20.フレッド視点:伝えたい想い
それは正当な取引のはずだった。
フレッドはナグノイア侯爵にラルドビア国との国交を取り持ち、その上で両国で学術交流を取り計らうように協力を依頼した。
そして、その見返りとして、ラルドビアとの貿易はナグノイア侯爵が独占的に行うことを許可し、納税額を減額させるという取引をしたのだ。
もちろん国政が関わる問題なので、国王ならびに各大臣の合意を得る必要があった。
そのためフレッドは寝る間も惜しんで合意を得るために駆けずり回った。
結果、クロエとの週1で行っていた茶会も、1か月に1度程度になってしまった。
正直、古狸達の説得に駆けずり回るよりも、クロエと会えない事の方が辛かったが、クロエと結婚するためだと思ってフレッドは耐えた。
そして半年ほどかかったが、何とか国王の合意を得ることに成功し、ナグノイア侯爵の方も、ラルドビア国との友好条約締結の準備がまとまった。
友好条約の締結の前に、まずは学術交流ができるように調整することにも成功した。
それはクロエの夢であるラルドビア国への留学が可能になることを意味していた。
(ようやく、ここまで来た。あとはクロエから結婚の承諾を得るだけだな)
正確には学術交流にあたっての契約等が残っているため、クロエに堂々とプロポーズ出来る段階ではないのだが、それも時間の問題だろう。
フレッドはそう思いながら、晴れやかな気持ちで街の本屋を訪れていた。
来週久しぶりにクロエと会う約束をしているため、彼女へプレゼントする本を探すためだ。
これまでフレッドは、クロエに色々な贈り物をしているが、学術書が一番喜んでくれる。
先日貰った手紙には、薬草学の最新本に興味があると言っていたから、それがいいだろう。
そんなことを考えながら本を選んでいると、小走りに黒髪の男が近づいてフレッドの名を呼んだ。
「おお! フレッドじゃないか!」
「あぁ、ジョエルか」
「お前、痩せたか? なんか色々と忙しいらしいな」
フレッドの同期生であるジョエルは、そう言いながらニカリと笑うと、フレッドの手にある本に目を留めた。
「なんの本を買うつもりなんだ……って、これ医療魔術の本じゃないか! お前そんなものを読むのか?」
「クロエへの贈り物なんだ」
「へえ、あの妖精姫のか。なかなか夜会に出ないから、俺は一回も会ったことないんだよなぁ。なぁフレッド、今度会わせてくれよ」
「断る」
「えーなんだよ、いいじゃないか。俺もクロエちゃんに会ってみたい」
「俺のクロエを馴れ馴れしく呼ぶな」
「俺のってなぁ……」
口調は砕けていて、少々お茶らけているようにも見えるが、ジョエルは悪い男ではない。
精悍な顔立ちが表すように、曲がったことが嫌いで、正義感の溢れる好青年であると言えるだろう。
だが、ジョエルは口が上手いので、クロエを丸め込んで恋人になる事態があるかもしれないし、そもそもあの可愛いクロエをジョエルなどに見せたくはなかった。
長い付き合いでフレッドの考えを察するジョエルは、急激に不機嫌になったフレッドに対し呆れた表情を浮かべた。
「お前、本当クロエちゃんのことになると人が変わるよな。女なんかに爪の垢ほども興味が無いクール人間の癖に、クロエちゃんの話になると、いきなり顔が変わるもんなぁ」
「当たり前だ。クロエ以外の女性に興味はない」
「そうなのか? でもお前、ロザリー嬢と付き合ってるんじゃないのか?」
「その話か」
ジョエルの言葉に、フレッドは眉間に皺を寄せた。
ナグノイア侯爵とラルドビアの件で取引していることから、フレッドはナグノイア侯爵との打ち合わせや会議も多くなり、頻繁に侯爵邸を訪れることになった。
その結果、侯爵の娘であるロザリー・ナグノイアが、『フレッドが侯爵邸に出入りしているのは、自分に会うためだ』とロザリーは吹聴し、フレッドを恋人扱いし始めたのだ。
もちろんフレッドはロザリーに「恋人になるつもりはない」と告げてはいるが、ロザリーはそれに構わずに公の場にフレッドを連れて行ったり、頻繁に街に誘われるようになっていた。
