19.フレッド視点:結婚の条件
いつものように、クロエを週1のお茶に誘ったところ、突然フレッドの誘いを断ったのだ。
(どうして突然?)
今まで毎週のように顔を合わせ、フレッドの話を楽しそうに聞き、自分の話を満面の笑みで語ってくれていたクロエからの断りの連絡に、フレッドは一瞬頭が真っ白になった。
何か自分がクロエに嫌われることをしたのだろうか?
自分以外の男性に目が向くようになったのか?
そんな不安がフレッドの頭を駆け巡った。
気づけばフレッドは屋敷を飛び出し、馬車に乗り込むと、ランディット伯爵邸へと向かった。
「おや、フレッド君、突然どうしたんだい!?」
たまたま屋敷にいたクロエの父ジェレミーがそう言って目を丸くしてフレッドを出迎えた。
「急に押しかけて申し訳ありません。クロエからの手紙を受け取って……何かあったのかと心配になってしまって」
焦る心を押し止めながらフレッドが言うと、ジェレミーは眉根を顰めて答えた。
「あぁ、そのことか。心配かけてすまないね。その……ちょっと色々あってね」
口籠り、困った表情となったジェレミーを見ながら、フレッドは怪訝な表情で首を傾げた。
「何かあったのですか?」
「実は、この間ガーデンパーティーに参加させたんだよ」
曰く、同年代の友達を作らせる目的で参加させた茶会で、クロエは自分が「気味が悪い」「得体が知れない」と陰で言われていることを知り、酷く傷ついたという。
パーティーからの帰りの馬車で、泣きじゃくるクロエを両親が宥めたようだったが、それでも深く傷ついた心は癒せなかったようだ。
「僕が無理にパーティーに参加させなければよかったよ」
そう言ってジェレミーは深い後悔の念を滲ませた。
フレッドとしても同じ気持ちであった。
クロエを縛り付けたくないと思っているし、クロエ自身ももっと広い世界を見るべきだとは分かっている。
だが、交友関係を広げようとした結果、こんなに傷つく姿を見たくはなかった。
何より、自分を〝異常〟だと言って、自分自身を貶めているクロエの気持ちを考えると、胸が締め付けられる思いだった。
とはいうものの、フレッドのことを嫌いになって拒絶しているわけではないことが分かり、胸を撫で下ろした。
「あの、クロエと話をさせてもらえないでしょうか?」
「それは構わないが、あの子はここしばらく書斎に籠り切りでね。声を掛けても出て来てくれるかどうか……」
そう言いつつ、ジェレミーはフレッドを書斎まで案内してくれた。
フレッドはこげ茶色のオークで出来たドアをノックする。
「クロエ、いるのか? クロエ?」
だが、案の定と言うべきか、中からクロエの返事はない。
それでも諦めるわけにはいかない。
ましてや今後クロエと会えないなど考えたくもない。
そもそもクロエはフレッドを嫌っていないのであれば、多少強引な手を使っても問題ないだろう。
フレッドはそう判断すると、クロエの返事を待たずに書斎に入った。
「クロエ、入るよ?」
書斎に足を踏み入れると、クロエは部屋の隅で蹲り、緑柱石の瞳に不安の色を浮かべてフレッドを見た。
フレッドは、動揺と恐怖と不安とが入り混じった表情を浮かべたクロエの隣に座ると、クロエが小さく息を呑んだ音がした。
フレッドはクロエの顔を覗き込み、その憂いを打ち消すように優しく微笑んだ。
「クロエは俺のこと、嫌いになっちゃった?」
「そ、そんなことありません!」
「じゃあ、どうして誘いを断ったの?」
ジェレミーから大筋は聞いていたが、詳細までは知らないフレッドが問いかけると、クロエはぽつりぽつりと茶会での話を語り出した。
今にも泣きそうになり、声を震わせながら、当時のことを語るクロエはフレッドが見たことの無いほど弱々しく、痛々しい姿であった。
同時に、クロエにそんな非道な言葉を言い放ったブリジットに対して、沸々と怒りが込み上げてきた。
(ブリジット……確かザイナック伯爵家の女だったか)
フレッドに付きまとい、何度断っても茶会や夜会の誘いをしてくる、鬱陶しい女だ。
無害だから放置していたが、クロエを傷つけるのであれば、一度叩き潰した方がいいだろう。
そんな思いを隠して、フレッドは穏やかに目を細めてクロエに語り掛けた。
「人は皆、才能を持っているものなんだ。だけど、それを人は磨こうとしないし、開花させようともしない。だけど、クロエの才能は、自分で努力して咲かせたものだ。俺はお前がどれだけの努力と労力を重ねて、知識を得ているのかを知っているし、活かす努力をしているのも知っているよ。だから人がなんと言おうと胸を張っていいんだよ」
「じゃあ、フレッド様は私のことを気持ち悪いって思わないの?」
「もちろんだよ」
「嫌いに、ならない?」
「あぁ、俺がクロエを嫌いになることなんてないよ」
上目遣いでこちらを見るクロエの表情から、フレッドを受け入れようとしてくれている事が分かると同時に、フレッドの中で愛しさが込み上げてきた。
そっとクロエの体を抱きしめると、フレッドの腕の中でクロエはようやく体の緊張を解いた。
だが、ここでまたフレッドの予想外のことが起こった。
「フレッド様は、お兄様ね」
(え?)
