16.ラルドビア交流会にて
ダニエルに誘われたラルドビア交流会の日。
クロエはいつもより少し早く起きて身支度を整えると、再度姿見に映る自分の格好を確認した。
落ちついた藍色のワンピースドレスは、クラシカルなデザインであるが、袖ぐりと襟元にレースがあしらわれている。
ふんわりとしたスカートの裾にはフリルが重なり、清楚ながら可愛さもある。
(なんだか慣れないわ)
いつもは質素なデザインのドレスしか着ないので、こういった装飾のあるお洒落なドレスを着ると違和感がある。
ダニエルは地味な私服しか見ていないのに、「変に気合が入っている上に似合わない」と思われるのも恥ずかしい。
自信なさげに鏡を見ているクロエに、侍女のナンシーはその不安を払拭するように、にこやかに笑いかけた。
「大丈夫ですよ、お嬢様。お可愛らしいです」
「そ、そう? 変ではないかしら?」
「ええ、とてもお似合いですよ」
生まれて初めてのデートという言葉にソワソワしつつ、クロエは再び鏡を見て最終チェックをすると、部屋を出た。
エントランスに向かうと、これから出かけようとしている父ジェレミーの姿があった。
「お父様、今お出かけですか?」
「ああ、これから研究所に行くんだ。クロエも外出かい?」
「ええ、ダニエル様にお誘いいただいたラルドビアの交流会に行くの」
「そうだった。今日はダニエル君からの誘いだったね。会場まで馬車で送ってあげるよ」
「ありがとう」
クロエは頷くと、ジェレミーと一緒に馬車に乗り込み、会場まで向かうことにした。
暫く馬車に揺られていると、目の前に座るジェレミーが戸惑った表情を浮かべ、窺うように尋ねてきた。
「その……今日はフレッド君の誘いじゃないんだな。最近二人でお茶会もしてないようだし、何かあったのかい?」
気遣うように尋ねる父の様子から、クロエたちが喧嘩でもしているのではないかと心配しているようだ。だがこの様子だと、父はフレッドに恋人がいる事を知らないようだ。
「ふふふ、私だってお兄様以外との人とも出かけるわ。それに、お兄様と恋人の時間を邪魔しちゃ悪いわよ」
「え? 恋人って、フレッド君のかい!?」
「そうよ。ロザリー様っていうとても美人な方なの」
「そうなのかい?」
「ええ」
クロエが頷いて答えるが、ジェレミーは神妙な顔で何かをぽつりとつぶやいていた。
「そっか……、フレッド君は諦めたのか」
「何か仰った?」
「あ? ううん、何でもないよ」
ジェレミーは先ほどまでの困惑した表情は消え失せたものの、ぎこちなく笑って答えた。
そして、場の空気を変えるように明るい口調で話題を変えた。
「それで、今日はダニエル君からの誘いだったね。彼もいい青年だし、もしお付き合いすることになったら僕は賛成するよ」
「ちょ、ちょっとお父様! ダニエル様とはそう言う関係じゃないのよ!」
父親に大きな勘違いをされてしまい、クロエは慌てて否定したが、父はただ笑うだけだった。
そして、ちょうど会場に着いたのか、馬車がゆっくりと止まった。
「じゃあ、クロエ。楽しんでおいで」
「ありがとう。お父様もお仕事頑張ってね」
そう別れの挨拶をして、クロエは馬車を降りた。
交流会の会場となる公園には、既に多くの人が集まっていた。
きょろきょろとダニエルの姿を探していると、すぐにクロエを呼ぶ声がして、ダニエルが颯爽とした足取りで向かってくる姿が見えた。
「クロエ嬢。来てくれてありがとう」
「いえ、私の方こそお誘いいただき、ありがとうございます」
そう答えたクロエを、ダニエルはじっと見つめた後、ふっと小さく笑った。
「そういう格好の君も新鮮だ」
先ほどまでクロエが気にしていたことを指摘され、顔に血が上ってしまう。
やはり似合わない服で、変に気合が入っていると思われたかと思うと、羞恥で体まで火照ってしまいそうだ。
「え!? えっと……やっぱり変でしょうか?」
「まさか! とても可愛いと思う」
ダニエルが眩しい物を見るような目でクロエを見つめ、はにかんだ笑みを浮かべた。
その眼差しがくすぐったくて、クロエはソワソワと落ち着かない気持ちになった。
何ともむず痒い空気が流れる。
「じゃあ、さっそく行こうか」
「は、はい」
そう答えると、ダニエルと共に交流会が催されている広場に向かった。
※
いつも穏やかな公園の広場にはいくつものマルシェ風の屋台が並び、それを見物する人々の喧騒に包まれていた。
等間隔に並べられたスペースには、それぞれのテーマでラルドビアの文化が紹介されている。
あるスペースでは陶器についての紹介がされ、あるスペースでは織物についての紹介がある。
その他にも特産品や工芸品、観光地の紹介などなど。
クロエはダニエルと共にそれらに足を止めては興味深く見ていると、スペースで呼び込みをしている男性が声を掛けてきた。