ナグノイア侯爵に一度そのことについて話し、ロザリーと距離を置きたいと言うのだが、娘に甘いナグノイア侯爵は「少しでいいからロザリーと一緒の時間を過ごしてほしい」と頼まれた。
その上で、ロザリーとの関係を続けなければラルドビア国との交渉はしないと暗に告げられてしまった。
結果、フレッドはしばしの辛抱と思い、ロザリーと一緒に時間を過ごしているのだが、ラルドビア国との一件に目途がついた今、そろそろ正式に断ろうと考えているところだった。
そんな経緯をジョエルに説明しながら本屋を出ると、ジョエルが深いため息をついて眉間に皺を寄せている。
「そんなことがあったんだな。だけど、早く誤解を解かないと社交界ではお前とロザリー嬢が恋人だという話がかなり広まっているぜ。このままだとクロエちゃんにも誤解されると思うから、気を付けろよ」
「あぁ」
クロエは滅多に夜会には出ないため、クロエの耳にフレッドとロザリーの話は入る可能性は限りなく低い。
だから、下手にクロエにロザリーのことを告げて、誤解を招きたくなかった。
(そういえば、クロエは次の夜会に出ると言っていたな。この機会に、クロエが俺の恋人だとはっきりと示すのもアリか……)
フレッドが頭の中でそう算段していると、目の前にいるジョエルの顔が突然曇った。
「どうした?」
「まぁフレッド!!」
ジョエルに尋ねたと同時に、フレッドの腕に女が抱き着いてきた。
ねっとりとした甘い香りがフレッドの鼻について、思わず顔を顰めた。
銀髪を揺らしながら、猫のような金色の瞳でフレッドを見上げるこの女は今会話に出ていたロザリー・ナグノイアだ。
「街でフレッドに会えるなんて嬉しいわ。最近屋敷に来てくれないから寂しかったのよ」
ロザリーはわざとらしく頬を膨らませながら上目遣いでフレッドを見る。
「ロザリー、放してくれ」
「いいじゃない! 次回の夜会に着るドレスを買いに行く途中なの。フレッドも一緒に行ってくれるでしょ?」
「……今はジョエルと話しているんだ」
フレッドがそう答えると、ロザリーは先ほどまでの甲高い声を一転させ、不快感を滲ませながらジョエルに言い放った。
「ねぇ、ジョエル。もうお話、終わったわよね?」
ジョエルにさっさと立ち去るように告げたロザリーの言葉に、ジョエルは小さくため息をついた。
「失礼。ではな、フレッド」
ロザリーに睨まれたジョエルは、ポンとフレッドの肩を叩いて去って行った。
その姿を見送ったロザリーは先ほどジョエルを追い払った時とは態度を一転させ、甘えるような笑顔を向けた。
それはまるで所有物を取り戻したような、優越感を含んでいるようにも見えた。
「さぁ、フレッド、行きましょう! あなたにドレスを選んでほしいの!」
「ロザリー、何度も言うが、少し離れてくれないか?」
「別にこのくらいいいでしょ? そうそう、お父様も今度の夜会に来るのよ。お父様、フレッドに会えるのを楽しみにしていたわ」
そう言いながらロザリーはフレッドに腕を絡ませたまま、ドレスショップまで歩いて行った。
ロザリーが向かったドレスショップは、フレッドもクロエとよく行く店だった。
店に入るや否や、ロザリーはドレスを物色すると、「どの色がいいか」「どのドレスが似合うか」など色々尋ねてくる。
フレッドはそれを適当に躱しながら、クロエに会うドレスを探した。
(そうだ、どうせなら俺の色に合わせたドレスをオーダーするのもいいな)
そう思ったフレッドは、ロザリーが試着室に入ったタイミングで、店のオーナー兼デザイナーのマダム・エメルダに声をかけた。
「マダム、ドレスをオーダーしたいのだが、いいだろうか?」
「もちろんでございますわ!」
二つ返事でOKしてくれたマダムにフレッドは色味やデザインを相談し、クロエのためのドレスを注文した。
「値段は気にしない。頼めるか?」