クロエが突然フレッドのことを〝お兄様〟と言い始めたことに、フレッドは盛大に焦った。
フレッドにとってクロエは愛しい存在で、愛しており、将来結婚したいという一人の女性だ。
だがクロエにとってフレッドが「兄」という存在であるなら、それは異性として全く意識されていないということになる。
異性として意識してもらうにはまだ一緒に過ごしている時間も少ない。
加えてクロエとフレッドはそれなりに年が離れているのは事実だ。
だから兄認定されては、今後も恋愛対象外になりかねない。
「どういう意味だい?」
フレッドが戸惑いながら尋ねると、クロエはにっこりと微笑んだ。
「え? だって私を嫌わないのは家族だけだもの。だから、フレッド様は私のお兄様よ」
(なるほど)
クロエの言葉を聞いて納得した。
彼女の中で自分を受け入れてくれる人間=家族なのだと。
それなのに、無理にクロエの考えを否定しては、クロエはまた他人から拒絶されたと受け取り、フレッドとの関係も終わらせてしまうだろう。
だから先手を打つことにした。
「ねぇ、クロエ。クロエは俺のこと、好き?」
「もちろん。大好きよ」
「じゃあ、クロエが大人になって将来お嫁さんになってくれるのなら『お兄様』って呼んでもいいよ」
「もちろんよ! 私もずっと一緒にいたいわ」
「なら今は(・)『お兄様』って呼ぶのを許してあげるよ」
そう、今はいいのだ。
今は兄という立場を受け入れよう。しかし、大人になったら結婚してもらうつもりだ。
(絶対に逃がさないよ。俺だけの妖精)
そう思いながら、フレッドはクロエにキスをした。
※
クロエの笑顔が見たくて、彼女に似合うであろう髪飾りやドレスといった贈り物もたくさんした。その度にクロエは満面の笑顔で礼を言ってくれる。
そんな毎日を過ごしていたが、女の愛らしさに加え女性としての美しさも現れるようになり、フレッドはますますクロエに魅了された。
だが魅了されたのはフレッドだけではなかった。
クロエが14歳で社交界デビューして以降、夜会に出席すると、彼女は注目の的になった。
魔術科学の研究に熱意を向けるクロエは、夜会に出るのは稀であったため、出席するだけでも注目される。
それに加え、妖精のような美しさを持つクロエは、男性たちに「妖精姫」などと言われ、密かに人気があった。
クロエの姿を見ると男性陣は浮足立ち、何度となくクロエに声を掛けてくる。
その度にフレッドは男たちに睨みを利かせ、牽制するのに躍起になっていた。
クロエの美しさと聡明さに惹かれる気持ちも分かるが、それはそれだ。
(なんとかしてクロエを俺のものだと分からせられないものか……)
そう考えたフレッドは、自分が同伴者になり、傍にいればよいことにふと気づいた。
だから、ある夜会に参加することになった時、フレッドはクロエにパートナーとして参加してほしいと提案したのだ。
しかし、予想外にクロエはそれに難色を示した。
「クロエ、今度の夜会はお前のパートナーを務めさせてくれるかい?」
「ええ? うーん、それはやめておきます」
「何でだい?」
「何でって、普通は恋人がいない場合、身内をパートナーにするでしょう? だから、今回もお父様にお願いするつもりです。もしお兄様と夜会に出たら、恋人だって思われてしまうわ。そうしたらお兄様にも迷惑がかかるだろうし」
迷惑どころか、恋人として夜会に参加してもらえるのならばフレッドとしては万々歳だ。
自分がクロエと一緒に居ればクロエはフレッドの恋人だと誰しもが思うだろう。
煩い女共も話しかけてこないだろうし、他の男共もクロエには手を出さないだろう。
「クロエが俺の婚約者だと思われても平気だ。クロエが俺の婚約者だと思われた方が、都合がいいんだ。一人で参加すると女性に囲まれてしまって相手に困るしな。クロエが婚約者として一緒に出てくれればそういう煩わしさからも解放される」
だから、フレッドがそう思って提案すると、クロエは一瞬考えた後、「なるほど……」と小さく呟いた。
そして、満面の笑みをフレッドに向けた。
「分かりました。お兄様ほどの方だと、色々と大変でしょうし、私で良ければその役目、真っ当しますよ」