「お嬢さん、バラの花はいかがですか?」
壮年の男性がそう言ってクロエにバラの花を差し出してきた。
思わず足を止め、壮年の男性を見ると、彼はにっこりと微笑んだままバラを引っ込めてしまった。
「えっと?」
「手品をお見せしましょう」
「まぁ、どんなのかしら?」
手品は時折見たことがあるが、こんなに至近距離で見るのは初めてだ。何が起こるのか興味津々で見ていると、男性は白い煙が出ているガラスのカップを取り出した。
「さて、このバラの花。何の変哲もないこの水に、浸してみましょう!」
そう言って、バラの花を逆さにして水につけた。同時に、シュウと音がする。
カップからは白い煙が溢れ、クロエの足元へと流れ出た。
「さぁ、どうぞ」
男性は、再びクロエにバラの花を差し出したのだが、それは一見して凍っているのが分かった。
しかも驚くべきことに、クロエが触れた瞬間、そのバラの花がバラバラと崩れ落ちたのだ。
「えっ! どういうこと!?」
クロエが驚嘆の声を上げている隣で、ダニエルがなるほどと頷いた。
「たぶん、その液体は空気中の窒素を冷却して液化したものだ」
「液体窒素というものですか?」
「あぁ。ラルドビアで液体窒素を生成する工学魔術があると聞いた。そうか、これが噂に聞く工学魔術か」
確かにクロエも話だけは聞いたことがあるが見るのは初めてだ。
そんな話をしていると、会話を聞いていた男性が驚いた様子で声を掛けてきた。
「おや、お兄さんはこの魔術をご存じでしたか」
「はい、以前ラインツ博士が書かれた論文を読んだことがあります。ランデリアス魔術展開を利用する観点は素晴らしいと思いました」
「私の論文を読んでくださっていましたか。私がラインツ・エルゼルです」
「僕は、ダニエル・リーサルと申します。開発魔術の研究をしています」
そうしてダニエルは男性と工学魔術についての議論を始めた。
二人の議論を聞きながらクロエは凍ったバラを見つめ、とある技術を考えていた。
(もしかして、瞬間的にものを凍らせるのであれば、食べ物を保存するのにも使えそうだわ)
クロエが以前読んだ本では、ラルドビアには高度な冷凍技術があり、魚介類の長期保存に使用しているとあったが、多分この技術を利用しているのだろう。
そして、ふとある考えが思い浮かび、クロエはラインツに問いかけた。
「あの、瞬間的に凍らせられるのであれば、瞬間的に解凍できるのでしょうか?」
「ええ、可能ですよ」
「ランデリアス魔術展開を利用するということは、細胞も全く傷つくことが無く復元できるってことですよね?」
クロエの専門的な質問に、男性は少々面食らいつつも答えてくれた。
「ええ、理論的には可能ですよ」
「では、何か生き物を凍らせても、それを蘇らせることもできるのでしょうか?」
その問いを聞いたダニエルが不思議そうな表情を浮かべて眉を寄せた。
「蘇らせるとは、どういう意味だ?」
「この技術で細胞は破壊されず元の機能は失わないとしたら、生きた生物を瞬間的に凍らせて、後日解凍しても、生きたままなのかなと思ったんです」
「まさか、そんなことが出来るわけないと思うが」
ダニエルとクロエのやり取りを聞いていたラインツが、目を丸くした。
「お嬢さんは素晴らしい着眼点の持ち主ですな。実はラルドビアではそういった研究もされているんですよ。といっても、まだ試験段階ですが金魚などの小さな生物では成功しているのですよ」
「まぁ、素晴らしい技術ですね!」
「ははは、お嬢さんも魔術科学が好きですかな?」
「はい。私も魔術科学の研究者をしていて、将来ラルドビアに留学したいと思っているんです」
「なんと! その年で魔術科学研究員ですか!? そういえば、この国には、クロエ・ランディット博士という若い女性研究者がいるのですがご存じですか?」
「クロエ・ランディットは私のことです」
「おおお! こんなところでお目にかかれて光栄です! クロエ博士の論文は度々拝見させていただいております。そうだ、せっかくですから、このあとの立食パーティーに参加されませんか? そこで色々とお話をさせていただきたいです」
「まぁ! いいのですか? あ、でも……」
この後ダニエルと食事に行く約束をしていたことを思い出したクロエはそこで言葉を詰まらせた。
せっかくディナーに誘ってくれたダニエルに、予定を変更してもらうのは気が引ける。
だが、そんなクロエの胸中を察したダニエルは、クロエに笑みを向けた。
「ディナーのことなら気にしなくていい。せっかくラルドビアの話が聞けるんだ。ご招待をお受けしよう」
「ありがとうございます!」
こうしてダニエルの了承を得て予定を変更し、クロエたちはラルドビアの研究者からの招きを受けて、パーティーに出席することにした。