「はい、承りましたわ。ロザリー様にお似合いになる素敵なドレスに仕立てますわ」
「いや、ロザリーではないんだ」
フレッドの言葉にマダムは首を傾げる。
「ロザリーとはそういう関係ではない。このドレスは俺の恋人に贈りたいと思っている」
この言葉に対し、マダムは特に追及はしなかったが、フレッドが何度も一緒に店に来るのはクロエだと知っているため、ピンと来たようだった。
ただにっこりと笑い、頷いた。
こうしてフレッドはマダム・エメルダにドレスを注文した後、試着室から出たロザリーに連れられて店を後にした。
ロザリーはまたベタベタと引っ付き、何かしきりに話しかけて来るがそんなことは耳に入らない。
フレッドの頭には水色のドレスを纏ったクロエの姿でいっぱいになり、夜会当日に思いを馳せたのだった。
※
数日後、フレッドはクロエを伴って再びドレスショップを訪れた。
ドレスを身に纏ったクロエはフレッドの想像以上に美しく、思わず笑みがこぼれてしまう。
(こんな可憐なクロエのことを、モグラなんて言う奴の気が知れないな)
クロエはその才能故に、周囲から妬まれたり敬遠される子供だったこともあり、絶対的に自信がない。
自己肯定感が低く、フレッドが何度も可愛いと伝えても、本気に捉えていないようだ。
だから、今回のドレスも自分には似合わないと言って固辞しようと苦心しているのが見て取れた。
加えて、ドレスや装飾品はフレッドの瞳の色に合わせていることに気づいたようで、「でも、こういうのは恋人に贈るものではなくて?」と尋ねてくる。
すぐにでも、フレッドの想いを伝えてもいいが、やはり夜会の後に伝えるのがいいだろう。
フレッドはそう思いつつ、自分の気持ちを察して欲しくてあえてクロエの疑問を否定せず、ただ笑顔を向けた。
ドレスショップを出た後は、フレッドが仕事の関係者から以前聞いた古書店へとクロエを連れて行くことにした。
その道中、クロエが足場の悪い道でバランスを崩した。
フレッドはクロエの手を引くと、手を離すことなく歩いた。
「お兄様」ではなく、一人の男性として意識してもらいたかったからだ。
繋いだクロエの手は男のそれとはまったく違う。
柔らかく、少し力を入れてしまえば折れてしまうのではないかと思う程、華奢で繊細な手だった。
その後、馬車の中でクロエに悪戯をしてしまったのは……まぁ、少しでも愛する女性に触れたいという男心だったので許してほしい。
帰りの馬車で、フレッドは昼間見たクロエのドレス姿を思い返していた。
(夜会が楽しみだな)
クロエからは夢であるラルドビア留学を叶えれば、その男と絶対に結婚するという言質も取っている。
フレッドの瞳の色を纏ったクロエを見れば誰しもがフレッドとクロエが恋人だと思うだろう。
だから、夜会の際にプロポーズをすれば、名実ともにクロエが恋人になる。
そのことを考えると嬉しくて、頬が緩みそうだった。
そんな思いを馳せながら、やがて夜会の日は訪れた。
だが、ここでまたフレッドの予想外の出来事が起こった。
夜会会場でいつものようにロザリーが声を掛けてきた。
だが、問題は彼女が着ているドレスだった。
フレッドの瞳の色であるスカイブルーのドレスと、それに合わせた金細工の首飾り。
そんなドレス姿のロザリーは、フレッドに親し気に声を掛け、あまつさえ腕を組んで寄りかかって来たのだ。
その光景を見れば、ロザリーがフレッドの恋人だと周囲が勘違いしかねない。
ロザリーはフレッドに寄り添いながら、クロエを挑戦的な眼差しで見つめると、鼻で小さく笑った。
困惑の表情を浮かべるクロエを一瞥したロザリーはフレッドにダンスを踊るように強要する。
本当ならロザリーとファーストダンスを踊りたくはない。断ろうとフレッドがクロエを見ると、彼女は小さく笑って言った。
「私のことは気にしないで」と。
ちょうど壁際にロザリーの父であるナグノイア侯爵の姿が見え、目でダンスをするように促されてしまったこともあり、フレッドは渋々ロザリーとダンスを踊った。
