロエは瞠目したまま小さく体を震わせ、一歩一歩フレッドから距離を取った。
「ちょっとご挨拶しようと思っただけ……です。それでは失礼します」
走って逃げようとするクロエを追って、フレッドは手を伸ばし、その手を掴んだ。
「クロエ、待ってくれ!」
「! 触らないで!」
クロエはフレッドが今まで聞いたことの無いほどの激しい言葉でそう言った。
最初、何を言われているのか理解できず、頭が真っ白になる。
拒絶された。
そう理解すると同時に、目の前のクロエはフレッドを鋭く冷たい目で見据えていた。
「恋人でもない男性に気軽に触れられたくありません。お兄様も、ロザリー様という恋人がいらっしゃるのですから、軽率な真似はおやめください」
クロエが何を言っているのか?
拒絶された動揺をしていると、現れたのは以前夜会でクロエと共にいた男だった。
「クロエ嬢? ……と、フレッド様」
戸惑いの表情を浮かべるダニエルを見たフレッドは、クロエに拒絶されて冷えた背中が、一瞬にして熱くなり、沸々とした怒りが湧いてきた。
「なんでこいつと一緒なんだ?」
「こいつなんて言い方やめてください。ダニエル様は、私の大切な方です」
「どういうことだ?」
「ダニエル様とお付き合いしているという話です。私にも恋人ができたことですし、私はお兄様がいなくても大丈夫です。お兄様はお兄様で幸せになってください……行きましょう、ダニエル様」
(どういうことだ? クロエが……付き合っている?)
クロエの言葉の意味が分からない。
いや、分かっているが、それはフレッドが到底受け入れられないものだった。
衝撃の余り言葉を発せずにいると、クロエはその場を立ち去ろうとしていた。
「待ってくれ、クロエ!」
二人で立ち去って行くクロエの後ろ姿を追いかけようとした。
だが、それは叶わなかった。
右腕をグイと引っ張られ、その場に押し止められたからだ。
「フレッド、絶対に行かせないわ!」
「ロザリー、いい加減放してくれ!」
乱暴に振り払うと、ロザリーはバランスを崩してたたらを踏んだ。
何とか転倒を堪えたロザリーだったが、先ほどの拍子で髪が乱れている。
そんな様子にも気づかないロザリーは、髪を振り乱し、半狂乱になって叫んだ。
「どうしてあの女の事を気にかけるのよ! あんな冴えない、化け物モグラ。貴方には相応しくないわ! ねぇ、私の方が何倍も綺麗でしょ? スタイルだっていいし、私と結婚すれば地位も名誉も、あなたの望むものは全部手にはいるのよ!」
「化け物だと?」
ロザリーの言葉に、フレッドは声を低くして言った。
地の底から湧き出る怒りを抑えつつフレッドは今までにないほど冷たい目でロザリーを睨んだ。
「お前ごときが、クロエを悪しざまに言う資格などない! 地位も名誉もいらない。俺が欲しいのはクロエだけだ。後にも先にも、愛するのはクロエだけだ」
静かに、だが苛烈なフレッドの怒りに、ロザリーは小さく悲鳴を上げて息を呑んだ。
それを一瞥したフレッドは、今度こそクロエの後を追いかける。
「クロエ! どこだ! クロエ!」
フレッドはホテルの周辺を探し回るが、愛しい妖精の姿は見えなかった。
どれほどの時間を探しただろうか。
ようやく足を止めたフレッドは、項垂れて苦悶の表情を浮かべた。
『恋人でもない男性に気軽に触れられたくありません。お兄様も、ロザリー様という恋人がいらっしゃるのですから、軽率な真似はおやめください』
クロエの言葉から、フレッドとロザリーが恋人同士だと勘違いしていることが分かった。
夜会に出席せず、社交界の噂に疎いクロエには、フレッドとロザリーが恋人同士だというデマなど耳に入らないだろうと高を括っていた。
ラルドビアの件があるとはいえ、もっと早くにロザリーを突き放していればよかったのか。
始めからクロエに噂は誤解だと告げていればよかったのか。
あの夜会の後にプロポーズをしておけばよかったのか。
自分の選択が誤っていたことに、後悔の念しか浮かばなかった。
今更クロエに真実を告げたとしても、あの男と恋人になってしまった今、もう手が届かない存在となってしまったことには変わりがない。
クロエを失ったら、生きていけない。
フレッドは途方に暮れたまま、夜の公園に佇むしかなかった。
これでフレッド視点は終了です。次話からはまたクロエ視点に戻ります。
二人の関係が拗れてちょっとストレスになってしまってたらすみません…
これ以降話が一気に展開しますのでお付き合いいただけると嬉しいです