〝役目〟とは何のことを言っているのか、フレッドは理解できなかったものの、クロエが恋人として夜会に出てくれることに安堵した。
この日以降、クロエが夜会に出る時にはフレッドがパートナーとして参加するようになった。
それでも、クロエに付きまとう虫は後を絶たなかった。
フレッドは目を光らせ、近づく男を容赦なく叩き潰して牽制しているのだが、それでもめげずに男共がクロエに接触しようとする。
潰しても潰しても、きりが無い。
(もうこれはクロエと早く結婚しなくては)
気づけばクロエももう17歳になり年頃だ。
ランディット伯爵もクロエの婚約者探しを始めようとしていると、フレッドは父ケイネスから聞いた。
フレッドも25歳となり周囲からいい加減結婚するようにせっつかれているし、宰相候補として盤石な地位を築いている。
クロエを妻に迎えても何ら問題はないのだ。
そこで、フレッドはランディット伯爵にクロエとの結婚を申し込むことにした。
ランディット伯爵邸に出向くと、ジェレミーが眼鏡の奥の目を細め、柔和な笑みで出迎えてくれた。
「お久しぶりです、伯爵」
「久しぶりだね。元気にしていたかい?」
「はい。実は今日はお願いがあって参りました」
そうして挨拶もそこそこにフレッドは本題を切り出した。
「ランディット伯爵、クロエと結婚させていただけないでしょうか?」
フレッドの申し出に、ジェレミーが目を丸くした。
「結婚!?」
「はい。私はクロエを愛しています。子供の頃からずっと好きでした。ですからクロエも立派な女性となった今、妻に迎えたいと思うのです」
フレッドの熱心な言葉に、ジェレミーは困惑した表情を浮かべた後、少しばかり思案した。
静寂が場を支配し、フレッドの背中に緊張が走る。
やがてジェレミーは徐に口を開いた。
「フレッド君がいい青年だということは良く知っているよ。だけど、僕はクロエの才能が埋もれるのはあまりに惜しいと感じている。それにあの子自身が医療魔術の研究に夢中だ。それを断念させてまで結婚させたいとは思わないんだよ」
確かに結婚してしまえば、社交も本腰で行わなくてはならないだろうし、女主人として屋敷を管理する必要もある。
だが、その程度のことでフレッドも折れるつもりはなかった。
「伯爵の懸念も理解できます。ですが、クロエには今まで通り研究生活を送ってもらえるようにしますし、研究所を辞めさせるつもりもありません。クロエを害そうとする全ての者から守ってみせます」
「そうか……。でも一番はクロエの気持ちだ。僕はあの子の意志を尊重したい。クロエは『自分の夢を叶えてくれる男性と結婚したい』と言っていた。だから、その夢を叶えて、クロエが君と結婚したいと言うのであれば喜んで結婚を許すよ」
「ありがとうございます」
こうしてフレッドは伯爵からクロエとの結婚の許可を得ることができた。だが、ここからが問題だった。
クロエの夢というのは、「隣国ラルドビアに留学させてくれる男性となら婚約してもいいと」いうものだった。
隣国ラルドビアは、閉鎖的な国だ。自国が潤っているため他国との交易を必要としていない。
また魔術科学に対しても先駆的な国のため、魔術科学を利用した国防もある。
それゆえ他国の侵略にも屈することの無い、完全無欠ともいえる国だった。
だから現時点ではラルドビアと国交を持つのは難しい状況だ。
そこでフレッドは王太子の執務補佐官と将来の宰相候補という自分の地位を駆使し、ラルドビアと国交を結ぶために行動を移した。
その鍵となるのがナグノイア侯爵だった。
ナグノイア侯爵は領地に交易拠点をいくつも持ち、自身も交易業を営み、巨万の富を築いている人物だった。
貿易業を営む兼ね合いから、侯爵は各国に人脈を有し、それはラルドビアも例外ではなかった。
同時に、ナグノイア侯爵は非常に野心家であり、ある程度のメリットを提示すればラルドビアと縁故を持てるように計らってくれることも容易に想像できた。
フレッドはそう算段し、侯爵に近づくことにした。
だがそれが、フレッドとクロエの仲に暗雲が立ち込める事態になることを、この時のフレッドは知る由もなかった。




