17.拒絶
パーティー会場は、公園広場からほど近いところにある、高級ホテルで行われた。
ホテルのバンケットルームへ向かうと、老若男女問わず多くの参加者が歓談している姿が見えた。
突然参加することになったため、ドレスコードを心配したクロエだったが、参加者は皆カジュアルな服装であることに安堵しつつ、ダニエルと共に会場に足を踏み入れた。
「凄い人ですね」
「あぁ、ラルドビアは外国との交流が少ないし、うちの国でも縁故を結びたい人間は多いだろうからな」
「この中に魔術科学の研究者もいるのでしょうか?」
「さっきいくつか魔術科学の展示もあったし、何人かはいるだろうな。ラインツさんに紹介してもらえるかもしれない」
「そうだと嬉しいですね」
そんな話をしていると、ラインツがクロエたちの姿を見つけると、にこやかな笑みを浮かべながら駆け寄ってきた。
「お二人とも、来てくれてありがとうございます」
「こちらこそ、ご招待ありがとうございます。多くの方が参加されているのですね」
「ええ。魔術科学者の他にも、外交官などの政府関係者も参加しているのですよ」
先ほどダニエルも言っていたが、ラルドビアとは官民共に交流したい人間が多いのだろう。
よく見れば、普段夜会に出ないクロエでさえ知っている、高位貴族の姿もあった。
「せっかくですから、魔術科学研究者をご紹介しましょう。クロエ博士は医療魔術分野が専門でしたな」
「はい。それで、ダニエル博士は魔術工学専門だと。あぁ、ちょうどあそこにいるのは魔術工学分野の一人者です」
そう言ってラインツは一人の女性に目を留めた。
スレンダーな体型の女性で眼鏡をかけているのが特徴的な女性だった。
その女性を見たダニエルは驚きの声を上げた。
「あの方は、もしかしてフェリシテ博士ですか?」
「ええ。ご存じでしたか。なら話は早い。早速ご紹介しますよ」
「ありがとうございます」
ダニエルの表情から、専門分野を前にした研究者独特の高揚感を感じられる。
クロエもその気持ちはよく分かる。
だが、魔術工学に関してはクロエは知識はあるものの専門家ではないため、二人の話に入って行けるかは微妙なところだ。
「二人の話にお邪魔しても申し訳ないですし、私は少し食事をして待っていますね」
「だが、一人でも大丈夫か?」
「ええ。行ってらっしゃいませ」
「じゃあ、すぐに戻って来る。ここで少し待っていてくれ」
ダニエルはそう言い残すと、ラインツと共に挨拶に行った。
その後ろ姿を見送ったクロエは、ダニエルに言った通り軽食を食べることにした。
会場の一角には、ビュッフェ形式で様々な料理が並んでいた。
小エビとホタテのカクテルや、目にも鮮やかな色とりどりの果物を使った菓子、ローストビーフなどもあった。
特にクロエの興味を引いたのは、冷凍技術を用いた食材を使った料理であった。
凍ったラズベリーに魔術展開すると、シェイクが出来るという代物だ。
クロエはその技法について料理人からいくつか話を聞いて充実した時間を過ごした。
「ふふふ、いい話を聞けたわ。あれなら今考えている遺伝子解析にも使えそうね」
クロエはそう呟きながら、新しい研究方式を考えようとするが、人が多く集中できない。
(少し、外の空気を吸おうかしら)
そう思って窓際に向かおうとしたクロエは、窓際に見知った姿を見つけて足を止めた。
(お兄様? 来ていらしたのね)
そう言えば、外交関連で高位貴族も参加しているという話だった。
フレッドもまた仕事の一環で参加しているかもしれない。
フレッドは持っているシャンパングラスには口を付けておらず、ぼんやりと窓越しに外を眺めていた。
その時、クロエはフレッドのシャンパンを持つ手に、包帯が巻かれていることに気づいた。
(どこか怪我でもしているのかしら?)
以前も手首に紫色の内出血の痣があり、無意識にぶつけたと言っていたが、今回もそうなのだろうか?
そう考えながらフレッドを見ると、心なしか顔色が悪い気がする。
心配になったクロエは、挨拶を兼ねてフレッドの元に近寄ろうとした。
だが、そのタイミングでフレッドが会場の外に出て行こうとしている。クロエは慌ててフレッドの後ろを追って廊下に出たのだが、そこにフレッドの姿は無かった。
(見失っちゃったわ)
そう思ったクロエは、再び会場へと戻ろうとした時だった。
柱の陰から何やら人の声がして、クロエは思わず足を止めてしまった。
「……フレッドったら」
女性のクスクスという忍び笑いと共に、フレッドの名前が聞こえ、クロエは自分でも知らないうちに声の方に足を進めた。
暗がりには2人の人影があり、その距離はぴったりと寄り添っているように見える。
(何?)
見てはいけないという警鐘が頭の中で鳴るが、クロエの足は自分の意志に反して進み、そっと柱の影を見てしまった。
クロエからは後ろ姿しか見えないが、背格好からしてそれがフレッドだとすぐに分かった。
そしてフレッドは赤いドレスを纏ったロザリーを抱きしめていた。
(!)