「ふふふ、ねえフレッド知ってる? 私たち、皆さんにも似合いの恋人同士だって言われているのよ? フレッドもそう思わない?」
「ロザリー、何度も言うが、俺は君と恋人になるつもりはない」
「でも皆私たちを恋人だと思ってるし、今更訂正するのもどうしら? それに、あんな冴えない女より、私の方がずっと美人でしょ?」
そう言いながらロザリーは鮮やかな口紅で彩られた唇を上げて笑った。
他の男が見たら蠱惑的だと表現するであろう唇をフレッドの顔に寄せるが、フレッドとしては嫌悪感しかなかった。
だが、この状態ではさすがにロザリーを突き放すことも叶わず、フレッドはねっとりとしたロザリーの眼差しに耐えながら踊った。
「もう、十分だろう」
クロエを置いてロザリーと2曲も踊る羽目になった。
これ以上クロエを一人置いておくわけにはいかない。
フレッドはロザリーを引きはがすようにしてダンスフロアを後にするのだが、今度はそのタイミングでナグノイア侯爵が挨拶にやって来たのだ。
「ねえ、お父様。私とフレッドってとっても似合いのカップルよね?」
「そうだね。フレッド君さえ良ければ、すぐに侯爵家の一員になってもらいたいのだが……」
とうとうナグノイア侯爵までもがそのような馬鹿げたことを言ってきた。
流石にこれ以上は付き合いきれない。
だからフレッドははっきりと断りの言葉を口にしようとした時だった。
クロエが女たちに囲まれているのが見えた。
その一人がこれまで散々クロエに暴言を吐いて虐めてきたブリジット・ザイナックだった。
クロエを取り巻く剣呑な空気から察するに、また難癖をつけてきたのだろう。
不安そうなクロエの表情を見て、フレッドがすぐにでも駆け付けようとした。
その足を踏み出そうとした瞬間、一人の男が駆け寄ったかと思うと、クロエの、腰を抱いてベランダまで行く姿が見えた。
今すぐにでも駆け出したい。その衝動を引き留めたのは、ナグノイア侯爵の言葉だった。
「そう言えば、ラルドビア留学の件だが……」
侯爵はラルドビア留学の契約について話を始め、フレッドはその場を離れることが出来なくなってしまった。
明らかにフレッドをロザリーの傍から離さないための口実だった。
邪険に扱えることもなく、フレッドは適当に相槌を打ち、ようやく解放された時には脇目も振らずベランダまで走った。
ベランダにいたのは、クロエと男が顔を寄せて見つめ合う姿だった。
クロエの笑顔は当然見たことがある。
だが、それがフレッド以外の男に向けられたことに、苛立ちと不快感がフレッドの胸を埋め尽くした。
「クロエ!」
驚くクロエを強引に男から引き離し、馬車に押し込む。
嫉妬と苛立ちから、男との関係を問いただすと、クロエが困惑していることが手に取るように分かった。
クロエは男――ダニエルとは研究仲間だと主張するが、少なくともダニエルはそう思っていないだろう。
彼の表情からはクロエを一人の女性として恋慕しているのが見て取れた。
本当なら今日、想いを告げ、まずは恋人になろうと告白し、後日改めてプロポーズしようと考えていたのに。
(このままプロポーズしてしまおうか)
フレッドはクロエへの愛を告げようと思った。だが、このような状況で告げる言葉ではない。
それに加え、クロエが害されそうになっている時に、真っ先に駆け付けることもできず、あんな男がクロエを守った事実が、フレッドに重くのしかかった。
だからどうしても、今、愛しているという想いを告げることができなかった。
思わずクロエを抱きしめ、その耳に囁く。
「クロエ、お前の隣は俺のものだ」
どうか、俺を見てほしい。「お兄様」だとか「幼馴染」ではない、一人の男として。
クロエを愛していることを、どうやって伝えればいいのか。
(クロエの夢を叶えられるまであと一歩なんだ)
だから、どうかそれまで、クロエの隣にいる権利を誰にも渡さないでほしい。
フレッドは切なる思いを込めてクロエをきつく抱きしめた。




