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【連載版】天才令嬢は時戻りを繰り返す~溺愛してくる幼馴染の年上伯爵に伝えたいこと~  作者: イトカワジンカイ


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2.クロエとフレッド

「……エ、……ロエ……クロエ!」

「えっ……あ、お兄様」


クロエは自分の名前を呼ばれて我に返った。


気づけばアルドリッジ伯爵家の離れにあるコンサバトリーの光景が目の前に広がる。


壁面の大きな窓ガラスから差し込む太陽の光が、テーブルの上にある乳白色のティーポットを照らしている。


ふと見ればティーカップの中の琥珀色に、ぼうっとした表情のクロエの顔が映っていた。


「どうしたんだい? ぼうっとしてたようだけど」


そう言いながらフレッド・アルドリッジがクロエの顔を不思議そうに覗き込んだ。

金糸の髪がフレッドの美しい頬にさらりとかかった。


夢の中とは違い、美しく滑らかな頬は血色がよく、彼が生きているのだと証明しているようだった。


「お兄様、生きてらっしゃるわよね?」

「ははは、もちろん生きているよ」

(さっきのは……やっぱり夢、よね?)


白昼夢でも見たのだろうか。


先ほど夢で見たフレッドは、クロエの目の前で冷たくなっていて……思い出しただけでクロエの背筋が恐怖でぞくりとした。


だが、フレッドが死んでいたなどという先ほどの悪夢を言うことはできず、クロエは曖昧に笑って話を濁した。


「ごめんなさい。少しぼんやりしてしまったみたい」

「仕事で疲れているんじゃないか? お前が辛いなら仕事量を減らすように、所長には言っておくよ」


「ううん、全然平気よ。毎日、研究ができてとっても楽しいわ。ただ昨日はちょっと遅くまで論文を書いていたから寝不足なのかも」

「そうかい? お前は没頭すると寝食を忘れてしまうからね。気をつけるんだよ」


フレッドは春の日差しのように柔らかく微笑むと、クロエの手を優しく握った。


その掌はクロエのものよりもずっと大きく、包み込まれた手からフレッドの温もりを感じられる。

そしてようやくクロエは恐怖で冷たくなった体がほぐれた気がした。


「ええと、何の話だったかしら?」

「今度の夜会にクロエも出るのかって話だよ」

「うーん、出たくはないんだけど……お父様がそろそろちゃんと社交界に出るべきだっていうから断り切れなくて」


クロエ自身は夜会なんてものに出るくらいなら部屋で論文を読んでいるほうがずっと生産的だと思っている。


だが、貴族社会で生きるためには最低限の付き合いは必要だと、この間父ジェレミーに諭されてしまったのだ。


クロエはランデット伯爵家の一人娘だ。だから父親の言い分も理解できるのだが……


「はぁ。夜会の度にあの視線を向けられるかと思うと、ちょっと憂鬱だわ」


たまにしか夜会に顔を出さないクロエは、出席するだけでも珍しく目を惹く上、最年少国家魔術科学研究員として国立の魔術科学研究所で働いているため、どうしても注目されてしまうのだ。


天才魔術科学者。


それがクロエの俗称でもある。

クロエは今年17歳になる。だが、5歳の時にはすでに初等教育をクリアしてしまっていた。


10歳で高等教育を修了し、独学で医療魔術を学んだ。12歳の時には医療魔術分野で論文を発表し、それが認められて特例で国家魔術研究所で働くことになったのだ。


そんなわけで、夜会に出ると奇異の目で見られる。


クロエはあまり人と関わることが得意ではなく、社交に長けているわけではない。


それ故、「何を考えているのか分からない」「頭がよすぎて気持ち悪い」「化け物じみている」などと陰口が聞こえてくることもしばしばだ。


だから夜会に積極的に出たいとは思わない。


(先週学会があったし、最新の論文もチェックしたいのに……夜会に出るなんて時間の無駄だわ)