予想外の光景に驚いたクロエは、思わず息を呑むと、不意にフレッドの肩越しにロザリーの瞳がクロエを捕らえた。
ロザリーは意味ありげに小さく笑うと、艶めかしい赤い唇をフレッドの首筋に寄せると、そのまま口づけを落とした。
クロエの脳裏に、以前フレッドの首筋にあった赤い所有印が蘇る。
気づけばクロエの手から、持っていたグラスがするりと滑り落ち、ガラスの割れる硬質な音が廊下に響いた。
その音に気づいたフレッドが、驚いた様子で振り返った。
「クロエ……どうしてここに?」
フレッドは瞬間息を呑み、クロエの姿を驚愕の表情で見つめた。
その姿を見たクロエは、動揺で体が小刻みに震えてしまう。
ゆっくりと後ろに下がりながら、動揺を抑えるように何とか声を絞り出した。
「ちょっとご挨拶しようと思っただけ……です。それでは失礼します」
クロエは踵を返すと、その場から逃げるように足早に歩く。
頭の中がもうぐちゃぐちゃで、胸が苦しい。
胸がズキズキと痛み、気を抜くと涙が溢れそうになる。
何でこんなにショックを受けているのか自分でも分からない。こんな顔はフレッドには見せられないし、見られたくもなかった。
だが、そんなクロエの手を、誰かが力強く引き、クロエは振り向くことになってしまう。
「クロエ、待ってくれ!」
誰が自分の手を掴んだのか分かった瞬間、クロエはその手を振り払っていた。
「! 触らないで!」
振り返ると驚きに目を瞠るフレッドの姿があった。
ロザリーを抱きしめていたその手で触れてほしくなかった。
何故恋人がいるにもかかわらず、フレッドは自分を追いかけて来たのか?
先日のドレスの件やロザリーの存在を隠していた件。
フレッドの考えていることが分からなかった。
その混乱と、自分を振り回すフレッドに対するやり場のない憤りがクロエの中で渦巻いた。
だから、クロエはフレッドを真っ直ぐに見つめると、怒りを押さえながら、拒絶の言葉を口にした。
「恋人でもない男性に気軽に触れられたくありません。お兄様も、ロザリー様という恋人がいらっしゃるのですから、軽率な真似はおやめください」
「クロエ……」
これほどまでに冷たい声を出したことは今まで無かった。
フレッドを冷めたい怒りを滲ませた目で見据えていると、遠くからダニエルが近づいてくるのが分かった。
「クロエ嬢? ……と、フレッド様」
ダニエルはクロエの纏う空気と、フレッドとの間に流れる殺伐とした雰囲気に、戸惑いの表情を浮かべた。
そして自然とクロエの隣に立ったダニエルに対し、フレッドは怒りを抑えるような声を上げた。
「なんでこいつと一緒なんだ?」
「こいつなんて言い方やめてください。ダニエル様は、私の大切な方です」
「どういうことだ?」
眉間に皺を寄せ、低い声で尋ねてくるフレッド。
それに対し、クロエは平然と言い切った。
「ダニエル様とお付き合いしているという話です。私にも恋人ができたことですし、私はお兄様がいなくても大丈夫です。お兄様はお兄様で幸せになってください……行きましょう、ダニエル様」
「待ってくれ、クロエ!」
背後からフレッドの声が聞こえたが、クロエはその声を聞こえないふりをして今度こそ立ち去った。
下唇を噛んだまま、クロエは無言で歩き続けた。
すっかり夜の帳の落ちた公園まで来ると、クロエに腕を取られたまま無言で隣を歩いていたダニエルが、ようやく口を開いた。
「クロエ嬢、大丈夫かい?」
ダニエルの声でクロエはようやく我に返り、自分がどこにいるのかを認識した。
展示会の片づけがすっかり終わった公園の広場には、クロエとダニエルしかいない。
クロエはようやく事態を把握し、ゆっくりと腕を解いてダニエルを解放すると、うつむいたまま謝罪した。
「ダニエル様……。勝手にあんな嘘をついて、申し訳ありません」
力なく呟かれた謝罪の言葉を聞いたダニエルが、小さく苦笑している空気を感じる。
「ちょっと座ろうか」
ダニエルに促され、クロエがベンチに腰掛けると、ダニエルも隣に腰を下ろした。
少しの沈黙の後、クロエは再び謝罪の言葉を口にした。
「本当にご迷惑をおかけして、申し訳ありませんでした」
「迷惑って何のことだ?」
「恋人なんて嘘をついてしまって、もし他の方が聞いたら誤解されてダニエル様にご迷惑がかかるかもしれません」
「なるほど。では、嘘でなければいいんじゃないか?」
「え?」
「このまま恋人になってもらえないだろうか? お試しという形でもいいから」
真摯な眼差しを向けられる。
兄離れの機会なのは確かだが、ダニエルの優しさを利用するようで、躊躇ってしまう。
「正直、私は恋愛が何か分からないのです。だからそんな気持ちのまま、お付き合いするのはダニエル様に悪いと思うのです」
「分からないことがあれば学べばいいんだ。だから、僕と付き合って、恋を学んでみないか?」
「恋を学ぶ……。でも、そんな理由でお付き合いしても、ダニエル様はいいのですか?」
「ああ、もちろん」
クロエは逡巡したあと、ダニエルに頭を下げて言った。
「では、よろしくお願いいたします」
こうしてクロエはフレッドへの気持ちを断ち切り、ダニエルとの恋へと一歩踏み出すことにしたのだった。
次話からしばらくフレッド視点が続きます。
彼の苦労話(?)にお付き合いください