思わずため息をついたクロエに、フレッドは確認するように尋ねた。


「もちろんそのパートナーは俺が務めてもいいんだよね」

「お兄様がいいならお願いしたいわ。でもいいの? お兄様だってそろそろ恋人と参加したいんじゃない?」


フレッドは今年で25歳になる。

そろそろ婚約者を決めて結婚してもいい年齢だ。


だが、こうやってパートナーのいないクロエに付き合って夜会ではいつもパートナーを務めてくれる。


金糸の美しい髪を後ろで結び、その目は蒼穹のような青。

涼やかな目元でまるで舞台役者ではないかと見紛う美丈夫な上、名門アルドリッジ伯爵家の長男、しかも王太子直属の政務官をやっていて将来も有望な男性だ。


それなのに未だ婚約者がいない。


「恋人か……それなら俺にはお前がいるから問題ないよ」


フレッドは度々そう言うが、何が問題ないのか分からない。問題は大ありな気がする。


「納得していないって顔だね。でも本当に俺はクロエがいればそれでいいんだよ」


クロエは「お兄様」と呼んでいるがフレッドは実の兄ではない。


クロエの父親とフレッドの父親が親友同士で、幼い頃から交流があった。クロエが幼い頃、とある出来事があり、それ以降、フレッドを「お兄様」と呼ぶようになったのだ。


だから単なる幼馴染がフレッドの好意に甘えて、いつまでも自分のエスコートをさせるのも申し訳ないとクロエは思っていた。


「残念ながら今のところそういう女性はいないよ。だから俺もクロエが一緒に来てくれるとありがたいんだ」

「そう? でもお兄様に恋人ができたら私に遠慮しないで言ってね」


クロエはそう提案するが、フレッドはさして興味が無いように小さく笑っただけだった。

ただ、クロエにとっても婚約話は他人事ではなかった。


クロエは今年で17歳。


誰かと婚約してもよい年齢だ。むしろ周囲の女性たちは、既に婚約者がいる者も多い。


クロエ自身は結婚に興味がないのだが、伯爵令嬢として、いつかは誰かと結婚しなくてはならないだろう。

だからクロエは紅茶を一口飲むと、ため息交じりに呟いた。


「私もそろそろ婚約者を見つけるべきかしら」

「何言ってるんだ! 婚約なんて駄目だ! 俺は認めないよ」


フレッドが突然声を荒げたことに、クロエは驚いて目を瞠ってしまった。


「え? そ、そんなに怒らなくても。いつかの話なのだし……」

「いつか、か」


フレッドは安堵交じりにそう言った後、別の話題を持ち出してきた。


「クロエ、君のお父上から聞いたのだけど、クロエは自分の夢を叶えてくれる男と結婚したいって言ったんだって?」


そう言えば先日、父から「お前はどんな男性と結婚したいのか?」と聞かれた。


どうやら婚約者を見つける気がないクロエを心配して尋ねたようだ。


そこでクロエは自分の夢である隣国ラルドビアに留学させてくれる男性となら婚約してもいいと答えたのだ。


ラルドビアは医療魔術の先進国である。

そこに留学できれば、クロエの研究はぐっと進むはずなのだが、他国との学術交流はなく、現時点で留学できるなど夢のまた夢なのだ。


それに結婚したら、貴族夫人として屋敷の管理や社交などの仕事をしなくてはならず、研究する時間が取れなくなってしまう。


だから研究にも理解があり、留学を可能にしてくれる男性がいれば、すぐにでも結婚したいくらいだった。


「ええ、確かにそんなことを言ったわね」

「なるほどね。じゃあ本当にそんな男がいたらクロエは婚約するんだね」

「まぁ、そうね」

「分かった。じゃあ今の話は嘘だなんて後々言うんじゃないよ」

(誰か当てでもあるのかしら?)


まるでそういう男性がいるかのように、念押ししてくるフレッドに、内心首を傾げながらもクロエは頷いた。


「ふふふ、言わないわ。そんな素敵な男性がいたら、絶対に結婚するわ」


そんな奇特な男性は早々いないだろうが、もしいたら是非とも結婚したい。

だが、正直自分が結婚するなど想像もつかない。


それに、今は結婚云々よりも暇があるならば論文を読みたいと思うし、時間が許す限り研究に時間を割きたいのだ。


フレッドはクロエの言葉を聞くと、満足そうに頷き、話題を次に参加する夜会の話に戻した。


「じゃあ、次の夜会用にドレスを贈るよ。何色がいいかい?」


フレッドは頬杖をついて、砂糖のような甘い笑顔でクロエに尋ねた。


いつもドレスを贈ってくれるものの、ドレスを贈るのは婚約者に対してというのが普通なのだが、普段研究にかまけて洒落っ気のないクロエ(幼馴染)を気遣い、こうして夜会の度にドレスを贈ってくれる。


だが、毎回貰うのは申し訳ない。


「前回もいただいたんだもの、私のためにお兄様がドレスを用意する必要はないわ」

「いいんだよ。俺が贈ったものをお前に着て欲しいんだ。ね、俺のためだと思って」


顔を覗かれてそう言われてしまえば、クロエも断り切れない。


「ありがとうございます。じゃあ、お言葉に甘えますね」

「あぁ。そうだ、せっかくだから週末にも買いに行こう」

「嬉しいけど、お兄様は忙しいんじゃない?」


フレッドはどうやら最近仕事が立て込んでいるらしく、なかなか自由な時間がないようだ。


以前は2週間も開けないでティータイムを一緒に過ごすことができていたが、最近は月に1度会えればいい状況となっている。


彼の両親であるアルドリッジ伯爵夫妻も、多忙なフレッドの健康を心配している。


そのことを父から聞いているクロエとしては、フレッドがクロエのために時間を割いてくれることを申し訳ない気持ちになってしまう。


「あまり無理をすると体調を崩してしまうし、せっかくの休日だもの、ゆっくり休んだ方がいいわ」

「いいんだよ。クロエと一緒にいることが休息なんだ。むしろ俺のために一緒に過ごしてほしいな」

「分かったわ。お兄様がいいのなら私は大丈夫よ」

「楽しみにしてる」


そうしてフレッドは満足そうに微笑んで紅茶を飲んだ。


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